問題解決と創造の知識

秋になったのでそろそろこのWebを再開しよう

Web記事を書くという習慣から随分遠ざかってしまった。ただあれこれ調べたり、Kindle本を買い込んだり、問題をDynalistで整理したりということは続けていたので、コロナを弾き飛ばして、できるだけしっかりした内容、形式で再開したかったと弁解しておこう。ただこの夏後半は暑く、それで少し足が引っ張られたかな。秋になったのでそろそろ再開しよう。

再開してどう進めるのか

私の、仕事以外の様々な問題についての整理の仕方や思考は、個人史の中で形成された「個人的な癖」を除けば、たまたま目にするよさそうな(Kindle)本をアフォーダンスとして意味・価値を抜き出すというオシツオサレツの作業の繰り返しだ。ただ社会・世界の問題の大部分が視野に入っていると思っていた「青春時代」は遠く去り、更にその後の社会・世界の激動と複雑化はすさまじく、率直にいって今までのやり方では、今後十分なWebは作成できないという思いが強くなってきた。

問題の出発点

目をつぶれば世の中は見えなくなるのだから、まず誰もが取り組もうと思って多くの場合失敗するのは、個の行動・思考の改善である。「不作為・依存」の問題と捉えることが出来よう。
ただ個人は社会の中でしか生きることは出来ないから、個人、組織である政府、企業、その環境(自然・人工物・情報)の相互作用によって作られる現代の社会・世界の存続・改善も重要である。ただ社会・世界については、共同性の改善のみならず、存続(持続可能性)が問われている。それはなぜか。

複雑性

個人、組織である政府、企業、その環境(自然・人工物・情報)の相互作用によって作られる現代の社会・世界の問題の多くは、複雑性が生み出したと捉えることが出来る。
産業革命以降のテクノロジーの進展と人工物・文字情報の増大、資本主義制度による生産・消費の増大は、複雑性と共に、ヒトに良好な生活をもたらしてきたことには疑問がない。そして社会が複雑になったということは数十年前からいわれていたが、私はその時はそう思わなかった。社会は要するに人間と環境(自然・人口物)相互の情報の流通であるが、その時点での情報は十分に読み解け、制御できると思っていた。

経済成長と持続可能性

ただその時の私も含め多くの人が頭に入れることができなかったことは、人間は「累乗」「指数爆発」する現象を理解することは困難で、制御出来ないということである(対数程度に捉えるということが「高校の数学」(ブルーバックス)にも書いてあった。)。
例えば最低5%のGDPの「経済成長」は必要だ、などという「経済政策」を提言し、例えばこれが100年続くとどうなるか(利息として最近までの民事法定利率の5%でを想定してももいい。)。GDPは131.5倍になる。7%なら868倍、10%なら1万3781倍になる。ちなみに2の100乗は、1、267、650、600、228、229、401、496、703、205、376である。
このような「経済成長」が、人口増を伴って続けば、資源枯渇、環境汚染、生態系破壊、そして温暖化ガスを介する気候変動によって、そのままでは地球は持続不可能になることは、冷静に考えれば分かる。ただ普通の人間がこのような観点に立って考えるのは難しい。経済学者も例外ではないのだろう(新井紀子さんが(コンピュータが仕事を奪う」の中で、「ナッシュ均衡の計算アルゴリズムはどれも指数爆発を伴うものばかり」であり「ナッシュ均衡点不動点にプレーヤーが到達する(はず)であることを前提」に議論を進めるはおかしいことを指摘している)。危機が身近に迫り、はじめてびっくりする。

情報爆発

そしてここ30年間でのパソコン、インターネットの登場によって、それまでのアナログの情報に加えて、デジタル情報が流通しはじめて瞬く間に激増し、確かに社会・世界は複雑化しつつあると実感させた。そして今は、ビッグデータ、AI、IoTが喧伝され、流通する情報のほとんどは人間が解読できない、意味を持たないものになってしまった。そして人間が意味があるとしてやり取りする情報の大部分も、現実の社会・世界と対応しない架空のものになっている。
IT・AI・DXは、確かに人間の能力を補助、増強する一面もあるが、一方、人間の有り様を破壊する一面もある。

解決すべき世界の複雑な問題群

そこで今私が解決末べき問題だと考えているのは、
Ⅰ 個人の「不作為・依存」の問題
Ⅱ IT・AI・DXを持続可能性に向けて使いこなすこと
Ⅲ 持続可能性の問題として
①持続可能な地球
②法とルールの破綻対応
③資本主義・経営・地域の行方
等を検討末べきであると考えている。
このWebもそれに向けて構成・内容を再構築しよう。

