秘密情報をめぐる法律問題の検討

はじめに

最近,通訳,翻訳を業とする会社から,業務上取り扱う秘密情報に関する法律問題について相談を受け,その前提となる「秘密情報をめぐる律問題」を概観するペーパーを作成した。簡単なものではあるが,他の業種,業態の会社にとっても参考になると思われるので,掲載する。

なお,参考までに,通常,用いることのできる「秘密保持契約書」のモデル案を,顧客企業にとって受け入れやすいと思われる経済産業省「秘密情報の保護ハンドブック ~企業価値向上にむけて」に掲載されている「参考資料2 各種契約書等の参考例」「第6 業務委託契約書(抄)」を基に作成し,後記した

1 前提

近時,NDA(秘密保持契約書)の締結は普通に行われ,秘密とされるべき情報についての法律関係も複雑化している。本書では「秘密情報」を次項のⅠないしⅤの5つのレベルに整理して考察する。一般の通訳,翻訳については,法律上,守秘義務の定めはないが,通訳,翻訳は文字どおり他人の秘密を取り扱うことも多く,職業倫理上,秘密保持が強く要請される。そのようなケースは他にもあると思われる。守秘義務が及ばない社は,そこは省いて理解されたい。なお業務従事者は外注を想定しているが,自社従業員の場合は,御社に含めて考えればよいであろう。。

2 秘密情報をめぐる法律問題

 Ⅰ 守秘義務の対象となる「秘密」

特定の職業,職務につき,刑法,その他の法律によって,「業務上取り扱った(職務上知り得た)人(企業も含む)の秘密を漏らしてはならない」とされていることがある。「守秘義務」である。これに違反したときは刑罰が科されることがあるし,不法行為として損害賠償の対象にもなる。

「守秘義務」は,当該職業や職務の遂行に公的な資格(弁護士)や立場(公務員等)を必要とする場合に規定されているが,御社もその職務の内容からすれば「守秘義務」の対象となってもおかしくないものの,業務遂行に特段の資格を要せず,また職務も様々な形態で行われるので,その対象にはなっていないと解される。ただし法的義務はなくても,後述するように「職業倫理」が問題になると考えられる。

Ⅱ 不正競争防止法により保護される「営業秘密」

不正競争防止法により「窃取,詐欺,強迫その他の不正の手段により取得した,あるいは営業秘密を保有する事業者からその営業秘密を示された場合において不正の利益を得る目的で又はその保有者に損害を加える目的で,当該営業秘密を使用し,若しくは開示する行為」等(法2条)が禁止され,処罰,あるいは損害賠償の対象となる。このような仕組みで保護されているのが,「営業秘密」である。「営業秘密」は,「①秘密として管理されている,②生産方法,販売方法その他事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって,③公然と知られていないもの」をいうが,このように「営業秘密」について法律上の絞りがある上,対象となる行為が通常人でも違法性があることが分かりやすいものなので,御社においてはこれが問題になることは考えにくいであろう。ただし,業種,業態によっては,「営業秘密」を厳密に管理することが必要なのに,それを怠っている場合も多い。

 Ⅲ 個人情報ないし秘密情報

個人情報保護法は,「個人情報」の取得や「個人データ」の第三者提供を規律しているが,御社や業務従事者は,業務遂行の過程で顧客企業から提供された「個人情報」を取得するので,原則として取得について法律上の問題は生ぜず,また,その「個人情報」を「個人データ」として保管し第三者提供する場合もほとんどないであろう(仮にあれば,同意が必要である。)。なお個人情報保護法の基本については,本webの「基本から考える個人情報保護法(その1)」を参照されたい。

また企業は,上記の「営業秘密」,それ以外の営業情報や技術情報,個人情報も含めて「秘密情報(機密情報)」と定義して,その漏洩,流出を防止しようとし,これをNDAの対象にすることが一般的に行われている。御社が,顧客企業からNDAによって定義された「秘密情報」(機密情報)の漏えい,流出をしないように求められることも多いであろう。

