日本経済の問題は生産性が低いことらしい
「新・所得倍増論」を読む
~潜在能力を活かせない「日本病」の正体と処方箋 著者:デービッド・アトキンソン
著者 WHO?
「新・所得倍増論」(以下「本書」)の著者デービッド・アトキンソンはイギリスで生まれ,オックスフォード大学で日本学を学び,アメリカの金融機関で働いた後,来日,ゴールドマン・サックスでアナリストをし,退社後,文化財の会社を経営しているとのこと。本書は,著者のアナリストとしての分析的な手法と,日本での長い経験が活かされた,良書であると思う。著者は,2018年4月,日本生産性本部の「生産性シンポジウム」にパネラーとして出席した。このWebでも「日本生産性本部の「生産性シンポジウム」を聞く」として紹介した。
本書の中心はとても明解だ-日本の生産性は低い-
本書の中心となる主張はとても明解で,1990年ころ以降,日本の生産性が低いままであることから,これに起因してあらゆる経済,社会の難問が生じている,いまだににかつての日本経済の「栄光」から脱することができない人が多いが,日本経済が高度成長してきたのは,敗戦後の壊滅状態からスタートし,人口が多くかつ増加してきたという「人口ボーナス」があったからだというものだ。。
生産性で見た場合,「敗戦後の復興は1952年から加速し,生産性は1977年にもっともアメリカに近づいた。その後は,アメリカと同程度の向上を見せている。」。「日本の生産性は1990年,GDP上位5カ国の真ん中の第3位だったが,1998年にはフランスに,2000年にイギリスに抜かれ,第5位にランクを下げた。」。「世界銀行が公表している数字によると,日本の生産性は世界で27位だが,1990年には10位だった。」。このように「日本の生産性は相対的にかなり低くなっているが,もともとは他の先進国と同じレベルだった。それが「失われた20年」によってギャップが発生し,1人だけ置いてけぼりになってしまったというのが本当のところである。」。「もうすぐ韓国に抜かれ,アジア第4位になりそうだ。」。
生産性は,GDPについて,一人当り,労働者一人当り,労働時間当たりというような算定があるだろうし,かつ政府支出はそのままGDPに算入するというようなこともあり,細かく考えるといろいろ問題があるだろうが,為替調整(購買力調整)後の上記数字が大きく誤っているということはないだろう。
本書は,この事実を,日本でなされている様々な「言訳」に繰り返し繰り返しぶつけて,くどいほどだが(その結果,かえってわかりにくくなってさえいえる。),おそらくこれは,日本でこのことを何度述べても,あれこれと反論され,素直に受け入れてもらえないという苦い経験に基づいているのであろう。
生産性が低いのはなぜか
以下の記述は,著者の上記の指摘を受け入れつつ,私なりに捉え直したたものだ。なお本書には,いろいろと面白い指摘があって(ものづくり大国,研究開発費,農業,日本型資本主義,女性の低賃金等々),整理してまとめたいと思うが,とりあえず本稿では概要にとどめたい。
著者の指摘のとおり日本経済の生産性が低いことは間違いないだろう。しかし本書はそうであるからこそ,日本経済の素質(労働者の能力,技術力,教育,文化,治安,自然環境等々)からして現状には大きな「伸びしろ」があるという。そうすると問題は,我が国の生産性が1990年ころからほとんど上がっていない原因を見極め,それに対応できる者が対応していくということであり,それができないとこのままずるずると滑り落ちてしまうということだ。
1989年末に株価が最高値をつけ,その後「バブル崩壊」があったが,その最初の頃に生産性の低迷に影響があったとしても,「失われた20年」の問題はそういうことではないだろう。その後,世界中で「バブル崩壊」,「リーマンショック」があったが,各国は都度立ち直り,先進国で,いつまでも生産性が低いのは日本だけだ。
原因として思い当たるのは,Windows3.1の発売が1992年であり,その後,急速にインターネットが普及して世界のビジネスは大きく変わったが,日本ではITを活用することで働き方を変えることができていないことが一つだろう。本書はニューヨーク連銀の「報告書」の"To successfully leverage IT investments, for example, firms must typically make large complementary investments in areas such as business organization, workplace practices, human capital, and intangible capital." (IT投資の効果を引き出すには、企業が組織のあり方、仕事のやり方を変更し、人材その他にも投資する必要がある)を引用して,このことを指摘する。面白いのは,著者は,今までの仕事のやり方にITをあわせるのではなく,ITが生きるように,仕事のやり方を変えることを主張していることだ。
