「吉本隆明の下町の愉しみ」を読む
吉本隆明の下町の愉しみ (青春新書INTELLIGENCE)
青春出版社
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一口コメント
歳をとって、世界をワンダーランドに変える方法、あるいは向こうから押し寄せてくる情況とは何か。吉本さんの最後の主戦場は、200メートル四方の「上野」だった。
私的感想
私は、10代、20代の頃は、吉本主義者だった。「共同幻想論」、「言語にとって美とは何か」、「心的現象論序説」には軽く目を通しただけで、それがどのくらいの価値があるかはわからないまま、「原理的な問題はすべて解決済みだ」と嘯き、吉本さんの「情況への発言」とか、政治評論、社会評論の口まねをして「自立」を口にしながら、でも実際は、文学や宗教に関する評論、論説だけ一生懸命読んでいた記憶がある。
率直にいって、吉本さんは、文学、宗教の分野以外は、素人だったと思う。しかし、とにかく問題に食らいつき、少ないが良質の材料の中でよく整理して考えた上で、「気力」「気合い」を充実させ、きわめて飛躍の多い、抽象的かつ情緒的な文体で、問題の「本質」を、切り捨て、かつ歌うので、好きな人にはたまらない魅力があった。それが客観的には、問題の「本質」切開とまではいえず、論述のスタイルも多分に非論理的であっても、あまり的を外したことがなかったので、私は個々の主張はともかく、いつまでも嫌いにはならなかった。
ただ、その分、私も若い頃その一員であったように、追随して物まねをする人が多く、とにかく「知の巨人」などといって持ち上げるのにはいい加減うんざりしていた。この本の帯もそうだ。
二つのことを書こう。
吉本さんは、60年安保の時、警官隊とぶつかる中で警視庁に入り込み、逮捕された。それをずいぶん冷やかされていたが、それはともかく、今から50年前、40年前には、「安保闘争」という「政治闘争」が、人々の行動の中で大きな意味を持っていたことに今更ながら驚かされる。とりあえず若い人にはわからないだろうといってみるが、たとえば、私がいっぱしに物事を考え始めたのを15歳としてその50年前は、1919年になるが、その年の主立った出来事を調べてみると、国際連盟創立、「三・一独立運動」、「五・四運動」、ベルサイユ条約締結だそうで、15歳の私にとって、これらははるか大昔に起きたリアリティのない想像もできない出来事であった。同じことだねというより、今は昔の何倍も変化の速度が速いから、まあ60年安保というのは、私が明治維新について持つぐらいのイメージを思い浮かべればいいか。
吉本さんは、伊豆の海でおぼれかけたことがあり、それから体調を崩したと聞いていた(調べると1996年である。)。この本に収められたエッセイの多くは、上野近辺を素材にした事故後のものである。「足腰と眼を殆ど同時期に悪くして(なって)から」とあるのは、この事故のことを指すのだろうか。本書では、吉本さんの事故前のエッセイにあった、「気力」、「気合い」のクッションがなくなり(オーラといってもいい。)、「もの」がそのまま吉本さんにぶつかり、それを身障者だと自称する吉本さんが、あちらこちらを迷走しながらやり過ごすほんの少しのユーモアがとても魅力的である。本書の書き下ろし「自転車哀歓」がその「極北」である(というような表現もよく使った。)。
吉本さんは、今年(2012年)3月に亡くなられた。本書も魅力的だが、「気力」、「気合い」の充実したままの吉本さんをもう少し見てみたかった。ご冥福をお祈りする。
詳細目次の次に、簡単な「要約・抜粋と考察」があります。
詳細目次
- 四季の愉しみ
- 上野のかたつむり
- 精養軒のビアーガーデン
- ある夏の食事日記(抄)
- 自転車哀歓
- 新年雑事
- 墓地に眠る猫さんへ
- おみくじ「兇」の年
- 銭湯の百話
- 沖縄の船大工さんの記憶
- ホームレスに思う平和の像(イメージ)
- 提灯のあかりに
- 三粒の木の実
- 芋ようかんと殺気
- 春の匂い
- イーハトヴの冬景色
- 掌編小説三話
- ヘンミ・スーパーの挿話
- 手の挿話
- 坂の上、坂の下
- あとがき
- 初出一覧
要約・抜粋と考察
私も数年前、慣れきった海で溺れて死にかかった。省みると、もう遠浅の岸まで10メートルぐらいまで泳いで気を失った。背丈が立ちそうも立ちそうなところまで来た挙句のことだったから、知人が弁天堂の裏のあたりで溺死することだってありうるわけだ。 29ページ
食欲中毒というのは、もっと持続性のもので、場合により遺伝子の問題に帰する、O157的で、なかなか治癒が困難なものだ。私の知っている精神科の医者などは、糖尿病というのは観察していると一緒の精神の病ですね、と言っていた。42ページ
足腰と視力がままならなくなった昨今では、 200メートルくらいを境にそれを超えたところに行くのには、自転車に頼るしかない。 43ページ
もはやそれでも自転車がこげなくなると道路に片寄ておいて、 家に電話をかけ、子供に、自転車を取りに来てほしい、場所はどこそこの電話ボックスだと告げてタクシーに自分だけ乗って帰るなどということが、度々あった。行きつけの薬屋さんにタクシーを呼んでもらい、自分は家に着いて、子供に自転車を受け取りに行ってもらうこともあった。こんな人さわがせのために、おれもとうとうこんなことになったかと沈み込んで、 「自然には克てません」という毛沢東の名言をつぶやきそうになった。でも、ほんの少しこの名言に背いて、今の自分をそそのかすところが残っている。年齢を食ってからは自然に逆らえないと本当の自然にならないのではないか、そう考えるようになったことだ。
だが1つだけ予想と違ったな、と思うことがこの点でもあった。道路は車道と歩行路とは段差がついている。また凹凸もある。うかうかするとこれだけで自転車もろともに転んでしまう。そうすると転んだ場所は自己トラウマとして長い期間残ってしまう。46ページ
私の判断の正当性が成り立つとすれば、私自身は自分を棚上げにして他人を非難することはないという前提と、行為の善し悪しを結果から判断しないことという前提が入る。行為の善し悪しを結果から判断しない事は、自分ではかなりできるような気がしている。でもこれは現在の法律の条項とかなり食い違う判断になることが多い。現在の法律が不完全だからだと思うことも多いが、お前は自分の判断を正当だと思い込んで自分で当面したらできもしないことを許容しているのだと言われたら考え込んでしまうことも多い。法律ではきっともっと深刻な論議をした挙句にそれなりの結論に達しているに違いない。 53ページ
自分で自分に問う以外に何の意味もないことがわかるのがリハビリの本質なのだが、それでも本気になると継続できる。何のためにそんなに夢中になるのだという自問自答が本格的になるのもそのころからだ。56ページ
→これは吉本さんとも思えない法律の「評価」である。
人間があらゆる事柄を持続するのはその事柄が意味と価値を持っているからだ、と答えられるのはいいことだ。私の自転車乗りは今のところ意味も価値もないが。達成感を求めているだけだということになりそうだ。つまり、マイナスの仕事ということか。