組織の問題解決

「ドラッカー あれこれ」の種本

ドラッカーについて,備忘のために,あれこれまとめておく。参考にするのは「P.F.ドラッカー 完全ブックガイド」(上田惇生),「ドラッカー入門 新版」(上田惇生),「究極のドラッカー」(國貞克則)等である。

ドラッカーの略歴と「傍観者の時代」

ドラッカーは,1909年ウィーンに生まれ,ドイツ,イギリスを経て,1937年にアメリカに移住し,大学,大学院で教え,多くの本,論文を書き,2005年に死去した。

69歳の時に出版された半自伝の「傍観者の時代」には,1943年のGM調査の頃までに(1946年「企業とは何か」),ドラッカーと交流,関係のあった綺羅星のごとき人物の言動が挙げられている。ドラッカーがそのような人物と知り合うことのできる家に生まれ,その機会があったということでもあるが,ソ連と共産主義の迷走,第一次大戦,ナチスの台頭,殺戮,第二次大戦等の時代,社会の流れの中で生き抜いていく「真摯」な姿勢(ドラッカーの翻訳で多用される。)があったからこそ,その交流,関係を切り開くことができたのであろう。

まず「傍観者の時代」に挙げられた人名をあげてみよう。

おばあちゃん,シュワルツワルト家のヘムとゲーニア,エルザ先生とゾフィー先生,フロイト,トラウン伯爵と舞台女優マリア・ミュラー,ポランニー一家(マイケル,カール等),クレイマーとキッシンジャー,ヘンシュとシェイファー,ブレイルズフォード,フリードバーグ商会,ヘンリー・ルース,フラーとマクルーハン,アルフレッド・スローン,ジョン・ルイス等々が,生き生きと駆け抜けている。時代の激動の中で忘れられた人も多いが,フロイト,ポランニー,フラー,マクルーハン等々,びっくりする。ドラッカーの人生の重みが伝わってくる。また後述する「影響を受けた思想家」も多様である。

これらを基盤に,ドラッカーは,多くの単行本,論文を書いている。

次にドラッカーの著作をみてみよう。

著作

ドラッカーの著作は,三十数冊と言われるが,正確な数はカウントしがたい。と言うのは,抜粋集や名言集があったり,これらについて日本語版が先行し英語版が刊行されたりと複雑だ。英語版の著作は,下記の「BOOKS BY PETER F. DRUCKER」記載のとおりである。

日本語の抜粋集として,「はじめて読むドラッカー」3部作があり,「プロフェッショナルの条件」(自己実現編),「チェンジ・リーダーの条件」(マネジメント編),「イノベーターの条件」(社会編)で構成されていた。そのうち第2作を中心として「The Essential Drucker」が,第1作,第3作を受けて「A Functioning Society」が刊行されている。なお,その後「はじめて読むドラッカー」第4作として「テクノロジストの条件」が刊行されている。

その他,抜粋集として「ドラッカー365の金言」(The Daily Drucker)。名言集として「仕事の哲学」,「経営の哲学」,「変革の哲学」,「歴史の哲学」がある。

ドラッカーの著作として「経営学書」は2冊しかないというはなしがある。経営戦略の端緒を開いた「Managing for Results」(もともとは,「Managing Strategy」だった。),経営学としてイノベーションをはじめて考察した「Innovation and Entrepreneurship」である。その他は,多かれ少なかれ,社会,政治,歴史がらみであり,ドラッカーはジャーナリストであるという見方にも根拠がある。

BOOKS BY PETER F. DRUCKER

MANAGEMENT

The Daily Drucker /The Essential Drucker /Management Challenges for the 21st Century /Peter Drucker on the Profession of Management /Managing in a Time of Great Change /Managing for the Future /Managing the Non-Profit Organization /The Frontiers of Management /Innovation and Entrepreneurship /The Changing World of the Executive /Managing in Turbulent Times /Management Cases /Management: Tasks, Responsibilities, Practices /Technology, Management and Society /The Effective Executive /Managing for Results /The Practice of Management [Concept of the Corporation

