IT・AI・DX,本の森

著者:井上智洋

後半は混乱している?

著者は、AIに堪能な経済学者ということだが、私は「人工知能は資本主義を終焉させるか」という著者と齊藤元章氏(医師で、スパコンの開発者だが、つい最近詐欺で逮捕されたことを知り、いささか驚いた。)との対談を読んでいて、経済分析はさておき、著者のAI論が知りたくなって、急遽、この本を読んでみた。

後半の哲学論は混乱していてどうかとの書評が目立つ。確かに第4章まではお薦めである。特に「第3章 機械学習とディープラーニング」はよく整理されているし、「第4章 汎用AI」で、「強いAI」とは違うアプローチがあることがわかった(といっても東大の松尾さんが推進しているので、知らないほうが「遅れていた」のであるが。)。

哲学論はどうか

第5章から第7章の哲学論だが、「第6章 ターミネーターは現実化するか?」は、趣味の領域の議論として横に置いていいのでないか。

「第5章 AIは人間の知性を超えられるか?」は、題材はいいが、入口の議論がわかりにくいうえ、何となくもたもたした議論が続く印象で、ここで読者が引いてしまうのかも知れない。

「第7章 AIに意識は宿るか?」は、私は好きな議論ではあるが、厳密な議論というより、端緒のアイデアの羅列という感じだ。哲学者はどう思うか。こういう議論ができるのは、おそらく次で紹介する「AI社会論研究会」でのやり取りがあるからだろう。いいことだと思う。

AI社会論研究会

なお著者は、理研の高橋恒一さんらと一緒に、「AI社会論研究会」を設立、運営している。同研究会は、「「人工知能が社会に与える影響」について議論する会です。 一口に「社会」と言いましたが、哲学(Humanity)、経済学(Economics)、法学(Law)、政治学(Politics)、社会学(Sociology)といった多様な観点からのアプローチを目指しています)」とのことである。

最新の研究会は、「ロボット・AI と医事法〜医療過誤を中心に〜」、「対話システムにおける諸課題~技術・サービス・倫理の側面から~」、「理化学研究所・未来戦略室」、「How to Grasp Social Shaping of AI in East Asia」とか、楽しそうである。最後の講演者は、進化学の佐倉統さんである。紹介を見ると「専攻は進化生物学だが、最近は科学技術と社会の関係についての研究考察がおもな領域。長い長い人類進化の観点から人間の科学技術を定位するのが根本の興味である」とある。

 

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AIのわかりやすいとらえ方

今AIは何を目指しているのだろうか。

カーネマンのシステム1(直観的ないし無意識的思考)とシステム2(論理的思考)を持ち出すと、人間の思考は、システム1とシステム2の複雑な絡み合いで成り立っているが、生物誕生以来の進化と共にあるシステム1が圧倒的な影響力を持つと共に繁殖、生存レベルで優れているが、意識(言語)により生まれたと思われるシステム2は、科学を生み、宇宙、物質、生命を解読しつつある。

これを踏まえれば、AIは、これまでコンピュータが扱ってきた人間の論理的思考をはるかに凌駕するシステム2分野に、苦手とするシステム1分野を組み込もうとする動きだととらえることができよう。そしてコンピュータが、人間より高度のシステム1とシステム2の両者を備えれば、「汎用人工知能」の誕生といえるのだろう。ただ、それだけではどうも足りないような気がするが。

例えば、AIの動きにばかり気が取られていると、「古典を読め。歴史を知れ。」といわれると、「?」となってしまうが、少ない観察材料とほとんどない科学的知見から事柄の本質を見抜く「古典」、人のした数少ない社会実験から人間を解明する「歴史」はいずれも貴重な資産である。人はそこから学べるが、さてAIは?これは難癖に近いかもしれない。

AIの最先端を追う人々

AIの最先端を追う人々の様々な動きは、複眼的にみる必要があるだろう。

今これを開発しつつある科学者、技術者、企業は、コンピュータやインターネットが持つシステム2の能力を背景に語るので、とても大きな「存在感」があるが、よく考えれば、利用しているのは、本人自身の理科系的センスのシステム1とシステム2であるから、これまでの科学史どおり、玉石混交、試行錯誤を繰り返し、正しく未来を切り開く試みはごく僅かであろう。だがそれで十分だ。

一方、これを自身の生産活動に持ち込んで利用したいと思う人々がいる。希望と利益の両者に引っ張られるユーザーたちである。

さらにこの両者の間に介在して利益を得ようとする、販売者、ブローカー、評論家がいる。一番目立つのはこの人たちだろう。

その外枠に私のように、AIが現在何であり、近い将来的どうなるのかに、ゾクゾク、わくわくしながら随伴する人々がある。ただし私は、これを法というルールの改革に使いたいと思っているので、ゲーマーよりは、少しはいいか、どうか?

