組織・社会。世界

「行政学講義~日本官僚制を解剖する」著者:金井利之

まず悪口をいいたい

この本は,本屋で手に取ってみて,内容が整理され,しかも情報量が豊富に見えたので,その場で買ったものだが,読もうとすると,極めて分厚くかつ字も小さかったので,リアル本を読むのは辛かった。調べるとKindle本があったので,早速買った(2冊買ったということだ。)。

しかしKindle本でもとても読みにくい。著者の文体には癖があり,省略,飛躍があって,表現がねじれているところが多い。また一般的でない概念も多用され,概念相互の関係もはっきりせず,一読しただけでは真意を汲み取り難い。図も多く掲げられているが,そこは要するに読んでもわからないところだ。

一番の問題は,最初の数十頁の「導入部」である序章に書かれている全体の構成の説明(見取図)が理解できないことだ。行政を内外と過程に,行政内外を,外側,内側に,行政過程を主体,作用に分け(詳細目次参照),これを組み合わせて,支配,外界,身内,権力という4つの「切り口」から分析するというのだが,その「切り口」の意味合いとその関係が,何度読んでもわからない。しかも,それぞれの「切り口」を更に4つの項目に分け,4×4に分けているが,その分ける基準が何なのか?ヘーゲルなら3つだよなと悪態をつきたくなる。

序章が全体の見取り図だということは,全体を読めばその意味が分かるだろうと気を取り直し,「第1章 支配と行政」「1 政治と行政」に進むことにするが,??の連発だ。

「支配」について,「「統治者と被治者の同一性」を民主体制とすれば,公選職の統治者(政治家)とその公選職の指揮監督を受けて統治の業務をこなす行政職員が必要となる。戦前体制は非民主体制であるから,統治者と被治者が分離し,統治者である天皇あるいは藩閥関係者があり,統治者の中での「下働き」が行政職員である」ということを基本モデルとして(多分),戦前体制-戦後という歴史的事実の中で,様々なことを論じている(ように思える。)が,あちこちに弾けるポップコーンのようで,論旨を追うのがつらい。大体このあたりでギブアップする読者が多いかもしれない。ただここのポップコーンは,珍しくておいしいものが多い。

本書を読み進める方法

この本を読み進めようと思ったら,「序章」の著者の言葉遣いを理解しようとせずに読み流し,「第1章 支配と行政」の支配の意味合いと書かれていることとの関係もなかなか飲みこめないので,目を通すだけにし,一挙に「第4章 権力と行政」に飛び,読んでみるのがよい。ここには行政がその目的達成のために用いる「実力」,「法」,「財政」,「情報」の方法について書かれており,ここは書かれていることは理解できるので,ここから読み進めるのがいいだろうか(でも「法力」「知力」といわれると引いてしまうが。)。

次いで前に戻り「第3章 身内と行政」は,要するに行政の組織について書かれているので,内容にあまり抵抗はない。貴重な情報が得られよう。更に前に戻り,「第2章 外界と行政」「1 環境と行政」には,地理,歴史,気象,自然環境,人口等,行政を取り巻く総論が書かれ,引き続き2で経済,3で外国との関係が書かれている。4にはアメリカとの関係が書かれている。2など,かなり特殊な観点から書かれた議論という気もするが,まあよしとしよう。ただ,4項目について同じレベルのことが書かれているわけではない。

最後に「第1章 支配と行政」も,「4 自由と行政」,「3 民衆と行政」,「2 自治と行政」と後ろから読み,最後に「1 政治と行政」を読むと,何となく,全体が読めたなあという感じだ。著者によれば,自由,民衆,自治,政治の中に価値があるそうだから,読み方もそれでいいのだろう。

これから

本書が豊富な材料を蔵していることは間違いないが,現実の分析より「ことば」での分析が目立つように感じること,経済論は買えないこと(私は,今[経済史]と「ミクロ経済学の力」のファンだ。),やはり叙述のつながりと関係が分かりにくいことから,本書が,行政を入口にして,政治,法,制度へ架橋できるツール足りうるか,もう少し検討したい。ただ偏屈おじさんの小言が好きな人にはたまらないだろう。

詳細目次

IT・AI・DX

IT活用を妨げるもの

ビジネスあるいは生活の場で,ITはどのように受け止められているのだろうか。パソコンがセットされて「情報」「プログラミング」の授業を受けた世代はともかく,それより上の世代にとっては,「何かすごい能力を持っている」が,自分には「近寄りがたく面倒なもの」ということだろうか。

