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老化を考える-1000週間と2年

Introduction

誰でも加齢につれて老いが忍び寄ってくると、「老化」とその先の「死」について考え始める、あるいは頭にちらつくものの、頭から追い出そうとする。いや率直にいえば「老化」は許せても、そして「死」という観念は理解しても、そう遠くない先の現実的な「死」はあり得ないものと考えてしまう。しかし「死」は例外なく誰にもやってくる。「死」はないものとして最後を迎えるのか、「死」を受け入れて最後を迎えるのか。
私も今までは、健康や病気について考えるときは、運動とダイエットが主軸であったが、そろそろ「老化と死」と向き合うべき年齢になってきた。私はあるものをないとして七転八倒するのは嫌なので、「死」を受け入れて最後を迎えたいと思う。
ここでは、そのようなことを考えるため次のメタデータの3冊を取り上げてみよう。実は「老化」を切り取る本もかなり集積しているのだが、ここでは真正面から「死」に向き合っていると思う本を取り上げてみる。

3冊のメタデータ

メタデータ1

Title:限りある時間の使い方 FOUR THOUSAND WEEKS
Author:オリバー・バークマン
Reference: https://www.amazon.co.jp/dp/B0B3MJNC7N

メタデータ2

Title:寿命が尽きる2年前 (幻冬舎新書)
Author:久坂部羊
Reference: https://www.amazon.co.jp/dp/B0BJK1D4MS

メタデータ3

Title:老年の読書(新潮選書)
Author:前田速夫
Reference: https://www.amazon.co.jp/dp/B0B8R9W6WG

本の森を踏破する

縦走(つながり)とクライミング(登頂)

残された時間ー1000週間と2年

メタデータ1の「限りある時間の使い方」もメタデータ2の「寿命が尽きる2年前」も、誰でも死ぬので死ぬまでの時間には限りがある、その限られた時間をどう送るのかという、極めてまっとうな、しかし誰もが避けて通りたい事実から出発する。
「限りある時間の使い方」は、人の一生はせいぜい「FOUR THOUSAND WEEKS」だ、その中でどのように時間を使うのか、あれもこれも予定をこなすことに焦点を当てても仕方がないね、重要なことを楽しんでやればいいという、極めてまっとうな生き方を勧めるアメリカのベストセラーである。著者は自営のライターでその残された時間は,2000週間ぐらいか?そういう立ち位置を理解して読む必要がある。
そうか、4000週間か。私は……。私はどんなに大過なく過ごしても、まっとうな自分を維持できるのは1000週間だろう。しかし「仕事」は、そんなに遠くない適当な時期に終わるだろうから、すべて時間の使い方は思いのままだ。
そこでObsidianというメモアプリに記載する週間カレンダーの今年(2013年)の1週目を、(1000週ー1週)=残999週としたが、今日(2023年4月3日)現在、残りの週はあっという間に、986週になってしまった。でもどんどん短くなってしまうと焦るのは、「限りある時間の使い方」としては失格である。
「寿命が尽きる2年前」は、残された時間が2年とわかったときに、その残された時間をどのように過ごすかを提案する。著者は、高齢者医療に携わる医師兼小説家であり、多くの高齢者の死を「観察」してきた。その結果、「寿命が尽きる2年前」から、苦痛をもたらすだけの医療に時間を費やしても何の益もないので、その期間を楽しんで生きようというのである。でも「2年前」は分かるのだろうか。
1000週と2年(100週)、面白いのだがこのまま読み過ごしてはまずいだろう。どう整理して考えるか。

老年の読書

「老化と死」について「限りある時間の使い方」と「寿命が尽きる2年前」を基軸として考察するのはとても有益と思われるが、それだけでは潤いがない。当たり前だが、これまで「老化と死」に向き合ってきた人は数多い。「老年の読書」は、もと新潮社の編集者であった著者が、「ギリシア哲学から現代日本文学まで、内外の名著から、より善く老いるための箴言を厳選して懇切にガイドする」。帯には「読まずに死ねない本がある」とあってかっこいい。最初は、キケロやセネカ。引用も多く、これを目に通すだけで済まそうと思う本も多い。後記の詳細目次を見て頂きたい。中国や東洋の古典や仏教書、思想書、宗教書などは、他日を期すそうだ。
私はある時期から「物語」を読まなくなったが、もう一度楽しむ読書もしてみたいと思い始めた。ただそのためにはこれは適当にやり過ごし、「一冊に名著一〇〇冊が詰まった凄い本:大岡玲」で紹介されている本の方に触手が伸びる。これは追って。

