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「文」とは何か_を読む

目次

「文」とは何か_への道標

書誌_「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし:橋本陽介

短い紹介と大目次

短い紹介

本書は、日本語の「文法」という主題を、単なる退屈な学問ではなく、人間の本質に迫る「知的なエンターテインメント」として捉え直すことを提案している。特に、学校文法が「文」の基本を「主語と述語」とし、その分析が主に古文(文語)を理解する超実用的な目的のために作られてきたと指摘する。しかし、この伝統的な枠組みが現代の言語実態、とりわけ「必要なことが必要なだけ表される」日本語の性質を捉えきれていないとし、「文」の核心にある述語(動詞)と、話し手の主観や聞き手への配慮を示す助動詞や助詞(モダリティ)の重要性を強調する。また、言語を客観的な世界と一対一で対応させようとする「論理的言語観」が西洋的な思考法に由来することを示し、生成文法のような新しい理論も導入しながら、日本語の「文」の骨格、すなわち人間が言葉で主に表現する要素(動作の主体、対象、方向など)を深く探求することを目的としている。

大目次

  • はじめに
  • 第一章 「文」とは何かという根源的な問い
  • 第二章 助詞と助動詞は秘密の塊
  • 第三章 「文」と西洋ロゴス
  • 第四章 「文」とは、必要なことが必要なだけ表されたものである
  • 第五章 自ら動くのか、他に働きかけるのか
  • 第六章 AIが人間に近づくのではなく、むしろ人間がAI?
  • 第七章 認知主体としての人間に焦点を当てた考え方
  • 第八章 言語は思考を決定しないが表現と解釈を縛る
  • 第九章 複雑な「文」の作り方
  • 第十章 「文」の文法からこぼれ落ちた問題――語用論、テクスト
  • おわりに
  • 主要参考文献

一口コメント

要約と詳細目次

『「文」とは何か~愉しい日本語文法のはなし~』:主要テーマと洞察

要旨

本書は「文法はエンタメだ」という視点から、日本語の「文」とは何かという根源的な問いを探る知的エンターテインメントである。学校で教わる文法(学校文法)が退屈で役に立たないという一般的なイメージに対し、その本来の目的(古文読解のための実用的なツール)と現代語分析における限界を鋭く指摘する。

本書の核心は、西洋哲学に由来する「言語と言語外の世界(事実・真理)を一致させたい」という『論理的言語観』への批判である。著者は、主語の省略などを「本来あるものが省略された不完全な文」と見なすこの言語観に異を唱え、「『文』とは、必要なことが必要なだけ表されたものである」という新たな視点を提示する。この観点から、日本語の主語不在、助詞「は」と「が」の使い分け、口語表現の特性などを再分析し、言語は世界と一対一で対応するものではなく、使用者が主体的に世界と結びつけるための道具であると論じる。

さらに生成文法、認知言語学、語用論といった多様な理論を横断的に紹介し、「文」を多角的に考察する。生成文法が言語を脳内の計算システムと捉えるのに対し、認知言語学は身体的経験や比喩的思考の重要性を強調する。著者はこれらの理論を踏まえ、言語と思考の関係について、言語は「思考」そのものを決定しないが、「表現と解釈を縛る」という結論を導き出す。とりわけ日本語の複雑な文の構築法や文末表現の選択が読み手の印象を規定し、独自の修辞的効果を生むことを詳細に分析している。

1. 学校文法への批判と再評価

本書は、多くの人が日本語文法に抱く拒絶反応の根源として、学校教育で教えられる「学校文法」の問題点を挙げる。

  • 退屈さの原因: 学校文法がつまらないのは「役に立たないから」ではなく、むしろ「実用的すぎる」からだと指摘する。その実用性とは、現代語ではなく古文(文語)を効率的に読解するために特化している点にある。
  • 現代語分析における限界: 古文読解用の体系を現代語に流用しているため、現代語の文法は「古文のおまけみたいなもの」となり、実用的でも面白くもないものになっている。例えば、主語・述語以外の要素をすべて「修飾語」として一括りにしてしまうなど、分析が粗雑であると批判する。
  • 言語観の問題: 学校文法は、すでに完成品として存在する「文」をいかに分解するかという「分解思考」に基づいている。これは、日本語を習得済みの話者にとっては自明な事柄の再確認に過ぎず、言語を構築するプロセスを教えるものではないため、有用性を感じにくい。
  • 改革の困難性: 学校文法は戦後から大きく変わっておらず、近年の言語学の成果をほとんど反映していない。しかし古文学習には依然として有効であり、理論の根本的な変更は教育現場に混乱をもたらすため、全面的な改築が困難である。

