デジタル世界を生きる_活用と陥穽
問題の所在
今、人は、少し前には想定もできなかった「デジタル世界」を生きている(30年前というと「少し」ではないが、端緒はそのくらいの期間を取るのが適当か。ただし生成AIは、数年前だ。)。多くの人は、毎日数時間、PC(スマホ、タブレット)やその他のデバイスをインターネットに接続し、そこを流通する大量のデジタル情報で構成される世界に入り込み、その世界を生きている。
PCは会社のみならず家庭でも常備品だし(最近はスマホにチェンジしたとも言われるが)、インターネットはそれが社会において過不足なく使いこなされているか否かはともかく、既に十分に定着している。
AIは、数十年も見えつ隠れつしつつあったが、深層学習を経て生成AIで大ブレイクした。
これらの仕組みによるデジタルの活用は、「問題解決と創造」にとって極めて有用で、今後ますます活性化が望まれる領域も多い。このように整理すると、デジタルの活用は順風満帆のように思える。
もちろん現状はそのような状況にはない。デジタルを巡って生じている諸問題はますます多様かつ深刻であり、容易には解決できない。人類が、地球環境と資本主義の問題を解決できず結局終焉するとしても、この問題は最後まで併走するかもしれない。このような事態を、「デジタルの陥穽」と称することができるだろう。
陥穽として分かりやすいのは天変地異、あるいは資源枯渇によって電気の供給が途絶えたらどうなるのかということだが、最近の一番の問題は、ネット上を行き交う支配と利得を目的とする大量の虚偽で、暴力的、侮辱的、詐欺的言辞に満ち満ちたデジタル情報の氾濫である。今後自立するAI、生成AIの社会に対する攻撃も、取り沙汰されている。いずれにせよその核心は人の思考、思想とデジタル情報の関係如何という問題であろう。
ただしデジタル世界は陥穽だけを見ていては仕方がない。充分にデジタル情報の扱いに習熟し、活用する実力を身に付けて、対応することが重要だ。ここでは実践家であるべきで、評論家では仕方がない。
構成
この項目で目指すのは、「デジタル情報とこれを活用する技術(PC、IT、DS、及び最近の焦点である生成AI)」から構成されるデジタル世界の「活用と陥穽」を検討することである。
ただし「活用」の大部分については、これまでの「PC・ITA・I研究所」の項目でカバーされているから、ここでは、企業での「活用」(DS)と「陥穽」(デジタル情報の氾濫と法とルールの破綻)を検討しよう。
まず前提となる「デジタル情報」から検討しよう。
- デジタル世界を生きるⅠ デジタル情報とは何か
- デジタル世界を生きるⅡ DSをめぐって
- デジタル世界を生きるⅢ デジタル情報の氾濫と法とルールの破綻
デジタル世界を生きるⅠ デジタル情報とは何か
デジタル情報とは何か
デジタル情報の特質
まず「デジタル情報」とは何かについて検討しよう(「PC・IT・AI研究所」の「情報総論・情報学からAI・生成AIへ」でほぼ対象を同じくして詳細に検討している。)。
ここでは、少し観点を変え、「情報」の特質について、便宜、「法学」(情報法入門【第7版】:小向太郎)がどう捉えているかを見てみよう(少し表現を変えた。)。

同書は、「情報とは、有体物そのものではなく、有体物が存在するパターン(配列等) である」とし、「情報」の特性として、
①物理的、排他的な支配が困難な無体物であること 無体物である情報は、権利·義務の設定が難しく、複製や改ざんが容易であり、拡散されやすい。
②媒介者と伝送路の影響が大きいこと 情報の影響力や制御可能性は、どのような媒介者と伝送路によって伝達されるかによって、大きく左右される。
③主観的要素の重要性が大きいこと 情報と行動の関係は予見可能な因果律に基づくものではなく、情報の価値や影響力は主観的かつ相対的である。
とする。
その上で情報のデジタル化・ネットワーク化によって次のような問題が生じているとする。
①について「それでも従来の情報は、何らかの物と強く結びつくことが多かった。書類でも出版物でもレコードでも、物と情報は一体になっていた」、「従来の法制度では、情報を物に化体させてルールを適用することが多かった」が、「情報のデジタル化・ネットワーク化によって「対象物」が消失し、制度が有効に機能しなくなっている。法律には、有体物からの呪縛を解かれた情報をどのように規律してよいのかわからずに、今もまだ途方に暮れている。」。
