本の森:問いを知識へ

2022-11-20

Introduction

序説

何を取り上げるコンテンツか

「問題解決と創造」などという大それた名称のコンテンツを作り始めて大分時間が経ったが、何を目指し、どういう内容にするのかが、いつまでたってもなかなか落ち着かない。 次々とランダムに目に入ってくる面白そうでかつ重要と思われるKindle本をクリティカルに読んで紹介していくこと、様々な領域の「問題解決」に資することを着地点にすること、問題を解決する検討する対象を、自然と環境、人、企業、政府の4要素及びこれらの相互作用からなる社会や世界の5領域に分類すること等は、おおよそ決めていた。要は「問題解決と創造」の観点から、関連する知識を整理しようと思ったのだ。

ただ手許にあるKindle本とR本を睨みながら買い足し(ついでにいうと、R本は事務所移転時に大半を処分してしまったので、R本の買い足し足しには二の足を踏んでしまう。)、重要と思う本の詳細目次を作成しつつ、5領域について、更にその細項目、詳細項目を作成・分類し、かつ重要と思われる本をそれに帰属させていくことは、際限のない作業であった。しかし5領域の項目立てと帰属する本を整理することは、「問題解決」の前提となる必須の作業と思われたので、飽きもせず、暇な時間を見つけては延々と作業を続けてきたが、いつまでたっても完成しない。 しかし、必然性、少なくても一貫性のない分類は完成するはずがないし(最近、本の分類は日本十進分類法によるべきで任意の分類をすべきではない、という指摘を見てなるほどと思ったが。)、私は「問題解決と創造」の各領域を考察する基礎的な資料を整理、充実させたいのであって、本を分類すること自体に大した意味はない。この泥沼はそろそろ脱しなければならない。

それとここで足踏みをしていると、文献探しとその整序に止まって、「問題解決と創造」の実践など、あの世での話になってしまう。まずは、私にとっての「問題解決と創造」を始めなければ。

問題解決と創造とは

ところで「問題解決と創造」の「問題解決」と「創造」の関係はどう考えればいいのだろうか。言葉の定義の問題なのでいろいろと考えられるが、ここでは「問題解決」は「創造」の一部であると整理することにした。

「創造」は、「目的」「目標」を設定して、新しい「物事」「事態」を作り出すこととする。

そして「問題解決」の「問題」を「目標と現状のギャップ」と捉え(これは、ハーバート・A. サイモンが、言い出したらしい。)、「問題解決」とは具体的な「目的」「目標」を設定し、ある程度定型的な解決プロセスによって、「出力(現状)」を変えることとしよう(「問題解決とは何か」を参照)。

「創造」は、「問題解決」を含むことも含まないことも一部を切り取ることもあるが、「問題解決」と対比した場合の典型的な「創造」は、当初の「目標」は漠然としているが、解決するプロセス、あるいは結果としての「出力」が新しいものといえるだろう。「問題解決」は知識に、「創造」は実践に重点がある場合が多いとイメージしてもいいだろう。

そこで今回、このコンテンツは、「問題解決と創造」を支える本の整理を中心とする「本の森:問題解決の知識」と、問題解決と創造」を実行しようとする「山ある日々:創造と遊び」に分けてまとめようと思う。知識篇は「問題解決」に重点があり、実践篇は「創造」に重点があるという考えだ。「本の森」や「山ある日々」はなくても良さそうだが、このWebの最初の作成時から、呟いていたので、象徴として活かすことにしよう。先行するのは、知識ではなく、実践である。

この項目は、「山ある日々:創造と遊び」を支える「本の森:問題解決の知識」である。

本の森:問題解決の知識の紹介

名称の変転

上記したようにもともとこのコンテンツは「問題解決と創造」という名称であったが、それだけでは全方位に愛想を振りまいているようで、焦点の定まらないコンテンツ名だと思っていた。認知科学では、思考を「推論」、「問題解決」、「意思決定」に分類することがあるが(例えば「教養としての認知科学:鈴木宏昭」の「第5章 思考のベーシックス」。その根拠は把握できていない。)、思考のプロセスを、「問題解決」のために「推論」し「意思決定」することだと考えれば、「問題解決」が知の世界の中の一つの大括りであることは間違いない。 しかし、「問題解決」論は、往々にしてそれだけでは貧しい一本調子の理屈になりかねない。それを現実的で妥当なものに留めるのは、事実や論理に依拠する様々な引っかかり=教養(リベラルアーツ)といえるだろう。 そしてこれとは別に、人の世では(あるいはすべての生命でも)、何事に依らず「好奇心」(感覚と感情)がすべての出発点である。教養は様々な事象についての評価の定まった知、好奇心から生まれるのは縦横無尽の新しい事象に対する知といえるだろう。そこで「問題解決と創造」を「<好奇心と学び>を<問題解決の知>へ」に変更してみた。しかし、気に入らない。「創造」は逃せないという思いが沸いてきた。 これまでまでやってきたことは「問題解決と創造」を支える基本的な思考、資料となる本を整備することだから、「本の森:問題解決の知識」としよう。