AI技術の最先端を学ぶためには

IT・AIの基礎は大事だが、玉石混交、試行錯誤を繰り返しているAI技術の最先端からも目が離せなくなる。

そのわかりやすい導入として、今私が目を通している「エンジニアのためのAI入門」はお薦めだ。おって、本の森で紹介したいと思うが、ぼやぼやしているとすぐに古くなってしまいそうだ。その場合は、この本の出版元がやっている「Think It」というWebを見ていただきたい。

AI技術の最先端を知るリンク集

AI技術の最先端ということであれば、それに取り組んでいる「人工知能学会」「NPO法人全脳アーキテクチャ・イニシアティブ(WBAI)」のWebサイトを見るのがよいだろう。

さらに個別のリンク集は、前者では「私のブックマーク」として紹介されており(更新情報はこちらにあるようです。)、後者ではその前身の「汎用知能研究会」のリンク集がある。それぞれのところから辿っていけば、海外の情報も得られるであろう。

 

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~人工知能から考える「人と言葉」 著者:川添愛

イタチがAIを作る?

著者は、「こちらの言うことが何でも分かって、何でもできるロボット。そんなものができるかもしれないとか、そうなったら私たち人間の生活はどう変わる?とか、そういう話が今の世の中にはあふれて」いるが、そううまくはいかない、「言葉が分かる」という言葉の意味を考えていくことで、機械のこと、そして人間である私たち自身のことを探っていきたい、そこで中心となるのは、「言葉の意味とは何か」という問題」だとして、イタチと一緒に人工知能搭載ロボットを作る過程に旅立つ?

この本は、9章からなっているが、各章の前半は、イタチ、フクロウ、アリ、魚、タヌキオコジョ等が繰り広げる寓話で、後半は、これについての読みやすい解説でできている。寓話といっても、「詳細目次」にあるように、「言葉が聞き取れること」、「おしゃべりができること」、「質問に正しく答えること」あたりまでは、よくなされるAIといわれるものに、何ができるか、問題はどこかということをめぐってのドタバタ劇だが、「文と文との論理的な関係が分かること(1)(2)」、「単語の意味についての知識を持っていること」、「単語の意味についての知識を持っていること」、「話し手の意図を推測すること」は、自然言語を理解するということはどういうことかについて、言語学を踏まえた議論がなされており、ここがこの本の「目玉」だ。

著者の議論は賛成できる

「著者の議論は賛成できる」と書いたが、「理解できる」くらいが正しいだろうか。今後、「強いAI」がどう展開されるかは誰にもわからない。ただ、機械学習(ディープラーニング)の延長だけで、自然言語を、人間がやっているのと同じように扱えると考えるのはどうだろうか。自然言語処理がむつかしいというのは誰もがいうことだが、著者がいうように「人間ってどうなっているの」ということがおぼろげながらでもわからないと、人間には追いつけないのではないか。

これとは別に、「強いAI」論には、人間には「意識」があって、これはもちろん、物質が生み出しているのだろうけれど、どうしてそうなるんだろうという流れの議論もある。これも追いつけるかなあ、まだまだ先でしょう。

著者の議論のまとめ

著者は、最後あたりで、その議論を要約してくれている。

自然言語を扱うためには、「① 音声や文字の列を単語の列に置き換えられること ② 文の内容の真偽が問えること ③ 言葉と外の世界を結びつけられること ④ 文と文との意味の違いが分かること ⑤ 言葉を使った推論ができること ⑥ 単語の意味についての知識を持っていること ⑦ 相手の意図が推測できること」が必要である。

これを切り開くためには、「A 機械のための「例題」や「知識源」となる、大量の信頼できるデータをどう集めるか? B 機械にとっての「正解」が正しく、かつ網羅的であることをどう保証するのか? C 見える形で表しにくい情報をどうやって機械に与えるか?」という問題がある。なかなか大変そうだ、ということである。

イタチさんについて

私は最初、イタチさん、フクロウさん、アリさんらが、次々に登場しての話の展開(それもかなり趣味的に細かい話の流れを作っている。)には、なかなか頭がついていかず、どうしようかなと思っていたのだが、何回か目を通しているうちに、そんなに違和感がなくなった。AIについて、真正面から議論すると、どうも熱くなるのでこのぐらいがいいのかなとさえ思えてきた。でも、すぐには、この著者のその他の本には手が伸びない。どうも同じようなつくりのようだから。

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