実際,我が国におけるITの活用は,企業も市民も決して十分ではない。二つの側面からみてみよう。

まず,ビジネス現場での「およそ7割が失敗するというシステム開発プロジェクト。その最悪の結末である「IT訴訟」」(「なぜ,システム開発は必ずモメるのか」(著者:細川義洋)の帯)というのは,決してオーバーな表現ではない。「システムの問題地図~で,どこから変える?使えないITに振り回される悲しき景色」(著者:沢渡 あまね)には,ビジネス現場の現状が分かりやすく説明されている。弁護士にとっては飯の種だが,我が国の経済にとっては,盲腸のようなものだ。この2冊は追って紹介しよう。

もう一つの側面は「サイバー攻撃」である。ネットの利用は,面白いが,深入りすると怖いことになるというのは,市民,企業の共通の「思い」だろう。

うまく使えないわ,怖いことが起こりそうだわでは,使えないのは当然だ。しかし,前者は,発注者とベンダーの開発,契約のやり方を変えていくことで徐々に克服できそうだし,「サイバー攻撃」も,敵を知り己を知ることに手間暇を惜しまなけば,克服できるだろう。「サイバー攻撃」(著者::中島明日香)も追って紹介したい。

ITと生産性の上昇

日本経済の問題は生産性が低いことらしい」で,我が国の生産性が,1990年頃から他国に比して低く,その原因はITの可能性があることを指摘したが,「経済史から考える~発展と停滞の論理」(著者:岡崎哲二)にも,そのことが指摘されていたので引用しておく(同書107ページ以下)。

「1990年代以降の(注:日本の経済成長と比し)米国の経済成長について、その原動力を情報技術(IT)の普及によるTFP(注:全要素生産性)上昇に求める見方が有力である。2007年版の「米大統領経済諮問委員会年次報告」は、特に90年代後半以降の米国の成長について、IT資本への投資が流通や金融などの幅広い産業で活発に行われ、それら産業でTFPが大幅に上昇したことを強調している。

他方、日本については、2000年代に入ってもIT資本の投資が米国より小さいこと、またIT投資がTFPを押し上げる効果も小さかったことが、複数の研究で示されている。ITは多くの産業部門における生産プロセスや技術革新(イノベーション)に影響を与える点で、歴史上の蒸気機関や電力と同様に典型的な汎用技術(GPT)である。1990年代以降の日本経済の相対的低成長の有力な原因の一つは、ITという新しい汎用技術の導入と普及の遅れにあると見ることができる。

一般に、汎用技術については、それが発明されてから、広く経済に普及し、実際に生産性上昇に結びつくまでに長い時間差がある。新しい汎用技術が経済・産業の幅広い側面と関連しており、それだけに、いったん導入・普及に成功すれば大きな効果が生じる反面、そこに到達するまでに多くの課題を解決しなければならないのである。」。

筆者は明治以降の発展を支えたイノベーションとして,製糸業の近代的工場組織を,自動車工業のフォード・システム(移動式組み立てラインによる大量生産)を挙げ,これらが定着した「経験は、新しい汎用技術を移植し、それを生産性上昇に結びつけるために、組織を含めて関連するさまざまな分野のイノベーションが必要であることを示している。そしてまた、これらイノベーションの結果、技術が原型とは異なるかたちで定着し、それが日本の産業の国際競争力の源泉となった。

ITは、近代的工場組織、大量生産技術に匹敵するスケールの汎用技術であり、その一層の利用が今後の日本経済の持続的成長のために必須なことは論をまたない。一方で、過去の経験に照らせば、これまでその普及と生産性向上効果が十分に進んでいないことは、決して異常でも悲観すべきことでもない。それは、関連分野のイノベーションを伴いながら、日本に固有なかたちでのITの普及・利用の条件が形成される過程と見ることができる。

現在、政策的に必要なことは、この過程を促進し、少なくとも阻害しないことである。例えば介護・医療は、急速な高齢化の下で、今後需要が拡大する分野であるとともに、ITによる生産性向上の潜在的可能性が大きい分野でもある。しかし、現行の制度の下では、介護・医療施設経営者にとって、新しい技術を導入して生産性を向上させても、それが利益の増加に結びつかないため、新技術導入へのインセンティブが弱い。「成長戦略」を議論する際に真剣に考慮すべき論点である。」。

同書によれば,例示した二つのイノベーションの定着として30年という数字をあげているので,ITも30年という含み(あと10年ある。)なのだろうか。

でも本当にあと10年でIT活用が定着するのか

私はIT活用を妨げるものは克服できると上述したし,岡崎氏も今は「関連分野のイノベーションを伴いながら、日本に固有なかたちでのITの普及・利用の条件が形成される過程」としているが,ITが普及・利用されるためには何をしたらいいのか。放っておいても定着するという問題ではない。