 Ⅳ インサイダー取引

金融商品取引法166条1項は,「会社関係者」であって,上場会社に係る業務等に関する「重要事実」を知った者は,その事実が公表された後でなければその会社の有価証券等の売買等をしてはならない旨を規定し,秘密である「重要事実」が濫りに利用されないように規制している。御社もこれに該当することがあり得る(なお相談を受けたケースは,これを含む相談であったので,より詳しい内容を後記する。)。

 Ⅴ 契約による規制

ⅠないしⅣの法律関係について,法律上の要件を加重,減少し,あるいは新しい規定を設ける契約(特にNDA)が締結されることが多い。

通常,顧客企業との間で「業務契約」及び「機密保持契約」を締結し,業務従事者との間で「業務委託契約」及び「秘密保持契約」を締結する。

 3 基本的な考え方

(1)業務従事者が順守すべき秘密保持についての基本

上記のⅠないしⅤに関し,本件で重要なのは,御社の業務従事者は,法律上はⅠの「守秘義務」は課せられていないもの,「職業倫理」に基づきこれと同等の「業務上取り扱ったことについて知り得た人や企業の秘密を漏らしてはならない」という秘密保持義務を負って行動するのが妥当と考えられるということである。

この場合,保持すべき秘密の中には,Ⅱの「営業秘密」やⅢの「個人情報等ないし秘密情報」も含まれるし,それに止まらず,刑法の秘密漏示罪(134条)の解釈に準じ,本人の秘密にする意思が想定される情報であれば,すべて秘密に含まれるといえよう。

実際,例えば,業務に従事したその内容のみならず,その日時,その当事者,業務に従事したこと自体についても秘密とさるべきことが妥当なことが十分に考えられる。

そしてこの秘密保持義務は,顧客企業に対してのみならず,業務に関連,登場する全関係者に及ぶと解すべき場合もある(法律上の「守秘義務」も依頼者に対してのみ,負うものではない。)。

このように考えると,顧客企業やその他の関係者(以下「顧客等」という。)の利益を守るために,業務従事者は,その関与した業務に関する一切の情報について,公知となった場合,あるいは,正当な事由がある場合以外は,これを何人に対しても開示せず,利用しないという原則に従って行動することが望ましいと思われる。

(2)顧客企業,御社,業務従事者の間の契約関係の検討

ア 概説

ところで,御社の秘密情報に関する契約関係は,通常,顧客企業と御社,御社と業務従事者の間に存在している。顧客企業が,業務従事者に,直接NDAの締結を求めることはまれであると思われる。

この場合,業務従事者は,御社に対して負った契約上の義務を,顧客等に対して直接負うわけではない。御社が顧客企業に対して負う義務の一内容として業務従事者が御社に対して負う義務が組み込まれるだけである。

ただし,業務従事者の行為が,直接第2項に挙げた法令等に該当,違反することがあるし,そうでなくても,「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した」ときの故意・過失の内容として,業務従事者が御社に対して負った契約上の義務が考慮されることはあり得る。

イ 顧客企業と御社間の契約関係

顧客企業が御社(例外的に業務従事者)に締結を求めるNDAの対象は,Ⅱの「営業秘密」か,これを拡大したⅢの「個人情報等ないし秘密情報(機密情報)」であることが普通で,「守秘義務」や「職業倫理」の「秘密」より範囲が狭い。また契約当時者双方が,相手方に対してほぼ同等の義務を負うとされることが通常である。

これについて,顧客企業がその企業固有のルールに基づいて用意したNDAを使用することが,顧客企業にとって安心・安全であり顧客企業と御社の円滑な業務関係の形成に役立つこと,顧客企業と御社との間で万が一紛争になったときは,秘密が「営業秘密」か「個人情報等ないし秘密情報(機密情報)」に限られていた方が御社としても対応しやすいことから,顧客企業と御社の間のNDAについては原則として顧客企業が用意したものを使用すべきであり,またこれが不適切な場合は,後記の「秘密保持契約書」を使用すればよい(顧客企業が用意するNDAの中には,損害賠償義務等について非常識な規定を設けているものもあるので,契約締結にあたって御社として精査する必要がある。)。顧客企業の要求がない限りわざわざ業務従事者の「守秘義務」を盛り込むことは適当ではないであろう(顧客企業の要求がある場合も,「一切の情報」とすることは適切ではない。)。

