組織・社会。世界

箱根は遠い

箱根の紅葉がきれいになったろうと思い、11月12日(日)に、ジージ&バーバで孫娘に、箱根の「蓬莱園」で落穂拾いをさせる計画を立てた。「蓬莱園」は、つつじで有名だが、確か紅葉もきれいだった記憶がある。言葉は悪いが荒れ果てた庭園で、孫娘が遊びまわるのに最適だ。帰りに温泉・スパの「小涌園ユネッサン」で遊べば最高だろう。早速、スマホの割引画面も用意した。

土日はいつもお寝坊な孫娘をやっと起こし、朝も食べずに出かけ、車中でシューマイ弁当を食べて東海道線の小田原駅で降りたのが、11時前。

いつもの私の箱根登山どおりバスで行くことにし、孫娘のバス車中のおもちゃも用意。ただ乗り込むとき、切符売りのおばさんが、「渋滞で箱根湯本まで1時間かかりますから、ご承知置きを。」といっていたが、まあオーバーな「警告」だろうと高を括る。ほら、出発しても車は少なく、スーイスイ。

ところが「上板橋」を過ぎるとピタリと動かなくなってしまった。まだ出発して2キロぐらいだろう。ジージ&バーバはゆっくりくつろげていいが、このまま孫娘を乗せ続けるのはつらい。そうだ、確か入生田に「生命の星・地球博物館」というのがあるから、そこを見て、それから電車で「蓬莱園」に向かえばいい。バーバによれば、途中の「鈴廣」で、かまぼこの手作り体験もできるという。

鈴廣「鈴なり市場」

「東風祭」でバスを降りて、少し歩くと鈴廣がやっている「かまぼこの里」の「鈴なり市場」だ。バーバによれば店の前の水がおいしいそうだ。私は鈴廣のかまぼこといえば、箱根登山の帰りに小田原で安価な袋入りの「甘くないさつま揚げ風のもの」を買って、車中のおつまみにするのが楽しみだ。孫娘は、かまぼこはあまり好きでないそうだから、何かあれば買おうぐらいののりだ。ところが中に入って驚いた。おいしいフルーツジェラード、おはぎ、干物、魚カツサンド、かまぼこバー(お酒も飲める)まである。どれもおいしそうで目移りしてしまう。人々が観光バスで乗りつけるのもむべなるかな。

とにかく3人でフルーツジェラードを食べ、お土産におはぎを買い、孫娘は中がピンクのハート形のリカちゃんかまぼこを買い、子供用の自動車風のおもちゃにも乗ったが、先を目指して早々に退散。かまぼこづくり体験は、満杯でパス。

「生命の星・地球博物館」

さて風祭から入生田までは一駅あるから少し遠い。途中で孫娘は、ジージだっこ。なぜかジージは、重くつらくてもうれしがる。

「生命の星・地球博物館」について、私はその名前を見て、しばらくの間はきちんと理解することなく、どこかの新興宗教がやっている多少いかがわしい博物館だろうと思っていた。でもれっきとした神奈川県立の「Museum of Natural History」だった。その誤解が解けた後も、入生田で途中下車することはなく、今回が初めての入館だ。

中は広く、展示も概して素晴らしい。とにかく、宇宙誕生から、地球誕生、生命の誕生、そして少し前までの自然を網羅していて、多少ピントがずれたり、作り物と実物が混在したり(これは当たり前だが)、開館して20年以上たっているので最新の知見かには疑問があったり等々するが、でもこれだけのものを維持管理することには敬服する。

思い出したのだが、最近はないが、私は登山の途中に地方都市の県庁所在地にいくと、たいてい、公園の中にある博物館(かなければ美術館)に行っていた。どこも予算が削られるからだろうか、かなり古くて貧相なところが多かったが、そこで石や動植物の展示をじっくりと見るのは楽しい。「山の自然学」の小泉武栄さんが、日本では、自然史がほとんど教えられていないと嘆くが、そう、私もあまり習った記憶がない。必然的に身近な自然も知らない。孫娘にはぜひ、自然を学んでもらいたいと思う。

孫娘は!