2. 「文」の構造分析:伝統的視点から多角的視点へ

本書は「文とは何か」という問いに対し、まず学校文法を起点に、徐々に専門的な言語学の概念を導入して分析を深化させる。

2.1. 文の基本要素

  • 主語と述語: 学校文法では、文の根幹は「主語-述語」関係にあるとされる。述語の種類によって文は次の3つに大別される。
  1. 名詞述語文(AはBだ):判断や断定を表す。
  2. 形容詞/形容動詞述語文(Aはどんなだ):状態や性質を表す。
  3. 動詞述語文(Aは〈何かを〉する):動作を表す。
  • 修飾語: 学校文法では主語・述語以外はすべて「修飾語」とされる。これには名詞(体言)を修飾する連体修飾語と、動詞など(用言)を修飾する連用修飾語がある。修飾構造は入れ子になりやすく、これにより言語は複雑な観念を表現できる。

2.2. 「格」と文の骨格

「修飾語」という雑な分類を超え、文の骨格をより精緻に捉えるために「格」の概念を導入する。

  • 格の定義: 格とは、「述語との関係で名詞が果たす役割」であり、その役割を「が」「を」「に」などの格助詞が示す。
  • 文の構造: 文は述語(動詞句)と複数の名詞句から構成される。各名詞句は格助詞によって述語との関係性(格)が示される。
  • が: 主格(動作の主体)
  • を: 目的格/対象格(動作の対象)
  • に: 与格(動作の向かう先)
  • その他: で(道具格・場所格)、と(共同格)、から/より(起点)、まで/へ(到達点・方向)
  • 文の最重要情報: 最も頻繁に現れる格が「が」「を」「に」であることから、「文では『動作の主体・その対象・動作の向かう方向』が最も重要である」と結論づけられる。

2.3. 話し手の主観とモダリティ

文の構造は客観的要素だけでなく、話し手の主観を表す部分も含む。

  • 文の構造モデル: 日本語の文はおおむね以下の構造を持つと分析される(本文で詳細説明)。
  • モダリティ: 話し手の希望(~たい)、推測(~らしい、~ようだ)、意思(~う)などを表すもので、主に助動詞が担う。言語の本質を「話者が主観的に何かをまとめ上げ、述べること」と捉えるなら、「話者の主観を表すモダリティこそが『文』を成立させるものだ」と言える。
  • 終助詞: 「よ」「ね」「ぞ」など、文末に付き発話内容全体の伝達態度を示す。
  • 助動詞の重要性: 使役(せる・させる)、受身(れる・られる)、過去(た)、否定(ない)といった助動詞は、人間が世界を把握する上で根源的な概念を文法に取り入れたものである。

3. 西洋言語学・哲学との対峙と比較

著者は日本の文法論が西洋の知的枠組みに深く影響されていることを指摘し、その思想的背景を明らかにすることで日本語独自の特性を浮かび上がらせる。

3.1. 「論理的言語観」への批判

  • 西洋哲学の欲望: 西洋の言語哲学には、「言語と言語外の世界(事実、真理)を一致させたいという欲望」が根底にある。これは「文」が真か偽か決定できる「命題」であるべきだという考えにつながる。
  • 「省略」という発想: この言語観に立つと、主語のない文は「不完全」と見なされ、「本来あるべき主語が省略されている」と解釈される。これは「言語化された『文』だけで世界と対応していなければならない」という前提に基づく。
  • 著者の対案: 著者はこれを批判し、「『文』とは、必要なことが必要なだけ表されたものである」という見方を提唱する。この観点では、言語化されていないものは「省略」ではなく「最初からない」と考える。
  • 例: 「ビーグル!」という発話では、話し手の認識にはビーグルしかなく、「あれは」のような指示詞を補う必要はない。
  • 例: 「静かだ」という発話では、具体的な場所(教室が)と結びつけず、「静か」という概念一般を抽出して思考することが可能である。