ウ 御社と業務従事者間の契約関係-「秘密保持条項」

業務従事者の秘密保持については,次の条項を規定するのが,適切である。

「①受託者は,本契約及び個別契約履行上知り得た,または受領した弊社の顧客等に関する一切の情報(以下この項において「本件情報」という。)について,本契約及び個別契約履行以外の目的に使用,利用してはならず,また第三者へ提供,漏洩等してはならない。②ただし,弊社の書面による承諾を得た場合,本件情報が公知となった場合,又は正当な理由がある場合はこの限りではない。

③本件情報の不測の漏洩を防ぐため,受託者は善良な管理者の注意義務をもってこれを保持,保管,管理する責任を負う。本契約及び個別契約終了後,弊社から要求があれば,受託者は本件情報すべてを弊社に返還し,又はこれを廃棄しなければならない。

④受託者がこれらの約定に違反したことによって顧客等に損害が生じ,弊社が顧客等に損害賠償義務を負うときは,受託者は弊社に対し,当該賠償額を補填する義務を負う。

⑤本条の定めは本契約及び個別契約終了後も効力を失わない。」

①は,情報の目的外使用,利用,及び第三者へ提供,漏洩等の禁止を規定した。②顧客等の情報を利用,開示していい場合として,御社の書面による承諾がある場合,公知となった場合,又は正当な理由がある場合とした。

③業務従事者が善良な管理者の注意義務をもって情報を保持,保管,管理する責任を負うを明示した。また御社の要求がある場合の,返還,廃棄義務を規定した。

④そして,故意や,③の過失による漏洩の場合で,弊社が顧客に損害賠償義務を負うときの補填義務を規定した。

なお,①について顧客等の承諾がある場合について検討したが,これについては御社と業務従事者の関係として御社がコントロールできた方が望ましいと考えた。

(3)業務従事者と顧客企業の秘密情報の使用,利用についての検討

業務従事者は顧客企業に対し,「業務上取り扱ったことについて知り得た人や企業の秘密を漏らしてはならない」義務を負うことに加え,当該顧客企業の秘密情報の使用,利用についても,差し控えるべき義務があると解すべきであろう。

これについて上述した条項は,秘密情報について,目的外の使用,利用を禁止している。

その内容については,顧客企業の製品・サービスや株式の購入や,顧客企業に対する雇用等の働き掛けが考えられよう(ただし,雇用等については,「直接交渉の禁止」の延長とも考えられ,ここでは検討しない。)。

製品・サービスの購入については,通常の消費者としての購入には特段の問題はないであろうが,製品・サービスに希少性がある場合や,利益を得ることを目的とする大量売買等は,秘密情報の使用,利用した場合はもちろん,そうでなくても,当該企業からそのように解される可能性がある場合は,差し控えるのが適当である。

これは株式の売買も同様である。上述したように,インサイダー取引は,「重要事実」を知った上での売買であるが,業務従事者は,定型的ではない「重要事実」に関わる機会が多いから,「重要事実」を知っているか否かに関わらず,当該企業の翻訳・通訳業務が開始してからこれが完全に終了して1年後までは(「重要事実」を知った者は,その事実が公表された後まで),株式売買は差し控えるべきであろう。

以上

秘密保持契約書

株式会社**を甲とし,株式会社**を乙として,甲が乙に委託する業務(以下「本契約」という。)に関して,秘密保持契約を締結する。

1.甲又乙(以下「被開示者」という。)は,本契約の履行にあたり,相手方(以下「「開示者」という。)が秘密である旨を明示して開示する情報及び本契約の履行により生じる双方の,技術,開発,製品,営業,計画,ノウハウなどに関する一切の情報(以下「秘密情報」という。)を秘密として取り扱い,次に定める場合を除き,開示者の事前の書面による承諾なく第三者に開示してはならない。ただし,被開示者が書面によってその根拠を立証できる場合に限り,以下の情報は秘密情報の対象外とするものとする。

