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残された日々を生きるという視点_人生論

私は、このページは、本サイトの中でもっとも重要な記事のひとつであると考えているので、今後も重点的に改訂し充実させていきたいが、取り急ぎ論点の概要を示しておく(25/10/20)。

目次

なぜ「残された日々を生きる」なのか

「残された日々を生きるという視点」で、私(のみならずすべての人の)「今ここでのあり方」を捉えようと思いついた(アイデアを得た)のは、「限りある時間の使い方」を読んでからだった。
私は無所属仏教徒を自称しているから、これまでも「残された日々を生きる」という発想圏内にあったが、諸行無常、四苦(生老病死)、一切皆苦が基本であって、「残された日々を生きる」ということを中心に置くのは新しいアイデアだった。
「限りある時間の使い方」、「残された日々を生きる」、「諸行無常、一切皆苦」といっても、同じ状況の眺望の違いと言ってよいだろうが、「限りある時間の使い方」は、追い立てられている感じがするし、「諸行無常、一切皆苦」は、多少なりとも仏教を知らないと、暗い。
「残された日々を生きる」という視点は、死という終わりに向けて、日々を明るくも暗くも、充足してあるいは不満足(苦)で、生きていけるよという、主体的な選択があって、悪くない(諸法無我ではないのかと突っ込むのは、いささか教条主義的だと思う。)。
さて「残された日々を生きるという視点」を設定したとして、私がなすべきことは何だろう。抽象的にはより良い人生の生き方を選択し実行するということだろう。しかし私は昔から「人生の生き方」という言い方が嫌いだった。歩き方、食べ方なら分かるが、「生き方」は、どういう視点から何を問題にしているのか、焦点が定まらないまま、お説教をされているような気がしたからである。
今は、「人生の生き方」とは、「(私と社会の)問題に対する私の現在の心身の対応の仕方及び将来への企図」であると考え納得している。なお過去のことを「生き方」ということもあるが、過ぎ去ったことはそれだけのことだ。
そしておよそ私が行き合う問題には、ストア派が重視するように、私がコントロールできることとできないことがある。そうすると、死という終わりのステージまでの中で、今私がコントロールできる個人及び自分と繋がりのある社会の問題への現在の対応に力を尽くすことが、もっとも重要であり、自分でコントロールできないことに心を悩ませることは止めましょうということになる。

私の「残された日々を生きるという視点」は死がいかなる意味でも最終であることを前提とする

「残された日々を生きる」場合、「残された日々」が真に限定されている(死がいかなる意味でも最終である)と得心していることが前提であると考えている。
死後の世界があると信じる、あるいは期待する心性を持つと、「残された日々を生きる」ことの切実性に欠けるので、ここで私が取り上げる「残された日々を生きるという視点」とは違う「生き方」である。 ただ、生命が物質現象であること、少なくても動物はすべて死ぬこと、動物の死後の世界は確認できないこと、ヒトが動物と異なる点はないこと等から、死がいかなる意味でも最終であることの蓋然性は極めて高いことは疑いないが、死後の世界の存在の真偽は原理的に誰にも確認できないから、人が「死後の世界」があると考えることは否定しない。
なお「残された日々」は、四住期を踏まえるのが適切であり、これは主として家住期、林住期の問題であることを「残された日々を生きる」で説明した。人それぞれで多少違うだろうが、「残された日々を生きる」ことに切実になるのは、林住期になってからが多いだろうが、家住期でも問題になるだろう。後出の「人生後半の戦略書 ハーバード大教授が教える人生とキャリアを再構築する方法」では、家住期から林住期へかけての変化を「流動性知能から結晶性知能へシフトチェンジする」と表現している。林住期に入ることの支えとしている。
インドでは「残された日々を生きる」ことは遊行期に焦点が当たるが、現代の遊行期は違うが、何歳であれ認知症に罹患した以降の時期と考えればいいか。

まず死を知ろう・老いを知ろう

ところで私は、死がいかなる意味でも最終であるといいながら、実は私も含めほとんどの人は死について良く知らない。身のまわりの人の死、動物の死を経験することが、一昔前に比べてどんどん乏しくなりつつあることもその原因だろう。 そこで死について多少なりとも言語(イメージ)で経験するために、「人はどう死ぬのか (講談社現代新書):久坂部羊」を、一瞥しよう。
ただ私たちは自分の死は経験できず、知りうるのは、死の直前までの老病である。そして「残された日々を生きる」上で最も切実な問題は、病とも重なるが、老いることである。そこで「人はどう老いるのか (講談社現代新書):久坂部羊」を読んで、老いの予行演習を言語(イメージ)ですることは、「残された日々を生きる」上で大いに意味がある。「残された日々を生きる」ことは、老いることに他ならない。