②について「従来は、影響力の大きい情報伝達手段には、何らかのボトルネックがあり、そのボトルネックが法的または社会的な規律を及ぼす前提になっていた。例えば、放送や新聞、出版等のマス・メディアや電気通信事業者は、その担い手がかなり限定されていた」、「しかし、インターネットを構成する主体は多様かつ複雑で情報発信者の裾野も限りなく広い.こうしたことが情報に規律を及ぼすことを難しくしている」、「世界中の雑多なコンピュータの集合体であるインターネットでは、情報流通の把握、追跡、制御等が相当に難しい場合が多い.インターネットの匿名性と表現される問題である」。
③について「デジタル・ネットワークによって情報利用が飛躍的に進展し、新しい情報規律が求められるようになっているが、客観的統一的基準を確立することは困難な場合が多く、関係者の主観を尊重したものにならざるを得ない.制度設計においては、関係者の主観的要素をどのように制度に反映させるべきかという点が重要になっている。」。
これらは、情報法という限定された視点からの分析ではあるが、デジタル情報・ネットをめぐる諸問題を考察する上で当面の基準として差し支えないであろう。なお同書(情報法入門【第7版】:小向太郎)の「1 デジタル情報と法律」は、法律には縁のない人にも、デジタル情報とネットの現状の問題点が手際よく説明されていてお勧めしたい。
デジタル情報の特質から考えるこれから解決すべき問題
まずこれから解決すべき問題として、もともと重要ではあるが目の届きにくかった「①無体物、②媒体と伝送路に依存、③主観的要素の重要性が大きい」という特質をもった「情報」が、「デジタル・ネットワーク」によって、便利なサービスや新しい価値がもたらされる一方、主観的な意図によって創作、複製や改ざんが容易な、制御困難な情報が拡散し、「ネット詐欺、電子掲示板・ブログ・SNS等での誹謗中傷、大量の迷惑メール、著作権侵害、個人情報流出、コンピュータウイルスやサイバー攻撃など」の問題が深刻化していることは看過できないであろう。
更にはこれらの問題に止まらず、人類がこれまで築き上げてきた「こころの情報」を交換し付き合わせることで成立する「民主主義」や、本を読むことで、解釈し、蓄積し、処理してきたこころの情報の英知も崩壊しようとしているのではないか。結局、「デジタル情報の氾濫・暴走によって法とルールが破綻しつつあるのではないか」という風景も見えてくるのである。
デジタルを学ぶ
「デジタル情報とは何か」では、いささか性急に問題点を切り取ったが、その基盤となる「情報」については「こころの情報学」を、「デジタル情報」については「教養としてのデジタル講義 今こそ知っておくべき「デジタル社会」の基礎知識 」を一覧しておくのが良いだろう。
こころの情報学ー学ぶべきこと

基礎情報学を提唱する西垣通さんは「こころの情報学」中で、情報が関連する分野として、次の8つを挙げる
- (1)コンピュータ科学分野
- (2)遺伝情報を扱う分子生物学や、動物コミュニケーションを研究する動物行動学など、生物学の関連分野
- (3)言語情報をはじめ諸記号の作用を研究する、記号学・哲学・言語学などの関連分野
- (4)マスコミをはじめ多様なメディア情報と社会・文化・歴史との関係を研究する、社会学・メディア論・メディア史などの分野
- (5)認知科学など、情報処理に関連した心理学の分野
- (6)図書館情報学など、事物や概念の分類法を研究する関連分野
- (7)情報経済や経営情報など、情報をめぐる経済学・経営学の分野
- (8)著作権など、情報に関する法学の分野
学者から見た俯瞰図としてもっともであるが、素人論者たる私は(2)を除き、ほぼ横断的に、現在何を解決すべきかという観点から、これらを取り挙げていく必要があるだろう。
西垣さんは、第2次人工知能ブームの時代に、アメリカでそれを実見したという経験があり、その経験を踏まえ、「ネットとリアルのあいだ-生きるための情報学」 、「ネット社会の「正義」とは何か 集合知と新しい民主主義」 、「集合知とは何か-ネット時代の「知」のゆくえ」 、「ビッグデータと人工知能 – 可能性と罠を見極める」 、「AI原論 神の支配と人間の自由 」 等を著し、一般向けの「流れ」と距離をとる著書があり、参考になる。