これからは<好奇心と学び>発の記事を作成しよう

ところでこれまでのように「問題解決と創造」を念頭に置いての記事は、どうしても大上段に構えてしまい敷居が高くなるし、しかも一冊の本を5領域の中に位置付けて紹介しようとすると、紹介(端的にいえば要約)に重きがかかり、紹介(要約)作業が億劫になる上、問題を切り裂く魅力にも乏しくなってしまうようだ。

これからは「<好奇心と学び>を<問題解決の知識>へ」の旗の下に、<好奇心>から出発して<学び>、5領域を跨いで大小さまざまな<問題>を切り裂いてその<解決>にたどり着くような記事を作成しよう。 ただし大事なことは気負わないことだと思う。グランドセオリー追いは止め、何であれ、ほんの少しでもいいので、人の役に立つ記事を書こう。ともかく とにかく一歩を踏み出そう。 「問題解決と創造」を「<好奇心と教養>を<問題解決の知>へ」に再編するに書いたような次のような記事だ。

問題解決とは何か

課題の所在

ところで「問題解決」とは何か。 私たちは、日々、自分の生活圏における自身の現在の有り様とこれからの行く末に思い煩わされ、頭上に輝く目標と泥沼のような現実との差異(問題)の解決を迫られる。 更に自分の視野を通して見える、公共圏-環境(自然や人工物等)の中に存在する、自身や自身が属する組織(家族・コミュニティ、企業、自治体・国、その他の組織)とこれらの相互作用-の問題として起こっている様々な複雑な問題群に直面し、その解決も迫られる。個の問題より、こちらの方が重いことが多いだろう。 ここで、人・組織・環境が、限定された地域の近似した言語・文化で構成される場合(国家の場合もあるが、それに限られない)を「社会」といい、異なる言語・文化で構成される場合を「世界」と呼称することにしよう(ただし、特に区別せず、社会ないし世界と呼称する場合もある。)。社会・世界には、解決困難な問題や新しい問題が群として山積していることがわかる。

上記のとおりこれらの解決すべき問題は、一応、「個の問題」(大きくは「健康」の問題と、「目標の達成」や「依存からの脱却」の行動の問題と捉えることが出来ようか。)と「世界の複雑な問題群-複雑系と持続可能性-」に分けることが出来る。現代の焦点となるのは、多く後者の「複雑系と持続可能性」の問題であるが、その解決は容易ではない。ただ「個の問題解決」をクリアしないと、なかなか「世界の複雑な問題群-複雑系と持続可能性-」の解決にまで行き着くことは出来ないだろう。

これらの問題の多くは「公共」に関連するので、まずその問題解決に取り組むべき役割を担うのは各国の政府であるといえるが、最近の彼我の政府や政治過程の視野の狭さには辟易するだけで、当面政府がこれらの問題を解決することは当てにしない方がよさそうだ。というより、政府自体、解決しなければならない問題の大きな対象だし、次々と新しい問題を引き起こし、持続不可能性に拍車を掛けているようにも思われる。

そこで私たちは襟を正し、世界の最小の構成要素である一個人として、自ら「世界の複雑な問題群-複雑系と持続可能性-」の解決に乗り出すべく、「問題解決学」、「創造学」、「システム思考」等々といわれる分野をのぞいてみたくなるが、百花繚乱で、何を頼ればいいのか、迷うばかり、さてどうしよう。特にビジネス分野から発信される「問題解決」論は、いかにも軽率なものが多く、どうも頼りがいがない。一方、学問分野からの発信は対象範囲が狭く、しかも重くもたもたとして、しかも構造の記述、モデル化、分析にとどまるものが多く、なかなか「問題解決」の実行に届かない。