抜き書き

ここは追って整理しよう。

眺望(コメント・要約・評価)

「限りある時間の使い方」という本は、部分的には(引用も含めて)読ませる本なのだが、全体の整理が不足していると思われるし(ブログを集積したのかも知れない。)、限りある時間に向き合う人(要するにすべての人)は、年齢、仕事や生活のあり方等々が違うのに、著者はそれを自分の現状から割り切ろうとしているように思える。
そこで4000週間を細分化し、(5歳まではカウントしないとして)①残4000週間(6~25歳)の時期、②残3000週間(26歳~45歳)の時期、③残2000週間(46歳~65歳)の時期、④残1000週間(66歳~)の時期としよう。私は今年最初から残1000週間としたが、少しオマケだ(人によって時期はずれるだろう)。
①期は助走、迷走しつつ物事を身につける時期。②期は伸び盛りなのだから、あれもこれもすべてやればいいと思う。③期は一番難しい時期だ。それまでの経験を基盤にして「観念的」な自己は拡散するが、肉体的,そしてそのままでは精神的にも衰微するので、適宜補っていかなければならない。この時期かなりみっともないことになる人も多い(私も少しそうだったかな)。著者の意見が一番参考になる時期だろう。
④は、やりたいことだけやればいい。ただ、それは「常によい姿勢を心掛け、筋力の低下と関節の 拘縮を防ぐために、毎日、体操をしたり、ジョギングをしたりという努力をし、暴飲暴食を避け、喫煙や飲酒、紫外線など、老化を早めるものを遠ざけ」ることで、体と頭のメンテに心掛けつつ「好きなこと」をするということだ。この時期を用意するのも③期の重要な役割だ。そしてこの期中で「寿命が尽きる2年前」になると(要は(短期間では回復しない)病で病床に伏したり、そのような診断があったり、上記のメンテができなくなったり、自然と痩せてきたりした時だろう。)、その時は、何にもとらわれず「最後の2年間」を送るようにしよう。
以上は平均的なモデルなのでそこからはずれる人も多いだろう。でも死ぬときは一人だということに向き合えば、道は開けるのではと言うしかない。

ところで上記を書いてから思い出したのだが、人の一生を4期に分ける考え方が仏教にあった。人生100年とするなら、1-24が「学生期」25-49が「家住期」50-74が「林住期」75-100が「遊行期」であるということだ。何となく上記の私のt分け方と似ているような気がする。

次の縦走(つながり)

さて、今私は、④に乗り出したのだから、やるべき仕事の他は、上記のメンテをしつつ「好きなこと」をしよう。
ポイントは「プチ創造」だ。近場の山の登山も再開しよう。「一冊に名著一〇〇冊が詰まった凄い本:大岡玲」で紹介されている本も読もう。絵も見よう(「観察力を磨く 名画読解 (早川書房) :エイミー・E・ハーマン」)。
身のまわりの放っておくと不愉快になるITやAI技法にもゆっくり取り組もう。
飼い始めて8ヶ月ほどになるコザクラインコのソラちゃんとももっと仲良くなろう。野菜や花を作ろう、雑草や虫もよく観察しよう。etc…

著者サイドのコメント

限りある時間の使い方

人生はたった4000週間、限られた時間をどう過ごすか!?
人の平均寿命は短い。ものすごく、バカみたいに短い。80歳まで生きるとして、あなたの人生は、たった4000週間だ。
「時間が足りない」なんて、何を今さらと思うかもしれない。いっぱいになった受信トレイに、長すぎるやることリスト。ワークライフバランスに、SNSの際限ない誘惑。
もちろん世の中には、生産的になるための「ライフハック」があふれている。けれど、ライフハックを駆使したところで、たいてい状況は悪くなるだけだ。
焦りはさらに増していき、人生の大事な部分には、いつまでたってもたどり着けない。さらに、日々の時間管理に追われていると、本当に大事な問いが見えなくなる。
それは、自分の限られた4000週間を、いかに過ごすかという問いだ。
本書は古今の哲学、心理学、スピリチュアル思想を駆使し、ウィットに富んだ語り口で、時間と時間管理を実践的に、そして深く問い直す。
「すべてのことを終わらせる」という強迫観念を捨て、自分の有限性を受け入れたうえで、そこから有意義な人生を築く方法を紹介する。
本書を読めば時間に対する見方が変わり、さらには生き方が変わるだろう。
全米衝撃のベストセラー、ついに日本上陸!

