旧小淵沢町官製談合住民訴訟事件

2012-12-07

経緯

旧小淵沢町官製談合住民訴訟は、平成18年に提訴し、平成20年11月11日に第一審判決が出た。これは業者の責任は認めたが、中山元町長の責任は認めないものであった。

これに対して住民、補助参加人である業者が控訴したが、なぜか旧小淵沢町を合併して承継した北杜市まで控訴し(業者に請求すべきではないということである。)、平成23年3月23日に控訴審判決が出た。その内容は、住民が談合があったと主張したすべての工事について談合があったことを認め、北杜市は中山町長及び業者に対し、損害金を入れて約5000万円の支払を請求せよというものである。一審判決に比べると損害額の認定が半減したものの、中山氏の談合への関与を認めたものであり、住民の完全勝訴であった。

それに対して業者らが上告したが、平成24年2月、上告が棄却され、確定した。

事件の概要は、判例解説をご覧いただきたい。

旧小淵沢町官製談合住民訴訟の内容

この事案は、刑事事件になったわけでもなく、公正取引委員会が関与したわけでもない。したがって、他の談合を追及する住民訴訟のように、捜査(調査)権限とそのための人員、資力を有する機関が収拾する証拠や供述は一切なかったが、平成17年1月、それまで談合の追放を政治理念としていた鈴木氏から中山氏に小淵沢の町長が替わったとたんに入札参加業者の大幅な入れ替えがあり、落札率が20%近く上昇し、しかも高落札率のほとんどの工事について新たに入札に参加した業者が落札するという極めて顕著な「変化」があったことを、町の広報誌の落札情報や、町議会の傍聴で知った住民がこれに疑問を持ち、監査請求を経て、訴訟提起に至ったのである。裁判を遂行するための多くの資料は、どこに何があるかが分からない状態で行う開示請求によるものか、実際にいろいろな人と会って得た口コミ情報である。しかも裁判になっても町の零細業者は、談合を首謀した業者の報復を恐れ、残念ながら一切談合があったことを語ってもらえなかった。それどころか、首謀業者からいわれて談合がなかったという陳述書さえ提出するかわいそうな有様であった。談合に参加しなかった町の業者も、首謀業者から談合の働きかけがあったことを明らかにすることを拒んだ。

私は旧小淵沢町の住民を代理し、監査請求を経て、平成18年3月、平成17年度の旧小淵沢町の公共工事において、当時の町長、職員が関与した官製談合があったと主張し、甲府地方裁判所に、小淵沢町(を承継した北杜市)は、談合によって公正な競争によって形成されたであろう落札価格と現実の落札価格の差額である損害を被ったので、これを中山氏と業者に請求せよという住民訴訟を提起した。

甲府地方裁判所は2年以上の審理を経て、平成20年11月、業者間の談合を認め、北杜市は業者に約1億円の支払を請求せよという判決を言い渡した。

この一審判決は優れた内容ではあったが、なぜか当時の町長、職員が。入札参加業者を指名する際に、首謀業者の依頼に従って工事ごとに談合可能な業者の組み合わせを指名したという官製談合の核心部分について事実摘示をせず、判断を脱漏した。

この判決に対し、住民、補助参加人である業者が控訴したが、なぜか北杜市まで控訴した。

控訴審でも2年以上が経過したが、一審ではほとんど主張、立証をしなかった業者が、総力を挙げて、「専門的」かつ業者にしか分からないさまざまな、しかしよくかみ砕けばほとんど意味のない主張立証を繰り広げ、ひたすら訴訟を混乱させて、ノンリケット(真偽不明)の状態に追い込もうとしてきた。控訴審においては、私はひたする問題の所在を論理的に明快にするという作業に従事してきたといってもいいだろう。しかしそのように業者が動けば動くほど、実際に談合があったが故にさまざまなほころびが出てきて、業者や中山氏の傷口を広げていった。このような過程を実見して高裁の裁判官も談合があったことを確信していったのだろうと思う。