「残された日々を生きるという視点」を論じた本

基本となる5書

次のものを当面の基本となる5書としよう。

  1. 限りある時間の使い方 FOUR THOUSAND WEEKS:オリバー・バークマン
  2. 人生後半の戦略書 ハーバード大教授が教える人生とキャリアを再構築する方法:アーサー・C・ブルックス
  3. 迷いを断つためのストア哲学 :マッシモ ピリウーチ
  4. なぜ今,仏教なのか―瞑想・マインドフルネス・悟りの科学 :ロバート ライト
  5. 仏教は科学なのか 私が仏教徒ではない理由:エヴァン・トンプソン

 どういう立ち位置からの視点か

1、2は、最近話題になった本であり、当然著者の現在の年齢、職業(ジャーナリスト、大学教授)を前提にしているので、かなり限られた視点ということが出来る。もちろん論述は普遍的であり得るが。
3で論じられるストア派の哲人も、多くは社会的な地位がある表現者だ。
生老病死と向き合った4の仏教者はどうか。ブッダや修行者は出家して説示するのだからこれもかなり特殊である。ただ仏教者の裾野は広く、向き合う現実が老病死であるから、普遍性がある。
1、2は助走であり、3、4のストア派、仏教を深く検討しよう。仏教は宗教の範疇に属するが、私には、修行者が、多分実在したであろうブッダが切り拓いたと信じ、自由奔放に繰り広げた言動の総体は本当に興味深い。一方ストア派の哲人は、日々の修行の掘り下げは足りないけれど言動はカッコイイ。
ここで終わればよくある「仏教賛歌」なのだが、私は「修行者が自由奔放に繰り広げた言動の総体は本当に興味深い」と捉えているのであり、仏教は真実だとか、仏教は科学だという言い方は少し違うと思う。それには5を読んでもらうといい。エヴァン・トンプソンは「フランシスコ・ヴァレラとの出会いと瞑想実践の日々」を送った哲学者であり、同書を「仏教徒ではなく仏教の善き友として」として閉めている。私はこういう捉え方が好きだ。

ストア派と仏教を学ぶ

ストア派、仏教は、更に深く検討するが、ここでは、その概観を把握するため、Geminiに「ストア派、初期仏教は、残された人生を生きることについてどう考えたか、まとめてください」と指示した回答を掲載しておく。

ストア派

ストア派の哲学者は、残された人生をに従って生きることを重視しました。死は自然なプロセスであり、恐れるものではないと捉え、与えられた時間を最大限に活用し、理性に従って生きることを説いています。

以下にストア派の哲学者が残された人生を生きる上で重要だと考えたポイントをまとめます。

  1. 現在に集中する: 過去の後悔や未来への不安にとらわれず、「今」この瞬間に集中し、最善を尽くす。
  2. 感情のコントロール: 喜びや悲しみなどの感情に振り回されず、理性的に判断し、行動する。
  3. 徳を追求する: 正義、勇気、節制、知恵の4つの徳を養い、人間として成長することを目指す。
  4. 運命を受け入れる: 起こる出来事は必然であり、変えられないものは受け入れる。
  5. 社会への貢献: 自分自身だけでなく、社会の一員としての責任を果たし、他者の幸福に貢献する。

ストア派の哲学者たちは、これらの原則に従って生きることで、残された時間を有意義に過ごし、心の平和を得ることができると信じていました。

代表的なストア派哲学者とその教え:

  • セネカ:死は避けられないものであり、恐れる必要はない。死を意識することで、より良い人生を送れる。
  • エピクテトス:自分自身でコントロールできることとできないことを区別し、コントロールできることに集中する。
  • マルクス・アウレリウス: 常に徳に従って行動し、宇宙の秩序に調和する生き方を目指す。

ストア派の哲学は、現代においても、死への不安や人生の困難に直面した際に心の支えとなる考え方として、多くの人々に支持されています。

なおセネカの「人生の短さについて」の要約を掲載しておく。

仏教

初期仏教では、残された人生を生きる上で重要なのは、以下の3点であると考えられていました。

  1. 苦の認識と滅却: 人生は生老病死などの苦に満ちているという現実を直視し、その原因である煩悩(貪り、怒り、愚かさ)を滅却すること。
  2. 八正道の実践: 煩悩を滅却し、悟りへと至るための実践的な道である八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)を日々実践すること。
  3. 無常の理解: この世のすべてのものは常に変化し、永遠に続くものはないという無常の真理を深く理解し、執着を捨てること。

初期仏教では、死は輪廻転生の一つの過程であり、終わりではなく、新たな生の始まりであると考えられていました。そのため、残された時間を悔いなく生きることが重要であり、それは上記の3点を実践することによって達成できるとされていました。