ECONOMICS, POLITICS, SOCIETY

Post-Capitalist Society /Drucker on Asia /The Ecological Revolution /The New Realities /Toward the Next Economics /The Pension Fund Revolution /Men, Ideas, and Politics /The Age of Discontinuity /Landmarks of Tomorrow /America’s Next Twenty Years /The New Society /The Future of Industrial Man /The End of Economic Man

AUTOGRAPHY

Adventures of a Bystander

FICTION

The Temptation to Do Good /The Last of all Possible Worlds

ドラッカーに影響を与えた思想家

「P.F.ドラッカー 完全ブックガイド」に「ドラッカーに影響を与えた思想家」が紹介されている。参考になるので転載する。

社会生態学のルーツ─哲学、政治思想、経済、歴史、社会,そして小説すらも

 ウォルター・バジョット(1826ー1878)

アレクシ・ド・トクヴィル(1805ー1859)

ベルトラン・ド・ジュヴネル(1903ー1987)

フェルディナンド・テンニース(1855ー1936)

ゲオルグ・ジンメル(1858ー1916)

ジョン・R・コモンズ(1862ー1945)

ソースティン・ヴェブレン(1857ー1929)

継続と変革の相克を

ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767ー1835)

ヨゼフ・フォン・ラドヴィッツ(1797ー1853)

フリードリッヒ・ユリウス・シュタール(1802ー1861)

技術の見方、社会における技術の位置づけ

アルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823ー1913)

ジョゼフ・シュンペーター(1883ー1950)

言語に対する敬意

フリッツ・マウトナー(1849ー1923)

カール・クラウス(1874ー1936)

セーレン・キルケゴール(1813ー1855)

年表

1909…0歳。11月19日,オーストリア・ハいかくンガリー帝国の首都ウィーンに生まれる。父アドルフ(1876ー1967)は貿易省次官(のち退官して銀行頭取,ウィーン大学教授,アメリカに亡命してノースカロライナ大学,カリフォルニア大学ほか教授)。母キャロライン(1885ー1954)はイギリス人銀行家を父とする。ウィーン大学医学部を卒業後,チューリッヒの神経科クリニックで1年ほど助手をつとめた。開業することなく家庭に入ったが,当時としては珍しい女性神経科医。

1914…4歳。第1次世界大戦勃発。

1917…7歳。父親に精神分析学者フロイトを紹介され,強い印象を受ける。フロイト『精神分析入門』発表。

1918…8歳。11月11日,第1次世界大戦終結。ハプスブルク家は滅び,オーストリアは分割され共和国となる。

1919…9歳。ウィーンのギムナジウムに入学。授業は退屈でうんざりしていたという。

1927…17歳。飛び級で1年早くギムナジウムを卒業しウィーンを出る。ドイツに移住し,ハンブルグで事務見習いとして商社に就職。ハンブルグ大学法学部入学。大学入学審査論文は「パナマ運河の世界貿易への影響」。

1929…19歳。フランクフルト大学法学部へ編入。当時無名だった19世紀のデンマークの思想家キルケゴールを知り,読みふける。フランクフルトで米系証券会社に就職するも,世界大恐慌(暗黒の木曜日)で倒産。

1930…20歳。地元有力紙「フランクフルト・ゲネラル・アンツァイガー(フランクフルト日報)」の経済記者となる。

1931…21歳。入社2年後,副編集長に昇格。この頃から,ナチスの政権掌握を予測し,ナチス幹部に何度も直接インタビューする。国際法で博士号を取得。博士論文は「准政府の国際法上の地位」。この頃,後に生涯の伴侶となる下級生ドリス・シュミットと出会う。

1933…23歳。ヒトラーが政権掌握。初の著作『フリードリッヒ・ユリウス・シュタールー保守主義とその歴史的展開』を名門出版社モーア社より法律行政叢書第100号記念号として出版後,禁書とされて焚書処分。一度ウィーンに戻ってからロンドンに逃れる。地下鉄のエスカレーターでドリスとすれ違い再会を果たす。

