様々なる意匠

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未読・半読・一読の本 6 (19/06/10)

「様々なる意匠」を思い出す

ここ最近,某市がした公文書非開示処分についてその取消し,及び文書の開示を求めて提訴した行政訴訟の準備書面を書いていて時間がとられ,併行してあれやこれやの本に目を通しているものの,記事の投稿はできなかった。

そういうあれやこれやの中で「人類が永遠に続くのではないとしたら」(著者:加藤典洋)(Amazonにリンク)を読んでいで,ふと「様々なる意匠」という言葉が頭をよぎった。

小林秀雄の本はとっくに処分していたので,Kindle本で探すと,「Xへの手紙・私小説論」(著者:小林秀雄)(Amazonにリンク)に収録されていることがわかったので早速購入して読んでみた。このようなことができるので,Kindle本(電子書籍)はたまらない(青空文庫には,収録されていないようだった)。

「様々なる意匠」は,率直にいって今読み直すと無内容というしかない「文芸批評」だが,その「表現」レベル‐レトリック‐は今も新鮮で卓越している(末尾で紹介しよう)。内容と関係なく表現だけで人を圧倒できる領域が確かに存在する(ただ,「様々なる意匠」が世にもてはやされたのは,当時の「マルクス主義文学」に異を唱えたという,文脈的な意義も大きい)。

ところで「様々なる意匠」を読んでいて改めて思ったのだが,小林秀雄がこれを書いた当時,「知識人」が知的作業の対象とするのは,「文芸」がほとんどだったということである。自然科学もあったろうがその存在はわずかであり,社会,人文,哲学等々に係る言語表現は,「文芸」が扱っていたといえるのではないか。

マルクス主義は,今考えても,経済思想,政治思想として,当時,もっとも「科学」に近かったといえるであろう(ミクロ,マクロの経済学が確立されるのはずっと後である)。「文芸」しか知らなかった知識人にとって,「社会科学」と称するマルクス主義が登場したのだから,圧倒されたのも無理からぬものがある。それは,1960年代まで続いたような気がする。それももう5,60年も前の話だ。

思想とそれがもたらすことのある害悪

上述したように,私が,「様々なる意匠」という言葉を思い出したのは,「人類が永遠に続くのではないとしたら」(著者:加藤典洋)(Amazonにリンク)を読んでいた時のことである。加藤さんの「思想」は,「様々なる意匠」だなあと思ったのである。

思想というのは多義的だが,ある問題について多面的に十分に調査された資料に基づく論理的な言説(≒科学)が成立していない(あるいは成立しづらい)問題について,ある恣意的な観点と様々な抽象度から,ある資料をつなげ,ある「未熟な言説」を提示することだとしよう。

これは決して「思想」の悪口ではなく,科学が成立していない(しづらい)(古くて)新しい問題について,新しい方法,新しいとらえ方,要は,仮説を提示し,新しい行動を促すという意味で,価値あることであるが,害悪がもたらされることもある。

「思想」の内容によっては(場合によっては「思想」ともいえないような「価値観」であることもあるだろう),その「思想」こそ真実だとし,それを奉じる(実質は単なる錦の御旗にすることも多い)小集団が集団全体を「制圧」しようとする行動の中で,暴力,脅迫,威迫等々がなされることがある。小集団側は「制圧」を目的とすることについて自覚的であるのに対し,残余の多数派は往々にして「善意」である。

マルクス主義は,「思想」を奉じる小集団による集団全体の制圧が悲惨なものになることに洞察を欠き,当然のように悲惨な歴史を生んだ(マルクスの政治的言辞がその素地である気もする)。

この「思想」を奉じる小集団による集団全体の制圧という現象は,実は,史上広くみられるところであり,現代日本でも,政治運動,労働運動,宗教,任意の集団等を問わず,依然として広くみられる。次のような本がある。

  1. 「暴君:新左翼・松崎明に支配されたJR秘史」(著者:牧 久)(Amazonにリンク
  2. 「オウム真理教事件とは何だったのか? 麻原彰晃の正体と封印された闇社会」(著者:一橋 文哉)(Amazonにリンク

