本の森

~生命から紐解く知能の謎 著者:松田雄馬

人工知能を<生命→知能>と対比してとらえる今一押しの本だと思う

著者は、企業に在職しながら大学院で学び、今は、独立して起業家のようである。

著者の性格なのかもしれないが、この本は細部まで非常にきちんと整理された記述となっており、とても読みやすい。しかも章ごとに「本章の振り返り」があり、章の中の大項目ごとに「ここまでのまとめ」があるという丁寧すぎる本のつくりになっている。

第1章では、人工知能開発の経緯をきちんと整理し、第2章から第4章までは、人間の生命に宿る知能を解析していく。

それぞれの章は、

第2章 錯視→色→開眼手術等を検討し、知能は、不確実な世界の中に身体を通して「自己」を見出す作用である。

第3章 三位一体の脳仮説→社会性→ミラーニューロン→言語獲得→主体性→ユクスキュルの環世界→アフォーダンス→自己言及→場と自己

第4章 リズム→振動→復元力→流入したエネルギーが自己組織的に作り出すリミットサイクル振動→生物は「無限定環境」にあり、その中で生きていく手段として、環境と自己との「調和的な環境を築く」

という流れになっている(これだけではわかりにくいので、ぜひ、通読されたい。)。少し疑問なのは、第3章の「場と自己」で展開される「哲学」であるが、これもあくまで仮説なのだろう。

「人工知能」が乗り越えるべき課題

第5章は「人工知能」が乗り越えるべき課題であるが、ここでも著者は冷静である。今あるAIは、用途が限定された(用途を人間が作る)「弱いAI」であるから、大騒ぎするようなことではない。自動運転には限界があるし、ビッグデータというが「フィルターバブル問題」は深刻だという。

最後の「生物にとっての意味」は、いまだ「哲学」に思える。

とにかく、客観的で整理された冷静な「人工知能」論だ。

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組織の問題解決

お薦めはするが

この本は、「ニューズウィーク」でIT記事の担当だった50歳過ぎの記者である著者がリストラされ、販売拡大のためのブログツールの開発・販売をするIT企業「ハブスポット」(つい最近、Googleとの提携が報じられていた。)に転職して退職するまでの毎日の経験を辛辣に描いたものだ。スタートアップ企業の「IPO狂騒曲」の現場の活写として嗤えるし、面白い。

派手な宣伝とイメージ戦略で大量採用した低コストの若者社員たちが働くのは、キャンディの壁、ビール、ワインが出る蛇口のある遊び場オフィス、自己啓発研修は、ほとんどカルト宗教。画期的な技術もなく赤字の垂れ流しだが、とにかく売上を増やしていってIPOに持ち込めば、創業者と一部の投資家だけに株で莫大な資産が手に入る」という環境の中で 「ハブスポットのお飾りシニア社員ってどんな感じ?」と取り扱われた著者が「ハブスポット」を含むシリコンバレー企業に対する「生活と意見」を綿々と綴る。更には、日本ではあまり見かけないような、これらの企業での採用、解雇、差別、投資等々の実態も批判される。

そして、著者は、同僚との行き違い、対立、嫌がらせ!攻撃等々の過程を経て、最後は直属の「上司」との泥仕合、IPOを経て、解雇となる。

更にはその後「中年のジャーナリストが、イカれた社風になじもうと奮闘する、面白おかしい回顧録」(この本)を書いたことを「ハブスポット」に伝え編集者にその草稿を送った16日後に、直属の「上司」、その他の上司が解雇や懲戒処分を受けたが、その過程で何らかの違法行為があったようであり、FBIも関与したが立件はされず、結局何があったのかは、はっきりしない。普通に考えればこの本の情報を事前に入手しようとしていハッキング等の違法手段をとったということだろう。

違うこと

この本の中身は、ことの真実の3分の1しか伝えていないような気がする。①著者が感じた居づらさは、「幼稚園」に辛気臭い「良識」を持ち込もうとして相手にされなかったということ、②著者の経験を離れても今のシリコンバレー企業にはとても危うい面があるということ(何回も繰り返されたことだ。)、③さらにはそうであっても、シリコンバレーにはこれまでとは違う「知性」があり、人を熱狂させたりお金を呼び込んだりする魅力があるということだ。この本には①が多く、しかも①から②が書かれているので、多少いやになる。③は故意に避けているのだろう。

もっともこの本の中で触れられているシリコンバレーの話は、③から見ていては気が付かないものも多く、物事を立体的に見るる上でとても参考になる。

だからお薦めはするが、複雑な感想を生む本だ。

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組織・社会。世界,本の森

「動物になって生きてみた」(著者:チャールズ・フォスター)(Amazonにリンク

 

熟読するのは辛いがこの本の世界を這い回るのは楽しい

著者がこの本の中で「生きてみた」動物は、アナグマ、カワウソ、キツネ、アカシカ、アマツバメ!!