1934…24歳。ロンドンのシティで,マーチャントバンクのフリードバーグ商会にアナリスト兼パートナー補佐として就職。ケンブリッジ大学で経済学名ケインズの講義を聴くも,肌に合わず。自分は経済学徒ではないことを確信する。雨宿りに入った画廊で日本画に遭遇。

1937…27歳。ドリスと結婚して,アメリカへ移住。『フィナンシャルータイムズ』他に寄稿。フリートバーク商会などにアメリカ経済短信を送付。

1938…28歳。『ワシントン・ポスト』他に欧州事情を寄稿。

1939…29歳。処女作『「経済人」の終わり』出版。『タイムズ』紙書評欄で,後のイギリス宰相チャーチルの激賞を受ける。ニューヨーク州のサラ・ローレンス大学で非常勤講師として経済と統計を教える。

1940…30歳。短期間,経済誌『フォーチュン』の編集に携わる。

1941…31歳。日米開戦直後(誕生日を迎え32歳)のワシントンで働く。フリーア美術館で日本美術に傾倒。

1942…32歳。バーモント州のベニントン大学で,教授として政治,経済,哲学を教える。アメリカ政府の特別顧問を務める。第2作『産業人の未来』出版。

1943…33歳。『産業人の未来』を読んだGM幹部に招かれ,世界最大のメーカーだったGMの組織とマネジメントを1年半調査する。アルフレッド・スローンから大きな影響を受ける。アメリカ国籍を取得。

1945…35歳。第2次世界大戦終結。

1946…36歳。GM調査をもとに,第3作『企業とは何か』を出版。「分権制」を提唱する。フォードが再建の教科書とし,GEが組織改革の手本とする。ここから世界中の大企業で組織改革ブームが始まる。

