「かくも長き不在」のご挨拶

2017-06-27

 

羽田空港から淡路町への移転の中での「かくも長き不在」

羽田空港の法律事務所を後にしたのが2月末。3月いっぱいは、移転したカクイ法律事務所での片付けと仕事の態勢づくりに追われ、さて4月になったので、これから新しいことに取り組もうと思っていたその第1日目である4月1日、中高時代の友人とイタリアンでこれからの人生について気炎をあげたその帰りの電車で、久しぶりに痛風の発作、しかも今までにない大発作に襲われてしまった。大きな痛みは3週間くらいで収まったものの、足や膝の小さな痛み、違和感は、2ヶ月くらい続いた。そこへ、膨大な時間を要する、某訴訟及び某市の議員サイドから依頼された条例作りの仕事が重なり、動きたくても動けない中での、実に悲惨な4月、5月となってしまった。

それでも少しずつ回復し、スポーツクラブのジャグジー(元は子供用プール)を歩くことから始め、土・日に散発的にしていた超超スロージョギングが再開できたのがつい10日前、でもまだ初心者コースであっても山歩きをする「勇気」はない(途中で、万が一歩けなくなると思うと…)。しかも痛みが取れてからも、思いどおりに動けない日が続いたので、体力そのものが落ちてしまい、筋トレもウォーキングもやる気がしない結果、直近の健康診断で、史上最高の、体重、腹囲を記録してしまった。早くもとの普通のメタボに戻りたい!

しかし徐々に事態は好転しつつある(に違いない。)。仕事は、もう大丈夫だ。山歩きも、もう少ししたらできるだろう。しかも、4歳になったばかりの最愛の孫娘から、最近「じいじは、すごい山に、どんどん登るんだって。」と言われたのだから、「山男大復活」しかない(こういう気負いが、よく「遭難」の原因となる。)。

これが今回のかくも長き不在の理由だ。でもよく考えると、WEB投稿の不在の理由にはならないような気がする

弁護士の仕事をしよう

3年前、羽田空港に法律事務所を設けたときは、以後は、ビジネスジェット機を利用した国際医療搬送事業の立ち上げに注力し、基本的にその範囲内で弁護士業務をしようと思っていたのだが、諸事情により「出発は遂に訪れず」。淡路町への事務所移転を契機に、新しい気持ちで弁護士業務に取り組む意気込みがわいてきたが、痛風で2ヶ月丸々頓挫したのは、上記のとおりである。

さて私が基本として取り組む仕事の分野は、会社法と行政法であり、応用分野として、知財法、IT・AI法、医事法、労働法、税法、環境法(含都市計画、廃棄物処理、FIT等)、航空法等を視野に入れている(もちろん、普通の市民が遭遇する民事事件も、やります。)。

ここで正直に言うと、私はこれまで余り「法律」が好きでなかったので、国際医療搬送事業の立ち上げに関与しようと思ったのだが、この点は、淡路町に来て、大きく「転向」した。

その原因は、ひとつは、「法律」を「命令」というより承認による「ルール」だと考えると、法律自体の改革も視野に入れて、これを有効に利用、活用できるし、すべきだと今さらながら気がついたこと、もう一つは、某市の議員サイドから依頼された条例を一から書いて見て、法令の作成(立法)作業はなかなか面白いし、その適用を考えることは「ゲーム」だなと思ったことである。何と私は、深夜、スマホやタブレットの法令集で、今まで見たことも触ったこともない法令を読んで、その位置づけや意味を解析するのが誠に面白いと思うようになったのである。

要するに「法律」は、「ルール」に基づく「ゲーム」なのだ。

そうすると、今までできが悪くて見るのも嫌だと思っていた「会社法」や、どこに何が書いてあるのだか、膨大な法令の関係に途方に暮れていた「行政法」も、楽しくなってきた。その他の個別法も、解読するのが苦痛でなくなった。

ただ急いで言うと、今現在我が国で起案されつつある法令は、複雑で、非常に分かりにくいという傾向がどんどん加速されている。その原因であるが、ひとつは、「()書きの多用」によって、解読するのが極めて難解になっていること(起案する側からすると、勝手な指示ができる()書きは極めて便利である。)、ふつめは、いくら長文(あるいは長文と短文の羅列)になろうと、「並びに、及び」、「又は、若しくは」を、法令執務に従って正確に表現しようとして日本語として見苦しくなっていること(これは慣れると、係り受け関係が分かりやすくなるが、文章を短くすればいいのである。)、みっつめはもともとスッキリしていた法令に増改築を繰り返した結果、もとも構造が分からなくなってきていること等を指摘できる。

現在の複雑怪奇な法令の作成作業は、パソコンがあるからこそできるのであって、紙に鉛筆で書くのでは、到底できない。しかし、ヒトの「ルール」としては、紙に鉛筆で書いて作成できるぐらいの内容が、ちょうどよい。それ以上複雑になると、「評価」の基準にはなっても、日常生活で「履行」することは難しい。

私は、「ルール」に基づく「ゲーム」を、少しでも市民サイドに押し返すため、法律の平易化の方法を考え、提言していきたい。

これから

ヒトは、「生命」の進化の過程で生まれ、その「認知システム」を作り出したのも進化であり、さらにこれに乗っかっているヒトの特質ともいえる「言語」も同様である。「ルール」に基づく「ゲーム」を、演じているのはそういう(AIと対比される知能=認知システム、言語を有する)ヒトである。

私が4月1日からやろうとしていたのは、まさにそういう位置づけを持つヒトの「社会」の解析作業であったが、最近、「決断科学のすすめ」という本を入手した。これはまさに私がやろうとしていた作業の基礎的な部分のまとめを実に要領よくやってくれていて、びっくりだ。その内容の紹介は、別途するが、とにかく書名を上げておく。

もうひとつ、このようにかくも長き不在の後に言うのも何であるが、このWEBの「抜本的改革」をすることにした。要するに、Wordpress,comをWordpress,orgに移転しようと思うのだ。今後は多分、サーバーから始まって、愚痴の集積をお目にかけることになろう。できるかなあ。