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社会・世界の問題解決_山ある日々を生きる

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ご案内

このページは、コンテンツブロック「社会・世界の問題解決_山ある日々を生きる」のTOPページです。コンテンツへの導入、その簡単な趣旨・目的、全体の構成をご案内します。ここでは、問題を解決する対象として、外部世界(他者・組織(企業・政府)・自然・社会・世界等)を想定していますので、通常の「読み・書き・そろばん」レベルの総論・方法論に加えて「複雑な問題を検討する方法」が必要になりますが、それは既に一応、「複雑な問題を検討する方法」として投稿しています。なおどうしても「山ある日々」というイメージを離れられなくて、結局末尾にくっつけることにしました(2025/11/11)。

「社会・世界の問題解決_山ある日々を生きる」への導入

「残された日々を生きる」と「社会・世界の問題解決」の関係

「残された日々を生きる」の対象となる事柄が、私の心の世界の中に広がる問題への取り組みだとすれば、このブロック「社会・世界の問題解決」の対象は、主として私の心的世界の外部にあることが確実で、私の心の変革やそれに基づく個人的な行動だけでは如何ともしがたい、他者・組織(企業・政府)・自然・社会・世界等に生じている問題を取り上げ、その問題の解決方法を考えることであろうか。この関係の区分について「社会学的想像力:C・ライト・ミルズ」は、個人の「私的問題」と社会構造の「公的問題」とを区別し、現代人が自らの私的な生を歴史的・社会的な文脈の中に位置づけ、理解するために不可欠な「社会学的想像力」が重要であると主張する(社会学的想像力_を読む)。私は「社会学的想像力」に替えて、「複雑な問題を検討する方法」を提示しているわけで、どうもミルズの方がスッキリとして格好よさそうだ。

社会・世界の問題解決のためにだれが何をすべきかを明確化しよう

「社会・世界の問題」の問題群は、複雑かつ難解で直ちには解決困難であること、しかも今の仕組みから利益を絞り取っている人達が問題点を隠蔽し、仕組み継続のために尽力するとも考えられること等々から、「残された日々を生きる」ことをメインに考えようとする(目を瞑れば世界はなくなると思う)私にとって、この領域の問題群は、孫の世代のために考えた方がいいかな程度の問題であった。しかしどうも今の世上は耐えがたいし、(生成AIを共にし)ある種の工夫を駆使していけば、「問題解決」の中心部にアプローチできるのではないか、誰かがやるしかないとも思うので、私も今までの消極的な対応を少し改めて、「問題解決」に参加しようと思う。
といっても大したことはできないし、まず問題を言語化すること自体に大きな意味があるといえる。
それで思い出したのだが、私は「社会・世界の問題解決」を、学者風に分析して足りるとしたり、政治的暴力に訴えることを使嗾したりするのではなく、適切な「法とルール」の確立し人々がそれを頼りにすることがもっとも解決に近いのだはないか(私の嫌いだった「法」もこれで活かせる。)と考えていたのだ。思い出すのが少し遅かったが。
大事なことは、個別の問題についての私の「思い込み」から離れ、「法とルール」において可能な限り、「だれが何をすべきか」を明確化することだ。

「社会・世界の問題解決」の趣旨・目的と構成

「社会・世界の問題解決」の趣旨・目的・構成

社会・世界の解決困難な問題群

以上の観点から現代の社会や世界における解決困難と思われる問題群を、「複雑系と持続可能性」という観点から捉えると、一応、大きく「地球環境と資本主義の行方」、「デジタル世界を生きる」(なおこれは「PC・IT・AI研究所」に掲掲載している。)、「仕事_人と協力する」、「その他の複雑な問題群」にまとめることができよう。ここで対象とする事象は、「本の森」で4要素5領域(人・企業・政府・自然)と分類した4要素が複雑に相互作用するシステムである社会・世界(制度)に生じた複雑で解決困難な問題群である。現時点でこれらの項目に取り上げていないが、並行的に検討するのが適当な問題を、追って「その他の複雑で解決困難な問題群」の追加的な項目として取り上げ、この構成は、今後見直す予定である(2025/11/11)。