1947…37歳。欧州でのマーシャループラン実施を指導。

1949…39歳。ニューヨーク大学大学院経営学部教授に就任。大学院にマネジメント研究科を創設。

1953…43歳。ソニー,トヨタと関わりをもつ。

1954…44歳。『現代の経営』出版。マネジメントの発明者,父といわれるようになる。

1947…47歳。モダンからポストモダンへの移行を説いた『変貌する産業社会』出版。

1959…49歳。初来日。立石電機(現オムロン)などを訪問。日本画の収集を始める。

1964…54歳。世界初の経営戦略書『創造する経営者』出版

1966…56歳。日本の産業界への貢献により,勲三等瑞宝章を授与される。万人のための帝王学とされる『経営者の条件』出版。

1969…59歳。今日まで続く転換期を予告した『断絶の時代』出版。後年,サッチャー首相が本書をヒントに民営化政策を推進。世界の民営化ブームはここからはじまる。

1971…61歳。カリフォルニア州クレアモント大学院大学にマネジメント研究科を創設。同大学院教授に就任。

1973…63歳。マネジメントを集大成して『マネジメント』出版

1975…65歳。『ウォールーストリートージャーナル』紙への寄稿開始。以降20年にわたり執筆。

1976…66歳。高齢化社会の到来を予告して『見えざる革命』出版。

1979…69歳。半自伝『傍観名の時代』出版。クレアモントのポモナーカレツジで非常勤講師として5年間東洋美術を教える。

1980…70歳。いち早くバブル経済に警鐘を鳴らした『乱気流時代の経営』出版。

1981…71歳。GEのCEOに就任したシャッターウェルチと一位二位戦略を開発。『日本成功の代償』出版。

1982:72歳。初の小説『最後の四重奏』出版。『変貌する経営名の世界』出版。

1984…74歳。小説『善への誘惑』出版。

1985…75歳。イノベーションの体系化に取り組んだ『イノベーションと企業家精神』出版。

1986…76歳。雑誌への寄稿論文を集めた『マネジメントーフロンティア』出版。

1989…79歳。ソ連の崩壊やテロの脅威を予見した『新しい現実』出版。

1990…80歳。NPO関係者のバイブルとされる『非営利組織の経営』出版。東西冷戦終結。

1992…82歳。大転換期の指針を示す『未来企業』出版。

1993…83歳。知識社会の到来を指摘した『ポスト資本主義社会』,自らを「社会生態学者」と定義した『すでに起こった未来』出版。

1995:85歳。『未来への決断』出版。

1996…86歳。『挑戦の時』『創生の時』(英語版『ドラッカー・オンーアジア』)出版。

1998…88歳。『ハーバードービジネスーレビュー』誌の論文を集めた『P.F.ドラッカー経営論集』出版。

1999…89歳。ビジネスの前提が変わったことを示す『明日を支配するもの』出版。

2000…90歳。ドラッカーの世界を鳥瞰するための入門編として,日本発の企画「はじめて読むドラッカー・シリーズ」3部作『プロフェッショナルの条件』『チェンジーリーダーの条件』『イノペーターの条件』出版。

2002…92歳。雇用やマネジメントの変化を論じた『ネクストーソサエティ』出版。アメリカ大統領より最高の民間人勲章「自由のメダル」を授与される。

2003…93歳。「ドラッカー名言集」四部作,『仕事の哲学』『経営の哲学』『変革の哲学』『歴史の哲学』出版。

2004…94歳。『実践する経営名』出版。日めくリカレンダー風名言集『ドラッカー365の金言』出版。

2005…95歳。「日本経済新聞」にて「私の履歴書」連載,書籍化。「はじめて読むドラッカー・シリーズ」第4作『テクノロジストの条件』出版。11月11日,クレアモントの自宅で死去。96歳の誕生日になるはずだった1月19日,わが国にドラッカー学会が設立される。

2006…100歳の誕生日を祝う予定で生前に本人とともに企画した「ドラッカー名著集」12作品15冊,『経営名の条件』『現代の経営』より刊行開始。上田惇生著『ドラッカー入門』出版。

2007…名著集『非営利組織の経営』『イノベーションと企業家精神』『創造する経営者』『断絶の時代』『ポスト資本主義社会』『「経済人」の終わり』出版。生前ドラッカー本人より依頼を受けて取材執筆したエリザベス・ハース・イーダスハイム著『P・F・ドラッカー理想企業を求めて』出版。

2008…名著集『産業人の未来』『企業とは何か』『傍観名の時代』『マネジメント《上・中・下》』出版完了。『プロフェッショナルの原点』出版。

2009…『経営者に贈る5つの質問』『ドラッカー時代を超える言葉』山版。岩崎夏海著『もし高校野球の女子マアネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(もしドラ)発行。

2010…『【英和対訳】決定版ドラッカー名言集』『ドラッカー・ディフアレンズ』出版。上田惇生監修,佐藤等編著『実践するドラッカー【思考編】』出版。【行動編】

2011…ブルースーローゼンスティン著『ドラッカーに学ぶ自分の可能性を最大限に引き出す方法』出版,上田惇生著『100分de名著ドラッカーマネジメント』出版。上田惇生監修,佐藤等編著『実践するドラッカー【チーム編】』出版。「もしドラ」ブームを受け『マネジメント【エッセンシャル版】』100万部突破。

2012…上田惇生監修,佐藤等編著『実践するドラッカー【事業編】』山版。『マネジメント』(リバイスドエディション)出版予定。

 

 

組織の問題解決

著者:林 總

ドラッカー経営学のケーススタディ第3弾だ

「もしドラ」,「もしドラ2」が,クリエーターが作った野球の物語によるドラッカー経営学のケーススタディだとすれば,本書は公認会計士さんが作った営利組織(イタリアンレストラン)と,非営利組織(病院)の物語によるドラッカー経営学のケーススタディである。著者の職業故というべきか,「もしドラ」より本書の方が地に足の着いた説明になっているし,ドラッカー経営学の内容も,はるかに理解しやすい。それに今だけかもしれないが,Kindle本が230円なので,「買い」である。

ドラッカー経営学のポイントは,「顧客の創造」であり,それを実現するためのマーケティング(顧客の現実,欲求,価値)とイノベーションである。これは営利組織,非営利組織に共通している。要するにドラッカーはこのことを状況に応じて変形させ,繰り返して述べているだけのような気がする。