ⅰはマルクス主義労働運動についてだが,保守的な立場から対立勢力に暴力をふるい,相手方を蹴落とす労働運動が展開された塩路一郎の日産の労働組合も同様である。

またわが国では,宗教勢力が政治過程,地域社会に進出し,大きな力をもつことが多い。戦前の我が国も,全体としてそうだったととらえることもできよう。もっとも世界の政治は,キリスト教とイスラム教が支配していると考えれば,特異ではないのかもしれない。

オウム真理教もそうだが,かつて宗教団体の「勧誘」の問題が大きな批判を浴びたことから,行動は自重され,問題は沈静化していたと思う。しかし,私の印象だが,最近,某宗派が,政権党になったということから,公私の組織,集団に浸透し,宗教問題というより,実利的な問題について力をふるおうとすることが,私の経験する領域でも起こっている。

「人類が永遠に続くのではないとしたら」を読む

話が横にそれてしまったが,「人類が永遠に続くのではないとしたら」(著者:加藤典洋)(Amazonにリンク)は,豊かさを目指す経済派と,環境,資源の限界を唱える経済派が,相互に無関心であることを「現代社会の理論-情報化・消費化社会の現在と未来」(著者:見田宗介)(Amazonにリンク)を媒介にして,相互浸透させようとする試みのようだ。

「ようだ」というのは,この本は典型的な「思想書」だなあと思いを致したそこから「思想」に関心が移動し,先に進んでいないからである。上述した,論理的な言説(≒科学)が成立していない(あるいは成立しづらい)問題について,ある恣意的な観点と様々な抽象度から,ある資料をつなげてある「未熟な言説」を提示することこそ,まさにこの本の評価にふさわしい。加藤さんは,保険とは何か,原子力の危険性は何か,福島の回復にどれだけの費用がかかるか等について素人として手探りを進め,それを「現代社会の理論-情報化・消費化社会の現在と未来」に落とし込むことは,思想家にしかできない。ここから先には,柄谷行人,吉本隆明が待ち受けているらしい。小林秀雄の舞台は,「文芸」だったが,現代の思想の舞台は,人間の滅亡にまで及ぶ。

次のような本も関係する。

  • 「現代社会はどこに向かうか‐高原の見晴らしを切り開くこと」(著者:見田宗介)(Amazonにリンク
  • 「ポスト資本主義-科学・人間・社会の未来」(著者:広井良典)(Amazonにリンク
  • 「ポストキャピタリズム-資本主義以後の世界」(著者:ポール・メイソン)(Amazonにリンク
  • 「デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか-労働力余剰と人類の富 」(著者:ライアン エイヴェント)(Amazonにリンク

ビジネス・フレームワークを学ぶ

次は,ビジネスだ。

先日,Project  DSの会合の「ビジネスモデルキャンパス」を使ったワークショップに参加した。何が行われるか知らずに参加したのだが,若い人と酒も飲まずに話したのは久しぶりだ。

いずれにせよビジネスで自立するには,体力も知力も感性も必要だ。「ビジネス・フレームワーク」については,次の2冊の本が参考になる

  • 「ビジネス・フレームワーク図鑑すぐ使える問題解決・アイデア発想ツール70」(著者:株式会社アンド)(Amazonにリンク
  • 「ビジネス・フレームワークの落とし穴」(著者:山田 英夫)(Amazonにリンク

デジタルについては,まだ次の本を検討していない。

  • 「デジタル ビジネスモデル 次世代企業になるための6つの問い」(著者:ピーター・ウェイル, ステファニー・L・ウォーナー他)(Amazonにリンク

このビジネスの前に目の前にあるPC・IT環境を整えたいと思ったのだが,ここでは更にその前の話となる「ネットカルマ 邪悪なバーチャル世界からの脱出」(著者:佐々木 閑)(Amazonにリンク)の出来栄えを吟味したい。