寿命が尽きる2年前

2年後に死ぬとわかったら、あなたは何を想うでしょう。この時点で〝いつまでも元気で長生き〟という理想の選択肢は失くなります。だが、うろたえ、嘆き続けるわけにもいかない。たった一度の人生を終えるのです。もっと大事なことがあるはずです。人はみな自分の寿命を生きる。そもそも寿命とは何か。戦後一貫して日本人の平均寿命は延びている。自分の寿命はどこまで延ばせるか。「死を受け入れるのはむずかしい」と人は言うが、その達人はいるのか、楽な方法はあるのか。悔いなき人生をまっとうするには?

老年の読書

一度きりの人生、読まずに死ねない本がある。
「死ぬ術は生涯をかけて学び取らねばならないものなのである」(セネカ)、「不知、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」(鴨長明)、「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(井伏鱒二)――ギリシア哲学から現代日本文学まで、内外の名著から、より善く老いるための箴言を厳選して懇切にガイドする。川本三郎氏推薦!

詳細目次

限りある時間の使い方 FOUR THOUSAND WEEKS:オリバー・バークマン

  • 目次
    – イントロダクション 長い目で見れば、僕たちはみんな死んでいる
    – 人生のベルトコンベア
    – やり遂げよう。でも、何を?
    – PART1 現実を直視する
    – 第 1 章   なぜ、いつも時間に追われるのか
    – 時計のなかった時代
    – 永遠を終わらせたもの
    – ある生産性オタクの告白
    – 冷たいシャワーで目を覚ませ
    – 第 2 章   効率化ツールが逆効果になる理由
    – シーシュポスの受信箱
    – 底なしのバケットリスト
    – タスク処理能力には意味がない
    – 便利さは何を奪うのか
    – 第 3 章  「時間がある」という前提を疑う
    – 死へと向かっていく存在
    – 永遠は死ぬほど退屈だ
    – 人生のすべては借り物の時間
    – 第 4 章   可能性を狭めると、自由になれる
    – タスクを上手に減らす3つの原則
    – 完璧主義者は身動きできない
    – 選択肢は少ないほうがいい
    – 第 5 章   注意力を自分の手に取り戻す
    – 現実は注意力によってつくられる
    – ユーザーの意識を乗っとる機械
    – 第 6 章   本当の敵は自分の内側にいる
    – なぜやりたいことをやりたくないのか
    – デジタルデトックスが失敗する理由
    – PART2 幻想を手放す
    – 第 7 章   時間と戦っても勝ち目はない
    – 何が起こってもおかしくはなかった
    – 1日の困難は1日分でいい
    – 第 8 章   人生には「今」しか存在しない
    – 因果のカタストロフィー
    – あらゆる瞬間は最後の瞬間だ
    – 楽しみにしていたことが楽しくない理由
    – 第 9 章   失われた余暇を取り戻す
    – 余暇を無駄にしない唯一の方法
    – 生産性と永遠の救済
    – 人は強制されなければ休めない
    – 何のためでもないことをする
    – 平凡な趣味の反逆
    – 第 10 章   忙しさへの依存を手放す
    – なぜ現代人は本が読めないのか
    – 忙しさ依存の悪循環
    – 第 11 章   留まることで見えてくるもの
    – 見ることと待つこと
    – 忍耐を身につける3つのルール
    – 第 12 章   時間をシェアすると豊かになれる
    – デジタルノマドの憂鬱
    – 時間のなかで共にいること
    – 個人主義的な自由の弊害
    – 第 13 章   ちっぽけな自分を受け入れる
    – コロナ禍と偉大なる休止
    – ほどほどに意味のある人生
    – 第 14 章   暗闇のなかで一歩を踏みだす
    – 終わらない準備期間
    – 人生を生きはじめるための5つの質問
    – 「それしかできない」ことをする
    – エピローグ 僕たちに希望は必要ない
    – 付 録 有限性を受け入れるための 10 のツール