組織のあり方、仕事のやり方を変更することができないのは,本書によれば,役所,企業を問わず「現状維持」が至上命題になっていて,改革しようとしないからである。それを支えるのは,敗戦からバブル期に続く成功体験であろう。待っていればうまくいくと思って20年がたってしまった。その間に,政府の財政は最悪の状態となり,社会保障は破綻寸前である。
生産性をあげるにはどうするのか
当然だが,言うは易く,行うは難しであるが,誰が何をすべきなのかと観点で考えるべきであろう。
企業は,法人(経営者と労働者)と個人企業からなっており,産業分野は,農業,製造業,小売・サービス業に大別できる。
つまるところ問題は,労働者(個人企業)の生産性であるが,それは個人が工夫して生産性をあげるために切磋琢磨するということではない。
なすべきは,経営者(個人企業)が,このまま推移すればますます生産性がますますじり貧化し,我が国が,昔栄えたことがある世界から取り残された孤島になることに思いを致し,失敗を恐れず,生産性をあげるための指示,投資に全力を挙げることである。その際,労働者の協力,工夫が必要なのはいうまでもない。
どの産業分野もそれぞれ固有の問題を抱えているが,一番問題なのは,サービス業である。
しかし経営者は自分のためにならないことはしないから,政府の年金投資を通じて,企業が「時価総額」をあげるようにプレッシャーをかけ,設備投資を促す。生産性をあげられない,利益を生まない企業の経営者は,退場させるしかない。
政府が上場企業にプレッシャーをかけるには,政府みずから役人の生産性をあげ,有効な公共政策を実行しなければならない。
これを「公共政策」という「窓」からみれば,政府が有効な公共政策を実行することは当然として,実行主体である政府(役人)の生産性をあげること,政府の設定したフレームの中で行動する企業は,生産性の向上を至上命題とすること,これを実行できない企業に対して政府は年金投資を通じて経営者の退場,交代を含むプレッシャーをかけていくことで,社会全体の生産性の向上を図るということになろうか。
政府のプレッシャーはともかく,生産性の向上は,企業の責任だということであるが,現場で生産性の向上,イノベーションを実行していくことが,かっこいいと思われなければ,これはむつかしいかな。でも著者は他の国ではやっているでしょ,謙虚に学べばということになる。日本は明治維新,敗戦で,他国のモデルを一生懸命学んだが,「高度成長」でそれをすっかり忘れたということだろう。
ところで著者は,最新刊の「新・生産性立国論」で,本書に対する批判と徹底的に論争している。ただ,生産性をめぐる基本的な概念は「常識」であるとしても,もう少しGDPにかえって整理することには意味があるし,生産性向上の方法もより緻密に検討したい。特に後者については「スティグリッツのラーニング・ソサイエティ~生産性を上昇させる社会」があるので,これを読み込み,あらためて生産性について議論することにしたい。
なお著者は,具体的に指摘せよとの批判にこたえてだろうか,「わざわざ書く必要のない当たり前のこと」「常識」とし,<生産性向上の5つのドライバー(方法)>として,設備投資を含めた資本の増強,技術革新,労働者のスキルアップ,新規参入,競争を,<生産性向上のための12のステップ>として,リーダーシップ,社員一人ひとりの協力を得る,継続的な社員研修の徹底,組織の変更,生産性向上のための新しい技術に投資,生産性目標の設定と進捗,セールスやマーケティングも巻き込むべき,コアプロセスの改善,ナレッジマネジメント(知識管理),生産性向上の進捗を徹底的に追求する,効率よく実行する,報・連・相の徹底をあげているので,紹介しておく。
著者の議論には脱線があるとしても,稜線をたどる限り,きわめて本質的であるし,なにより面白い。批判的に読むべきだとしても,じゅぶんに意味がある。これを不愉快に感じているようでは,「沈没」するしかないかなと思う。
個人経営者である弁護士はどうすれば生産性の向上ができるか,少し考えてみよう。生産性の向上は価値創造と言い換えてもいいのかな。
詳細目次
はじめに
第1章 日本はほとんど「潜在能力」を発揮できていない
■建設的な議論を行う前提 ■表面的に見るとすごい国,日本 ■高い世界ランキングの原動力は何か ■実は高い潜在能力をほとんど発揮できていない ■日本経済の実績を「人口」と「生産性」に分けて考える ■先進国GDPランキングは98%,人口要因で説明できる ■中国は人口で世界第2位の経済大国になった ■潜在能力の発揮度合いは「1人あたり」で見るべき ■実はイタリア,スペインより低い日本の生産性 ■日本の生産性は全米第50位のミシシッピ州より多少高い程度 ■輸出額は世界第4位,でも1人あたりで見ると「世界第44位」 ■研究開発費は世界第3位,でも1人あたりで見ると「世界第10位」 ■ノーベル賞受賞数はこれで十分か ■東京オリンピックは金メダル何個を目指すべきか ■「観光業」こそ,潜在能力を発揮できていないことの象徴 ■これだけ一生懸命働いているのに「第27位」。悔しくないですか