デジタルの問題は、若い人のイケイケどんどんだけでは、なかなか「正解」には達しない。体にむち打って、充分な目配りをしよう。
教養としてのデジタル講義ーデジタルはどこに行くか
デジタルをめぐる全体像を頭に入れるためにまず「教養としてのデジタル講義」を一瞥しよう。
デジタルをめぐる次の問題として、Computer Scienceを利用した情報の創造、流通、処理等(ITやAI)が、今どこに到達し、今後何を成し遂げるかという問題から目を離すわけにはいかない。これについて私は「ウキウキ派」ではあるが、一方、西垣さんがいう生命情報と機械情報の差異、またITやAIが生み出すデジタル情報は、<数学ができることしかできない>という「コンピュータが仕事を奪う」等における新井紀子さんの指摘は、肝に銘じる必要がある。
これとは別に、現在、デジタル環境の利用について多くの人が多大なストレスを感じており、それをどう解消できるのかというのが目の前の大問題である。それを生成AIを利用して成し遂げたくなるが、おそらく当面は、問題を複雑にするだけだろう。
少し前に、つぎの本のような「単なる生産性や効率性の追求を超え、人間の心理的ウェルビーイング(幸福、満足感、潜在能力の発揮)を積極的に向上させることを目的としたテクノロジーの設計思想および開発分野を指すポジティブ・コンピューティング」の提唱があった。
(「ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術:ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ )

デジタル世界を生きるⅡ DSをめぐって
課題
DX(Digital Transformation)は、数年前に喧伝されたが、コンピュータ科学・技術(IT,AI,IoT等)を利用して、個人や組織の行動・思考や振舞いを変え、問題解決と生産性・創造性の向上に結びつける試みと考えることができる(人工物や自然を対象とする場合もある。)。いわゆるバズワードで定まった定義はなく、これからも使われるかどうかは分からないが、ただ「デジタル」という視点からの問題の整理は分かりやすく、私は、DSという用語の方が問題の焦点を捉えていてわかりやすいと思うので、この項目ではこれからDS(Digital Shift)として利用したい。
DSの現状と理解のポイント
DSの現状
「デジタル」というのは以前から使用されていた用語であるが、なぜ今「デジタル」が前面に出ているのか。その理由として、ひとつは、コンピュータに関連する技術が進化し、デジタル情報の処理速度、容量が十二分に実用に耐える域に達したこと、これに対応して個人の大部分が所有・使用する「スマホ」の能力が大幅に向上したこと、ディープラーニングを利用した技術(画像認識、音声認識、将棋、碁等のゲームAI等)が画期的な進歩を遂げたことが挙げられよう。
ドイツのSAPは、デジタルの5大特長として「差分コストゼロ」、「無制限」、「時差ゼロ(リアルタイム)」、「記録・分析・予測」、「明細×組み合わせによるパーソナライズ」を挙げ、ポイントは「ヒトではなく、電子を走らせろ。電子は疲れない」にあるとする(「Why Digital Matters?-“なぜ”デジタルなのか」)。わかりやすい指摘である。
DSは、「デジタル化の中での企業の生き残りをかけた変革」という観点から取り上げられることが多いが、その基本は、個人を主体として一人一人の人間の行動と思考を変革し、仕事や生活の問題解決と生産性・創造性の向上に結びつけるということであろう。個人にとってデジタルは、嵐のごとき災厄でしかない、アナログの手法の方がはるかに優れているというのも、ある分野では間違いない。これを見極めないと、DSは、単なる「使えない高級おもちゃ」に止まる。