寿命が尽きる2年前 (幻冬舎新書):久坂部羊  

  • 目次
    – はじめに
    – 第一章   寿命とは何か
    – ● 寿命の定義
    – ● 寿命の〝寿〟とは
    – ● 寿命の短い人もいるのでは
    – ● 寿命のいろいろ
    – ● 何が寿命を決めるのか
    – ● 老衰で死ぬのだけが寿命か
    – ● 平均寿命より大事な「健康寿命」
    – ● なぜ長生きしたいのか
    – ● しかし、死を受け入れるのはむずかしい
    – 第二章   寿命を延ばす方法
    – ●まずは伝承から
    – ● 次に疑似科学から
    – ● 週刊誌の特集
    – ● 科学的な方法も
    – ● ベストセラー『LIFESPAN』の信憑性
    – ● 可能性のある研究も
    – ● 延ばすことより、縮めない方法
    – ● 寿命を縮める病気 ①がん
    – ● 寿命を縮める病気 ②心筋梗塞
    – ● 寿命を縮める病気 ③脳血管障害 
    – ● 寿命を縮める病気 ④肺炎
    – ● 寿命を縮めるその他の病気
    – ● 寿命は大事にすべし
    – ● 実は寿命は延びている
    – 第三章   寿命に逆らう苦しみ
    – ● 老いを否定するのは負け戦
    – ● がんは最後まで治療すべきか
    – ● がん難民の苦しみ
    – ●〝患者を見捨てない医者〟はヒーローか
    – ●「わたしは長生きしたいので」
    – ● 老化を拒絶する業界
    – ● 恥ずかしいアンチエイジング
    – ● 子どもの欲求
    – ●寿命に逆らう最悪の苦しみ=無益な延命治療
    – ● 寿命に逆らわないことの楽さ
    – 第四章   二年後の死は予測できるか
    – ● 医学的な死の予兆
    – ● 葬祭店のネット情報
    – ● 今は元気でも二年後はわからない
    – ● そろそろ準備をしたほうがよい徴候 
    – ● もしいつ死ぬかがわかったら
    – ● ほぼ二年後の死がわかるケース
    – ●「どうせ死ぬ」を前向きに
    – ● 黒澤明『生きる』の意味
    – ● 一年以内の死を予測して亡くなった内科医
    – 第五章   現代日本は心配社会
    – ● あなたは何か心配していないか
    – ● 数字に惑わされる人々
    – 高血圧だとなぜ悪い
    – ●「血圧高め」というコトバ
    – ● 罪作りな健康診断
    – ● 腫瘍マーカーに翻弄される医者
    – ● がん検診を受ければ安心か
    – ● 私ががん検診を受けない理由
    – ● 検診よりも大事なこと
    – ● 安心は幻想、心配は妄想
    – 第六章   どちらに転んでも悩ましい現代医療
    – ● 医療の進歩がもたらす不安
    – ● 治療すべきか、せざるべきか
    – ● 予防的切除、すべきか否か
    – ● 拡大手術か、温存手術か
    – ● 産むべきか、産まざるべきか
    – ● 胃ろうをする選択、しない選択
    – ● ワクチン接種を迷う人へ
    – ● 子宮頸がんワクチンの問題
    – ● 患者の権利の危険性
    – ● インフォームドコンセントの弊害
    – ● 医療は新興宗教か
    – ●〝医療無神論者〟の自己弁護
    – 第七章   望ましい最期のお手本
    – ● みんなが同じパターンで失敗する最期の迎え方
    – ● 命も過ぎたるは猶及ばざるがごとし
    – ● 不安より感動を=レニ・リーフェンシュタール氏の場合
    – ● 老いて新たに見えてくるもの=水木しげる氏の場合
    – ● これぞ見事な自然死=富士正晴氏の場合
    – ● 名もなき人にも感心させられる
    – ● 無頓着力、満足力、感謝力
    – 第八章   寿命が尽きる二年前にすべきこと
    – ● 父の死の二年前
    – ● 父の残した名言
    – ● 弱みにつけ込むビジネス
    – ●「おびえた人生だったわね」と言われないために
    – ● 具体的にしたらいいこと
    – ● 逆に、しなくていいこと、してはいけないこと
    – ● アリよりキリギリスがお得
    – ● 寿命が尽きる二年前、それは「今でしょ」
    – おわりに
    – 7●参考文献