第2章 「追いつき追い越せ幻想」にとらわれてしまった日本経済
■日本経済の発展を阻害する絶対ランキング主義 ■すさまじい高度成長時代の実績 ■奇跡のストーリーが「神話」を生んだ ■「追いつき追い越せ」戦略は明治時代の戦争学が始まり
第3章 「失われた20年」の恐ろしさ
■アメリカ経済の70%から26%まで縮小 ■イギリス経済の4.3倍から1.5倍まで縮小 ■世界と乖離しているという意識がない? ■20年で中国の10倍から半分に ■このままでは2050年にはトップテンから脱落する ■アメリカはいつまで日本を「大切」にしてくれるのか ■高度衰退の結果
第4章 戦後の成長要因は「生産性」か「人口」か
■日本にはびこる「常識」を検証する ■実は生産性は世界一ではなかった ■1995年から先進国に置いていかれる ■アメリカは人口ボーナス大国 ■ドイツ経済との差は人口ボーナスで説明できる ■1977年以降は「人口ボーナス依存型」経済 ■日本は生産性で韓国に抜かれる ■人口ボーナスの下で軽視されてきた生産性向上 ■イギリスとフランスの比較 ■人口ボーナスでイギリスが欧州のトップとなる? ■なぜアメリカは沈まないのか ■約1800年,世界トップだったインド経済
第5章 日本人の生産性が低いのはなぜか
■業種別の生産性を分析する ■日本は本当に「ものづくり大国」なのか ■農業の1人あたり総生産が異常に低い ■サービス業という最大の問題点 ■IT活用による生産性改善の失敗 ■研究開発費は効率が悪すぎる ■日本人女性は,もっと「同一労働」をすべき ■女性に「甘い」日本経済 ■「移民政策」は,やるべきことから目を背けるための言い訳 ■日本の生産性が低いのは経営者の「経営ミス」 ■ワークシェアリングの議論はどこに行ったのか ■「1億人維持」は現実には不可能
第6章 日本人は「自信」をなくしたのか
■日本を礼賛しても,経済は復活しない ■データサイエンスが足りないから抽象的な議論に ■日本人は構造分析が苦手? ■特徴と因果関係の区別ができていない? ■教育制度と経済成長に因果関係はあるか ■サッチャーは「女性だから」改革ができたのか ■日本人は勤勉ではなくなったか ■技術力は下がっているか ■日本人は自信をなくしたのか ■病原を間違えるリスク ■「失われた20年」は十分予想できた
第7章 日本型資本主義は人口激増時代の「副産物」に過ぎない
■国際交流は改革の礎 ■「黒船」に弱いのは日本だけではない ■日本人の楽観主義 ■バブル直後から見られた楽観主義 ■「責任をあいまいにする」文化も人口激増時代の副産物 ■「新発売キャンペーン」も人口激増時代の副産物 ■「計画性のなさ」も人口激増時代の副産物 ■「検証しない文化」も人口激増時代の副産物 ■「マニュアル化」も人口激増時代の副産物 ■「融通が利かない」のも人口激増時代の副産物■「縦割り行政」も人口激増時代の副産物 ■根本的な前提が変わっている ■年功序列を考える ■最優先される「現状維持」 ■老舗が多いことは無条件によいことか ■「中小企業かわいそう」現象 ■「共存共栄」は難しい時代になった ■何を恐れているのか
第8章 日本型資本主義の大転換期
■政府と経営者の動機が乖離している ■人口減少問題 ■貧困問題 ■需要不足問題 ■生産性向上と年金問題 ■国の借金問題 ■生産性向上と少子化問題 ■「現状維持」が至上命題になっている ■なぜ銀行の窓口はいまだに3時に閉まるのか ■改革アレルギー ■世代が変われば改革は進むと言われて,はや26年「利益より大切なものがある」という言い訳 ■「長期的な視点での投資」という幻想 ■「ROEを高めよ」という主張の真意 ■利益より公益 ■私益を守るために公益を犠牲にしている ■着実に破壊される京都の街並み ■「利益を上げない個人」をどこまで守るべきか ■利益と世代の関係 ■日本型資本主義は「調整」する必要がある
第9章 日本の「潜在能力」をフルに活用するには
■アベノミクスの足を引っ張っているのは「経営者」 ■日本の潜在能力にふさわしい1人あたり目標を計算する ■輸出は今の3倍に増やせる ■農産物輸出は今の8倍に増やせる ■もはやアメリカの背中を見るのをやめるべき ■GDPは770兆円まで増やせる ■やればできることを,「観光業」が証明した ■生産性を上げるには首都 ■東京がカギ ■地方の格差問題を考える ■政策目標は「上場企業の時価総額」 ■株価と設備投資の関係を示す4つの理論 ■日本政府は「株式市場プレッシャー仮説」を採用すべき ■安倍総理は,日本を脅かす「外圧」たれ ■もっとも大切なのは経営者の意識を変えること ■このやり方で,女性の収入問題も解決できる ■女性ももっと国に貢献すべき ■お役所の生産性改革 ■「デフレ」は本質的な問題ではない
おわりに