残された日々を生きるという視点_人生論
残された日々を生きるという視点_人生論
私が前提とすること
「残された日々を生きる」を検討する場合、「残された日々」が真に限定されていると得心しているということと、残された日々に向き合うヒトがどういう現状にあるかということが前提となる。
死後の世界があると信じる、あるいは期待する心性を持つと「残された日々」の切実性に欠けるので、ここでは問題にしない(死後の世界の存在の真偽は確認できないから「死後の世界」があると考えることは否定はできない。)。
残された日々を生きる見方を論じた本
次のようなものを当面の基礎文献としよう。
- 自分の時間―1日24時間でどう生きるか (三笠書房 電子書籍):アーノルド・ベネット
- 限りある時間の使い方 FOUR THOUSAND WEEKS:オリバー・バークマン
- 人生後半の戦略書 ハーバード大教授が教える人生とキャリアを再構築する方法:アーサー・C・ブルックス
- 人生の短さについて:セネカ
- なぜ今,仏教なのか―瞑想・マインドフルネス・悟りの科学 :ロバート ライト
- 人はどう老いるのか (講談社現代新書):久坂部羊
どういう現状にあることを前提にしているか
2,3は、最近話題になった本であり、当然著者の現在の職業(ジャーナリスト、大学教授)を前提にしているので、かなり限られた視座ということが出来る。1は1900年代初期に出版され、訳者の渡部昇一は「ベネットはこの本で、「人間というものは、貧乏人でも金持ちでも、とにかく1日24時間しかない」という明々白々なことに目を向け、その24時間でいかに生きるかということに対する具体的なヒントを提供している」とするが、ベネットも著名な作家である。この中で間違いなく一番著名なストア派の4の著者セネカも、ローマ時代の、政治家、哲学者、作家であり、特殊な地位になる。考えてみればこのような著作を書こうというのだから、これは当然か。だから著作家の視座は、普通の人は相当割り引いて参考にする必要がある。
では、生老病死と向き合った5の仏教書はどうか。ブッダ、修行者は出家して考察するのだからこれもかなり特殊である。ただ向き合う現実が老病死であるから、普遍性がある。老については、6を踏まえるのが良い。
取り急ぎ「人生の短さについて」の要約を掲載しておく。