ここでの課題は、要は、私たちが「問題」と捉えることを「世界」の中に位置づけて記述、モデル化し、それを解決するために何をどうすればよいのかの実行手段が得られればいいわけだから、「世界」に関する知識と「問題解決と創造の方法」が結び付けられればよいわけだ。

どうやって「問題解決」の地平にたどり着くのか

王道があるはずもなく、地道に本を読み、考え、表現し、実行することを繰り返して「問題解決の地平にたどり着く」のが「正解」であるが、今、それだけかということを考えている。 私は、法が無前提に権威的に振る舞うことに悪感情を持ち、大学は卒業はしたもののというクチだから、大学で学んだことはない。しかし、今、放送大学に接し、大学を捉え直すことにした。ここの講師の人々は、私に代わって各自、苦労して狭い分野を学び、問題を考え、整理し、印刷教材を作成して、テレビ、ラジオでできるだけ分かりやすくと思って話をしてくれる、私の作業を分業する同志である、と考えることにした。何より、放送大学の印刷教材+視聴というスタイルは、圧倒的だ。まず印刷教材を読んで概要をつかみ、わからないところ、込み入っているところは、ネットで提供されている該当部分を視聴する。今やそれが可能なのだ。そういう学び方について「今から学び始める方法-オンライン講義と読書」で簡単に説明している。そこに書いた「自分の身体を講義の声が通過するということには(たとえうつらうつらしていても)意味がある。往々にして声を追うのは時間の無駄だから、本を読んだ方が速いし、声のように消え去らないからいいのではと思いがちだが、それは違うというのが、私の体験的な「感想」だ」は正しいが、それは学ぶ分野によるだろうというのが、今の私の考えである(数学、自然科学はまさにそのとおりだが、私が読むことで容易に理解できる分野もある。)。

とにかく放送大学の講義を使い倒そう。これからは、このコンテンツも、放送大学の講義がある部分は、それを紹介することにし、隙間を参考本で補おう。ついでに、2022年の放送大学の教養学部、大学院の全てを記載した「放送大学の講義一覧(2022)」を作成したので、参考のために投稿しておく。

「問題解決」への助走

問題の定義

「問題解決」という場合の「問題」とは、普通、私たちが存在する現実の世界における「目標と現状のギャップ」と定義される(これは、ハーバート・A. サイモンが、言い出したらしい。)。問題は、既に起きてしまっている発生型問題、より高い到達目標を設定することで見えてくる設定型問題、将来的に時間と共に問題になるという将来型問題に分けることが出来る。なお従前コンテンツ名に掲げていた「創造」は「問題解決」の枠組みにとらわれないより伸びやかなものととらえてもいいが、「問題解決の方法」で検討するように、「問題解決」の一場面として位置づけることができるので、逐一区別しないことにする。

「問題」の対象は、大別すると、「個の問題」と「世界の複雑な問題群-複雑系と持続可能性-」に分けることが出来ることは、上述した。

問題解決の対象としての4要素5領域

ではこの「私たちが存在する現実の世界」はどのように構成されているのか。経済学等では、人(家計)、企業、政府の3主体を想定するのでこれを借用し、これに自然・人工物・情報からなる環境を加えると4要素(人、企業、政府、環境)になる。そして、これらの4要素の活動と相互作用によって、複雑な振る舞いをする現実の社会・世界が形作られていると考えることができる(普通、これは「システム」と呼称される。)。

このような整理を前提とすると、問題解決の対象は、人、企業、政府、環境という4要素固有の各問題領域、及び4要素の活動と相互作用によって形作られる社会・世界を加えた5領域になる(社会と世界を区別する場合は、異文化間、ないしそれを含む場合とすることを、上述した。)。

この「<好奇心と学び>を<問題解決の知>へ」の各項目には、このような観点から、私自身が「問題解決」を実行するために(また皆様にもその手助けとなるように)、本やWebを読み、まとめ、批判し、自分の頭で考察した内容の記事を蓄積していきたい。目的は問題解決の実行だから、「問題解決の知」はできるだけプラグマティックな内容になるように心がける一方、「世界」はますます拡大していくから、4分野5領域に関する知識はできるだけ範囲を広くとり、わかりやすく整理していきたい。ただ全部に力を入れていると二進も三進もいかないことが分かってきたので、できるだけ内容を、喫緊に解決すべき問題-「個の問題」と「世界の複雑な問題群-複雑系と持続可能性-」に絞っていきたい。なお<好奇心と学び>発の記事を多くしたいと考えていることは上述したとおりである。