3.2. 生成文法と認知言語学

「文」をめぐる二つの対照的な現代言語学理論を紹介し、その思想的背景を探る。

理論生成文法 (Generative Grammar)認知言語学 (Cognitive Linguistics)
思想的背景合理主義(生得的観念を重視)経験主義(経験から知識が形成される)
言語観脳内に実在する計算システム。ほかの認知機能から独立したモジュール。人間の身体・経験・ものの捉え方から生まれるもの。
文法観人類に共通の普遍文法(Universal Grammar)から単純な規則で無限の文が生成される。言語使用の慣習が定着したもの。比喩的意味の拡張が文法にも適用される。
分析例受動文は能動文からの変形・移動によって生成される(深層構造は同じ)。能動文と受動文は、話し手の物事の捉え方が異なるため別物として扱う。

4. 日本語の特性と表現の規範

著者の「必要なことだけを表す」という言語観に基づき、日本語の具体的現象を分析する。

  • 「は」と「が」と無助詞: 「俺、ウナギ」という助詞のない発話は「俺はウナギだ」の省略形ではない。むしろこれが基本形であり、対比のニュアンスが必要な場合に「は」が、特定の対象を指し示す場合に「が」が付加されると考えるべきだと主張する。
  • 自動詞と他動詞: 日本語では英語と異なり「道を歩く」のように移動経路に助詞「を」を使える。これは日本語が「動作が対象に物理的に及ぶか」よりも「主体的・意識的な動作であるかどうか」を重視する傾向があるためだと分析する。主体の能動的な動作が道に及んでいると捉えるためである。
  • 言語と思考の関係:
  • サピア=ウォーフの仮説(言語が思考を決定する)は、言語以前の無意識的な思考レベルでは成り立たないと否定する。
  • しかし、言語は意識的な思考に影響を及ぼし、表現と解釈を縛ると主張する。学術的思考は特に使用言語に制約される。
  • 翻訳で失われる「詩的意味」は、言語が表現を規定している証拠である。
  • 複雑な文の構築法:
  • 日本語の書き言葉は、並列構造を避け、従属構造(上下関係)を作ることを好む傾向がある。
  • 文をつなぐ際、単なる並列(動詞の連用形)よりもテ形(~して)、さらにト形(~すると)を用いることで前件と後件の結びつきを強め、文にメリハリを生む。
  • 太宰治の長文が読みやすいのはこの規範に則り「前件+後件」という明確な構造を持つからである。一方、中上健次や野坂昭如の文章はこの規範を意図的に逸脱することで特異な文体効果を生んでいる。

5. 語用論とテクスト言語学:「文」を超える視点

最後に、文法論だけでは捉えきれない、「文」が実際に使用される場面での意味の働きについて考察する。

  • 文脈の重要性: 「文」の意味は単独で完結せず、文脈の中で読み手(聞き手)によって解釈される。私たちは発話の裏にある意図前後のつながりを常に推測しながらコミュニケーションを行っている。
  • 会話の原則: グライスの「協調の原則」やスペルベルとウィルソンの「関連性理論」に触れ、人々がどのように発話の「含意」を推論しているかを解説する。
  • ポライトネスと日本語: 日本語には断定や直接的な否定を避けるための「ぼかし表現」(~とか、~など)や、肯定的な形で否定を表す表現(大丈夫です、結構です)が発達している。これはコミュニケーションにおける配慮(ポライトネス)が文法や語彙に深く組み込まれていることを示す。
  • テクストの結束性: 「文」は単独では存在せず、指示詞や話題の継続などによって互いに結びつき、文章(テクスト)を形成する。個々の文だけでは意味が不明瞭でも、テクスト全体として意味をなす。
  • 口語の構造: 書き言葉の「主節-従属節」という階層的な分析は口語の実態と異なる可能性がある。口語は比較的単純な節が上下関係なく連鎖しているだけであり、書き言葉に整理される過程で階層構造が付与されるのではないかと問題提起する。

この文章は、日本語の「文法」を単なる退屈な学問ではなく、人間の本質に迫る「知的なエンターテインメント」として捉え直すことを提案している。特に学校文法が「文」の基本を「主語と述語」とし、その分析が主に古文(文語)を理解する実用目的で作られてきたことを指摘する。しかしこの伝統的枠組みは現代語、とりわけ「必要なことが必要なだけ表される」日本語の性質を捉えきれていないとし、文の核心にある述語(動詞)と、話し手の主観や聞き手への配慮を示す助動詞や助詞(モダリティ)の重要性を強調する。また言語を客観的世界と一対一で対応させようとする「論理的言語観」が西洋的思考に由来することを示し、生成文法などの理論も参照しつつ、日本語の「文」の骨格、すなわち人間が言葉で表現する主要要素(動作の主体、対象、方向など)を深く探求することを目的としている。