老年の読書(新潮選書):前田速夫

  • 目次
    – はじめに
    – 一  晴れやかな老年を迎えるために     
    – キケロ『老年について』/セネカ『生の短さについて』     
    – チチェローネの由来      達人の箴言      多忙からの脱出
    – 二  老いの正体、ここにあり     
    – テオプラストス『人さまざま』/モンテーニュ『随想録』/ラ・ロシュフコオ『箴言と考察』     
    – 年寄の冷水      俗人の態度      悲観もせず楽観もしない      痛快な憎まれ口
    – 三  無用者の存念     
    – 鴨長明『方丈記』/吉田兼好『徒然草』/『芭蕉文集』     
    – 世をそむく      わが生すでに蹉跎たり      風羅坊という生き方
    – 四  幸と不幸は 綯い交ぜ     
    – シェイクスピア『リア王』ほか     
    – 世界は舞台      歩く影法師      荒野をさまよう
    – 五  ありのままの死とは     
    – トルストイ『イワン・イリッチの死』/チェーホフ『退屈な話』/正宗白鳥『一つの秘密』     
    – 他人の死と自分の死      こんなふうには生きて行けない      トルストイの家出      未完であること
    – 六  「老いづくり」から真の老いへ     
    – 永井荷風『新帰朝者日記』『日和下駄』『断腸亭日乗』     
    – 老いづくり      蝙蝠傘に日和下駄      偏奇館炎上      敗荷落日?
    – 七  上手に年をとる技術     
    – アンドレ・モロア『私の生活技術』/ケストナー『人生処方詩集』/井伏鱒二『厄除け詩集』     
    – 老年を受け容れる      心の処方箋      ユーモアと平常心
    – 八  死からの呼び声に目覚める     
    – ハイデガー『存在と時間』     
    – 「現存在」とは     「気づかい」と「不安」      良心の呼び声      先駆的決意性      白とシラ
    – 九  残炎の激しさ     
    – 川端康成『眠れる美女』『片腕』/谷崎潤一郎『鍵』『瘋癲老人日記』/室生犀星『われはうたえども やぶれかぶれ』     
    – 観念の淫蕩      被虐と陶酔      やぶれかぶれ
    – 十  いよよ華やぐいのち     
    – 宇野千代『幸福』/瀬戸内寂聴『かの子撩乱』ほか/田辺聖子『姥ざかり』『姥勝手』     
    – 老いの仕合せ      豊満なる生      歌子さん
    – 十一  晩年の飄逸と軽み     
    – 内田百閒『日没閉門』/木山捷平『軽石』/尾崎一雄『片づけごと』『だんだんと鳧がつく』     
    – とは云ふもののお前ではなし      三円で買えるもの      良くも悪くもケリがつく
    – 十二  病いの向こう側     
    – 高見順『死の淵より』/色川武大『狂人日記』/耕治人『一条の光』『天井から降る哀しい音』『そうかもしれない』     
    – 魂よりも食道のほうが      死ぬよりほかに道はなし      生涯を貫いた光     「そうかもしれない」
    – 十三  作家の生死と虚実
    – 古井由吉『白暗淵』ほか/小島信夫『うるわしき日々』/藤枝静男『田紳有楽』     
    – 白い闇      事実かフィクションか      ペイーッ・ペイーッ
    – 十四  老いと時間     
    – ボーヴォワール『老い』/ジャンケレヴィッチ『死』/ミンコフスキー『生きられる時間』/吉田健一『時間』     
    – 老いとは何か      死という未知なもの      有限と無限
    – 十五  死後を頼まず、死後を思わず     
    – 山田風太郎『人間臨終図巻』/岸本英夫『死を見つめる心』/佐野洋子『がんばりません』/キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』/文藝春秋編『私の死亡記事』/富士正晴『どうなとなれ』     
    – 最後の日々      私のままでバアさんに      死後を思わず
    – おわりに──われとともに老いよ
    – 【コラム】 老年には老年の楽しみが 生き物たちの摂理 天晴れな老人たち シルバー川柳の純情 遅咲きの人生 ああ、懐旧 風土のめぐみ

IT・AI・DX,ブログ本の森と山ある日々,人の心と行動,問題解決と創造の知識

黒曜石主義者?