ネットという苦界から,仏教は救いとなるか。

地方自治を適正化する

ビジネスは,他人からいかに自分の活動(商品提供)の対価としてお金をもらうかという問題だが,そのような意識なく,天からお金が降ってくることを前提に活動するのが,中央政府,地方政府である。

政府のことを考えるとそのあまりの醜態に冷静ではいられなくなるが,ここでは最近入手した地方政府について考えるツールを書き留めておこう。

  • 「情報公開事務ハンドブック」(著者:松村 享)(Amazonにリンク
  • 「地方自治法講義」(著者:今井照)(Amazonにリンク
  • 「指定管理者制度のすべて  度詳解と実務の手引」(著者:成田頼明)(Amazonにリンク
  • 「自治体議員が知っておくべき新地方公会計の基礎知識 ~財政マネジメントで人口減少時代を生き抜くために~」(著者:宮澤 正泰)(Amazonにリンク
  • 「実践必携地方議会・議員の手引」(著者:本橋謙治,鵜沼信二)(Amazonにリンク
  • 「地方議会を再生する」(著者:相川俊英)(Amazonにリンク
  • 「地方創生大全」(著者:木下 斉)(Amazonにリンク
  • 「地方創生の正体―なぜ地域政策は失敗するのか」(著者:山下祐介,金井利之)(Amazonにリンク
  • 「地方自治論」(著者:北村亘,青木栄一,平野淳一)(Amazonにリンク
  • 「自治体訴訟事件事例ハンドブック」(著者:特別区人事・厚生事務組合法務部)(Amazonにリンク
  • 「はじめての自治体法務テキスト」(著者:森 幸二)(Amazonにリンク
  • 「事例から学ぶ 実践!自治体法務・入門講座」(著者:吉田勉)(Amazonにリンク
  • 「第3次改訂 法政執務の基礎知識-法令理解、条例の制定・改正の基礎能力の向上-」
    (著者:大島 稔彦)(Amazonにリンク
  • 「改訂版 政策法務の基礎知識 立法能力・訟務能力の向上にむけて」(著者:幸田 雅治)(Amazonにリンク
  • 「自治体政策法務講義」(著者:礒崎 初仁)(Amazonにリンク
  • 「自治体環境行政法」(著者:北村 喜宣)(Amazonにリンク
  • 「まちづくり条例の実態と理論-都市計画法制の補完から自治の手だてへ」(著者:内海 麻利)(Amazonにリンク
  • 「行政法講座1・2」(著者:櫻井敬子)(Amazonにリンク
  • 「行政紛争処理マニュアル」(著者:岩本 安昭)(Amazonにリンク
  • 「法律家のための行政手続ハンドブック 類型別行政事件の解決指針」(著者:山下清兵衛)

高齢者の法律問題

依然として「高齢者の法律問題」という記事は作成できていないが,その中には,健康管理も含まれる。

「スロージョギングで人生が変わる」を読む」という記事を作成したが,日々の調子が悪いとか,時間がとりにくい場合は,もう少し別の簡易なアクセスが必要だ。その場合,「姿勢」はどうだろう。実はいま私はあまり体調がよくないが,それはほとんど事務所で座って作業しているからのような気がする。姿勢を考えたい。姿勢もどうもというひとは,指ヨガとスクワットはどうだろう。

それと,高齢者になるとあれこれ医療情報に左右されてしまうが,目の前の医療情報に飛びつくのは,往々にして賢明ではない。危険な医療が行われたのは,決して昔のこととではないことについて,次の本の記述を読んでみるのがよい。

  • 「世にも危険な医療の世界史」(著者:リディア・ケイン, ネイト・ピーダーセン)(Amazonにリンク

法とルール論

弁護士である私の最大の関心事は,今,原則なくその場しのぎでつぎはぎを重ねて複雑化し(批判を恐れ,原則を定立せずに最初から必要以上に場合分けして無意味に複雑にしたものもある),崩壊一歩手前にあるものも含む法というルールがどうあるべきか,立法はどうあるべきかということであり,それはルールの科学的な探求,研究に基づくとは思うものの,その作業をどう進めればいいかは暗中模索であった(「法とルールの基礎理論」,「「ルールを守る心」を読む」,「「SIMPLE RULES」を読む」)。

