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24節気で刻む日々の創意工夫_2026年立春から

02/04

日々の創意工夫を24節気で刻む

前にも一度どこかのタイミングで、24節気に載せて日々の創意工夫を記録しようと思ったことがあるのだが、それは日の目を見なかった。
しかし、最近、AI→現代俳句→芭蕉の俳諧(奥の細道)→謡曲→和歌というつながりで、もっと日本の文化・自然を愉しもうという心境になってきたので、それなら24節気だという気分になっていたところに、ちょうど今日は、立春だ。始めるのにこれほど適した日はない。
今年と来年の24節気を調べてみると次のとおりだ。

季節節気2026年(今年)2027年(来年)
立春(りっしゅん)2月4日2月4日
雨水(うすい)2月19日2月19日
啓蟄(けいちつ)3月5日3月6日
春分(しゅんぶん)3月20日3月21日
清明(せいめい)4月5日4月5日
穀雨(こくう)4月20日4月20日
立夏(りっか)5月5日5月6日
小満(しょうまん)5月21日5月21日
芒種(ぼうしゅ)6月6日6月6日
夏至(げし)6月21日6月21日
小暑(しょうしょ)7月7日7月7日
大暑(たいしょ)7月23日7月23日
立秋(りっしゅう)8月7日8月8日
処暑(しょしょ)8月23日8月23日
白露(はくろ)9月7日9月8日
秋分(しゅうぶん)9月23日9月23日
寒露(かんろ)10月8日10月8日
霜降(そうこう)10月23日10月24日
立冬(りっとう)11月7日11月8日
小雪(しょうせつ)11月22日11月22日
大雪(たいせつ)12月7日12月7日
冬至(とうじ)12月22日12月22日
小寒(しょうかん)1月5日1月5日
大寒(だいかん)1月20日1月20日

24節気と暦

ところで、24節気というと、いかにも旧暦と相性が良さそうだが、24節気は「太陽の通り道(黄道)を24等分したもの」なので、新暦である太陽暦(グレゴリオ暦)と近しいそうだ。なお24節気は、12に分けられ、1の前半が節気(例えば立春)、後半が中気(例えば雨水)と呼ばれ、その特徴が現れるのは中気とされる。今年の雨水は、2月19日だが、その頃なら確かに春の初めを感じるだろうか。それなら新暦の元旦とは何だろう。旧暦の元旦とは何だろうと色々と疑問が湧いてくる。
新暦(太陽暦)の元旦は、もとは3月から新年だったのが、紀元前153年、ローマ帝国で、それまで3月に就任していた「執政官(コンスル)」という最高官職の就任日が、1月1日に前倒しされ、それに併せて新年が1月1日始まりになったとのことだ。全くご都合主義であるが、3月1日なら新春でもおかしくない。
一方、旧暦(太陰太陽暦)は、必ず月の見えない新月を1日とするのが大原則であり、今年の、(立春→)雨水が2月19日なので、その前の新月である2月17日が、旧暦の元旦になるのだそうだ。旧暦は月の動きに基づくので気候とは縁遠くなるが、そこに農業に不可欠な太陽の動きとリンクする24節気を上記の形で持ち込むのは、先人の知恵だそうだ。ここらあたりは、Geminiに学んだが、なるほどという説明だ。
ところで今朝読んでいた古今和歌集の冒頭に「年のうちに春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ」(在原元方)という歌があるが、今年もそういう状態であるし、上記の新年の指定方法によれば、立春→新年は決して珍しくない。元方は珍しいといっているのではなく、こんな「矛盾」を楽しむのが、古今の精神ということのようだ。
旧暦と中気、閏月との関係や、24節気は72候に細分化されるが元祖中国と日本では、呼び方が異なるということは、追ってにしよう。

