タイポラ、ゾテロを引き連れた黒曜石主義者

2021-11-30

黒曜石主義者?

「タイポラ、ゾテロを引き連れた黒曜石主義者」というと、19世紀末のヨーロッパのおどろおどろしい陰謀家集団のようだが、そうではない。Obsidianは黒曜石で、Obsidianを信奉する人がObsidianistで、黒曜石主義者だ。ただここでいうObsidianは、パソコンとモバイルで使用するソフト(アプリ)である。私は1ヶ月半くらい使っているが、目の前の霧が晴れるというか、頭のさびが取れるというか、これを利用すると首のこりが取れる気がする。といってもちろんマッサージソフトではない。

マークダウンエディターであるというのが、最も簡単な紹介だが、ファイル同士をリンクさせられるというのが最大の売りである。マークダウンというのは、テキストベースだが、見出し、表等を表現できるHTMLなどより簡易な記法である。ファイルがリンクできるということは、そのつながりが見える化できるということだ。Obsidianは、tabや検索機能も充実しているので、リンクさせる様々な手段もある。それとWebや画像の挿入機能も充実している。だから何だといわれそうだが、自分が作成・関与した情報を一箇所に集め、それを見える化、整理して全体を見渡せば、新たな地平に踏み出せるよという紹介がよさそうだ。オリジナルでは、「Second Brain」という売り込みだ。

私は、「AI時代の弁護士業務」において次のように指摘した。「デジタル化して収集した生情報、法情報を、弁護士の頭の替わりに(ないしこれに加えて)パソコンで稼働させるプログラムによって整理、思考、判断し、結論を表現することを可能とするIT技法の開発が急務である。例えば、弁護士が全ての証拠を踏まえて論証する書面(最終準備書面や上訴の理由書、刑事の弁論要旨)を作成するとき、必要な証拠部分を探して引用するのには膨大な時間がかかり、しかもなお不十分だと感じることはよくある。あるいは供述の変遷を辿ったり、証拠相互の矛盾を網羅的に指摘したりしたいこともある。このような作業(の一部)は、デジタルの得意な分野である。また少なくても、当方と相手方の主張、証拠、関連する判例、文献等をデジタル情報として集約し、これらを常時参照し、コピー&ペーストしながら、書面を作成することは有益であるし、快感さえ伴う。目指すIT技法は、当面は進化したワードプロセッサー、データプロセッサーのイメージであるが、データ処理自体に対する考え方の「革命的変化」があることも充分にあり得る。」。

「弁護士の頭の替わりに(ないしこれに加えて)パソコンで稼働させるプログラムによって整理、思考、判断し、結論を表現することを可能とするIT技法」については「そもそも論」の問題があるが、「目指すIT技法は、当面は進化したワードプロセッサー、データプロセッサーのイメージ」ということであれば、Obsidianはかなり近づきつつある。パソコンの出始めの頃、すべての情報をテキストにして集約し、検索して目指す情報にたどり着こうというソフトがあったが、そのレベルでは全く役に立たなかった。しかし、今、Obsidianは、関連する情報を集約し、使いこなすというレベルに達しつつある。ハードウエアやクラウドの劇的進歩が、これに手を貸している。

ただ脳が極めて複雑な仕組みであるように、Obsidianに放り込む情報もあっという間に複雑になるので、自分なりの使用手順を確立した方がよさそうだ。フォルダーなどいらないという考えもあるが、自分が扱う情報分野をある程度フォルダーで仕訳したり、プロジェクト毎にフォルダーを作るというやり方はありそうだ。Webでそこそこ紹介されているし(obsidian.mdで検索するとよい。)、日々新しい発見があるので、私自身の使用法の紹介は、使用手順が大体定まるであろう、年明け(令和4年1月)にしようと思う。ただ最初は、興味を持たれた方は自分で触り始めた方がいい。

なお現時点では無償のアプリだが、v1になると有償になるかも知れない。ユーザーの絶対数が少ないし、今のところお金に結びつくビジネスモデルはなさそうなので、そうなればやむを得ないと覚悟すべきだろう。なお、Notionとか、Roamresearchとか、(多分)類似の機能を有する有償のソフトもあるようだが、自分が巡り合ったソフトで「第2の脳」を作ればいいので、」その優劣を考えても余り意味はない。

タイポラ?ゾテロ?

では、タイポラやゾテロとは何か。
タイポラ(Typora)も文書作成のためのマークダウンエディターである。Obsidianですべての文章を作成してもいいのだが、これは、メモ、ノートによる第2の脳の作成基盤と考え、長めの文章はTyporaで作成するのが良さそうだ。見出し、表、リスト等の作成が簡単になる。もちろん、Obsidianで作成した文書もこれで加工できる。Obsidianの有能な従者としての使用を勧める。ずっと無償だったが、つい何日か前からv1となって有償となった。ただ2000円弱で3台まで使えるので、負担感は少ない。

ゾテロ(Zotero)は、理科系の研究者の間では有名な無償ソフトだ。要は、文献管理ソフトで、ネット上で検索したPDF等を取り込み、管理できる。ObsidianではCitationというプラグインで利用可能となり、私もその環境は整えたのだが、私の利用する資料は今のところ専らKindle本なのでこれの出番は今のところほとんどない。

Kindle本の利用

私の「第2の脳」を支える最大の資源は、Kindle本である。私はR本は、事務所で調べ物をするときくらいしか読まない。活字の大きさの問題もあるし、大体本は寝っ転がって読むものだと思っているから、今は、R本よりKindle本がいい。ただKindle本はどうも頭に残りにくいような気がする。

本を読んで考えを深め定着させるには、ノートをとるのがいいらしい。物書きの人は、ノートを取るのが当たり前のようだ。私はそんなことはしてこなかったなあ、どういうノートがいいのかな、などど考えて、ノートについて論じた本を何冊か物色していたが、ある日、「TAKE NOTES!―メモで、あなただけのアウトプットが自然にできるようになる:ズンク・アーレンス」を目にした。これは、ニクラス・ルーマンのZettelkastenを説明したものだ。自分で作成する短い手書きメモ群の関連付け、文献管理メモを2本柱として、第2の脳を作成しようとするもので、ObsidianとZoteroはそのデジタル版と考えてよい。

大きくいってふたつの問題があると思う。
ひとつは、ニクラス・ルーマンの時代から数十年しかたっていないが、その間に情報が、大量のデジタル情報と化したことだ。これについて、手書きメモ化する以前にその情報の全体像を整理して把握する必要がある。短いメモ相互の関連付けということは、Obsidianに任せていいのでは?
もうひとつは確かに手書きメモの身体性は重要だが、Kindle本でそれをどう確保すればいいのか。デジタル情報とし集収集できるハイライトを集めただけでは仕方がない。それが今の私の最大の課題である。音声かなあ?

外部脳

本を読むというのは重要な行為だが、かなり浮ついた行為でもある。それを支える基盤となる世界を十分に理解できているのか。勝手に思い込んでいるだけではないのか。確実な理解とするためには定説を弁える必要がある。定説で構成される外部脳を構成する要素は、百科事典、辞書等に書き込まれる教科書的情報である。これには電子辞書がいいのではないか。また私が今入手できている放送大学の講義、放送大学附属図書館の資料、検索システムも重要だ。これはあくまで定説の確認だ。

成果は上がるのか

タイポラ、ゾテロを引き連れた黒曜石主義者である私は、これで仕事がらみとして、会社法内部統制システムの仕組み作り、オンライン登記、電子署名による会社設立登記をしようとしている。いかにObsidianが有用かはその中で説明しよう。