これからの工夫

冒頭で、たなたま目にした本を基準にしてあれこれ進めていくことには限界があると考えていることを述べた。

放送大学

そこで問題を、一度は広い視野で客観的に捉えるために、放送大学の講義(1回45分×15回。全部で300以上ある。)を利用するのがいいのではないかと考えてみた。放送大学は、毎週1回、決まった時間にテレビ、ラジオの放送を視聴し、試験を受けるという仕組みであるが、近時は、常時ネットで視聴できるようになっており(入学しなくても、数十は無料で公開されている。1教科の学生となれば全部の講義をネットで視聴できる。印刷教材も販売されている。)、自主的に勉強するにはとても便利だ。しかも公開され多くの批判に晒されるからであろうか、印刷教材も、番組も概してよく出来ている。)。しかも、教科の設定がとても斬新である(私たちの世代と比較すればということかも知れないが)。
例えば、「問題解決と創造のヒント」「問題解決の方法」の前提として「進化・行動・思考」の概論をとらえようとすると、

  • 生物の進化と多様化の科学
  • 総合人類学としてのヒト学
  • レジリエンスの諸相-人類史的視点からの挑戦-
  • 比較認知科学
  • 知覚・認知心理学

等の講義を視聴すれば、相当程度突っ込んだ内容が理解できそうだ。
続く「問題解決の基礎理論」では、

  • 問題解決の進め方
  • 問題解決の数理

等が役に立ちそうだ、
その他、IT論、環境問題論についても優れた講義が見当たる。
自然科学系は改めて初歩から勉強しよう。

読書と思考

私のKindle本は4000冊を超えたがもう整理の限界だ(ただし、酔っ払っては買う、英語学習本、英語本、アニメ、絵本等を除けば実質的には3000冊ぐらいだろか。)。
これからは読書の仕方、思考法について、工夫していかなければならない。
そういうとき目に入ったのが、「探究型読書:編集工学研究所」である。編集工学研究所は、言わずと知れた松岡正剛さんが作った「千夜千冊」を生み出したところだ。内容を見ると、「探究型読書の方法を活用して本を読む場合、使う時間は1冊につき、長くて3時間くらいです。人によっては30分以内で1冊の本を「読んで」しまうこともあります。1冊の本を最初から最後まで読もうと思ったら、数週間?数カ月かかるものです。優れた書物は無数に存在するのに、私たちが「読む」ことができる冊数には限りがあります。編集工学研究所は、この「読む」という行為の意味を捉え直し、同時にたくさんの書物に出合いながら、「読み」の恩恵を受けられる方法を編集工学の技法をもとに開発しました。それが、この探究型読書です。」とある。しばらくこれに付き合おうか。
同じく「編集工学研究所」に属する人の本で、「才能をひらく編集工学  世界の見方を変える10 の思考法 :安藤昭子」は、思考については役立ちそうだ。

ということで再開しよう。

次の投稿で、全体の構成の見直しを報告しよう。

 

問題解決と創造の知識

やることを絞ろう

 コロナ待機で自宅にほぼ2ヶ月ほどいたであろうか、私はすっかり「増量」してしまった。確かに、何となく具合が悪い日が続いて昼間もゴロゴロして本を読み、スロージョギングも朝起き出さずに夕方でいいやと思いながら夕方もせず、といううちにすっかりと「増量」してしまった。しかし問題は、運動不足もさることながら(そう考えるといつかまとめて運動さえすれば(きつい山に登って長時間歩けば)良いということになってしまう。)、それよりも加齢に応じて筋肉量、基礎代謝量が大幅に落ち続けていることを考えずに、普段以上に食べたことによるのだろう。6月になって何とかほぼ毎日朝ジョグをして出所し、きちんとした生活をし(お酒も飲まず)、大分痩せていたときに戻ってきた。
 コロナ待機中にあれこれしたかったし、このWebも何とかしたかったのだが、「昼間もゴロゴロして本を読み」に終始して、そういう気にならなかった。今後も、基礎代謝量が大幅におちているのと同様に、知的作業に割ける気力、労力は限られてくる。そうするとやることを絞るのが重要だ。といっても縮小再生産の毎日は送りたくない。
 待機中に読んだ、ストア派のマルクス・アウレリアスの「自省録」(Amazonにリンク)や、ストア派哲学を論じている「良き人生について―ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵」(ウィリアム・B・アーヴァイン)(Amazonにリンク) には、心引かれるのだが、私の今の毎日と毅然としたあり方をどう結び付けることが出来るのか。

小さな習慣を積み上げる

 誰でも生きていく中で、これは正しいなと思う、格言、ことわざがあるだろう。私のベスト2は、「損して得取れ」と、「継続は力なり」であった(3番目は、多少さわりがあるが、「いつもニコニコしている人は信用するな」である。)。
 「損して得取れ」は、私の場合は、主に「王侯貴族ダイエット」(美味しくても1人前の少しを残す、無料大盛り×は当然)が正解だが、これがなかなか。
 「継続は力なり」はあらゆる問題でそうなのだろうが、継続だけに目が行くとこれもなかなか。
 私が今心を留めている言葉は、「(行動と思考において)自分には手が届きそうにない目標を定め、その実現に向けて計画的に努力する-これほど満足のいく、充実した生き方は他にはない」(「PEAK PERFORMANCE 最強の成長術:ブラット・スタルバーグ」(Amazonにリンク)であるが、このままでは「継続は力なり」と同じ運命をたどるので、「自分には(少し)手が届きそうにない目標を定め、その実現に向けて(小さな習慣が身に付くよう)計画的に努力する」と変容しよう。大方の習慣論もそれを勧めている。
 目的-目標をもって、毎日小さな習慣を積み上げていけば、何より毎日が充実する。私はそういう中で、老病死を迎えたい。
 ということで、あれもこれもいっぺんにはやめて、Webも少しずつ積み上げていこう。