当の孫娘だが、宇宙、地球の誕生で圧倒され、巨大な恐竜の骨が何体もあり、天井にも巨大な「鳥」がいるのを見て、徐々に怖くなり、ジージにしがみついて、急いで駆け抜けようとする。途中の、昆虫や植物には、興味津々だが、向こう側に恐竜が見えると怖くなる。とにかく、足早という感じで外に出た。

退館しようとすると、色鉛筆でする昆虫の塗り絵を勧められる。ジージ&バーバは、見本の写真に忠実だが、孫娘は奔放な色使いだ。まず男性館員がそれを見てほめたたえる。続いて女性館員2名も絶賛して写真を撮らせてくれという。孫娘は、もう一度色を塗るポーズをとる。でもなぜか舌が出ていた。

帰りに横の河原で石遊びをする。孫娘は、集めた石でケーキ屋さんだ。「いらっしゃいませ、何にしますか。リンゴパイはありません。チョコレートケーキはいかがですか。」。

遊び終わり、ジージは石のケーキを持って帰るように勧められる。バーバがさっと、重いケーキは捨てたけど。ザックに石を詰めて歩くジージは、初心者登山部員だ。

帰りの東海道線で孫娘は爆睡だ。うちに帰って「ジージ、楽しかったね。また行こうね。」。もちろんですとも。でも今日は小田原巡りで終わり。箱根は遠かった。

 

法とルール

「専門知識」を提供する仕事の明日はどうなるか、そのような仕事に携わるすべての人に一読をお勧めする

この本「プロフェッショナルの未来  AI、IoT時代に専門家が生き残る方法」(The future of the profession)の著者のサスカインド親(リチャード・サスカインド)は、イギリスの法律家で、かねて「The End of Lawyers?: Rethinking the nature of legal services 」や「Tomorrow’s Lawyers: An Introduction to Your Future」を書いて、ITが法律業務をどう変えるのかということに論陣を張っていたが、この本は、子のダニエル・サスカインドとの共著で、視野を専門職一般に広げ、ITとAIがこれらの専門職のありかたをどう変えるかを、詳細、緻密に論じている。

しかし問題は専門職に止まらず、必要としている者にまともな「知識」を提供することを生業とする仕事は、明日はどうなるかと捉え返すことができる。

専門職として取り上げられ(第2章)当該業務へのIT・AIの浸透状況が検討されているのは、医療、教育 、宗教、法律、ジャーナリズム、経営コンサルティング、税務と監査、建築である。この章だけでも、IT・AIについて、まっとうな観点からの新しい情報として一読に値する。特に医療は、今後完全にIT・AIに制覇されるし、それが必要不可欠なことがよくわかる。その他の業務については、内容も方法も、凸凹がある。

専門職を軸にしていること

もともとサスカインド親は、80年代に法律のエキスパートシステムの開発を志し、上記の2著作もまさに法律業務をターゲットにしている。したがってこの本が順を追って専門職の業務内容を分析し、いかにその業務の多くがIT・AIによって置き換えられるかを懇切丁寧に論じているのは、主として頑として動かない法律家をを対象にしていることは明らかである。

ところで、専門職で使う分析手法を、定性的、定量的と分ければ、定量的な部分が大きいものは、文句なしに、IT・AIになじむし、そちらの方が効率的だから、その仕事の一部がIT・AIに置き換えらていくのは当然だろう。実際上記であげられた専門職の中でこれまでの仕事のありかたを変えることに抵抗があるのは、法律と教育ぐらいではなかろうか。しかも教育は予算が付けば 柔軟に変わるだろうし(宗教、、ジャーナリズムは、その業務内容もIT・AIの利用方法も意味合いが違うだろう。)。

したがって、著者の論述の限りで、専門職や、それに止まらず「専門知識」を提供するすべての仕事にとって、この本の分析が核心を突き、大いに参考になるのは間違いない。過日、私は、「人工知能の哲学」の著者のAIの今後の分析(第5章)は冷静であると指摘したが、この著者は、多少うちわであおいでいるところがある。しかし前者はバブリーな環境で「冷静」にふるまったものであり、この本は、頑なに動かない法律家を、あおいだものであり、言葉遣いに関わらず、ほぼ同じ分析に思える。

この本の、「専門知識」を提供する仕事とテクノロジーの関係についての分析は、ゆっくりと紹介したいのだが、今は先を急ぐので後日を期したい。

著者の法律家(専門職)についての分析には賛成したうえで、私は、少なくても我が国における法律業務のあり方については、IT・AI以前に、前提的に検討すべきことがあると思う(イギリスの法律家もこういうブレーキをかけそうだ。)。

法律業務の基本的な問題

私は、現時点で、(少なくても我が国の)法律家がする業務には大きな二つの問題があると考えている。ひとつは、法律が自然言語によるルール設定であることから、①文脈依存性が強く適用範囲(解釈)が不明確なことや、②適用範囲(解釈)についての法的推論について、これまでほとんど科学的な検討がなされてこなかったこと。ふたつめは、証拠から合理的に事実を推論する事実認定においても、ベイズ確率や統計の科学的手法がとられていなかったことである。

