日々雑感

日本で見るには

ビッグバン・セオリーというアメリカのドラマが、Huluで提供されている。私は、こんなにおもしろいギャグ・ドラマを他に知らない。1回は20数分間でほぼ完結する話であり、20数回で1シーズンになる。Huluでは5シーズンまで提供され(吹き替えは3シーズンまで)、スーパー!ドラマTVで、6シーズン目が放映されているそうだ。アメリカではCBCが放映しており、今8シーズン目が放映されているとのことであり、CBCでは少なくても10シーズンまでは続けるそうだ。2013年には全米視聴率ナンバーワンのドラマになったとか、エミー賞でシェルドン役のジム・パーソンズが4度目の主演男優賞を受賞したとか、とにかく人気も評価もとても高い、ギャグドラマである。

どんなドラマか

内容は言葉を連ねれば連ねるほど、原作のテンポの速い笑いから遠ざかってしまうので(例えば「ウィキペディア」)、設定は、カリフォルニア工科大学の物理研究者、技術者の4人の高学歴、高IQの4人の変わり者男性と、それぞれ個性的な3人の女性が中心であること、特に、ひも理論の研究者シェルドン、実験物理学のレナードが部屋をシェアし、その隣にペニーという「ウエイトレス兼(自称)女優」の美女が住んでいて、シェルドンの部屋に集まり繰り広げられる場面が多い、爆笑コメディといっておけばいいだろう。4人の男性はすべてゲームやITのオタクで「お馬鹿な行動」に走るが、そこで笑いをとって終わりではなく、それをめぐって登場人物が高級な皮肉、嘲笑、ギャグの応酬をする点がたまらない。実在する著名な物理学者や役者も本人が登場し、「お馬鹿な行動」をしたり、嘲笑の対象になったりもする。ホーキング博士ご本人が登場し、シェルドンの論文を褒めるが、一転して「内容は間違っている、なぜなら計算が間違っている。」と指摘し、シェルドンもあわてて見直してそれを認め、ひっくりかえったりする。何回見ても飽きない。

私の笑い

私は、ほとんど毎日、これをiPod touchで「聞きながら」寝ている。もちろん、早い時間には「字幕」を見て大笑いすることも多いのだが、いつか同居している妻の母が、私が大笑いしているのを聞いて余りにもおもしろそうなのでテレビのチャンネルを探してみたが、どうもそんなに笑えるような番組は探せなかったということを聞いてから、大笑いは控えている。それに何回も見るとさすがに笑いも密やかになるし、テンポの速い英語なので、聞くだけではなかなか笑えない。

とにかく日本の笑いとは全く質が違うが、多分今世界で一番新しい笑いをとっていると思うし、少なくても私には文句なしにおもしろいので、おすすしたい。なおHuluは月額千円弱で、スマホやパソコンで、映画、ドラマを見ることのできるサービスである。

人の心と行動

マジカルナンバー7から3へ

人間が記憶できる量を「チャンク」と呼ばれる塊りで表すと、7±2個の範囲に収まるとして「マジカルナンバー7(±2)」ということがいわれるが(Miller, G. A. (1956). The magical number seven, plus or minus two: Some limits on our capacity for processing information.)、実際は素材の種類に依存し、数字なら約7個、文字なら約6個、単語なら約5個である、そして見かけ上の記憶成績を増やす要因をできる限り排除すると、若年成人の純粋な短期記憶容量は約4チャンクだそうなので(以上、ウィキペディア)、中高年になると3チャンクだろう。

ところで、中高年、特に60歳を過ぎると体についてあれこれ配慮しながら毎日の生活をしていかないと、あちらこちらにガタが来るというのが実感だが、もちろんあれもこれもというわけにはいかない。なんせ3チャンクだから、カバー出来ることは限られる。でも一番の問題は面倒くさくなって、頭の中は0チャンクで何もしないことだろう。

マントラと標語

いや一つ頭に入っておけば十分だという考えもある。仏教では、念仏(南無阿弥陀仏)、お題目(南無妙法蓮華経)、光明真言(オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン)などを唱えるが、これは意味よりもマントラとして唱えるという世界だ。

キリスト教の主の祈り(天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン)や、仏教の懺悔偈(さんげげ)(我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)、皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)、従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)、一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)や、十善戒(弟子某甲盡未来際(でしむこうじんみらいさい)不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不綺語 不両舌 不悪口 不慳貪 不瞋恚 不邪見(ふせっしょうふちゅうとうふじゃいん、ふもうごふきごふりょうぜつふあっく、ふけんどんふしんにふじゃけん)なんかは長いし、意味に充ち満ちた世界だ。ところで、私の頃の主の祈りは文語文だったなあ。それと十善戒の代わりに五戒というものもあって、これは4番目までは同じだが、5番目が何と不飲酒(ふおんじゅ)になって終わり。どうして不飲酒がいきなり大抜擢を受けるのだろう。今の私にはよくわかるが。

でもこれらは人によってはいいかも知れないが、60を過ぎた体のガタは防げない。そこで健やかな毎日を過ごすための私流の標語(モットー、スローガン)を考えよう。

食動考

私が考えた標語は、食動考。体に大切なのは、食べることと、動くことと、考えることという意味だ。食は小食、動は多動、考はダニエル・カーネマンの「システム2」だろう。これらの意味内容については、今後じっくりと生命論、健康論として検討していきたいと思うが、今日はとりあえず、標語だ。