「タイポラ、ゾテロを引き連れた黒曜石主義者」というと、19世紀末のヨーロッパのおどろおどろしい陰謀家集団のようだが、そうではない。Obsidianは黒曜石で、Obsidianを信奉する人がObsidianistで、黒曜石主義者だ。ただここでいうObsidianは、パソコンとモバイルで使用するソフト(アプリ)である。私は1ヶ月半くらい使っているが、目の前の霧が晴れるというか、頭のさびが取れるというか、これを利用すると首のこりが取れる気がする。といってもちろんマッサージソフトではない。

マークダウンエディターであるというのが、最も簡単な紹介だが、ファイル同士をリンクさせられるというのが最大の売りである。マークダウンというのは、テキストベースだが、見出し、表等を表現できるHTMLなどより簡易な記法である。ファイルがリンクできるということは、そのつながりが見える化できるということだ。Obsidianは、tabや検索機能も充実しているので、リンクさせる様々な手段もある。それとWebや画像の挿入機能も充実している。だから何だといわれそうだが、自分が作成・関与した情報を一箇所に集め、それを見える化、整理して全体を見渡せば、新たな地平に踏み出せるよという紹介がよさそうだ。オリジナルでは、「Second Brain」という売り込みだ。

私は、「AI時代の弁護士業務」において次のように指摘した。「デジタル化して収集した生情報、法情報を、弁護士の頭の替わりに(ないしこれに加えて)パソコンで稼働させるプログラムによって整理、思考、判断し、結論を表現することを可能とするIT技法の開発が急務である。例えば、弁護士が全ての証拠を踏まえて論証する書面(最終準備書面や上訴の理由書、刑事の弁論要旨)を作成するとき、必要な証拠部分を探して引用するのには膨大な時間がかかり、しかもなお不十分だと感じることはよくある。あるいは供述の変遷を辿ったり、証拠相互の矛盾を網羅的に指摘したりしたいこともある。このような作業(の一部)は、デジタルの得意な分野である。また少なくても、当方と相手方の主張、証拠、関連する判例、文献等をデジタル情報として集約し、これらを常時参照し、コピー&ペーストしながら、書面を作成することは有益であるし、快感さえ伴う。目指すIT技法は、当面は進化したワードプロセッサー、データプロセッサーのイメージであるが、データ処理自体に対する考え方の「革命的変化」があることも充分にあり得る。」。

「弁護士の頭の替わりに(ないしこれに加えて)パソコンで稼働させるプログラムによって整理、思考、判断し、結論を表現することを可能とするIT技法」については「そもそも論」の問題があるが、「目指すIT技法は、当面は進化したワードプロセッサー、データプロセッサーのイメージ」ということであれば、Obsidianはかなり近づきつつある。パソコンの出始めの頃、すべての情報をテキストにして集約し、検索して目指す情報にたどり着こうというソフトがあったが、そのレベルでは全く役に立たなかった。しかし、今、Obsidianは、関連する情報を集約し、使いこなすというレベルに達しつつある。ハードウエアやクラウドの劇的進歩が、これに手を貸している。

ただ脳が極めて複雑な仕組みであるように、Obsidianに放り込む情報もあっという間に複雑になるので、自分なりの使用手順を確立した方がよさそうだ。フォルダーなどいらないという考えもあるが、自分が扱う情報分野をある程度フォルダーで仕訳したり、プロジェクト毎にフォルダーを作るというやり方はありそうだ。Webでそこそこ紹介されているし(obsidian.mdで検索するとよい。)、日々新しい発見があるので、私自身の使用法の紹介は、使用手順が大体定まるであろう、年明け(令和4年1月)にしようと思う。ただ最初は、興味を持たれた方は自分で触り始めた方がいい。

なお現時点では無償のアプリだが、v1になると有償になるかも知れない。ユーザーの絶対数が少ないし、今のところお金に結びつくビジネスモデルはなさそうなので、そうなればやむを得ないと覚悟すべきだろう。なお、Notionとか、Roamresearchとか、(多分)類似の機能を有する有償のソフトもあるようだが、自分が巡り合ったソフトで「第2の脳」を作ればいいので、」その優劣を考えても余り意味はない。

タイポラ?ゾテロ?

では、タイポラやゾテロとは何か。
タイポラ(Typora)も文書作成のためのマークダウンエディターである。Obsidianですべての文章を作成してもいいのだが、これは、メモ、ノートによる第2の脳の作成基盤と考え、長めの文章はTyporaで作成するのが良さそうだ。見出し、表、リスト等の作成が簡単になる。もちろん、Obsidianで作成した文書もこれで加工できる。Obsidianの有能な従者としての使用を勧める。ずっと無償だったが、つい何日か前からv1となって有償となった。ただ2000円弱で3台まで使えるので、負担感は少ない。