著者の文章はペダンチックだがウイットに富んでいて、エッセイとして面白いところも多いが、いかんせん長すぎる。というのは、一体著者が「動物になって生きてみる」ために、具体的に何をしているのかが、この文章、文体では把握しづらく、絶えず長大な哲学的な詩を浴びせかけられている感じだ。

アナグマ、キツネ、アカシカ

著者はアナグマについて、イギリスの荒涼たる原野を、子どもと一緒になって穴を掘り、アナグマ目線で這い回り、食べ物も少しアナグマを真似たようだ。

キツネは、ぼろをまとって透明になり、街中を彷徨する。

アカシカでは、猟犬に追いかけられる体験をしている。

いずれも、殺伐たる生きるための世界だ。ネズミ、モグラが氾濫する世界だ。でも、それ以上に思いが広がらない。

カワウソ、アマツバメ

文句なしに面白いのが、カワウソ。「カワウソの安静時の代謝は、同じくらいの大きさの動物より40パーセント高い。泳いでいるあいだには、なかでも冷たい水で泳げば、それが大幅に上昇する」。その結果、起きている6時間の間に、体重95キロの著者に換算すると、ビッグマック88個分の殺戮をして食物を食べなければならないそうだ。そのため広大な地域を放浪し、侵入者が魚を奪うのを防ぐ。その結果、死んだカワウソを解剖するとほぽ半数以上で直前の争いの跡が見付かる。「傷は非常に不快なものだ。水中で戦うカワウソは相手の下腹部と性器を狙う。腹は裂かれて内臓が飛び出し、睾丸は引きちぎられ、ペニスはへし折られる。それでもまだましなほうで、最悪の傷は私たちの目に入らない」。なんてことだ。

一方、アマツバメは、21歳ぐらいまで生きるが、人間との違いは、「1年に注ぎ込んでいる生きることの量にある。数字にはある種の真実が含まれているから、少し計算をしてみよう。アマツバメは毎年、春と秋に、オックスフォードとコンゴのあいだの約9000キロメートルを移動する。1年あたりでは1万8000キロメートルになる」。これにふだんの暮らしで飛ぶ距離は数えると、1年の合計が、4万8375キロメートル、合計で101万5875キロメートル。これは地球と太陽のあいだの距離のおよそ150分の1、地球と月の間の距離の2.6倍にあたる。」。

日本の自然

この本に描かれているイギリスの自然は、荒涼たるものだ。一方、これに見合う日本の自然に思いいたらない。

服部文祥さんという登山家がいて「サバイバル登山」、「狩猟サバイバル」、「ツンドラ・サバイバル」という一連のサバイバル登山ものの他に、「百年前の山を旅する」という装備を100年前に戻して登山してみるという企ての本もあって、登山好きには憧れのスーパースターである(本を探してみたのだが、事務所移転時に数千冊を寄付した中に入っていたようだ。)。自分でよたよたと登山する人間にとっては、そのすごさがとてもよく分かるのだが、冒険家としてのパフォーマンスが不十分とする「観客」や、その振る舞いが自然を害するいう「文明批評家」もいて、なかなか大変のようだ。

服部さんの営みは、あくまで人間から自然に接近するアプローチだったと思うが、この著者は「動物になって生きてみた」(Being a Beast)というのだから、発想が真逆だ。しかし、率直にいって、服部さんの本の方がはるかに面白い。

なお著者には、Very Short Introductionsシリーズの「Medical Law」という著書もあり、弁護士でもあるようだ。一体どういう人なのだろう。

目次

第1章 野生の生きものになるということ
第2章 土その1―アナグマ
第3章 水―カワウソ
第4章 火―キツネ
第5章 土その2―アカシカ
第6章 風―アマツバメ