大事なこと

ということで、私は毎日少しずつ積み上げて毎日を充実させること、積み上げたことで人の役に立つこと、そのことを持続可能な社会につなげることを考えながら生きていけば、落ち着いて死を迎えることが出来るだろうな。なんか爺むさいことを考えるようになったなあ。もう数日で66歳になるのだから当たり前か。ストア派も、少し身近に感じることが出来る。
それと思うのだが、特に若い時は、毎日が他律的な仕事をこなすことで精一杯だから、なかなかこうはいかないだろう。

戯れ言日録,IT・AI・DX

記事を再開しよう

コロナ避難期は自宅にいてあれこれ考えたり本を読んだりしていたが、記事はずっと更新しなかった。大本に立ち返って整備したいという思いもあって毎日のようにkindle本を購入して目を通し全体を書きなおそうと思っていたが、一方、自宅にいると動くのがうっとうしくなってどうしても体調が悪くなるのと、そもそもいつまでも私が生きているわけではないからできることからやろう、それが結局早道なので、少し記事の内容を方向転換しようという気になったこともあって、暫時休憩(もっとも論稿の執筆もあったから半年ぐらいほとんど動いていない)。そろそろ再開していこう。

コロナ問題

今回の新型コロナは新しいウイルスということから、ワクチンや治療薬がなく、また感染がどのような事態をもたらすかが予想できなかったので、従前の感染症対応の経緯を踏まえつつ、科学的な根拠のあることをやっていくしかないという問題であった。個人としては、生活していく中で、可能な範囲で飛沫感染、接触感染しないように自衛し、感染しても死亡しないような対応をすることに尽きるし、公衆衛生を管轄する行政は、飛沫感染、接触感染が起きやすい機会を実効的に減少させ、発症した場合に死亡を避けるための治療を確保するためのルール作りと国民から託された金と人を有効に投入することがその役割であった。ただ、実際はどうだったろう。私などから見ると、政治家も専門家も、責任回避のパーフォーマンスのために、非科学的な不必要な旗振りと、お金のばらまきが目立ったように思う。ただ、2月から3月にかけて諸外国の急激な感染と死亡者の拡大の中で、慌てふためいたことは理解するが、それにしても非科学的な不必要な旗振りが多かったこと、そしてそれが今も継続していることはしっかりと検証した方がいい。しかも、そのどさくさの中で、総理大臣は思い付きで次々と馬鹿げたことを思い付き、憲法にコロナ収拾にはまったく不要な緊急事態宣言を盛り込むだの、自分になびく人間に地位と金をばらまくだの、その行為は目に余る。やがてアメリカのトランプ大統領と並び称されるのは確実だろう。持続可能な社会、そして日本をつくることに理解のある政治家はいないものだろうか。この問題は追って考えていこう。再開第1号は、IT tips①である。

32GBパソコンで、Windows10の最新2004にUpdateができた…2020年5月31日

私は3年ちょっと前に、全くの気の迷い(選択ミス)でDELLの32GBeMMCのノートパソコンを買った。32GBでofficeをインストールしても、いろいろと工夫を凝らせば使えないことはないが、問題は、WindowsのUpdateだ。確か1回は外付けのUSBを利用して出来たように思うが、ここ2年くらい何度試みてもうまくいかず、いつしかこのパソコンは使わなくなったが、この4月に1年生になった孫娘用にちょうどいいと思い直し、コロナ避難期を利用して、めげずに何度も何度もUpdateをやってみた。最初はWindowsのいろいろな箇所の指示どおりにやってみたがうまくいかない。
そのうち、私のインストールされているWindowsのバージョンが1803であることがわかり、これを1909や1903にすべく、ネット情報を加味して更に色々と試してみたが全滅。その過程の紹介はもういいだろう。
そこで別のPCで外付けUSBにWindows10をインストールし、そのUSBで起動して新しくクリーンインストールすることにした(https://www.microsoft.com/ja-jp/software-download/windows10)。結果的にこれでうまくいったのだが、そこで想定されているのは、BIOSを調整してUSBから起動するということだが、BIOSをいじっていたのはもう何年も前でどうするのか忘れてしまい、F2を押しても通常起動のようだった。ただUSBのファイルを見ると、exeファイルがあったので、エイヤッとクリック、それでインストールが始まった。うまく行かないかなと思ったが、何とこれで2004にUpdateができた。最後の過程はどうかなと思うが、別のPCでUSBにWindows10をインストールし、起動するということはやってみる価値がある。
しかも、私の場合、2004でWindowsに使われるのは13GBちょっと。残りが15GBあれば少々、アプリをインストールしても、これからはWindowsのUpdateに困らないだろう。これで長年の胸のつっかえがとれた。