「読解力」から見えるAIと人を分かつもの
読解力ブーム?
「読解力」がブームである。 といっても,それはもっぱら私の読書範囲に限られるのかもしれないが,私は,最近,「国語ゼミ―AI時代を生き抜く集中講義」(著者:佐藤 優)(Amazon),「大人のための国語ゼミ」(著者:野矢 茂樹)(Amazon),そして「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(著者:新井 紀子)(Amazon)に目を通した。
前二書は,文字どおり,国語(要約力や読解力)の重要性を説き,新井さんの本は,柱となる主張の一つとして,中高生は各学科の学力以前に,教科書の説明や問題を問う文が理解できていないのではないかということを指摘している。
大体,学者や知識人は,年をとると,国語や国が大切だと言い始めるので,その意味では珍しくないともいえるし,私の中で「読解力」とは,できの悪い日本語の文章を何とか理解するためのやむを得ない技術という思いもあって,「読解力」を持ち上げることには抵抗もあったのだが,新井さんの本が参戦したことにより,ずいぶんと違った景色が見えてきた。
新井さんは,人工知能(人の知能と同等の機能を有するもの)と,それを実現するためのAI技術を区別し,AI技術がそこそこ進展しても,人工知能はできない,なぜなら,AI技術を支えるものは,加算と乗法の数学だから,それでできることは限られる,人間の脳,自然言語の機能を,数学がカバーすることはおおよそありえないと,明快に断言する。
一方,新井さんは,AIによる東大入試合格を目標とする「東ロボ」プロジェクトをプロデュースしたことでAI讃美派と見られているかもしれないが,実はこれは最初から「東ロボ」は東大に合格できないということを明らかにするためのプロジェクトであった,ただ多くの人の知恵と協力によってAI技術を駆使してMARCH入試の合格のレベルに達したが,これ以上は無理ということのようだ。
そして人間の知能は,数学に支えられたAI技術ではとてもカバーできないが,MARCH入試の合格レベルの仕事であればAI技術が到達したから,「コンピュータが仕事を奪う」(Amazon)。これは新井さんが最初に言い出したことだとしている。そしてそれにつけても,中高生は(したがって多くの大人も),教科書の説明や問われている問題文が理解できていないので,暗記で表面を繕っても,AI技術に代替されることになる,だから「読解力」…という議論の運びになる。
AIと自然言語による論証
私はこれまで,そこそこAI論に目を通してきたが,新井さんの本は今回はじめて読んだ。最初からこういう見取り図が得られていれば,全体の動きや今後の方向性に関する理解がずっとはやかったなと思った。AI技術を支えるプログラミングが,数学による計算によっている以上,それがAI技術にできる限界であることに疑問の余地はない。ただ数学が適用可能な分野では,今のAI技術が,圧倒的なスピードで量を処理できることには日々驚かされる。ここらあたりは「数学の言葉」(Amazon)を含めた新井さんの3册の本と,もう少し技術的な本でフォローすればよいだろう(例えば「新人工知能の基礎知識」(著者:太原 育夫)(Amazon)。
一方,自然言語で主力となるのは,帰納的論証だ。これまで読んだ「論理学」の本は,演繹的論証(記号論理学)について書いているだけで,帰納的論証は飛躍があって,あまり使えないよねという記述しか目に入ってこなかったが,今回,自然言語による論証は,そのほとんどが帰納的論証であることに気がついてみると,これが「読解力」,そして「表現力」の本丸だということがわかる。
論証というと,相当以前から,上記の野矢さんの「新版 論理トレーニング」(Amazon)という本があり,私も購入していたが,接続詞を入れさせようとするところで嫌になった。接続関係と,接続詞は違う。野矢さんにはどうもその感覚がないようだ。接続詞の機能は複雑である(「文章は接続詞で決まる」(著者:石黒圭))(Amazon)。
そこであれこれ探していると,「論理的思考の最高の教科書」(著者:福澤一吉)(Amazon)という本が紹介されていることを見つけたが,なんと私はこれを既に購入していた。そのときは一瞥してあまり感心しなかったが,今回読み直してみると,論証の全体を網羅しているわけではないが,部分的にはとても優れた考察がなされていることが分かった。同著者のKindle本には他に,「文章を論理で読み解くための クリティカル・リーディング 」(Amazon),「新版 議論のレッスン」(Amazon)がある。これらはそれぞれに優れているが,著者の欠点は,それぞれに小出しして全体を網羅しないこと,あるいは体系性への情熱が欠けていることだ。
ところで福澤さんの論証論を一言でいえば,根拠(Data)→論拠(Warrant)→主張(Claim)ということだが,ほぼ同じことを英文読解の場面で横山横山雅彦さんがいっている(「ロジカル・リーディング」(Amazon),「「超」入門! 論理トレーニング 」(Amazon))。これらは,ディベートでも強調されていることだ。
そしてこれらのバックになるのが「議論の技法」(スティーヴン・トゥールミン)(「The Uses of Argument by Stephen E. Toulmin)(Amazon)だ。ただ翻訳書は絶版でずいぶん高い値段がついている。
論理的な論証を心がけるには,これらの議論のポインを押さえる必要がある。追って要約して紹介したい。
論理的に論証してどうなるのか
ところで論理的な論証はそれ自体はいいことであることに間違いはないが,問題はそのような論証による結論が,どう「問題解決と創造」の役立つかだ。でたらめな論証による結論が役立つことだってありうる。役立つためには,論証過程だけではなく,その前提となる根拠(Data),論拠(Warrant)が重要だ。これらは,適切な手続きによって導かれた「世界」に関する科学的な知識といっておくが,それがどのようなものであるかについては,どうも分析哲学を一瞥する必要があるかもしれないと思っている(「現代存在論講義ⅠⅡ」(著者:倉田剛)(Amazon)。
こんなことをしていると,いつまでたっても「問題解決と創造」にたどり着かない。いやほぼ「問題解決と創造の方法と技術」にたどり着きつつあると言っていいだろうか。ここからが長いか?