残暑お見舞い申し上げます

2020-10-15

年賀の挨拶の次が、残暑見舞いというのは、時候の挨拶としては間違いではないだろうが、ブログではないですね。それはともかく、近況報告をしておきます。

会社の近況

私は、羽田空港におけるビジネスジェットの格納庫事業の「再生」「再建」に関与しているが、その将来像がきちんと固まれば、状況をきちんと報告しようと思っていたが、その機会がないまま時間だけが過ぎてしまった。少なくてもこの4月には何とかなるだろうと思っていたが、当局の不可解な対応によって事態はかえって悪化してしまった。今後の我が国のビジネスにとって不可欠な国際交流の重要な一翼を担うはずの羽田空港における格納庫事業は、残念ながらその将来が見通せない状況にある。その原因について、現段階で私的に分析、情報発信するのは、まだ時期尚早と思うので、今しばらく現状打開に努力したい。このままでは、これまでこの事業に期待し、力を貸してくれた多くの人に、迷惑だけをかけてしまうことになるのが心苦しい。

私の近況

科学へ

格納庫事業が上述したような状況なので、気持ちは何となくさえないのだが、冷静に考えれば私がなすべき課題は多い。

まず年初に掲げた「ここ最近の文字どおりの科学のビッグバンによって、少しずつ「真実」が明らかになってきていると予感させられる」との思いは、ますます強くなっている。

その主たる対象は「物質、宇宙、生命、意識」等々の「自然」であり、その中核は人を生物の遺伝、進化の流れの中で理解するということであるが、「自然科学」以外に、人の共同性である社会を「人の交流(関係)」と見て、その交流のビッグデータの解析、意味づけによって新たな知見を得ようとする「社会科学」もその緒に就いたと言えるであろう。

私はこれらの生物の遺伝、進化を中心とする最新科学を、何とか人の生活・仕事に生かせないかと考えている。

ただ私は科学を絶賛し、その提灯持ちをしたいのではない。科学と、人が通常行っている、生活・仕事の領域での活動は、その対象も、認識・認知方法も区別されるものであり(カーネマン「ファスト&スロー」の、システム1(速い思考)、システム2(遅い思考)を念頭に置いてもいいであろう。)、科学は今まで主として「工学技術」という形で後者に関与してきたが、それ以上に科学を生活・仕事に生かすべき方法は確立されていない。科学者が後者について発言しても、それは「科学的」ではない。科学者の行動も「科学的」ではない。

これとは別に、科学は、そのほとんどが「仮説」であるということも重要である。私は、10年前、20年前には分からなかったことが分かってきたとする最新科学の紹介がゾクゾクするほど大好きだが(アプリのnatureダイジェストを愛読している。)、よく考えれば最新科学は、今そうであるように、10年、20年経って振り返れば、全く古びたものになっているし、その何割かはそれ自体、間違いであったとされるだろう。だから、「仮説」という感覚もとても重要である。

生活・仕事、共同性へ

そのような科学を人の生活・仕事に生かすといっても、生活や仕事は誰もがやっていることであって、大事なのは、システム1(速い思考)によって動かされる生活・仕事の流れやその固有の価値観を相対化し、遺伝・進化の中で遠望する「智慧」だろう。そこから何が生み出せるだろうか、歩き始めた以上、やるしかない。。

更に人の共同性が国家という組織を構成することは、現在ではそれなりに理由があるが、とても残念なことだが、今国家を介して人が激しく対立し、国家内でも、人の自由や協調性に反する動きが目立っている。国家は「仮説」の最たるもので実体はなく人の交流(関係)があるだけだという、当たり前の事実から思考することは、実はとても難しい。これをどのように科学によって切開できるか。

仕事へ

といっても、素人「科学者」、「哲学者」としての興味は興味として、私の仕事は弁護士だから、これらの感覚を生かすため、国家が定立する法が、人の共同性のルール(規範)として、合理的、効率的で、必要最小限のものであるよう、司法、執行の面で関わる必要がある。また立法提言もしていこう。

孫娘と山

孫娘は3歳を超えて、ますます活発になってきた。私は折に触れて孫娘の写真を撮るが、その大半は、後ろからの、ぼけた写真である。一番いいシーンは、見ほれてしまって写真どころではないから。

やっと歩くことにも慣れてきたようなので、そろそろ山にも行けるかな。9月の休みには、入笠山に行くゴンドラに乗って、うろうろすることも計画している。

最後に

長々と近況報告をしてきたが、やはり観念を頭の中で転がしていても雲散霧消してしまう。本を読んだり考えたりしたら、できるだけ報告した方がいい。今のところの第1候補は「ヒトの起源を探して」(Masters of the planet )である。

読み返してみると抽象的で分かりにくい文章でした。