弁護士業務,ブログ本の森から山ある日々へ,山ある日々,本の森

「未来の法律事務所」は、弁護士である村本道夫が独力で、企画、作成、発信しています(私の自己紹介は「弁護士紹介」を、ご覧ください)。様々な理由からしばらく記事の作成が滞っていましたが、令和6(2024)年5月から、これまでの内容を見直して再開しようと思います(再開と再会_サイトの模様替えをする)。新しい記事を優先しますので、しばらく整合性を欠く構成になっていますが、ご容赦を。
サブタイトルである「弁護士、市民、ヒトとして残された日々を生きる_本の森から山ある日々へ」に添い、皆様方の「残された日々」に焦点を当てた弁護士業務を紹介する他、市民であり、生物としてのヒトである私が、それぞれの立場から「残された日々」をどう生きるのか、考えていきたいと思います。
「未来の法律事務所」というサイト名は私の事務所名ではなく、2052年に法律事務所や弁護士(それに止まらず人類が)存続し活動しているためには、何を準備し、実行していかなければならないかを検討、考察しようという趣旨から名付けました(2052年は、ヨルゲン・ランダースさんの「2052 今後40年のグローバル予測」に因んだ年です(2052年を生きる)。ただ今は少し異なった観点から考えています。
「山ある日々」のもともとの由来は「百名山はどこがよかったですか」をご覧下さい。今は、残された日々の中で、楽しいこと、あるいは辛く困難なことを、実行するという意味合いです。「本の森」の由来ですが、文字どおり私はずっと本の森の中で暮らしてきました。

IT・AI・DX

私が利用している生成AIとその現状

生成AIとは、言語や画像などのデータをもとに、新しいデータを自動的に生成する人工知能のことであるが、自然言語処理、コード生成、、画像生成、音声生成等に利用されている。
後3者及び外国語への翻訳はかなりの実用レベルに達しているように見受けられるが、私が最も興味を持つ自然言語処理の現状は、判断が難しい。
私は現在、Chat GPT、Claude、Copilotに触っている。もともとChat GPTに少し触ってみて、これは?程度の感想だったが、昨年後半から少しまともに生成AIに向き合おうと思い、有料版に加入した。当時もあれこれのサービスの優劣が喧伝されていたが、そのとき考えたのは、Chat GPTが生成AI全体を引っ張ってきたので、とにかくChat GPTを使い込もうということだった。
そのときから半年余りだが、その利用環境は大きく変わっている。今は、検索機能付きのGPT4の外は、GPTsを利用するというスタイルなので、焦点を絞って何かを実行するのが却ってわかりにくくなったような気がする。ただPythonの処理過程を表示できるので、プログラミングとは親和性がある。
自然言語処理に何を求めるかは人によって違うだろうが、私はまず長文の要約に一番興味がある。これについてはGPT4よりClaudeの方がより長文の処理が可能といわれているので、有料プランに加入、使用してみた。本1冊を、2~3の部分に分け(章も区切りを明示して)、各章2000字程度で要約するよう指示をしてみたが、充分に実用的であった。ただClaudeは英語処理が全面に出るようで、短文で質問をすると、回答する段階で、質問の日本語自体が書き換えられてしまうことがあった。
また長文は、特に読解するときはテキストよりワードファイル(docx)にする方が扱いやすいが、私はワードにあまり習熟していなかったので、意を決して、今後ワードを文書処理のメインに利用しようと思い、それならばと、ワードで生成AIが利用できるCopilotの有料版に加入してみた。Excelで生成AIを利用する試みは、その必要性も理解できるし、様々な方法が提案されてきたが、ワードのCopilotはまだまだだ(無償のアドインも利用してみたが、日本語の要約も英語表示になってしまう。)。現状では要約できるテキストの長さも短いし、プロンプトが固定されており柔軟性に欠けるような気がする(ただ方法はありそうだ。)が、使い込んでいけば色々利用できそうだ。ワードで生成AIを利用し直接文書が生成できるのは今後魅力的になるであろう。

 何のために利用するかで使い分け、使い込む

問題を発見し解決する思考の補助に使う

自然言語を利用する生成AIの用途としては、①検索・説明、②文書生成・修正、③文書要約が考えられるが、主に議論されているのは①である。「ググる」の延長である。文章になるのは良いのだが、虚偽が入り込むことも多い。「ググる」場合は、それぞれの情報の真偽を判断しようとするが、生成AIの場合は、悪口を言っておしまいだ。
②についてはできるという「宣伝」ばかりで「実作」に感心したことはない。③については少なくても長文については試みられること自体が乏しい。