ゾテロ(Zotero)は、理科系の研究者の間では有名な無償ソフトだ。要は、文献管理ソフトで、ネット上で検索したPDF等を取り込み、管理できる。ObsidianではCitationというプラグインで利用可能となり、私もその環境は整えたのだが、私の利用する資料は今のところ専らKindle本なのでこれの出番は今のところほとんどない。

Kindle本の利用

私の「第2の脳」を支える最大の資源は、Kindle本である。私はR本は、事務所で調べ物をするときくらいしか読まない。活字の大きさの問題もあるし、大体本は寝っ転がって読むものだと思っているから、今は、R本よりKindle本がいい。ただKindle本はどうも頭に残りにくいような気がする。

本を読んで考えを深め定着させるには、ノートをとるのがいいらしい。物書きの人は、ノートを取るのが当たり前のようだ。私はそんなことはしてこなかったなあ、どういうノートがいいのかな、などど考えて、ノートについて論じた本を何冊か物色していたが、ある日、「TAKE NOTES!―メモで、あなただけのアウトプットが自然にできるようになる:ズンク・アーレンス」を目にした。これは、ニクラス・ルーマンのZettelkastenを説明したものだ。自分で作成する短い手書きメモ群の関連付け、文献管理メモを2本柱として、第2の脳を作成しようとするもので、ObsidianとZoteroはそのデジタル版と考えてよい。

大きくいってふたつの問題があると思う。
ひとつは、ニクラス・ルーマンの時代から数十年しかたっていないが、その間に情報が、大量のデジタル情報と化したことだ。これについて、手書きメモ化する以前にその情報の全体像を整理して把握する必要がある。短いメモ相互の関連付けということは、Obsidianに任せていいのでは?
もうひとつは確かに手書きメモの身体性は重要だが、Kindle本でそれをどう確保すればいいのか。デジタル情報とし集収集できるハイライトを集めただけでは仕方がない。それが今の私の最大の課題である。音声かなあ?

外部脳

本を読むというのは重要な行為だが、かなり浮ついた行為でもある。それを支える基盤となる世界を十分に理解できているのか。勝手に思い込んでいるだけではないのか。確実な理解とするためには定説を弁える必要がある。定説で構成される外部脳を構成する要素は、百科事典、辞書等に書き込まれる教科書的情報である。これには電子辞書がいいのではないか。また私が今入手できている放送大学の講義、放送大学附属図書館の資料、検索システムも重要だ。これはあくまで定説の確認だ。

成果は上がるのか

タイポラ、ゾテロを引き連れた黒曜石主義者である私は、これで仕事がらみとして、会社法内部統制システムの仕組み作り、オンライン登記、電子署名による会社設立登記をしようとしている。いかにObsidianが有用かはその中で説明しよう。

IT・AI・DX,人の心と行動,本の森

ヘーゲルは分からない

ヘーゲルの法哲学、歴史哲学、あるいは論理学等は、読んでいて何を論じているのかが全く分からないわけではない。しかし、「精神現象学」、それも前半部分はお手上げだ。読んでいて、論じている対象が分からない、内容も分からない、言葉遣いが不快だ、等々がごく普通の反応だと思う。
今後、こういう本を手に取ることもないだろうから、もののついでに少しでも理解しようとKindle本で購入していた「精神現象学上下:熊野純彦訳」 、「超解読!はじめてのヘーゲル『精神現象学』:竹田青嗣、西研(講談社新書)」 等々を読み始めてみたが、上記のとおりの結果である。
「精神現象学」は、ヘーゲル37歳のときの発表(1807年)で、いわば「若書き」だが、なぜかやたらと翻訳されている。邪推であるが、先人の翻訳を読んでも分からないので、自分で翻訳すれば分かるだろうと考えた哲「学者」が何人もいたのだろうか。熊野さんは他にやることがいくらでもあると思うが、廣松さんのお弟子筋だろうからその「遺言」で翻訳したのだろうか(ただカント批判三部作も翻訳しているようなので、哲学の本道を歩んだのだろうか。)。熊野さんの翻訳を読んでも分からない。
「超解読!はじめてのヘーゲル『精神現象学』」は、内容を読み込みそれなりに理解しているであろうふたりが、簡潔に要約していると思われるが、それでも何が書いてあるか分からない。
思うに、「精神現象学」は、ヘーゲルがどのような地域、社会制度、組織の中で生き、どのような既存の知的言語空間で、どのような材料に基づき、どのような対象について、何を目的に書いたのかが、お手上げなのである。
ただ、前半は、意識、自己意識、理性という項目だから、どうも知覚・認知についての分析が、一方でカントをにらみ、一方で世界は神の一部だという前提の元に、ヘーゲルが知っているその当時の知的カタログを披露しつつ書かれたもののように思える。でも、「種の起源」の出版は1859年、ヴントやウィリアム・ジェームズにより心理学が成立したのは1870年代、いずれにせよ「意識」について様々な経験的な事実、現象に向き合って論じたものではなく、圧倒的な材料不足のなかで、ごく少数の哲学者の言説に向き合い、自己の観念で整合的に操作・表現したと思われる。ほぼ時代人のマルクスに対象・方法が面白く、後代のメルロ・ポンティーにも小説のように面白かったのだろうが、私が「精神現象学」を正確に理解したとして、それが私に何をもたらすだろうか。