IT技術を支える基本を考えてみると,その中心は,<英語の略字イメージに基づく記号>の<論理的操作(数学)>である。要するに英語と数学の簡易バージョンだ。英語と数学を日常的に普通に使いこなせる能力を備えて,はじめてITの活用ができるといえよう。ITをブラックボックスにしないためには,ベンダーはもとよりユーザーも,ITを支える英語,数学の使いこなしが必須だ。そのレベルは高くはないだろうが,通常人が使用する情緒的な自然言語の世界から,頭を切り替えるのには,苦痛が伴う。それを乗り越えられるかどうかが,本当にあと10年でIT活用が定着するかどうかのポイントだろう。

さてそうなると,問題はさほど簡単ではない。10年のうちに誰が何をしたらいいんだろう。私にもできることがありそうだ。少し考えてみよう。

組織・社会。世界

新・所得倍増論」を読む

~潜在能力を活かせない「日本病」の正体と処方箋 著者:デービッド・アトキンソン

著者 WHO?

「新・所得倍増論」(以下「本書」)の著者デービッド・アトキンソンはイギリスで生まれ,オックスフォード大学で日本学を学び,アメリカの金融機関で働いた後,来日,ゴールドマン・サックスでアナリストをし,退社後,文化財の会社を経営しているとのこと。本書は,著者のアナリストとしての分析的な手法と,日本での長い経験が活かされた,良書であると思う。著者は,2018年4月,日本生産性本部の「生産性シンポジウム」にパネラーとして出席した。このWebでも「日本生産性本部の「生産性シンポジウム」を聞く」として紹介した。

本書の中心はとても明解だ-日本の生産性は低い-

本書の中心となる主張はとても明解で,1990年ころ以降,日本の生産性が低いままであることから,これに起因してあらゆる経済,社会の難問が生じている,いまだににかつての日本経済の「栄光」から脱することができない人が多いが,日本経済が高度成長してきたのは,敗戦後の壊滅状態からスタートし,人口が多くかつ増加してきたという「人口ボーナス」があったからだというものだ。。

生産性で見た場合,「敗戦後の復興は1952年から加速し,生産性は1977年にもっともアメリカに近づいた。その後は,アメリカと同程度の向上を見せている。」。「日本の生産性は1990年,GDP上位5カ国の真ん中の第3位だったが,1998年にはフランスに,2000年にイギリスに抜かれ,第5位にランクを下げた。」。「世界銀行が公表している数字によると,日本の生産性は世界で27位だが,1990年には10位だった。」。このように「日本の生産性は相対的にかなり低くなっているが,もともとは他の先進国と同じレベルだった。それが「失われた20年」によってギャップが発生し,1人だけ置いてけぼりになってしまったというのが本当のところである。」。「もうすぐ韓国に抜かれ,アジア第4位になりそうだ。」。

生産性は,GDPについて,一人当り,労働者一人当り,労働時間当たりというような算定があるだろうし,かつ政府支出はそのままGDPに算入するというようなこともあり,細かく考えるといろいろ問題があるだろうが,為替調整(購買力調整)後の上記数字が大きく誤っているということはないだろう。

本書は,この事実を,日本でなされている様々な「言訳」に繰り返し繰り返しぶつけて,くどいほどだが(その結果,かえってわかりにくくなってさえいえる。),おそらくこれは,日本でこのことを何度述べても,あれこれと反論され,素直に受け入れてもらえないという苦い経験に基づいているのであろう。

生産性が低いのはなぜか

以下の記述は,著者の上記の指摘を受け入れつつ,私なりに捉え直したたものだ。なお本書には,いろいろと面白い指摘があって(ものづくり大国,研究開発費,農業,日本型資本主義,女性の低賃金等々),整理してまとめたいと思うが,とりあえず本稿では概要にとどめたい。

著者の指摘のとおり日本経済の生産性が低いことは間違いないだろう。しかし本書はそうであるからこそ,日本経済の素質(労働者の能力,技術力,教育,文化,治安,自然環境等々)からして現状には大きな「伸びしろ」があるという。そうすると問題は,我が国の生産性が1990年ころからほとんど上がっていない原因を見極め,それに対応できる者が対応していくということであり,それができないとこのままずるずると滑り落ちてしまうということだ。

1989年末に株価が最高値をつけ,その後「バブル崩壊」があったが,その最初の頃に生産性の低迷に影響があったとしても,「失われた20年」の問題はそういうことではないだろう。その後,世界中で「バブル崩壊」,「リーマンショック」があったが,各国は都度立ち直り,先進国で,いつまでも生産性が低いのは日本だけだ。

