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改めて問う_何のためのサイト?

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何のためのサイト?

「とにかくテーマを変えます」としたのが、9月26日。それからすぐにテーマを変え、3週間ほど、暇があればこのサイト作り(もちろんその材料となる記事の材料集めも)をしていた。ずっと触っていると段々慣れてきて、ひと時のような「恐怖心」はなくなってきたし、生成AIと共にする作業も軌道に乗りつつある。
そこで改めて自分に問うのであるが、膨大な費用と手間暇をかけて「一体、何のためにこのサイト作り」をしているのか?
はっきりしているのはお金のためではないことだ。考えてみれば、世の大多数のサイトは、お金につながるために設けられているのであるが、当サイトは「自己紹介」程度の意味はあるが、このサイトを見て顧客が集まるとも思えない。ややこしくて中途半端な記事だらけで、むしろ逆効果だろう。
知的サービスの一種とはいえるが、孤立無援で「公共サービス」とはいえない。「自己満足」といわれても仕方ないが、私は触るのが疎ましいぐらいで全然満足していない。性格付けがむつかしいい。

お裾分け

そこでふと思ったのだが、このサイトは、たまたま来訪してくれた人に、お裾分け(無償で提供)をしているサイトではないか。
今までは大したものをお裾分けできていたわけではないが、それでも何とか有益な本を解読してその価値を伝えたい、法的サービスが必要な人に手掛かりを与えたい、その程度の意識はあったのだ。
そして今、山に登らない、孫守も終わった、酒もあまり飲めない、仕事はほどほど、とサイト作りの時間が確保でき、生来のAI好き(批判的な面も含めてだが)が生成AIに触り、「テーマを変えざるを得ない」僥倖が重なり、今まで何となくしたいなあ思っていたが到底実行できなかったことを意識的に実行できる基盤ができたわけだ。

さて何をお裾分け?

これまでの、そしてここ3週間を考えると、何より「知的生産の学習実験室」において「問いは世界を創造する_生成AIと共に問題を見極め解決する」ことを目標にして様々なことを実行する渦中で生じる、知的生産の過程及びデジタル(生成AI等)世界との接触で生じるイライラに立ち向かう実践例、対応策をお裾分けする(知ってもらい、生かしてもらう)サイトというのがあっていそうだ。

「知的生産の過程及びとデジタル世界との接触で生じるイライラっへの対処・対応策策をお裾分けするサイト」というのはどうだろう

それならば、本ばかりいじっていても、結果とすべき知的生産の整理がうまくいかなくても、生成AIがどう操作していいかわからずいうことを聞いてくれなくれも、無駄な費用ばかりかかっても、すべてが、対処・対応策をお裾分けする(知ってもらい、生かしてもらう)過程だと考えれば、肩の凝り、頭の凝りが取れる。苦労は買って出よう。

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