これが頭に入っていれば,本書は簡単に通読できる。

営利組織について

売上-費用=利益と,儲けは同じか。利益は便宜上の期限で区切られ,いくらでも操作できる。存在しない。儲けとは,稼いだ現金,キャッシュフローだ。

新たな価値だけが新たなキャッシュフローを生む。経営で大切なのは将来にわたり価値を創造し続けることだ。

10対90の法則,商品にはライフサイクルがある。明日の主力商品にコストをかける。

企業の内部にあるのはコストセンターである。プロフィットセンターは顧客にある。コスト,お金は儲け利益を生むように使わなければならなコストは,ビジネスプロセス全体で考える。ABC原価計算(「レレバンス・ロスト」)を考える。コストを負担するのは,顧客である。

非営利組織について

ここでは,知識労働が問題とされる。

労働生産性の向上とは,それまで人がしてきた作業を機械に置き換えることにほかならない。 機械に置き換えられるのは肉体労働の生産性だけなんだ。 知識労働の生産性は逆に悪化してしまう。より賢く働くことしか方法はない。

知識労働者の生産性を高める第一歩は,仕事の目的を考え,仕事の内容を明らかにすることだ(条件一)。これができれば,自律性が高まり,生産性の向上を目指し,専門性を磨くようになる(条件二)。さらに,イノベーションを積極的に行い(条件三),学習意欲が高まる(条件四)。そして,生産性とは質の問題であることを知り(条件五),知識労働者は組織に価値をもたらす資本財であることを理解する(条件六)。

すでに起こってしまい,もはやもとに戻ることのできない変化,しかも重大な影響力をもつことになる変化でありながら,まだ一般には認識されていない変化を知覚し,かつ分析することである(傍観者の時代)。

ドラッカーにどの程度向き合おうか

ところで,入山章栄さんという経営学者の「世界の経営学者はいま何をかんがえているのか」という本の「「第1章 経営学についての三つの勘違い」の最初に,「アメリカの経営学者はドラッカーを読まない」と書いてあることは,かなり前から知っていた。そうですかというだけのことだが,入山さんはそれに引き続いてくどくどといろいろなことを書いていて,要するにドラッカーは「科学」ではないということなんだろうけれど,そもそも「経営学」は科学なのかという問いの方がよっぽどましな気がする。科学的に構築・検証されたものでないので「真理に近くない」可能性が大いにあるそうだが,入山さんは,科学とか,真理の概念分析から始めたほうがよさそうだ。

といっても,私はドラッカーのにわか読み手に過ぎないので,このような「神々の争い」に参戦する気はないが,確かに「ドラッカー365の金言」とか「名言集…の哲学」とかがたくさん出ているところを見ると,ドラッカーの世界全体を視座に入れた切れ味鋭い文章を読んで,ドラッカーはすべて正しいとする熱烈なファンがいるのだろう。「もしドラ2」に「ハーバート・サイモンに似たところがある」と書いたが,ドラッカーが分身と名指しする翻訳者がいたり,「知の巨人」などと言われているところを見ると,日本の吉本隆明の名をあげるほうがぴったりかもしれない。吉本隆明とドラッカーでは,「政府,政治」が「企業,経営」に置き換わっているだけだと考えると納得できる。

ただとにかく「経営」という現実を切り取り整理するのに便利な言葉が多いので,これからも折に触れてドラッカーを読もうと思うが,一種の自伝であろうが「傍観者の時代」だけは,すぐに読もうと思っている。入山さんもこれは読まれた方がいいだろう。支える文化,教養の違いが歴然としている。

それからいったんコーポレートガバナンスに戻り,法やITについて検討しよう。
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本の森

「あなたの生産性を上げる8つのアイディア」(著者:チャールズ・デュヒッグ)(Amazonにリンク

興味深い「物語」で構成された優れた本だ-生産性を上げるために役立つ(かもしれない)

原書は,「SMARTER FASTER BETTER」であるが,著者も,「本書は,生産性を高めるのに最も重要な8つのアイディアを提案し,探求する」といっているので,題名はこれでいいのだろう。