具体的には、以下のような教えが説かれています。

  • 今を生きる: 過去の後悔や未来への不安にとらわれず、今この瞬間に集中して生きる。
  • 善行を積む: 他者への思いやりや慈悲の心を持ち、善い行いを積み重ねる。
  • 瞑想の実践: 瞑想を通じて心を静め、自己の内面を見つめ、真理を悟る。

初期仏教では、これらの教えを実践することで、苦から解放され、安らぎと幸福を得ることができると説かれています。

このように、初期仏教では、残された人生を無常の真理を深く理解し、八正道の実践を通じて、悟りへと至るための貴重な時間として捉え、一日一日を大切に生きることを説いています。

新しい現代の苦_認知症と財産

ところで仏教では苦の内容として四苦八苦( 生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦 ・求不得苦 ・五陰盛苦)が挙げられ、その原因は執着とされるが、 現代的な苦としては、老のうちの「認知症」及び求不得苦の一種と位置付けられる財産への執着を挙げてよいだろう。

「認知症」への対応については「SHARP BRAIN たった12週間で天才脳を養う方法:サンジェイ・グプタ」を挙げよう。ただ視点が壮年時代にあり老年には要求が少しきつい。 またサブタイトルは出版社が売れを願ってつけたの愚行で、原本の9章は「Putting It All Together: 12 Weeks to Sharper」として新しいことをしようと整理した提案であって、天才脳にあこがれたわけではない。

財産への執着を分析して秀逸なのが「人はなぜ物を欲しがるのか:ブルース・フッド」である、現代社会・世界論としても読ませる。

日々の充足

結局のところ、残された日々を充足して生きるには、絶えず創意工夫して小さな成果を積み重ねながら、毎日を送ることに尽きるだろう。
このような「残された日々を生きるという視点」を支えるのが、「残された日々の行動を変革する_実行論」や「日々の創意工夫」、及びそれを支える「知的生産の学習実験室」である。参考にされたい。

ところで相当以前に、GeminiとChatGptに「私に残された日々はあと10年です。どのようなことをすれば充足された毎日を送り、穏やかに死を迎えられると思いますか。30挙げてみてください。」と聞いてみた。Geminiは、最初相談窓口があるとして電話番号を教えてくれたが、私は心身とも健康だとして、改めて質問してみた。それぞれの回答は再掲しないが、私は8割方は、そうかなと思った。私の回答は「日々の創意工夫」にある。

大分時間も経ったので、10挙げてくださいとして再質問してみた。ずいぶんしっかりした回答だ。

これは非常に深く、大切な問いかけだと思います。もし残された時間が限られているとしたら、どのように過ごせば「充足感」を得て「穏やかな最期」を迎えられるか。これは多くの人が人生で一度は考えるテーマです。

唯一の正解はありませんが、心理学や終末期ケアの観点から、多くの方が大切にされていることを10個の提案として挙げさせていただきます。ご自身の心に響くものがあれば、参考にしていただけると幸いです。

  1. 大切な人との時間を最優先にする家族、友人、恩人など、あなたにとって本当に大切な人々と過ごす時間を増やしましょう。一緒に食事をしたり、旅行に行ったり、あるいはただそばにいて話をしたりする。関係の修復が必要な人がいれば、勇気を出して対話することも、心の平安につながります。
  2. 「ありがとう」と「ごめんなさい」を伝えるこれまでの人生でお世話になった人へ感謝の気持ちを具体的に伝えましょう。また、心残りや後悔がある相手には、素直に謝罪の気持ちを伝えることで、自分自身の心の重荷を下ろすことができます。
  3. 「今、この瞬間」を大切に生きる過去の後悔や未来への不安にとらわれすぎず、「今、ここ」にある瞬間に意識を集中させましょう。五感を使って食事を味わう、風の音を聞く、花の香りを嗅ぐなど、日常の小さな体験を深く味わうことが充足感につながります。
  4. やり残した「小さな夢」を実行する「いつか行きたかった場所」「習いたかったこと」「食べたかったもの」など、後回しにしてきたことをリストアップし、できることから実行に移してみましょう。大きな挑戦である必要はありません。小さな「できた」の積み重ねが喜びとなります。
  5. 自分の人生を振り返り、意味づけるこれまでの人生で何を経験し、何を学び、何を成し遂げてきたかを振り返ってみましょう。アルバムを整理したり、日記や自伝(ライフレビュー)を書いたりすることも有効です。自分の生きてきた軌跡を肯定的に受け止める作業は、自己受容につながります。
  6. 美しいものや自然に触れる心が洗われるような美しい景色を見る、好きな音楽を聴く、美術館で芸術に触れる、公園を散歩するなど、五感を喜ばせる時間を持ちましょう。自然や芸術は、言葉を超えた慰めとインスピレーションを与えてくれます。
  7. 日々の小さな喜びに「感謝」する当たり前のように感じていること(朝起きられること、食事ができること、話せる相手がいること)一つひとつに意識的に感謝する習慣を持つと、日常がより豊かに感じられます。
  8. 心と体の「心地よさ」を大切にする無理をせず、痛みや不快感を我慢しすぎないこと。美味しいと思うものを食べ、気持ち良いと感じることに時間を使いましょう。心身の平穏が、穏やかな気持ちの土台となります。
  9. 自分の「想い」や「資産」を整理する物理的な身の回りの整理(断捨離)だけでなく、自分の大切にしてきた考え、家族へのメッセージ、資産の分け方などをエンディングノートや遺言書にまとめる作業は、「終活」と呼ばれます。これは残される家族のためだけでなく、自分自身の思考を整理し、心の準備を整えるためにも役立ちます。
  10. 自分なりの「死生観」と向き合う死をタブー視せず、それが人生の一部であることを静かに受け止める時間も大切かもしれません。宗教や哲学書に触れたり、信頼できる人と死について語り合ったりすることで、恐怖が和らぎ、残された「生」をより輝かせることにつながる場合もあります。