なお、「プラグマティックな内容」というと、役に立たないものは排除するというイメージだが、論理的、科学的な知がいつどこで役に立つかは予測できないし(特に数学ではよく言われることだ。)、物語や哲学等々の人文畑も、個人のフレームをチェンジしてどのイメージを沸き立たせ、新たな思考・アイデアを生み出すために「役に立つ」。役に立たないと断言できるのは、古い発想に固執する「学問」だけだ。

因果関係による問題の類型化(フレームワーク)

カネヴィンフレームワークの導入

ところで、問題を解決しようとする(現状を目標に変革する)場合に、実行する手段によって目標が達成されるか否かという、その「プロセス」=因果関係がポイントとなることは明らかである。ただ「問題解決の知」で検討する、ごく単純と思われる「問題構造図式」でも、原因となる「入力」や「制約条件」「外乱(不可抗力)」が影響する「プロセス」を経て、結果となる「出力」が生じる」とするので、これだけでもその因果関係は単純ではない。

そこであらかじめ頭を整理するために、問題を因果関係の明確さによって類型化する「カネヴィンフレームワーク(cynefin framework)」を導入しよう(ここではCFと略称する。)。ただし最初からこれに付き合うのはくたびれるという人は、ひとまずこの項は飛ばそう。

「秩序系」、「非秩序系」、「無秩序」

CFでは、問題領域を大きく3つに分ける。「秩序系」、「非秩序系」、「無秩序」である。 そして因果関係の明確さによって、「秩序系」を、自明か、煩雑かで、「Obvious=自明(単純)系」と「Complicated=煩雑系」に、「非秩序系」を、複雑でわからないか、解明が不可能かで、「Complex=複合(複雑)系」と「Chaotic=混沌系」に分類する。 そして有効な問題解決の方法として、「秩序系」のうち、自明(単純)系では、「実行、ベストプラクティス、標準ルール、マニュアル化」、煩雑系では、「専門家に相談する、調べる、分析する、プロジェクトマネジメンント、PDCA」を挙げる。 「非秩序系」のうち、複合(複雑)系では、「試す、直感、セーフフェイルな探索をする」(人工知能や量子コンピュータを挙げる向きもある)、混沌系では、「決める、損害を抑制する、秩序を取り戻す、複合系に移動し思考や探索に時間を使えるようにする、長居しない」(緊急対応、レッド型組織、強いリーダーシップを挙げる向きもある)を挙げる(「不確実な世界を確実に生きる:コグニティブ・エッジ」)。

私が複雑な問題群として捉えている多くの問題は、煩雑系、複合(複雑)系、場合によっては、混沌系であろう。CFの枠組みで、複雑系科学、システム思考等を展開すれば、かなり問題の実態に迫れるであろう。AI(機械学習)で。自動的に可能となるという人もいるが、それはどうだろうか。

なお「カネヴィンフレームワーク」は、デイヴ・スノーデンさんが提唱し、日本では田村洋一さんが紹介している。YouTubeで、簡単な説明が見られる(本人の説明田村さんのインタビュー)。「ソーシャル・インパクト・アクト」というWebにも紹介がある(外部サイトの記事にリンク)。

私が重要と考える「学び」の肝

この世界には様々な物事が存在するように思えるが、それを個の心的世界-身体-外部世界と捉え、様々な観点から分析しようとすることには、さほど異論はないであろう。しかし、それは歴史を辿っても、現代においても、必ずしも一般的ではない。現代の教養-学びを形作った過去の(そして現在でも)多くの論者は、心的世界や外部世界の一部は神の領域だと捉え、それを前提にあれこれ世界の問題を分析しようとした。だから私たちが普通理解する「心的世界-身体-外部世界」モデルからすると異様だ。これを踏まえると、問題が見えやすくなる。

構成

概要

「本の森:問題解決の知識」は、この頁の「Introduction」(「序説」、「本の森:問題解決の知識の紹介」、「問題解決とは何か」)の下位項目として、「問題解決の方法」、「自然と環境:自然・人工物・地球環境」、「人:心と行動」、「企業」、「政府」、「社会と世界」及びその下位項目で構成する。

ここには、その目次の概略を記載する。

目次の概略

以下、作成中です。

 

Posted by murachan54