  • はじめに
  • 第一章 「文」とは何かという根源的な問い
    • 宇宙は言葉から始まる
    • 文は文節からなり、文節は単語からなる
    • 文の根幹は主語と述語
    • 連体修飾と連用修飾
    • 連用修飾語と品詞
    • SOVとSVO
    • 名詞の「格」とは何か
    • 日本語にはどんな「格」があるのか
    • 「言語」の見地から格を考える
    • 「彼女と行く」と「ナイフで刺す」
  • 第二章 助詞と助動詞は秘密の塊
    • 単語一つでも「文」
    • そもそも「助詞」と「助動詞」とは何だったか?
    • 使役と受身
    • 日本語に特徴的な助動詞「れる」「られる」
    • 補助動詞と文法化
  • 第三章 「文」と西洋ロゴス
    • 知の枠組みはすべて西洋由来
    • 「主語」は日本語にとって必要か
    • 主語は日本語でも必要だ
    • 言葉と世界とを一致させたいという欲望
    • 「文」だけで世界と対応させようとする発想
    • 頭が赤い魚を食べる猫
    • 言語存在論
  • 第四章 「文」とは、必要なことが必要なだけ表されたものである
    • 一人称も二人称も必要なときだけ使えばいい
    • 白馬非馬論
    • 「は」は格助詞ではないのか?
    • 「は」と「が」と「無助詞」
    • 書き言葉ありき?
  • 第五章 自ら動くのか、他に働きかけるのか
    • 自動詞と他動詞と項構造
    • 英語は「形」が同じ
    • 「笑う」「歩く」も他動詞になる
    • 「を」と「に」
    • 日本国憲法に現れる「これ」
  • 第六章 AIが人間に近づくのではなく、むしろ人間がAI?
    • 言語学の革命
    • 言語を生み出す能力
    • 文法とは計算システムである
    • 深層構造と移動
    • 普遍化し、抽象化せよ
    • ミニマリスト・プログラム
    • なぜ数学で表すのか
  • 第七章 認知主体としての人間に焦点を当てた考え方
    • 言葉や文法を経験主義的に考える
    • 比喩と拡張
    • 文法も比喩的に拡張する
    • 「を」の拡張
    • 日本語は主観的な言語
    • 「犬が欲しい」
    • 文法化と認知言語学
    • 規則か、慣習か
  • 第八章 言語は思考を決定しないが表現と解釈を縛る
    • 言語によって思考は異なるのか?
    • サピア゠ウォーフの仮説
    • 言語は「思考」を規定しない
    • 「思考」とはそもそも何か
    • 言語は意識的な思考に影響を及ぼす
    • 学問は言語に縛られる
    • 言語は表現を規定する
    • 文末の形式
    • 「は」と「が」の使い分け
  • 第九章 複雑な「文」の作り方
    • 三種類の文
    • 長い連体修飾語
    • 中上健次の怪しい文体
    • 長くても読みにくくない文章
    • 文をつなげる方法
    • 並列を避けたがる日本語
    • 主語が異なる場合
    • もう一度戻って来るのはアリ?
    • 大きなものから小さなものへ
    • 「ト形」の有用性
    • 太宰の長文はなぜ読みやすいか?
    • 野坂昭如『火垂るの墓』
  • 第十章 「文」の文法からこぼれ落ちた問題――語用論、テクスト
    • 狂ったわけでもないのに犬の糞を浴びた男
    • 読み手の理解はアバウト
    • 日常会話と遂行文
    • 「会話の含意」から「関連性理論」へ
    • 日本語のぼかしは丁寧表現
    • テクストの結束性
    • 口語に主従関係はない
  • おわりに
  • 主要参考文献

Mのコメント(言語空間・位置付け・批判的思考)

ここでは、対象となる本の言語空間がどのようなものか(記述の内容と方法は何か)、それは総体的な世界(言語世界)の中にどのように位置付けられるのか(意味・価値を持つのか)を、批判的思考をツールにして検討していきたいと思います。ただサイト全体の多くの本の紹介の整理でアタフタしているので、個々の本のMのコメントは「追って」にします。

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