ところで生成AIは何のために利用するのだろうか。よく「自動化」ということがいわれる。コード生成、、画像生成、音声生成等でいわれることが多い。確かにある作業の一部ないし全部の「自動化」ができれば、効率化につながることが多い。それはそれでよいだろうが、それでその作業過程の全体が、適正に遂行できるようになるのだろうか。「自動化」とは、要はその部分は、頭を使わない、思考しないということだが、そのように考えること自体の弊害の方が大きいのではないか。

私が挙げた①~③は、私の思考を補助するために利用するということである。このサイトの作成でいえば、私の思考に、「本」という資料を、生成AIに①~③の過程を補助させて、有効に組み込み、問題を発見し、解決しようということである。

乱暴にいえば、問うことのない人には、生成AIは関係ない。

私の利用する生成AIの用途

私は、①はChat GPT、②はCopilot、③はClaudeを利用している。さすがにこれは無駄なので、整理したいと思う。多分、②が有力候補だが、Microsoftは未だに、OneDriveを無理強いする体質なのでためらいもある。当面は趣味として、使い分け、使い込んで行こうと思う。

ところで私は、本の種類を、①文学書、②説明本、③論説本に分けたが、説明本の読解(あるいは説明文の作成)に①~③は相当に有効である。しかし論説文の読解(論説文の作成)には、人の頭(思考)が不可欠である。これはかなり生成AIの成り立ちとも関係する。生成AIは、言語を蓋然性に基づいて生成するのであって、論理的ではないのである。

ブログ本の森から山ある日々へ

サイトへの投稿を再開する

サイトへの投稿が嫌になっていたがこのままでいいのか

何年かあまり投稿していなかった「未来の法律事務所」を再開しようと思う。 投稿しなかったのは、コロナによる「気力減退」も多少はあるが、加齢につれてサイト回りの作業をするのが面倒になってきたことが大きい。簡単に投稿できる「NOTE」や「Blogger」も多少利用してみたが、どうもつまらない。 ただ投稿するのが嫌になってきた最大の原因は、サイト作成の目的が曖昧で、したがって投稿すべき内容が定まらず、原稿が作成できなかったことだろう。 もともと「未来の法律事務所」は、弁護士としての業務案内、大好きな登山の紹介、感想に加えて、読んだ本の紹介と意見を中心にして発信しようと思っていたのだが、その基礎資料となるKindle本の分類や本の目次作成作業が、Kindle本が増えれば増えるほど、どこに行くのが分からないまま泥沼の中を這い回り、全く脱出できない状態となってしまったというのが実態だ。このような状態では、サイトへの投稿に向かう気力は萎える。まあ残された人生もそう長くはないだろうから、サイトには適当に付き合えばいいと思っていたのだが、最近の社会・世界の「情況」は、せっかく確保している発信ツールとしてのサイトがこのままでいいのかという思いを抱かせる。

誰のために何のために発信するかを考える

私はこのサイト「未来の法律事務所」を再開するに際し、そのサブタイトルを「弁護士、市民、ヒトとして残された日々を生きる_本の森から山ある日々へ」とした。 「本の森」は文字どおりの意味(好奇心・知識・問いの基礎資料となる厖大な本の集積)であり、「山ある日々」は、最初は登山ということだったが、百名山を完登した今は、楽しいこと、あるいは辛く、困難なことを、実行するという意味合いだ。その過程を「残された日々を生きる」と捉え返している。 そして、誰でも人市民として、生物としてのヒトとして生きているから、それぞれの人生史に基づく見方、意見があり、それを発信したいと思う。それに加えて自分の仕事から発信したいこともあるだろう。私はこのサイトを弁護士として、そして市民、ヒトとして「残された人生を生きる」という観点から再構成して発信したいと考えている。

なぜ再開できると思うのか、方法は何か

再開するにあたっての基本資料はあいかわらず「本」である。泥沼の中を這い回り、全く脱出できなくなってしまった状態から如何にして本を読み、投稿の再開に漕ぎつけるのか。

本の種別とアブダクション

さて、「好奇心・知識・問い」の出発点である本をどう読むのかは、難しい問題である。本を読むのは難しい、あるいは多くの本は、読めないという方が正しい。なぜなら、本の多くは、自分にとってアウェイだし、その内容がどこに行くか分からないからだ。
そこでまず、本の種別を、その内容、読者との関係等から、文学書・説明本・論説本に分類し、考えてみよう。
文学書は、読みやすいもの、読みにくいもの、難しいもの、簡単なもの、いろいろあるだろうが。要はその文章世界を経験するための本と考えれば良い。
問題は説明本と論説本である。「説明本」は何か特定の事象や概念を理解し易く説明するための本であり、「論説本」は特定のテーマや問題について深く議論し、考察するための本である。 「説明本」は、作者がその本によって読者に提示しようとしている世界があらかじめ存在し、本の各部の説明を正確に読み解いて積み重ねていけば全体の理解に到達する類の本であり、一方論説本は、読者が今どこに居るのか、最終的にどこに連れて行かれるのかが分からない本と捉えるのがよい。 ある問題を論じたポピュラーサイエンスは、当該分野に精通していれば説明本だろうが、そうでなければ論説本として扱った方がよい。 読書にあたっての読者の思考の基本は、アブダクションである。説明本はアブダクションも比較的容易だが、論説本は困難である。

