YS11と古代の日本

2021-03-18

YS11と格納庫

国土交通省が保有していた最後のYS11機についてなかなか入札がなく、スクラップとなる運命寸前であったが、3回目に大阪の企業が落札したと報じられた。

そのYS11が今日(2015年1月16日)、私のいるビルの大型格納庫に入庫した。しばらくいて、修理、整備されるらしい。再び飛行出来るのかどうか知らないが(飛ばす計画のようだ。)、ロマンを感じる人も多いだろう。考えてみると、私が昔乗った飛行機の多くは、YS111だったのではないかと思う。

上の写真が、格納庫内のYS11である。下の写真は格納庫から、国際線ターミナル方向を眺めた写真である。好きな人はいくらいても見飽きないだろう。

船と飛行機

人の移動手段は、歩く、走るの外には、船、馬が長く続き、それに19世紀以降、自動車、飛行機と続いてきたが、考えてみるとどの移動手段も、大きな軍事、経済、文化の変容をもたらす原因となっている。

たまたま昨日「古代史の謎は「海路」で解ける」という本を買い読んでいるが、書名は際物っぽいが、内容はなかなか素晴らしい。「港湾や運河の建造に長年従事し」、ヨットや小型船を操る豊富な経験を有する著者が、古代の海岸線、海の状況、船の構造等で、どこがどういうふうに移動可能であったのかということを踏まえ、記紀や中国の史書に描かれた時代、場所において、描かれたような移動が可能であったかどうか、当時人が遠距離の移動を行う動機となる価値生産=交易が何であったかという、堅実で抗いようのない事実を基礎とした上、他の歴史家の「証拠」に基づいた言説をも吟味しつつ、古代史を読み解く作業をしており、基本となる方法論の部分には本当に感心させられる。この本は話があちこちに飛んで全体像がつかみにくいし、「推論」の部分も多いという欠点もあるが、それを割り引いてもまさにあらゆる分野で科学的方法論、実学と現場主義に基づく研究がが少しずつ進みつつあることを感じさせる好著である。結論は読んだ人のお楽しみでいいだろう。

船にしろ、飛行機にしろ、島国の私たちにとって、外国の人と交渉、面接出来る貴重な手段である。あらためて、交通、交換の重要性に思いを致した次第である。