これについて,前々から,ゲームをデザインする上でルールは極めて重要であるから,「ゲーム」の研究者がゲームという世界における,ルールの機能を科学的に探求しているのではないかという思いがあった。

今回,「Rules of Play: Game Design Fundamentals (The MIT Press)」 by Katie Salen Tekinbas,Eric Zimmerman(Amazonにリンク)を翻訳した「ルールズ・オブ・プレイ‐ゲームデザインの基礎」(著者:ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン)(4分冊になっている。Amazonにリンク)があるのを見つけた。

内容は,「核となる概念」,「ルール」,「遊び」,「文化」の4ユニットに分かれ,「ルール」」を,「構成のルール」,「操作のルール」,「暗黙のルール」の3つの水準に分け, . 創発システムとしてのゲーム,不確かさのシステムとしてのゲーム,情報理論システムとしてのゲーム,情報システムとしてのゲーム,サイバネティックシステムとしてのゲーム,ゲーム理論システムとしてのゲーム,対立のシステムとしてのゲーム,ルールを破るということという順序で考察は進む。

今のデジタルゲームは,ルールを自然言語で記述しないという問題はあるものの,とてもも参考になりそうである。今後取り組みたい。

本書が参考として挙げる本も魅力的に思える。ここでは2書あげよう。その後は備忘のための関連図書だ。

  • 「文法的人間―Information,entropy,language,and life (1984)」(著者:J.キャンベル)(Amazonにリンク
  • 「複雑性とパラドックス-なぜ世界は予測できないのか?」(著者:ジョン・L. キャスティ)(Amazonにリンク
  • 「Legal analysis by David S. Romantz,Kathleen Elliott Vinson」(Amazonにリンク
  • 「The legal analyst by Ward Farnsworth」(Amazonにリンク
  • 「Artificial intelligence and legal analytics by Kevin D. Ashley」(Amazonにリンク
  • 「遠藤雅伸のゲームデザイン講義実況講義」(著者:株式会社モバイル&ゲームスタジオ)(Amazonにリンク
  • 「ゲームデザイン」(著者:渡辺訓章)(Amazonにリンク

「様々なる意匠」のさわり

「様々な意匠」からさわりの部分を抜き出してみよう。

「吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが,世に一つとして簡単に片付く問題はない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく,崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も,若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。私は,ここで問題を提出したり解決したり仕様とは思わぬ。「自分の嗜好に従って人を評するのは容易な事だ」と,人は言う。然し,尺度に従って人を評する事も等しく苦もない業である。常に生き生きとした嗜好を有し,常に溌剌たる尺度を持つという事だけが容易ではないのである」。

「批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とは 竟 に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」。

「私は「プロレタリヤの為に芸術せよ」という言葉を好かないし,「芸術の為に芸術せよ」という言葉も好かない。こういう言葉は修辞として様々な陰翳を含むであろうが,竟に何物も語らないからである」。

「人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない,この世を捨てようと希う事は出来ない。世捨て人とは世を捨てた人ではない,世が捨てた人である」。

「人は芸術というものを対象化して眺める時,或る表象の喚起するある感動として考えるか,或る感動を喚起する或る表象として考えるか二途しかない」。

「人間は生涯を通じて半分は子供である。では子供を大人とするあとの半分は何か?人はこれを論理と称するのである。つまり言葉の実践的公共性に,論理の公共性を附加する事によって子供は大人となる」。

いかにも魅力的な言説である。冒頭で記した「今読み直すと無内容というしかない「文芸批評」だが,その「表現」レベルーレトリックーは今も新鮮で卓越している。内容と関係なく表現だけで人を圧倒できる領域が確かに存在する」ということが了解いただけるだろうか。

「このような魔境から距離を取ることを自立という。いや自立とは,精神が魔境を球状に構成することというべきだろう」というように,表現が自然に小林節に飲み込まれてしまうが,飲み込まれないように距離を取れることが自立であることは間違いない。

 

 

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