その上で、DSの主体を企業として対象をビジネスとする場合は、複雑、困難な問題が生じる一方、大きな力にもなる。企業のDSは、DSの導入部署、開発部署だけではなく、取り入れようとする企業の一人一人が、程度の差はあれ、DSに取り組まないと、奏功しないのは、当然すぎるほど当然である。その意味でDSは、個人、開発者、企業の総合的なプロジェクトである。私は、わが国、世界におけるその行方を見極めていこう。なお、デジタル情報が災厄をもたらしつつあることは事実であるが(「デジタル情報の氾濫と法とルールの破綻」)、他の頁では、直接関連しない場合は、一々言及しない。
DSを理解するポイント
現在、企業のDSを推進・実現するための実に様々な提言、試みがなされている。これを見ていると、カオスに放り込まれ右往左往している「オシツオサレツ動物」(「哲学入門:戸田山和久」の用語)の動きを見ているような面持ちとなる。
これからの考察にあたり、無駄にカオスに飲み込まれないために、私は次の3点がDSのポイントであると考えているので指摘しておこう。現時点での私見である。
カーネマンのシステム1の一部及びその拡張版であること
1点目は、上述したようにDSの基本は個人の行動と思考の変革にあり、人間の行動と思考がシステム1(速い思考)とシステム2(遅い思考)に大別されるとすれば、DSは、様々な問題を解決するために、システムの2の一部及び人にはそもそも不可能な論理的推論のうち数学で表現できる部分(要するに、人間では処理でない高速、大量の処理ができる部分)を利用しようとするものに過ぎず、しかもこれは今現在進行中であり全く完成されたものではないから、その限界を理解する必要があるだろうということである。逆にいえば、システム1、及びシステム2の行動及び自然言語による推論の大部分は、手付かずであり、依然として「教養」が活きる部分である。そのことが「AI讃美論者」にはわかっていない。また生成AIも人の思考・アイデアの補助ツールでしかない。
一人一人が担わないと駄目なこと
2点目は、DSを推進するためには、一人一人が、自分の置かれているデジタル環境を把握し、これを改善して生活や仕事において使いこなす姿勢が必要だろうということである。家電のように黙ってスイッチを押せばいいというものではない。
失敗を振り返ろう
3点目は、これまでのシステム開発(IT)において多発した紛争の原因を解明し、これを克服する思想と技術が必要だということである。要件定義の重要性とアジャイル開発の関係をどう考えるべきか、うまく整理できるだろうか。
附記
更に、上記したように「DSの主体を企業として対象をビジネスとする場合は、複雑、困難な問題が生じる」のであるが、これについては、「集中講義デジタル戦略 テクノロジーバトルのフレームワーク:根来 龍之)の整理が秀逸である。

デジタル世界を生きるⅢ デジタル情報の氾濫と法とルールの破綻
「デジタル情報の氾濫と法とルールの破綻」の作成
「今、インターネットを流通するデジタル情報の世界で起きている様々な現象を分類・整理したいと思います。情報の発信者は、個人、任意組織、企業、政治組織、政府等があり、これをSNSで流通させている個人や組織があります。流通するデジタル情報の問題は、支配・利得・加害を目的とする大量の虚偽で、暴力的、侮辱的、詐欺的言辞に満ちたフェイクニュース、陰謀論、認知戦、炎上、大量詐取、名誉棄損等々を内容とするデジタル情報の氾濫であると考えています。これらの現象をどのように対応すべきかという観点を踏まえて分類・整理してください」という「問い」を発して、「デジタル情報の氾濫と法とルールの破綻」を作成した。
参考本の掲載
追って「流通するデジタル情報の問題は、支配・利得・加害を目的とする大量の虚偽で、暴力的、侮辱的、詐欺的言辞に満ちたフェイクニュース、陰謀論、認知戦、炎上、大量詐取、名誉棄損等々を内容とするデジタル情報の氾濫」についての本を掲載します。今は、次の2冊を掲載します。
1は上記の現象は、どう規制したらいいかと考え始めていた私に「言論の自由」を浴びせかけた。それはそうだが、と考えたうえ、氾濫するデジタル情報はこれまでの「言論の自由」とは全くことなった現実だから、それに応じた規制はありうるだろうと考えることにした。
2は、この分野の分析の嚆矢となる本だろう。
- ソクラテスからSNS 「言論の自由」全史
- 「いいね!」戦争