法律の「本来的性質」が命令であろうと合意であろうと、また「国家」(立法、行政、司法)がどのような振舞いをしようと、上記の観点からクリアな分析をして適切に対応できれば、依頼者の役に立つ「専門知識」の提供ができると思う。

私はこのような方向性を支えるのがIT・AIだとは思うが、まだ具体的なテクノロジーというより、IT・AIで用いられる論理、言語、数学(統計)を検討する段階にとどまっているようだ。前に行こう。

感想

ふたつほど感想を述べたい。

やはり、法律業務については、自然言語と権威が絡むから、少しIT・AI化が遅れるかな。誰が旗を振るインセンティブを持つかという問題もある。

それと、IT・AIを支える物質的な基盤は明日にでも世界に大惨事が起こって崩壊するかもしれない。そういうとき、どうやって生き延びるか、「この文明が消えたあとの科学文明のつくりかた」でも読んだ方がいいかな。それにしても、最近のイギリスの本は、なかなか素敵だ。もう少しして「ポストキャピタリズム」も紹介したい。

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組織・社会。世界

普段は遠い身近な自然

私が育った広島県大竹市は、林立した化学工場による大気汚染・水質汚濁・悪臭等々、ひどい公害の街であったが、工場地区を離れると全くの田舎で、私が子供のころ住んでいた社宅の横の棚田には、夏になると蛍が乱れ飛ぶ幻想的な光景が広がった。裏の畑の先は山であり、自然に満ち溢れていたが、さて私はその自然の何を知っていただろう。いくら自然があっても、見ない限り見えない。この本「身近な自然の観察図鑑」も同じことを繰り返す。

こんなことが書かれている

雑草(には、キク科とイネ科が多い。)、ミノムシ(昨日、孫娘と絵本で見た。)、イモムシ(毛虫との関係は?)、カラスとスズメ、セミ、テントウムシ(食べたら苦い。ナミ(並)テントウは、きわめて攻撃的!)、マメ科の草、サクラの葉、ムシクサ、窓辺の虫の死骸、アリ(の入れ替わり)、ゴキブリ(屋内は虫にとって特殊環境である)、シミ、シバンムシ、カタツムリ(陸上に住むようになった貝。庭でカタツムリの「潮干狩り」)、ナメクジ(殻を退化させた貝)、ダンゴムシ(ワラジムシ)、果物(果実とは?カキ、リンゴ、バナナ、パイナップル(それぞれどこを食べているのか?))、野菜(防御物質…野菜は本来食べられたくないと思っている。キュウリ(ウリ科は苦い)、キャベツ(牛には毒。アブラナ科は辛い)、ニンジン(ネズミには毒。セリ科は臭い)、ネギ科は臭い、辛い、キク科は苦い、ナス科は危ない)、それぞれこれらを食べるスペシャリストの虫がいる、キャベツとレタスは全然違う、日本原産の野菜(とても少ない…ミツバ、ワサビ、アシタバ等々。森が発達する自然環境で、1年草が少ないから))、里山、カブトムシ、クワガタ、カイコ(野生に戻れなくなるほど改良された昆虫)、繭、ドングリ(コナラ属、マテバシイ属の木の実という定義)、リスはタンニンが含まれるのでドングリは嫌い、散布はネズミ類、)、ドングリを食べる、野ネズミ、ムササビ、キノコ、冬虫夏草等々。

次のステップ

著者が展開する普段気にも留めない「身近な自然」は面白い。でもこんなの好きではない、山こそ自然だという人には、取り急ぎ、小泉武栄さんの本(例えば「「山の不思議」発見」)をお勧めしよう。森や海もいいだろう。どちらも困るという人は、本とか樹木の図鑑を眺めるのも楽しい。話はそれるが、私は昔、「週刊日本の樹木」というなんともマニアックなシリーズ雑誌を購読していたが、樹木の名前はなかなか覚えられない。でどうしてこんなにたくさん、樹木があるのだろう。といっても、虫から比べれば、全く少ないか。

この本は、孫娘と「自然」を楽しむネタ本にいい。最近彼女は、昔は嫌がったダンゴ虫に興味があり、「じいじ。虫を捕まえよう。」と誘いに来る。蝶と蛾にも興味があるし、「小麦ってなあに。」とも聞いてくる。ウイークエンドは、テントウムシ、はたまた、ナメクジ?

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