① 開示を受けたときに既に被開示者が保有していた情報

② 開示を受けた後,秘密保持義務を負うことなく第三者から正当に入手した情報

③ 開示を受けた後,開示者から開示を受けた情報に関係なく被開示者が独自に取得し,又は創出した情報

④ 開示を受けたときに既に公知であった情報

⑤ 開示を受けた後,被開示者の責めに帰し得ない事由により公知となった情報

2.被開示者は,開示者より開示された秘密情報の管理につき,被開示者が保有する他の情報や記録媒体等と明確に区別して適切に管理するとともに,以下の事項を遵守する。

① 秘密情報は本契約の目的の範囲内でのみ使用する。

② 委託期間満了時又は本契約の解除時には,秘密情報が記録等された記録媒体又は物件(複写物,複製物を含む。)(以下「秘密情報記媒体等」という。)を開示者に返却,又は自己で廃棄する。

③ 前号に関わらず,開示者から返却また廃棄を求められたときは,秘密情報記媒体等を開示者に返却,又は自己で廃棄の上,廃棄した旨の誓約書を開示者に提出する。

④ 前2号に定める場合において,秘密情報が自己の記録媒体又は物件に記録等されているときは,当該秘密情報を消去するとともに,第3号の場合は,消去した旨(自己の記録媒体等に秘密情報が記録等されていないときは,その旨),書面にて開示者に報告する。

3.被開示者は,法令に基づき前項に規定する秘密情報の開示が義務づけられた場合には,事前に開示者に通知し,開示につき開示者の指示に従うものとする。

20**年*月*日

 

当事者欄

インサイダー取引についての説明

金融商品取引法166条1項に「次の各号に掲げる者(「会社関係者」)であつて,上場会社等に係る業務等に関する重要事実を知つたものは,当該業務等に関する重要事実の公表がされた後でなければ,当該上場会社等の特定有価証券等に係る売買その他の有償の譲渡若しくは譲受け,合併若しくは分割による承継又はデリバティブ取引をしてはならない。当該上場会社等に係る業務等に関する重要事実を次の各号に定めるところにより知つた会社関係者であつて,当該各号に掲げる会社関係者でなくなつた後一年以内のものについても,同様とする。」とあり,これが「インサイダー取引」規制の中心となる規定である。

問題は,対象者が,①「会社関係者」に該当するか,②「重要事実」を知ったか,③その「重要事実」の公表の前に株式の売買をしたか,である。この3要件に該当する場合に,インサイダー取引(内部者取引)に該当する可能性が強くなる(このほかにも検討すべき細かい要件がある。)。

なお「重要事実」は,法166条2項に規定されているが,同項4号に「前3号に掲げる事実を除き,当該上場会社等の運営,業務又は財産に関する重要な事実であつて投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」との抽象的・包括的な規定(バスケット条項)があるので,その適用される範囲は,不分明となっている。

ところで,インサイダー取引は,1988年の法改正によって導入されたもので従前あまりその重要性は認識されていなかったが,規制の趣旨は「証券市場の公正性・健全性と投資家の信頼の確保」だと解されており,会社関係者が内部情報を知って利益を得たり,損害を免れたりすることは,不公平であるとの判断は理解しやすく,現時点でインサイダー取引に対する社会的非難は強い。

しかも,インサイダー取引を規制する条項は量的に膨大かつ難解であって,一読して理解できるものではなく,また「重要事実」には上記のとおり「会社等の運営,業務又は財産に関する重要な事実であつて投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」が含まれていることから,企業の業務遂行によって次々と「重要事実」が継起する可能性があるので判断が困難であること等からと推察されるが,現在,上場企業等の役員や従業員が,「従業員持株会」を除き,当該会社の株式売買を一切差し控える風潮が強い。

これはインサイダー取引が金銭目的の「汚い取引」であるとの印象が強く,仮にも会社関係者が捜査対象になるだけでも,当該企業に大きなマイナスイメージをもたらすので,そのような疑いを一切持たれないようにということであろう(一方,これによって当該企業の株取引の減少をもたらすのは望ましくないとの指摘もされているが。)。

その是非はともかく,業務従事者は,その立場上,通常の役員や従業員でも接することがないような「重要事実」に接する可能性もあるから,金融商品取引法上の規制とは別に,職業倫理を踏まえてとしてどう振る舞うべきかという問題があると解される。