「わかる」とはどういうことか-認知科学への転進

「精神現象学」が「意識の経験の学」だとすると、現代の「精神現象学」は、「認知科学」だろう。「認知科学」は、一方で、脳科学を、一方でコンピュータ科学を見据えて、AIで何が可能か、何が不可能かを解き明かそうとしている。
ただ「認知科学」の議論は、いささかコンピュータ科学におされて錯綜しているように見えるので、その前に、脳神経学者で、失語症を扱う臨床の脳医学者(あるいは引退されたか)の山鳥重さんの「「わかる」とはどういうことか ―認識の脳科学 (ちくま新書)」 を読み込むのがよい。
本書を読んでびっくりしたが、まさに現代の「意識の経験の学」である。著者は先人の医学、神経学分野の業績を踏まえつつ、自分の経験を元に、自分の頭で考え、心の全体像を明らかにしようとしている。著者には、この他にも、少しずつ焦点の当て方が違う「「気づく」とはどういうことか ─こころと神経の科学 (ちくま新書)」、 「言葉と脳と心  失語症とは何か (講談社現代新書)」 、「心は何でできているのか 脳科学から心の哲学へ (角川選書)」 、「ヒトはなぜことばを使えるか 脳と心のふしぎ (講談社現代新書」 等の入手の容易なKindle本があり、これらを読み比べるともっと興味深い。
山鳥さんの所論をごく簡単にまとめれば、脳と心は違うレベルの現象なので、因果関係はない。心には形のない「感情」がある、y形のある「知覚」がある、内外の情報が「心像」に構成される、記憶された「心像」がある、これを照らし合わせて、区別して、同定する。「知覚心像」に記号としての言語がある。外からの「知覚」「言語」等々で構成される状況が、記憶された「知覚」「言語」と照らし合わされることで「わかる」。「わかる」には、『全体像が「わかる」、整理すると「わかる」、筋が通ると「わかる」、空間関係が「わかる」、仕組みが「わかる」、規則に合えば「わかる」』等、いろいろな「分かる」がある。「わかった」と思うのも、『「直感的に「わかる」」、「まとまることで「わかる」」、「ルールを発見することで「わかる」」、「置き換えることで「わかる」』等といろいろある。
これらの心は、「情」、「知」、「意」とまとめることができる。
著者がもっとも力を入れ、また哲学者、言語学者ではカバーできない、脳の障害がもたらす言語使用の変容を踏まえた「言語」論であり、私も言語が共有化され、意味を持つ仕組みに興味があるので、この部分は重要だ。
上記のまとめはまとめとも言えない乱暴なものだが、非常に「分かりやすく」かつ重要なので、今後も言語論も含めて、「まとめ」、考察を充実させていきたい。

イラストで学ぶ 認知科学-「認知科学」の入口


その上で、例えば「イラストで学ぶ 認知科学:北原義典」の項目を見ると、 感覚、知覚・認知、記憶、注意、知識、考えること(問題解決、意思決定、推論)、言語等々、まさにヘーゲルの「精神現象学」が乏しい手掛かりで追及しようとした(だろう)こと、山鳥さんが脳医学を踏まえて追究しようとしたことが網羅されている。この本は、イラストといっても、心的現象と脳の部位との関係図や、論じられている問題について整理されたカラー図表等が掲載されていてとてもわかりやすい。ただ、「意識の経験」を体系的に論じようとしたものではないが、山鳥さんの所論と重ね合わせて読み進めると、面白し、AI論への入口にもなる。

詳細目次

「「わかる」とはどういうことか」と、「「イラストで学ぶ 認知科学」の詳細目次を掲載しておく。