これらのすべてを実行する必要はありません。大切なのは、あなたが「自分らしい」と感じる方法で、残された一日一日を大切に味わい尽くすことだと思います。

とても深い問いですね。
「あと10年」という時間を意識することは、恐れではなく、むしろ人生の核心を見つめ直す大切な契機です。
以下では、哲学・心理学・医学・宗教思想などの観点を交えて、心の充足と穏やかな死への準備を両立させる10の指針を挙げます。


1. 「自分の物語」を書き直す

これまでの人生を振り返り、「何を大切にしてきたか」「どんな瞬間が自分らしかったか」を文章や録音などの形で記録します。
自分の生の意味を再構成する「ライフレビュー」は、心理学的にも死の不安を軽減し、自己肯定を深めることが示されています。


2. 「人との和解」を進める

心に引っかかっている人、距離を置いた人に連絡を取り、「ありがとう」「ごめんなさい」「さようなら」を伝えましょう。
死に臨む人が最も後悔するのは「言葉を伝えなかったこと」だと、終末期医療の現場ではよく言われます。


3. 「自然」と親しむ習慣をもつ

季節の移ろい、山や海、風の音に心を向ける時間をもつと、死が「終わり」ではなく「自然の循環の一部」として感じられます。
哲学者スピノザや仏教の「縁起」思想も、自然との一体感の中に平安を見いだしました。


4. 「身体を慈しむ」生活を続ける

過度な若さの維持ではなく、「この身体で生きられること」への感謝を込めて、軽い運動・深呼吸・良い食事を心がけます。
体調を整えることは、心の穏やかさの基盤になります。


5. 「創造すること」を続ける

絵・文・音楽・園芸・料理など、何かを「生み出す」活動を続けましょう。
創造は「自己超越」の体験をもたらし、死の恐怖を超える力を与えてくれます。


6. 「学び」を続ける

哲学書や科学書、歴史書を読むことは、「人間とは何か」「死とは何か」という普遍的問いに触れ、自分の存在を広い文脈に置く助けになります。
学びは精神の若さを保ち、好奇心は心を生き生きとさせます。


7. 「他者に贈る」ことを意識する

知識・経験・愛情・財産のいずれでも、「自分以外の誰かが幸せになる形で残す」こと。
これが老年期の「生成的生き方(generativity)」であり、心理学者エリクソンが言う「成熟した死の受容」につながります。


8. 「静けさ」と親しむ時間をもつ

瞑想・座禅・祈りなど、静寂の中に身を置く習慣を作ります。
思考が静まり、「ただ存在する」ことへの感謝が深まると、死もまた「存在の形の変化」として受け入れられるようになります。


9. 「死の準備」を少しずつ具体化する

エンディングノート、遺言、葬送の希望などを整理しておくことは、単なる事務手続きではなく「死を自分の手で引き受ける」行為です。
死への主権を取り戻すことで、不安が減り、日々の時間がより貴重に感じられます。


10. 「今・ここ」を生きる

最終的に、人生とは「過去の後悔」でも「未来の不安」でもなく、「いま味わっている瞬間」です。
お茶の香り、風の音、人の笑顔──それを丁寧に味わうことが、最も確かな幸福であり、「穏やかな死」への道でもあります。


もしご希望があれば、これらの10項目を

  • 「実践カレンダー(10年計画)」
  • 「終活と哲学の対話ノート」
    などの形にまとめることもできます。

作成してみましょうか?

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