私がこれからしたいこと

2020-06-23

やることを絞ろう

 コロナ待機で自宅にほぼ2ヶ月ほどいたであろうか、私はすっかり「増量」してしまった。確かに、何となく具合が悪い日が続いて昼間もゴロゴロして本を読み、スロージョギングも朝起き出さずに夕方でいいやと思いながら夕方もせず、といううちにすっかりと「増量」してしまった。しかし問題は、運動不足もさることながら(そう考えるといつかまとめて運動さえすれば(きつい山に登って長時間歩けば)良いということになってしまう。)、それよりも加齢に応じて筋肉量、基礎代謝量が大幅に落ち続けていることを考えずに、普段以上に食べたことによるのだろう。6月になって何とかほぼ毎日朝ジョグをして出所し、きちんとした生活をし(お酒も飲まず)、大分痩せていたときに戻ってきた。
 コロナ待機中にあれこれしたかったし、このWebも何とかしたかったのだが、「昼間もゴロゴロして本を読み」に終始して、そういう気にならなかった。今後も、基礎代謝量が大幅におちているのと同様に、知的作業に割ける気力、労力は限られてくる。そうするとやることを絞るのが重要だ。といっても縮小再生産の毎日は送りたくない。
 待機中に読んだ、ストア派のマルクス・アウレリアスの「自省録」(Amazonにリンク)や、ストア派哲学を論じている「良き人生について―ローマの哲人に学ぶ生き方の知恵」(ウィリアム・B・アーヴァイン)(Amazonにリンク) には、心引かれるのだが、私の今の毎日と毅然としたあり方をどう結び付けることが出来るのか。

小さな習慣を積み上げる

 誰でも生きていく中で、これは正しいなと思う、格言、ことわざがあるだろう。私のベスト2は、「損して得取れ」と、「継続は力なり」であった(3番目は、多少さわりがあるが、「いつもニコニコしている人は信用するな」である。)。
 「損して得取れ」は、私の場合は、主に「王侯貴族ダイエット」(美味しくても1人前の少しを残す、無料大盛り×は当然)が正解だが、これがなかなか。
 「継続は力なり」はあらゆる問題でそうなのだろうが、継続だけに目が行くとこれもなかなか。
 私が今心を留めている言葉は、「(行動と思考において)自分には手が届きそうにない目標を定め、その実現に向けて計画的に努力する-これほど満足のいく、充実した生き方は他にはない」(「PEAK PERFORMANCE 最強の成長術:ブラット・スタルバーグ」(Amazonにリンク)であるが、このままでは「継続は力なり」と同じ運命をたどるので、「自分には(少し)手が届きそうにない目標を定め、その実現に向けて(小さな習慣が身に付くよう)計画的に努力する」と変容しよう。大方の習慣論もそれを勧めている。
 目的-目標をもって、毎日小さな習慣を積み上げていけば、何より毎日が充実する。私はそういう中で、老病死を迎えたい。
 ということで、あれもこれもいっぺんにはやめて、Webも少しずつ積み上げていこう。

大事なこと

ということで、私は毎日少しずつ積み上げて毎日を充実させること、積み上げたことで人の役に立つこと、そのことを持続可能な社会につなげることを考えながら生きていけば、落ち着いて死を迎えることが出来るだろうな。なんか爺むさいことを考えるようになったなあ。もう数日で66歳になるのだから当たり前か。ストア派も、少し身近に感じることが出来る。
それと思うのだが、特に若い時は、毎日が他律的な仕事をこなすことで精一杯だから、なかなかこうはいかないだろう。