どうしようもなかったのは、小淵沢町長の立場を承継した北杜市長である。北杜市長は補助参加人の業者が控訴できるし実際にしたのに、「業者の控訴の権利を奪ってはいけない」と称して自ら控訴したこと、「落札率が95%を超える工事の入札には談合がなされている疑いがある」との一審判決の判断について、北杜市の現在の平均落札率が95%を超えることから、控訴審で「こんな馬鹿な話はない」等と事実誤認であると主張したこと、さらに原判決でも控訴審判決でも中山氏の指示のもとに業者の指名に関与した職員(当時の建設課長)を住民訴訟担当の総務部長に任命したこと、北杜市においては今も95%を超える落札率による落札が続いているのに談合はないという立場で一貫していること、小淵沢町において談合を首謀した業者、これに関与した業者を積極的に入札参加業者に指名し落札させていること、数え上げればきりがない。

北杜市は南アルプス、八ヶ岳を有し、自然の美しさでは日本有数の街である。私も大好きな街である。そこでこのようなことがいつまでも続くことは看過できない。

いずれにせよ、このような過程を経て、冒頭に述べたように住民の完全勝訴と評価できる判決が下され、確定したのである。

本当の問題

いずれにせよこの裁判は、小淵沢町(現北杜市)に過去に起こった談合についての判断に過ぎない。北杜市長でさえ、自分とは関係ないというスタンスを取り、業者を一時指名停止にさえした。しかし、北杜市の公共工事の入札、落札の現状はひどいままである。このようなことが今後も行われるのであれば、今回の訴訟の遂行過程で学んだことを武器に、積極的に刑事告発、公正取引委員会への申告等を含む他の有効な手段を講じ、少しでも談合を廃絶したい。

しかし、談合はたまたま旧小淵沢町、北杜市で起きている問題ではなく、ひろく蔓延している。今後の地方分権にあたっていつまでもこのようなことが行われているようではまともな地方自治は行われない。これをこっそり許容するのは法治主義ではない。公正な自由競争によるべきでない場面があるとしたら、真正面から随意契約の拡大、その他の工夫を法律、条例によって行うべきであって、首長や業者が犯罪に手を染めるのは悲しい。

談合の廃絶は、地方分権、地方自治への一歩に過ぎないが、大きな意味を持つ一歩である。

この裁判の大変さ

控訴審判決は、次のように述べた。

「本件は、住民が法と証拠に基づき地方公共団体の財政規律の是正を求めるという住民訴訟本来の目的を有するものである。本件の対象は、公共工事の談合であるが、公正取引委員会の審判手続による審決がされているものではなく、刑事手続が先行しているものでもない。すなわち、本件においては、直接証拠はない。そこで、住民である第一審原告らとしては、文字どおり徒手空拳の状態で資料を収集・分析し、事実を推理して主張を展開し、裁判所の判断を求めるほかないのである。これは困難な作業であるが、第一審被告補助参加人らの立場を考慮すると、本件要証事実についても、通常の民事訴訟と同じく、高度の蓋然性が認められるレベルで証明されることが必要であり、証明度を軽減することは相当とは解されない。

このような場合には、裁判所としては、第一審原告らにおいて主張し証明しなければならない事実(要証事実)に関し証拠及びそこから導かれる間接事実から推認することができるかについて、経験則を駆使し、洞察力の限りを尽くして、事実認定・判断をしていくことが必要である。すなわち、本件の特色に即した事実認定・判断が求められるのである。

以下に説示するところは、当裁判所として、上記のような姿勢で、中立的な立場に立ち、事柄を虚心に捉え、どのような事実があったと考えるのが経験則に合致し、合理的であるかを、慎重の上にも慎重に認定・判断したものである。」。

確かに裁判所には感謝する。特にこの裁判を最初に担当した某裁判長は「どこに町長の責任を認める証拠があるのか。」と放言していた。

しかし、「証拠及びそこから導かれる間接事実から推認」は、私が駆使したのであって、裁判所にはそれを是認してもらったというのが実態である。本当に大変であった。

余計な感想だが、本件を最初に担当した某裁判長の放言と、陸山会事件の控訴審判決の認定は、まったく同じ体質ではないか、なべて人によるというのが、永遠の真実なのであろうか。

Posted by murachan54