本を読む方法1

もともと私はパソコン(電脳社会論)や「知の世界論」が好きだったが、最近の生成AIとPythonを巡る動きには強くひかれている。ただ私は世上よくあるようにビジネスとしてこれを持ち上げようとする気はなく、自分で何かを考え解決しようとするとき、その思考の補助としてどこまで生成AIが利用できるかが関心の的だ。そこでPython、ChatGPT、Claude等の勉強を始めたが、これがなかなか面白い。特に細部の細かいことを繊細な注意を払って理解し、全体像を組み立てていく必要があることが分かってきた(多分、多くの自然科学、あるいは「教科書」理解はそういうものだろう。)。 そのためには作成済みの目次の該当箇所に、備忘のためのメモを付していくのが良い。R本ではこれは非常に手間がかかるが、Kindle本では、読み込んでいく中で、メモが必要な該当部分をパソコン画面から切り取って、目次の該当箇所に貼り付けていけば良い(私は「Dynalist」で行っている。)。これは快適な作業だ。そして、これは今までのように本(特に画像本)の細部をザッと眺めていくという時間の過ごし方とは大違いだ。 これをやっていけば色々なことを身に付け運用していくことができそうだ。

本を読む方法2

さて1の本は、説明本(技術本)だが、読めない本の多くは、論説本だ。 本来このような本は、作者が各章の要約を付し、読者が読み進める上での参考にするというのが英米での原則であると聞いたことがあるが、見かける本は多くない。 そこで読者が要約をすることになるが、要約するためには、本を一応であれ通読した上でするしかなく、本を読み進める上で参考にすることはできない。 さて、これまではここで終わりだったが、当該本がPDF(テキスト)になっていれば、生成AIに要約させることができる。その要約が、たとえ言葉足らずであろうと、方向違いであろうと、それぞれの章についてその内容の概要を要約を一応目にした上で当該本をアブダクションで読み進んで行けば、論説文が読みやすくなるのではないかというのが私の仮説である。

方法1,2を実行する

今の時点で私は1は、Windowsに添付されたソフトだあるsnipping tool で、2は、様々な方法で本をPDF(テキスト)化して、WORDで手を加え、有料のClaudeで要約をしている。 まだ多少手間はかかるが、本の理解に進めるという手応えがあってとても楽しい。

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市民・ヒトとして残された日々を生きる

市民・ヒトとして残された日々を生きるについて、私は次のような内容・構成を考えている。具体的な記述は追々準備するが、これまでのコンテンツで利用できるものは生かすことにしよう。

  • 残された日々を生きる総論
    • 残された日々を生きる視点_人生論
    • 残された日々の行動を変革する_行動論
    • 日常の創意工夫と遊び
  • 残された日々を生きる各論
    • 環境と資本主義を考えるー人類の未来のCritical Thinking(環境と資本主義)
    • 法とルールを探究する(法とルール)
    • 自然を経験する
    • 情報とIT_AIに向かう
    • 読む_学ぶ_問う

      弁護士として残された日々を生きる

      弁護士は基本的に依頼者から持ち込まれた案件に対応することが原則ではあるが、弁護士から案件を開拓することもあり得る。 今、依頼者の残された日々に焦点を当てたサービスは何かを考えてみると、ひとつは依頼者が気になっていること(イライラの元)を解決すること、換言すれば残される人々(相続人、会社関係者等)の権利関係をできるだけ明確化する ということだろうか。
      それともうひとつ、忘れてはならないのは、行政や上場企業が口にする様々なきれい事を解体し、人々の権利の実質を確保するということも重要であろう。

      本の森:好奇心・知識・問い

      本の森を再編する

      本の森は、文字どおり私のKindle本、R本で重要なものを分類し、その概要を捉える試みである。ジャンルは概ね今までのものを踏襲し、次のようにしたい。このうちから取り出した「好奇心・知識・問い」を、「山ある日々」で利用する運びとなる。ただ、この作業が泥沼化し、本の内容に届くのが困難であること、私が対応を考えていることは上記のとおりである。

  • 方法論:問いと思考
  • 人:身心論_ヒトの進化と身体・脳・心の構造と機能
  • 人:思考·行動·思想
  • 組織・社会・世界
  • 自然・人工物・情報
  • 地球環境と世界の課題

    再開だ

    このような内容で、これまでの少数のサイト訪問者と再会し、今後訪問してくれる人と新たな出会いを果たしたい。