「未来予測を嗤え!」を読む
KADOKAWA/角川書店
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一口コメント
冒頭部は切れ味鋭く世界の現在を垣間見せてくれる。ただ、その後は、雑多な親父トークも多く、多少迷路のようだ。ともあれ、使えるアイディアに満ちているので一読をお勧めする。
私的書評
この本の構成
この本は、数学者である神永氏とプログラマー・投資家で書評家の小飼氏の対談に、「はじめに」を書いている構成担当の山路氏が加わった鼎談ともいえるが、帯に「いま最強の理系講義」とあるように、神永氏と小飼氏がよってたかって質問者に「講義」していると見るほうがわかりにくい。数学については神永氏の、経営については小飼氏の発言の方が安心できるが、両氏とも入り混じって発言しているし、多少なりとも異論を述べている部分はごくわずかなので、両氏を区別することにはあまり意味がない。最近この手の発言者が区別しにくい「対談」が多いが、どう考えたらいいのだろうか。
すばらしい冒頭部
さて、両氏は冒頭部で、「未来は確定しているけれど人間が予測できないケースが多い」、例えば「カオスが、ランダムではなく現象は完全に決定論的だが、振る舞いが複雑すぎて長期的な予測は不可能だ」、「私たちが考えているほとんどは外界の刺激に対応しているだけだが、全体としてみると複雑すぎてわからないだけかも知れない。自由意思も単なるカオスなのかもしれない」、「統計学の回帰分析も、本当の説明変数は複雑な関係になっているかもしれないが、それを単純な式(多くは一次式)で表してみたというだけで、これで本質的に何が分かるかはかなり難しい問題で実際にはおまじないが進化したようなものかも知れない」、「経済や株価のデータを精密に研究したところ、分散(ランダムネス(無作為の度合い)がおとなしいこと)が存在しないことが分かってきたので、統計は意味がない、唯一そこに挑戦しているのはフラクタル理論を築いたマンデルプロたちくらいだ」、「物理的な制約の中にあるものは観測の精度を上げることで大体予測出来るが、人間の社会は幻想を共有することで成り立っているため、物理的な制約に縛られない変な制約が出てくる」等々と畳みかける。
そして第1講の最後で神永氏は「予測出来ない現象について価値を最大化したいなら、方法は一つ。手堅い商売をしつつ、確率は低いけど大当たりするかも知れないポジティブな結果をもたらすブラックスワンにも掛金を積むということしかない」と述べる。
わずか数ページの中に述べられた指摘は、きわめて重要だと思う。
その他印象に残った議論
第2講以降は、この冒頭部を踏まえた議論もあるし、そうでないものもあって、雑然としている印象を受ける。神永氏が情熱をもって語る教育論や、小飼氏が展開する経済政策論としての「ベイシック・インカム」、「オーナーシップを分配するベーシック・アセット」論は、やはり異論もあるだろう。面白いのは神永氏が 日本の国家が基礎科学の研究支援をおろそかにしているとの指摘の中で「分野によって優れているところはないか」、「国文学研究などであれば勝てるでしょう」は嗤える。
その中で印象に残った議論を何点か指摘したい。
- ビッグデータの時代では理論モデルが不要となることはないが、部分から全体を推定するという意味での推測統計学の価値が下がる。
- 株の超高速取引(裁定取引)にとって重要なのは証券取引所のホストコンピューターとの距離であるが、証券取引所が行っているコロケーションサービスは「買付け者間の公平性確保」を謳う金融商品取引法に違反しているのではないか。
- 優秀な人材と強力なコンピュータ技術の両方を握った企業が圧倒的な商勝者社になる。Google,Apple,Amazon,Facebookといった企業に、オセロの4隅を押さえられた状態になっている。
- 少し前まで弁護士は無敵の資格であったが、それは国家が差を作って需給のバランスをとっていたからである。弁護士を増やしたことで需給バランスが崩れてしまい、魅力的な資格でなくなった。
- 経済活動は「差」を見つけて儲けることである。今の資本主義社会ではcomparableな(比較可能な)差をめぐって争うが、どうでもよい差に悩まされていてはダメで、incomparableで(比較不可能な)nontrivialな(自明ではない、重要な)差に目を向けるべきだ。視点をばらけさせないとダメだ。
- 自分がやっていることが人の役に立つためには、2つの条件がある。一つは、人の話を聞き、自分のやっていることを説明出来るコミュニケーション能力、もう一つは他人が「へえーっ」といいたくなるもの(incomparableな差)
を持っていることだ。 - 仕事の究極の形は、要するに人を動かすことだから、本質的に詐欺師がやっていることと同じだ。
- みんな世の中のことを大して分かっていない。調べて初めて分かることがいっぱいある。科学技術が発達したことで人間は何でも分かっているような、できるような気になっているが、実際はまだ探求されていない「穴」はたくさんある。分かっていることの方がわずかだ。