でも食動考のままでは抽象的だから、個人個人で食動考のそれぞれに具体的な対象を乗せよう。今の私の場合(当然どんどん変わっていくものだ。)、食は野菜、動は毎日できるスクワットかな。考は英語だな。そうすると口調も考えて、「一英、二スク、三野菜(いちえいにすくさんやさい)」というところだろう。

これを毎日口ずさんみ、毎日少しでもいいから欠かさず実行すれば、0チャンクや、対象が多すぎて結局何もできない場合との差は、明白だ。

偶然に驚く

というようなことを昨日(2014年12月15日)までに考えて、食動考はなかなかいいなあと自画自賛して記事を作成したが、今日アメリカのamazon.comを見ていて驚いた。SCIENTIFIC AMERICANの特集号として「EAT,MOVE,THINK Living Healthy」が販売されていた。「EAT,MOVE,THINK」?食、動、考そのままだ。ただ内容は、7セクションに分けて、それぞれ4、5本程度の短いエッセイから構成されているが。

これはまったくの偶然ではあるが、私が大切だと考えていることが期せずして、SCIENTIFIC AMERICANのeditorと一致したということだ。もっとも誰が考えても同じようなことになるということかも知れないが。

 

日々雑感

 大竹29・30会イースト

2014年11月16日(日)に、大竹29・30会イーストという名の大竹小学校(中学校)の同窓会があった。29・30(ニーキューサンマル)というのは、昭和29年、30年生まれ、イーストというのは東日本である。大竹といってもほとんど知らないだろうが、大竹市は、山口県との県境にある「パルプ、化学繊維、石油化学等の大企業を誘致し、瀬戸内地域で有数の臨海工業地区に発展」したが、残念ながら今人口減少の一途をたどりつつある広島県の地方小都市である(今の人口は2万8000人くらい。)。一時は「公害の街」であったが、最近は相当改善されたものの、いまでも工場街を通ると「化学臭」がするようだ(でもすぐに慣れて気がつかなくなってしまう。)。しかし市の北部には自然が残されており、川遊びができる蛇喰岩や、栗が採れる栗谷、クライミングもできる三倉岳は、どれも楽しいスポットだ。子供達が小さいときには帰省してよく遊びに行ったし、三倉岳にも。2度は登ったかな。

同窓会にいた50年前の私

私は、中高は広島市内にある私立に行き、大学は東京に来たので、大竹小学校の同窓生とは、中高、大学で一緒だった人以外は、実に48年ぶりの再会になる。

当日会場の場所が分からずにうろうろとしていて少し遅れてしまったが、世話役として会場のビルの入口まで迎えに来てくれた5、6年の時に一緒のクラスだったS君の面影は分かったが、会場にはあと16人。S君以外には5、6年で一緒だった人はいないみたいで、あまりピンと来る人がいない。実は当時の大竹小学校は7クラスもあって、しかも、1、2年、3、4年、5、6年と持ち上がりなので、一緒のクラスにならなかった人も随分いる計算になるから、知らない人もいるのは当然なのだが、それにしてもわからない。大竹の方では、これまでにも数回同窓会が行われたようだし、連絡を取り合う人もいるようで、みんなの話は弾んでいるが、私には?

でも当時の先生の写真が紹介され、近況報告も兼ねて、どのクラスにいたとか、あんなことがあったとか、あいつはどうしているとかいう類の話が重なっていくにつれ、私もだんだんと小学生だった48年前から54年前に連れ戻された。飛び交う、広島弁、より正確には大竹弁。そして出席者の入学したときと卒業したときの写真が卒業アルバムから切り抜かれて、プロジェクターで映し出された。

私の写真。そこには50年前の私がいた。より正確には54年前の私と48年前の私がいた。何とまー・・・。

同窓会の本番はあっという間に終わって、2次会、3次会。本当に楽しい時間が過ごせた。だから飲み過ぎた。あのころは、少なくても大竹のような小さな街では、ドコドコのダレダレさんという位置づけが確かに生きていた。だから人の存在に、強いリアリティーがあるから確かに私も存在していたことが分かる。大竹弁に乗って。

反省会と忘年会

その後、法律関係の加除出版の会社に勤めているSM君から連絡があり、事務所に来てもらって、「整備場」唯一の「5時から居酒屋」の食堂「ブルーコーナー」で楽しくお酒を飲み、ずっと単身赴任をして頑張って仕事をしていることや、奥様とのなれ初め、やっとできた美人の娘さんの話等々を聞いた。私は孫の話かな。ミュージシャンのオサム君とも連絡を取り、今度一緒に飲もうということになった。そしてしこたま飲んだ。

でもそのとき、世話人の反省会に出席することを勧められ、昨日(2014年12月14日)、勝手に世話人の反省会へオブザーバーとして出席し、結局、S君、SM君、オサム君等々、11人の世話人と2度目の再会を果たした。まあたいしたことも反省しないまま、軽く一杯やったが、その段階で日本酒を飲み過ぎた匿名の奥様は脱落。オサム君がギターを持ってきて翌日誕生日のSM君へハッピーバースデイを歌ったが、そのことよりオサム君はその場にいた全員の誕生日を覚えていて披露。どういう記憶法か、能力か。異能の人だ。そのまま居酒屋で忘年会へ。

そして私の家のすぐ近くにあったガラの広場で野球をしたことや幼稚園の時代の話へ。幼稚園は、「大竹中央幼稚園」だ。Aさんが、幼稚園の写真まで持ってきていた。あ!これが私だ。56年前の私。またまた大竹弁で盛り上がった。そしてまた飲み過ぎた。

まとめ

大竹のもんは、ぶち、酒を飲むのお。