原因として思い当たるのは,Windows3.1の発売が1992年であり,その後,急速にインターネットが普及して世界のビジネスは大きく変わったが,日本ではITを活用することで働き方を変えることができていないことが一つだろう。本書はニューヨーク連銀の「報告書」の"To successfully leverage IT investments, for example, firms must typically make large complementary investments in areas such as business organization, workplace practices, human capital, and intangible capital." (IT投資の効果を引き出すには、企業が組織のあり方、仕事のやり方を変更し、人材その他にも投資する必要がある)を引用して,このことを指摘する。面白いのは,著者は,今までの仕事のやり方にITをあわせるのではなく,ITが生きるように,仕事のやり方を変えることを主張していることだ。

組織のあり方、仕事のやり方を変更することができないのは,本書によれば,役所,企業を問わず「現状維持」が至上命題になっていて,改革しようとしないからである。それを支えるのは,敗戦からバブル期に続く成功体験であろう。待っていればうまくいくと思って20年がたってしまった。その間に,政府の財政は最悪の状態となり,社会保障は破綻寸前である。

生産性をあげるにはどうするのか

当然だが,言うは易く,行うは難しであるが,誰が何をすべきなのかと観点で考えるべきであろう。

企業は,法人(経営者と労働者)と個人企業からなっており,産業分野は,農業,製造業,小売・サービス業に大別できる。

つまるところ問題は,労働者(個人企業)の生産性であるが,それは個人が工夫して生産性をあげるために切磋琢磨するということではない。

なすべきは,経営者(個人企業)が,このまま推移すればますます生産性がますますじり貧化し,我が国が,昔栄えたことがある世界から取り残された孤島になることに思いを致し,失敗を恐れず,生産性をあげるための指示,投資に全力を挙げることである。その際,労働者の協力,工夫が必要なのはいうまでもない。

どの産業分野もそれぞれ固有の問題を抱えているが,一番問題なのは,サービス業である。

しかし経営者は自分のためにならないことはしないから,政府の年金投資を通じて,企業が「時価総額」をあげるようにプレッシャーをかけ,設備投資を促す。生産性をあげられない,利益を生まない企業の経営者は,退場させるしかない。

政府が上場企業にプレッシャーをかけるには,政府みずから役人の生産性をあげ,有効な公共政策を実行しなければならない。

これを「公共政策」という「窓」からみれば,政府が有効な公共政策を実行することは当然として,実行主体である政府(役人)の生産性をあげること,政府の設定したフレームの中で行動する企業は,生産性の向上を至上命題とすること,これを実行できない企業に対して政府は年金投資を通じて経営者の退場,交代を含むプレッシャーをかけていくことで,社会全体の生産性の向上を図るということになろうか。

政府のプレッシャーはともかく,生産性の向上は,企業の責任だということであるが,現場で生産性の向上,イノベーションを実行していくことが,かっこいいと思われなければ,これはむつかしいかな。でも著者は他の国ではやっているでしょ,謙虚に学べばということになる。日本は明治維新,敗戦で,他国のモデルを一生懸命学んだが,「高度成長」でそれをすっかり忘れたということだろう。

ところで著者は,最新刊の「新・生産性立国論」で,本書に対する批判と徹底的に論争している。ただ,生産性をめぐる基本的な概念は「常識」であるとしても,もう少しGDPにかえって整理することには意味があるし,生産性向上の方法もより緻密に検討したい。特に後者については「スティグリッツのラーニング・ソサイエティ~生産性を上昇させる社会」があるので,これを読み込み,あらためて生産性について議論することにしたい。

なお著者は,具体的に指摘せよとの批判にこたえてだろうか,「わざわざ書く必要のない当たり前のこと」「常識」とし,<生産性向上の5つのドライバー(方法)>として,設備投資を含めた資本の増強,技術革新,労働者のスキルアップ,新規参入,競争を,<生産性向上のための12のステップ>として,リーダーシップ,社員一人ひとりの協力を得る,継続的な社員研修の徹底,組織の変更,生産性向上のための新しい技術に投資,生産性目標の設定と進捗,セールスやマーケティングも巻き込むべき,コアプロセスの改善,ナレッジマネジメント(知識管理),生産性向上の進捗を徹底的に追求する,効率よく実行する,報・連・相の徹底をあげているので,紹介しておく。

著者の議論には脱線があるとしても,稜線をたどる限り,きわめて本質的であるし,なにより面白い。批判的に読むべきだとしても,じゅぶんに意味がある。これを不愉快に感じているようでは,「沈没」するしかないかなと思う。

個人経営者である弁護士はどうすれば生産性の向上ができるか,少し考えてみよう。生産性の向上は価値創造と言い換えてもいいのかな。

詳細目次