著者は,生産性を高めるのに必要なのは,もっと働もっと汗を流すことや,長時間デスクにしがみつき,仕事以外を犠牲にすることではなく,「いくつかの方法を用いて正しい選択をすることである」と述べ,その方法が8つの章にまとめられているわけだ。著者は「生活のすべての面において,より賢く,より早く,より良くなるためにはどうしたらいいのか,その答えを提供する」という。

8つの章は,「やる気を引き出す」「チームワークを築く」「集中力を上げる」「目標を設定する」「人を動かす」「決断力を磨く」「イノベーションを加速させる」「データを使えるようにする」と,一見すると代わり映えのしない通俗ビジネス書のごときタイトルだが,本書が優れているのは,平凡な章名の元に,非常に優れた「物語」が,序破急の構成で紹介されていること,そして,著者がこれらの「物語」から読み取った,生活,仕事の生産性を高める「教訓」を,「付録 本書で述べたアイディアを実践するためのガイド」にまとめていることである。そしてこのガイドは,抽象的とはいえ,十分に実用的で魅力的なガイドとなっている。

 

各章の「物語」

ガイドを紹介する前に,各章の「物語」に一言しよう。

各章の「物語」はとても興味深い。著者は多岐にわたる「物語」を収集し,そこに道筋をつける優れた才能を持っているようだ(著者は,これも評判高い「習慣の力」の著書もある。同書では「習慣がどのように働いているかがわかれば(きっかけ,ルーチン,報酬を特定できれば),習慣を支配する力を手に入れることができる」とする。)。

各章の「物語」は,詳細目次各省の副題を見てもらってもある程度わかる。

ブートキャンプ改革,老人ホームの反乱,グーグル社の心理的安全と「サタデー・ナイト・ライブ」,墜落したエールフランス機,と第4次中東戦争,リーン-アジャイル思考,GMを変えた「トヨタ生産方式」,ベイズの定理で未来を予測(して,ポーカーに勝つ方法),「アナと霊の女王」を救った創造的絶望,ウェスト・サイド物語,情報失明,エンジニアリンング・デザイン・プロセス等々,そのほかにもたくさんの「物語」が含まれている。

「本書で述べたアイディアを実践するためのガイド」を紹介する

やる気

(やる気を引き出す方法)

・自分は自分の意志で行動しているのだと思えるような選択をすること。メールの返事を書くときは,自分の意見あるいは決断を表明するような最初の一文を書くこと。厄介な問題について話し合わなくてはならないときは,それをいつにするかを決める。やる気を引き出すには,何を選択するか,よりも,選択することそれ自体のほうが重要だ。

・その課題が,自分が大事にしていることといかに深く結びついているかを理解すること。どうしてこの下らない仕事をすることで,意味ある目標に近づけるのか,自分に対して説明すること。どうしてこれが大事なのか,それを自分に説明できれば,仕事を始めるのがずっと容易になる。

目標設定

やる気だけではだめで,大きな野心に火をつけるようなストレッチゴールと,具体的な計画を立てるのに役立つようなスマートゴールが必要である。

両方を区別して含む,TO DO LISTが必要だ。なおスマートゴールのSMARTとは,Specific(具体的に),Measurable(測定可能な),Achievable(達成可能な),Related(経営目標に関連した),Time-bound(Time-Line)(時間制約がある)である。

(目標を設定するには)

・ストレッチゴール,すなわちあなたの大きな野心を反映しているような目標を設定する。

・次いでそれをサブゴールに分割し,スマートゴールを発展させる。

焦点

(主旨を見失わないために)

・自分が何を見たいのかについて,繰り返し自分に物語を聞かせることで,メンタルモデルを構築する。

・これから何が起きるかを思い描く。最初に何が起きるか。どんな邪魔が入る可能性があるか。いかにしてそれを阻止するか。何が起きてほしいかについての物語を自分に聞かせることで,計画が現実と衝突したときにどこに重きを置けばいいかという判断が,はるかに容易になる。

決断

ストレッチゴールもスマートゴールもちゃんと設定し,焦点を見失わないためのメンタルモデルも構築し,やる気を引き出す方法も見つけたが,それでも頻繁に邪魔が入り,入念に築き上げた私のモデルをぶちこわそうとする。

