中高年の健康標語ー食動考
マジカルナンバー7から3へ
人間が記憶できる量を「チャンク」と呼ばれる塊りで表すと、7±2個の範囲に収まるとして「マジカルナンバー7(±2)」ということがいわれるが(Miller, G. A. (1956). The magical number seven, plus or minus two: Some limits on our capacity for processing information.)、実際は素材の種類に依存し、数字なら約7個、文字なら約6個、単語なら約5個である、そして見かけ上の記憶成績を増やす要因をできる限り排除すると、若年成人の純粋な短期記憶容量は約4チャンクだそうなので(以上、ウィキペディア)、中高年になると3チャンクだろう。
ところで、中高年、特に60歳を過ぎると体についてあれこれ配慮しながら毎日の生活をしていかないと、あちらこちらにガタが来るというのが実感だが、もちろんあれもこれもというわけにはいかない。なんせ3チャンクだから、カバー出来ることは限られる。でも一番の問題は面倒くさくなって、頭の中は0チャンクで何もしないことだろう。
マントラと標語
いや一つ頭に入っておけば十分だという考えもある。仏教では、念仏(南無阿弥陀仏)、お題目(南無妙法蓮華経)、光明真言(オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン)などを唱えるが、これは意味よりもマントラとして唱えるという世界だ。
キリスト教の主の祈り(天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン)や、仏教の懺悔偈(さんげげ)(我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)、皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)、従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)、一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)や、十善戒(弟子某甲盡未来際(でしむこうじんみらいさい)不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不綺語 不両舌 不悪口 不慳貪 不瞋恚 不邪見(ふせっしょうふちゅうとうふじゃいん、ふもうごふきごふりょうぜつふあっく、ふけんどんふしんにふじゃけん)なんかは長いし、意味に充ち満ちた世界だ。ところで、私の頃の主の祈りは文語文だったなあ。それと十善戒の代わりに五戒というものもあって、これは4番目までは同じだが、5番目が何と不飲酒(ふおんじゅ)になって終わり。どうして不飲酒がいきなり大抜擢を受けるのだろう。今の私にはよくわかるが。
でもこれらは人によってはいいかも知れないが、60を過ぎた体のガタは防げない。そこで健やかな毎日を過ごすための私流の標語(モットー、スローガン)を考えよう。
食動考
私が考えた標語は、食動考。体に大切なのは、食べることと、動くことと、考えることという意味だ。食は小食、動は多動、考はダニエル・カーネマンの「システム2」だろう。これらの意味内容については、今後じっくりと生命論、健康論として検討していきたいと思うが、今日はとりあえず、標語だ。
でも食動考のままでは抽象的だから、個人個人で食動考のそれぞれに具体的な対象を乗せよう。今の私の場合(当然どんどん変わっていくものだ。)、食は野菜、動は毎日できるスクワットかな。考は英語だな。そうすると口調も考えて、「一英、二スク、三野菜(いちえいにすくさんやさい)」というところだろう。
これを毎日口ずさんみ、毎日少しでもいいから欠かさず実行すれば、0チャンクや、対象が多すぎて結局何もできない場合との差は、明白だ。
偶然に驚く
というようなことを昨日(2014年12月15日)までに考えて、食動考はなかなかいいなあと自画自賛して記事を作成したが、今日アメリカのamazon.comを見ていて驚いた。SCIENTIFIC AMERICANの特集号として「EAT,MOVE,THINK Living Healthy」が販売されていた。「EAT,MOVE,THINK」?食、動、考そのままだ。ただ内容は、7セクションに分けて、それぞれ4、5本程度の短いエッセイから構成されているが。
これはまったくの偶然ではあるが、私が大切だと考えていることが期せずして、SCIENTIFIC AMERICANのeditorと一致したということだ。もっとも誰が考えても同じようなことになるということかも知れないが。