改めて北澤さんを追悼する
北澤義博さん
北澤義博弁護士が亡くなってもう2年が経過した。北澤さんは、情報公開制度の制定をリードしたり、大宮法科大学院で副学長をつとめたり、とても有能な弁護士だった。
私は北澤さんが所長をしていたフロンティア・ローと一緒に仕事をしようと思ってごく近くに事務所を設け、合同することについて何度も声もかけてもらったのだけで、結局、実現しないまま北澤さんは逝ってしまった。とても心残りだ。
今般、北澤さんの「遺稿・追悼集」に寄稿を求められたので、そのまま掲載する。
改めて北澤さんのご冥福をお祈りしたい。
北澤さんと私
誰もが認めるだろうが、北澤さんは本当にダンディで素敵だった。私がご一緒したのは、大体アフターファイブだったから、イタリアンでワインのボトルを傾けたり、花たろうで久保田の4合ビンを抱えたりする北澤さんの姿の記憶は鮮明だが、そこで何を話したかは朧気だ。でも私と北澤さんの間には、「遅れてきた青年」としての世代的な共感があり、これから何をすればいいんだろうということが共通する無言の課題だったと思う。
いつか北澤さんと何か勉強でもしようよという話になって、私が「科学」というと、「科学的社会主義」と思われて苦笑されたことがあった。でも本当は、最近になってやっと「科学」が、人間の身の丈をはずれた極大の宇宙から極小の素粒子までを読み解くことができはじめたので、そういう中で自然、生命、人間のありようを考え、制度を構想しようということだったのだが話はそのまま立ち消えになった。
北澤さんは弁護士や法教育者として颯爽と充実した道を歩んだが、私は、非科学的で権威主義的な価値観に基づく制度が嫌いだから、弁護士になりきれなかった。振り返れば科学者の方が面白かっただろうが、でも機は熟しているのだから、「科学」を踏まえた人生最後のあがきをしたいと思っている。北澤さんは、いつまでも現実と向き合わない奴だといって、またもや苦笑しているだろうな。余りにも早く逝った北澤さんのご冥福をお祈りしたい。