ユーラシアを駆け巡れ

最近、①「遊牧民から見た世界史 増補版」(杉山正明・日経ビジネス人文庫)、②「中夏文明の誕生-持続する中国の源を探る」(NHK「中国文明の謎」取材班・講談社)、③「中国化する日本-日中「文明の衝突」一千年史」(與那覇潤・文藝春秋)を読み、「イスラーム 文明と国家の形成」(京都大学学術出版会・小杉泰)が控えている(別途、「イスラム飲酒紀行」(髙野秀行・Kindle本)も読んだが、これでイスラムを語るのは、いささか・・・)。

これらを読むと、人びとのエネルギーとその時間・空間の雄大さに圧倒されてしまうが、大事なことはこれらの本を整合的に理解することではない。

①「遊牧民から見た世界史」によると、遊牧騎馬軍団が、ユーラシア大陸の東端から、アジア西端まで、少なくても16世紀までは、ほぼ「支配」していたこと、中国も例外的な時期、地域を除き、遊牧騎馬民が「支配」していたことになる。遊牧騎馬軍団が非常に強力な戦闘力を持ち、あるときわずか十数騎で2000人の地上軍を蹴散らしたという記述があって、「ほう」と思うのだが、「征服した後」を支えるのは、交易であり、安定した治世であろう。②「中夏文明の誕生」を読むと、最近の発掘で分かってきたこととして、夏に端を発した、中華=中夏の思想が中国を支えてきたという話になる。③の「「中国化する日本」では、宋以降の中国が「世界標準」だということらしい(内藤湖南で確認したが、確かに宋以降が近代だということらしい。)。

それらの関係はともかく、ユーラシアに焦点を当て、古代オリエントは横に置くとすると、中夏、遊牧騎馬軍団、イスラム、それとヨーロッパ(含むアメリカ)が4大勢力であるが、遊牧騎馬軍団はその軍備が重火器に圧倒されたことから勢いを失い、ほぼイスラムに飲み込まれている。そうすると、中夏、イスラム、ヨーロッパの争いだが、近代になってやっと力を持ち重火器の大量生産で他を押さえつけていたヨーロッパが、中夏、イスラムの逆襲に遭っているというのが現状であろうか。

もちろん、軍備でも経済力でもなく、文明・文化によってである。

こういう話しは、どうしても床屋政談、居酒屋放談になってしまうが、それにしても、どこにも日本の「物作りの技術力」自慢など入り込む余地がないように見える。

それに本当に日本は「物作りの技術力」が優れていたことがあるのだろうか。私のイメージでは、江戸時代までの工芸品、美術品の伝統はさておき、50年前からの高度成長期には粗製濫造で市場を広げ、その後は、物真似、更には物真似はそのままで小型化、高度化によって市場を確保してきたが、結局、根本のところで創造性のある商品、サービスを提供できないまま、敗退しているというのが事実ではないか。

まずユーラシアやアメリカを駆け巡るしかないじゃないか、そこで人と出会ってはじめてまともな商品、サービスのアイディアが生まれ、「物作りの技術力」をいかした、普遍的な価値を生むことができるのではないか。

このままうじうじと国内で発想しているのではね、というのが壮大な歴史に向き合った私のとりあえずの感想です。さて私はどうしよう。