問題群が生じる基本的な構造

このような問題群が生じる基本的な構造は、地球の環境というシステム(自然+人工物+情報)において展開されてきた産業革命以降の資本主義的な生産、消費、廃棄によって、地球は「満杯」となり、それに伴って多くの資源、環境問題(特に、「地球温暖化とエネルギー問題」)が生じ、ヒトの持続可能性は危機に瀕し、これまでどおりの資本主義システムは継続しがたいと考えられるということだろう。ここまではヒト・組織の活動という複雑系がもたらす問題だが、今、PC・IT・生成AIの劇的な進歩・発展によって、ヒトの行動・思考とリアルに対応しないデジタル情報が氾濫・暴走し、その結果として法とルールの破綻も目前に迫り、これまでの社会のあり方が崩壊する危険性さえ生じており、加えて後者は、前者の複雑性を加速している。
要は、ヒト・組織の思考・行動にデジタル情報の氾濫が加わり、複雑系と持続可能性をめぐって世界の複雑な問題群が生じていると捉えることが出来る。

現況の分析

持続可能性が危機に瀕しているとか、破綻も目前に迫っているとか、社会のあり方が崩壊する危険性さえ生じているとか記述すると「終末論者」のようだがそうではない。問題が生じている構造と動態をしっかり捉えて、問題群の解決に取り組もうというのが、このコンテンツブロックの趣旨である。ただ、地球環境問題-持続可能性への対応はある程度唱導されているが、資本主義や企業の行方の問題、地域の再生は、どう考え、どこから手を付けていいのか極めて難しい、というより、ことごとく失敗してきている。持続可能性を基盤にして、考え実行していくしかないだろう。
また今後、IT・生成AI等によって、氾濫・暴走するデジタル情報を有効に制御・活用することができれば、ヒト・組織・社会・世界を持続可能にする新しい局面が生まれ、新たな価値を生み出すであろうことは間違いがなく、法とルールの破綻、社会の崩壊だけが道筋ではない。だから、IT・生成AI等の動きは見逃せないが、これによるデジタル情報の氾濫・暴走を、ヒトは本当に統御できるのか、これも極めて重要な課題である。

付加的な検討

このブロックの構成は上述したが、これまでに作成した固定記事も、当面、最低限手を入れるだけでそのまま掲載しよう。
地球の環境問題を考えるとき、裏側から「エネルギー問題」を考えることが必須である(「地球温暖化とエネルギー問題」)。これを曖昧にしたまま、「環境問題」を考えるのは、一方的と言われても仕方がない。私は、「エネルギー問題入門:リチャード・A・ムラー」は、将来のリーダーをにらんだという」触れ込みの本の内容はいかがかと思っていたが、入門書として評価の高い「教養としてのコンピューターサイエンス講義 今こそ知っておくべき「デジタル世界」の基礎知識:ブライアン・カーニハン」はこの本を範としたのだという。あれこれ考えていくと世界が広がる。

「デジタル情報の氾濫と法とルールの破綻」が私が今後もっとも力を入れていきたい分野である。
「地球環境と資本主義の行方」や「地域の行方と災害」は、私が何かをなし得るとは思えず、いささか手に余る。

「分業に依存しない生活は可能か」、「2052年を生きる」は、個の問題解決として位置づけている。前者は思考実験に近いが、後者は私が2052年を生きるという宣言(大丈夫かなあ)である。もちろん、乗り物であると地球が適切に運行され,私の「健康」と「目標達成と依存からの脱却」が実行できていない限り、そんなことはできない。だから,私の「健康」と「目標達成と依存からの脱却」について、「2052年を生きる」で振り返ろう。

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