(よりよい決断をするためには)

・(確率論的アイディアを参照し)複数の未来を思い描き,どの未来が最も実現性が高いか,それはなぜかを考える。

・複数の未来を思い描く。無理してでもさまざまな可能性を想像することによって(そのいくつかはたがいに矛盾しているかもしれない),より賢い選択ができるようになる。

・さまざまな経験や視点や他の人びとの意見を集めることで,ベイズ理論的直感を研ぎ澄ますことができる。情報を集め,じっくりその情報を分析することで,選択はより明確になる。

ビッグ・アイディア

最後に,著者自身の日常生活において重要な意味をもついくつかのキー概念をざっと概観する。

(チームワークをより効果的にするには)

・誰がチームに加わるかではなく,どのようにチームを運営するかのほうが重要だ。全員がほとんど平等に話ができ,チーム全員が「私は他のメンバーがどう感じているかを気にしていますよ」と表明することができるときにはじめて,心理的な安心感が生まれる。

・もしあなたがチームのリーダーだとしたら,自分の選択がどのようなメッセージを発しているかを考えるべきだ。みんなが均等に話すことを推奨しているのか,それとも声の大きな人を優遇しているのか。誰かの発言を繰り返し,質問に答えることで,「私は聞いていますよ」ということを伝えているか。誰かが動揺していたり不満を抱いていたりするときに,すぐに反応することで,自分の感受性を証明しているか。他のメンバーたちが見習えるようなお手本を示しているか。

(まわりの人の生産性を高めるには)

・柔軟で機敏なマネジメント技術によれば,社員たちは,自分にはより大きな決定権が与えられているのだと感じ,かつ,同僚たちは自分の成功を支援してくれていると信じることができたとき,より効率よく,より速く,働く。

・問題のいちばん近くにいる人に決定を委ねることによって,経営側は,各社員の専門知識を活用することができ,改革を促進することができる。

・自分で自分をコントロールしているという意識がやる気を引き出す。だがその意識が洞察や解決策を生み出すためには,自分の提案が無視されないことや,失敗しても罰が与えられないことを知っている必要がある。

(改革を促進するためには)

・しばしば創造性は,古いアイディアを新しい形で組み合わせることから生まれる。そのとき,「イノベーション・ブローカー」の存在が重要になる。自分自身がブローカーになり,組織内の流動性を高めることだ。

・自分の経験に対して敏感になること。自分はどうしてこんなふうに考えるのか,感じるのかに対して敏感になると,月並みなアイディアと真の洞察とのちがいが見えてくる。自分の感情的反応を詳しく分析することだ。

・創造プロセスで生じるストレスは,すべてが悪い方向に向かっている兆候ではない。むしろ想像上の絶望的な状況は,驚くような結果を生むことがある。不安のせいで,古いアイディアに新しい光をあてられるようになることもある。

・最後に,創造的突破に伴う安堵感はたしかに快いが,他の可能性を見えなくすることもある。自分たちがすでに成し遂げたことを批判的に振り返り,別の視点から見て,まったく新しい人に新たな権限を与えることで,眼の曇りを防ぐことができる。

(データをより良く吸収するためには)

・新しい情報に出合ったら,無理にでもそれを使って何かをやってみることだ。自分が学んだことを説明するノートを作るとか,そのアイディアを検証する方法を考え出すとか,データを紙の上に図示してみるとか,友人にそのアイディアを説明してみるとか。私たちが人生においておこなうすべての選択は実験である。大事なのは,その決断の中に含まれているデータが何であるかを見極めることだ。それができれば,そこから何かを学ぶことができる。

これらすべてのうちで最も重要なのは,これらの教訓に共通している根本的な理念だ。それは「生産性が上がるかどうかは,他の人びとがしばしば見落としている選択を見抜けるかどうかによる」という発想である。アイディアに全身全霊を捧げることが世界を変えるという教訓は,私が説明したかった別の考え方に比べると,それほど普遍的でも重要でもない。

長い目で見てより賢く,より速く,より良くなるためには,他の人には見えないような選択を見抜くことである。

 

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