「人間をお休みしてヤギになってみた結果」を読む

「人間をお休みしてヤギになってみた結果」(著者:トーマス トウェイツ)(Amazonにリンク

若きデザイナー(無職?)の果敢な挑戦

著者のトーマス トウェイツは,「気になっていたこと」でも引用した「ゼロからトースターを作ってみた結果 」(Amazonにリンク)を書いた,目の付け所が極めて優れている,イギリスの若き(あまり忙しそうではない)デザイナーである。

今回は,ヤギの骨格を模した装置を装着して移動し,草を食べてみた「結果」を本にした。最初は心配事や,人間でいることの痛みから解放されることを目指し,象になることを志したが,象は大きすぎて首が短く鼻が長いので,そのような装置を作成しても,人間の力だけでは操作が不可能なこと,常時草を食べていなければならないこと,しかも象は「道徳」を理解するらしく「人間」から離れるという目的にそぐわないこと,等からこれは断念し,哲学的考察,シャーマンの「アドバイス」,ドラッグ経験等を経てヤギになってみることにしたということだそうだ。

ヤギというと,私は牧歌的にメ~となく動物という印象だったが,Wikipediaでは「高くて狭い場所、特に山岳地帯の岩場等を好む種が多く、人間がロッククライミングをしないと登れないような急な崖においても、ヤギは登ることができる。古くから人類に親しまれている家畜ではあるが、人馴れしていない個体は見知らぬ者を見ると攻撃してくることがあり、その際の突進の力は強力なものである」と紹介されている。そういえば横浜のどこかの動物園で,高いところに駆け登るヤギを見かけたことを思い出した。

著者は,ヤギになるからには,ギャロップをし,草を食べ,アルプス越えをしようと計画する。動物になるということでいえば,「「動物になって生きてみた」を読む」を紹介したことがあるが,そちらは本当に動物目線で生きてみようとする訳の分からなさがあって迫力満点だったが,「人間をお休みしてヤギになってみた結果」は,出発点が「心配事や,人間でいることの痛みから解放される」といっても,そういってみているだけで,デザイナーとしてのしゃれた試みに見受けられる。

各章の内容

本書の「第1章 魂」には,ヤギになってみようとするまでの経緯が書いてあって,入り組んでいて読みにくいのだが,ヤギになることを決めた後の「第2章 思考」以下(第3章 体,第4章 内臓,第5章 ヤギの暮らし)は,抱腹絶倒の面白さがある。

例えば,第2章では,ヤギ行動学のエキスパート、アラン・マックエリゴット博士と次のような話をする。

「なぜ君はヤギになりたいんだ?」,「ええと,実はシャーマンに会いに行きまして,彼女が僕にヤギになれと言うんですよ~」, 「へえ,なるほどね」。一瞬の沈黙の後、彼は続けた。「なぜシャーマンに会いに行ったんだ?」,「実は,象になろうと思って行き詰まっちゃいましして」,「そりゃそうだろうね」,「敢えて質問するけれど、なぜ象になりたかったんだ?」 「ああ、象ね……。えっと,人間の存在とその考えの詰まった世界を重く感じちゃったんです。つまり,動物になった方がラクじゃん? って考えたんですよ。動物になれば悩みもなくなるんじゃないかって。いわゆる、人間特有の悩みっていうやつですが。ヤギは悩んだりするのかな?って思って」 「悩むね,実のところ、,自身はそれを〝悩む〟とは言わないけどね。不安になる……つまりストレスを感じるということだろう」。

その他,人間がヤギになる装置をつけてギャロップしようとすると鎖骨が折れる話,どちら(性別)のヤギになりたいのかという話,死んだヤギの解剖を手伝い動物は管とその付属機関であると認識したこと,草を食べて動物の消化器官内の液を自分の大腸に移植し,あるいは外部装置に入れて草を消化して食べようとして止められた話等々(まだまだあるので,気が向いたら追加しよう)。

ギャロップをすること,草を食べてみることも,テクノロジーを研究して乗り越えようとするが,うまくいかず,結局,実行したことは,体力を要する装置を動かし,短い期間ヤギと過ごし(一頭に気に入られた),アルプス越えをするという,体力勝負が前面に出た根性物語に近くなっている。その意味では,ウルトラマラソンやトレラン(「BORN TO RUN 走るために生まれた―ウルトラランナーVS人類最強の走る民族」(著者:クリストファー・マクドゥーガル )(Amazonにリンク),冒険譚(「人間はどこまで耐えられるのか」(著者:フランセス・アッシュクロフト)(Amazonにリンク)を読む面白さがある。

ただこれらの試みは,人間と動物を別物としているわけではない。人間を動物の一亜種としてとらえ,動物になることで動物である人間をよりよくとらえようとしているのである。しかしイギリス人は,面白いことを考え,実行するなあ。これが「文化」だろうね。