七面山に登る

2024-11-06

登山の概要

2024年10月28、29日に七面山に登った。七面山は二百名山で1992メートルある。七面山の山頂近く(1700メートルぐらい)に「敬慎院」という日蓮宗の寺院があり、1日目は表参道を登ってそこに泊り、2日目に山頂を往復し北参道(裏参道)を下山した。
1日目は曇りの霧の中、休憩時間込みで約5時間、2日目はほぼ雨模様の中、山頂往復後、北参道(これはほぼ登山道である。)を降り、休憩時間込みで約7時間を要した。残念ながら今回の登山中、富士山は一切見えなかった。
久しぶりの登山なので少し大変で(この高さまで登ったのは、「孫守」に専念していた約10年振りである)、1日目は登りなのでヒーヒーいうだけだったが、2日目の降り(約1700メートル)は、太もも直撃で、下山後、2,3日は痛くてたまらなかった。

敬慎院の「信仰」については上手く伝えられない

敬慎院は当然信者用の施設で、「敬慎院の伽藍は七面大明神をまつる七面山本社を中心に、池大神宮、願満社、参籠殿からなっています。その中心となるのは七面山本社で、東向きに富士山に向かって建てられており、七面造りと言われる独特の様式です。静まりかえる一の池を背にして建てられているこの本殿は、周囲を圧するような荘重な景観を見せています。宿坊は1名様から1000名の団体様まで宿泊可能。宿泊の方は七面大明神のお姿を辞する御開扉式と勤行に参列して頂きます」とある。確かに夜と朝に、約1時間の七面大明神の開開帳と勤行に参加することを求められたが、朝は早立ちということでパスした。何とお風呂があり、食事は精進料理だが、ほんのわずかの御神酒が付く。ここに泊まれなければ、1日で山頂を往復するしかないが、私の現状では不可能と認めるしかない。とても有り難い「サービス」である。
ところで七面大明神が何かがよく分からない。WEBに「いわれ」として「日蓮大聖人が身延山で御説法中、妙齢の女人が現れ、いぶかしがる聴衆の声に花瓶の水を一滴与えるとたちまちの内に竜の姿に変化しました。教化を受けた女人は「私は七面山の池に住む者。身延山と法華経を信じる者を守護する事を誓います」と言い残し七面山の方角に飛び去りました。七面山大明神として祀られ720年以上の歴史がございます。」(敬慎院/山梨の歴史を旅するサイト)とあるが、北参道途中の奥の院に立つ「七面山奥之院の縁起」には、「身延のご草庵に九ケ年の間住まわれ御修行されていた日蓮聖人は、常日頃から念じつつも七面山には遂に登ることがでさませんでした。そこで、師考第一と仰がれていた日朗上人(六老僧の一人)は、御遺志を継がれ南部波木井公らど共に始めてこの山へ登られました。当時は非常に険しく道なき山でしたので一行は尾根伝いに登って来られたと云われます。夕暮れ近くにやっとの思いで到着し一休みしていた時、此の大きな石の上に、何とも神々しい光を放たれながら七面大明神がお姿を現されました。日朗上人はこの大きな石を影嚮石(ようごうせき:お姿を現す石)と名付け、その前に祠を結ばれでと面大明神をお祀り、「影嚮宮」と名付けられました。これが七面山奥之院の開創であり。永仁五年(一ニ九七)九月一九日であります。」とある。これをまとめると一つの話しになるのかもしれないが、ほぼおとぎ話だ。下の写真が影嚮石前に立つ私だ。


私は日蓮宗には余り馴染みがないが、敬慎院の勤行(法華経+α)のあまりの早口に驚いてしまった。漢語読みのお経を聞きとるのはそもそも難しいが、この早口では不可能である。特に信者に聞かせるるつもりはないのだろうか。

2日目の夜は下部温泉に泊まる

2日目の下山地である早川町の七面山登山口のバス停からバスで下部温泉駅に着いたのが3時過ぎ。帰宅できる時間ではあるが、実は今回の登山は、同年のH君と一緒だったので、旧交を温めることもあり、下部温泉に泊まった。
下部温泉は、駅から15分くらい歩くこと、ここには金山があったこと、温泉町は大分廃れていること、宿の自動販売機は私の大好きな缶ハイボールが売り切れであったこと、普段は飲まない日本酒や、ワインも飲んだこと、孫娘からは、「今日も、翌日も酒を飲まないで、可愛い孫を置いていって酒を飲まないで」とのグサリとくるショートメールが来ていたので、「すべて了解です」と返信してその夜を愉しんだのであった。

3日目は沼津へ

3日目は甲府に出て昇仙峡に行こうと言っていたのであるが、紅葉も今一の様だし、せっかくだから魚を食べようということになって、急遽、沼津へ。
沼津港からは、孫娘と伊豆半島の海水浴場に行ったことがあるので、少しおなじみ。丼屋で「贅沢丼」を頼んでしまったが、これには刺身がなくて少し失敗。
東海道線で横浜に帰宅。

その後

翌日は仕事に行ったが、下りの階段がツライ。実は翌々日の方がもっと辛かった。
でもこれでゆっくりであれば2000メートル(標高差は約1800メートル)の登り降りができることが分かったので、さあ秋山が待っている。でも温暖化が、木々を直撃しているようで、紅葉は余り美しくない。