生成AIを「知性の未来」から眺める

1ヶ月半ぐらい投稿をしていないが、この期間もあれこれ本の逍遙はしていた。今私が、最大の焦点としている本は、「知性の未来―脳はいかに進化し、AIは何を変えるのか―:マックス・ベネット」(以下「本書」)である(翻訳概念の原語を確かめるため。英語版も購入している(A Brief History of Intelligence: Why the Evolution of the Brain Holds the Key to the Future of AI :Bennett, Max))。本書を購入したのが、2025年12月21日なので、それから、これををどのように料理するか、あれこれ格闘しつつ、あちこちに逃げ回っていた(特に俳諧の世界、更には謡曲、和歌)というところだ。
本書は、人工知能(AI)を、人に至る脳の進化による生物の自然知能の働きと対比して理解することで、人工知能(AI)ができないことがあるのは何故かという問題を解明しようとする。
本書は、脳の進化を5つの主要な「ブレークスルー」として構成する。それぞれのブレークスルーを挙げその特徴を簡単に指摘すると次のとおりであるが、生成AIが機能しているのは、5の発話(Speech)レベルの一部に過ぎず、1~4を履行することのできない生成AIの機能・能力が限られるのは当たり前である。特に2の脊椎動物の脳は人の脳の基本的な要素を備えており、3で新皮質が化生まれていることを考えると、人の脳がどうこうというより、既にに哺乳類の脳が大したものであり、AGIははどのようにすればこの段階の脳の働きを持つことができるのかを必要である。
これは他の、脳の関する本、生成」AIの本を踏まえてじっくり検討しよう。

  1. 操縦(Steering):左右相称動物で登場した脳は、外界を「良いもの」と「悪いもの」に分類し、それに応じて体を方向づけるために進化した。
  2. 強化学習(Reinforcement):最初の脊椎動物は、試行錯誤を通じて任意の一連の行動を学習する能力を発達させた。
  3. シミュレーション(Simulation):最初の哺乳類は、行動を起こす前にその結果を心の中でシミュレートする能力を獲得した。
  4. メンタライジング(Mentalizing):最初の霊長類は、他者の心をモデル化し、その意図を推測する能力を進化させた。
  5. 発話(Speech):最初のヒトは、言語を用いて知識を共有し、蓄積する能力を発達させた。

現代俳句・俳諧

俳句をAIで作成しようという試みがある。これは生成AIの登場以前からあったのだが、今は、俳句に限られず、短歌でも試みられているようだ。
ところで俳句の作成方法を大きく分けると「一物仕立て」と「取り合わせ」になるが、文の作成という面から見ると「一物仕立て」で有効なはずだが、私はむしろ「取り合わせ」で力を発揮するのではないかと思っている。
ただAIで、作句、作歌がどこまで可能だろうか。今後の課題である。
現代俳句に目を通していると、どうしても芭蕉に目が行く。芭蕉は全体としてどうこうというより、たまたま目に入った句がすばらしいと思うことが多い。ただ芭蕉は、俳句作歌ではなく、俳諧(連句)師だ。連句は集団で作り上げる芸能であり、芭蕉七部集を読み込まないと意味がない。
また芭蕉といえば「奥の細道」だが、この位置付けは難しい。ただこれは門人の俳諧用のテキストとして作成されたフィクションであること、実際の旅に別目的があるのかもしれないが、それは2次的な問題であると考えるべきであろう。
そしてフィクションを支える基本は、芭蕉や門人たちが共通の基盤としていた謡曲であるという指摘は正しい。少し前までTV番組が果たしていた役割を謡曲(実際に見ることは稀であっても謡い本やその要約本)に書かれた文化的常識が果たしていたと考えていいだろう。因みに、芭蕉は伊賀の出身で頻繁に往復しているが、観阿弥は伊賀の出身であるし、世阿弥も少なからず関係があったであろう。謡曲について通暁したいたことは確実だ。

謡曲

謡曲の基本は、観阿弥、世阿弥当時は、今の倍以上の速さで演じられていたこと、ゴマ点の捉え方も現在とは異なっていたであろうこと、詞章や舞を作成しつつ演じるのだから極めて流動的だったこと、聴衆の支援を原動力にしていたこと等だろうか。
謡い、舞はとりあえず横に置いておいて、詞章は、「解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版):野上豊一郎」で本文、注を見ながら解読すると理解が進む。

和歌・その他の古典

謡曲に取り上げられた和歌や物語等の古典は、著名なものが多いから、和歌集や物語は、全文ではなく抄録本を見返せばいいのではないか。著名な和歌を相当数取り上げて紹介する本もある。
またAudibleに「日本の古典をよむ」(古事記等20の古典)シリーズがあり、原文、現代語訳を選択して聞けるので便利である。原文のPDFが附属しているものもある。
これと角川文庫の「ビギナーズ・クラシック」シリーズを見れば、謡曲を理解する文化的常識としては充分だろう。

ところで学者が書いた古典の紹介本は、読んでいてあまり愉快でないことが多い。ごく当たり前のことを大げさに、しかも整序せずに記述されたものが多いからだ。興味を持たない学生を相手に述べることが習い性となっているのかもしれない。

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