法とルール

著者:水野祐

若い世代の意欲的な試み

この本は、少し前に、若い弁護士が書いた法のあり方について論じた珍しい本だと思い、紙本を買ったが、なんせ、文字が小さくてとても読む気にならず、放置していた(私の老眼というより「本のデザイン」の問題である?)。

それとは別に、「ネット時代では、商業活動と各種の共有活動が並置・相補関係にあるハイブリッド経済/文化こそが主流となるため、それを発展させる制度改革」を主張する「REMIX ハイブリッド経済で栄える文化と商業のあり方」(ローレンス・レッシグ著)を読み始め、遡って同じ著者の「コード2.0」「コモンズ」「FREE CULTURE」も読んでみなくちゃと思っていた矢先、関連するKindle本としてこの本があるのを見つけ、早速買ってみた。

この本はレッシグの「思想」を十分に消化し(「早わかりレッシグ」としても使える。)、我が国の現状にぶつけ、更に実践的な解決策を探ろうという意欲的な本であり、いたく感心した。さらに現代の世界の文化を幅広く捉えていて、私は一体何をしていたのだろうという痛切な思いを誘う。

これまで日本の弁護士はどうしても「裁判所」「実務書」の世界に圧倒され、思想として法を考えることが苦手であった。しかし、著者は、レッシグを足場に、軽やかにネットと法の世界を裁断する。その手際は見事である。こういうふうに世界が見えている限り、先頭を走れるだろう。だが…。

「直観」と「理性」の相克する人間が構成する複雑性社会

問題は、レッシグと同じくその出発点となる「人間像」である。どういう一般的な特質を持つ人間が社会を構成し、そのような社会はどのように動くのか。その中で、人間の理性に基づく有用な「法のデザイン」が、どのように国家とそれを誤導する政治家、行政組織を「規制」すれば、図れるのかといういう観点が、希薄、ないし存在しない。だからどうしても平板な議論に終わってしまうような気がする。

だから、今あらゆる研究分野で進展しているように、出発点をもう少し前にして(キャッチフレーズふうにいえば、「「直観」と「理性」の相克する人間が構成する複雑性社会」)議論と仕組みを組み立てたら、どんなに素敵だろうと思う。

著者に難癖をつける前に自分でやれ、そのとおりだ。でもその際、この本がとても役立つのは間違いない(特に第2部は、圧巻だ。)。

詳細目次

 

日々雑感

近況

「とにかくめまぐるしい40日でした」という投稿記事が3月2日付け、今日が4月3日なので、それからまるまる1ヶ月が経過したわけだ。

幸いなことに、会社は3月末に必要とされた多額な資金調達も何とか乗り切ることができて、羽田空港で唯一のBJ機用の大型整備格納庫事業の「起動」「起業」も少しずつだが始まっている。時折吹き付ける突風に翻弄されながらも、多くの人に励まし協力していただいたお陰だと、ただただ感謝するしかない。弁護士稼業では味わったことのない感覚である。私を日々追い詰めている格納庫事業、会社(株式会社Wings of Life、WOL)が何者かは、ぜひとも出来上がったばかりの会社のWEBサイトをご覧頂きたい。

創造的なビジネス

アメリカにはBJ機が2万機あって専用空港もあり、BJ機の必要性、有用性に疑問を呈する人も多くなく(もっともさすがにリーマンショックの時は、高額な役員報酬と共に矢面に立ったようだ。)、BJ機用の格納庫ビジネスなどありふれた商売のようだが、日本ではJA機、N機合わせてもせいぜい数十機しかなく、しかも羽田空港という混雑空港で、国外から飛来しようとするたBJ機も利用枠が確保できず羽田空港、ひいては日本への飛来を避けるということも珍しくないという、BJ機にとって世界でも劣悪な「環境」にあるというのが実態である(ただし羽田空港において「官」の用意する環境は、急速に改善されつつあり、問題はBJ機ビジネスを掘り起こせない「民」にあるという状況になりつつある。)。

一方、BJ機が今後のグローバルなビジネス展開にとって必須のツールであること、またBJ機でなければ不可能な緊急時の移動の需要も多いことも次第に認識されてきており、劣悪な「環境」を良好な「環境」に変化させる鍵を担っているのがどうもこの会社のこの格納庫らしいということがだんだん分かってきた。この格納庫をどうすれば、BJ機利用、普及の起爆剤になるかなど、今まで誰も考えたことがないことだ。

口角泡を飛ばして創造性を唱えることは酒席の常だが、さて我が身に降りかかってみると、どうも簡単ではない。問題状況をしっかりと把握し整理すること、新しい組み合わせを考えること、そういうところから始めるしかないかな。

東京、横浜では今日あたり、桜が満開からそろそろ散り始めようとしている。この時期、私は桜見物のハシゴをし、桜の本を買い込んで蘊蓄を傾けるのが常だが、今年はそれもできない。横浜の大岡川、帷子川、東京の神田川、目黒川の桜はどれも見応えがあるし、掃部山公園も大好きだが、どれだけ行けるだろう。

土日、孫娘と行けるといいなあ。

日々雑感

何とか元気です

今直近の投稿記事を見てみると、1月20日に「今気になっていること2題」を投稿していて今日が3月2日だから、あっという間に40日がたってしまったことになる。

今回は今までのように投稿に飽きて嫌になったわけではなく、羽田空港で唯一のビジネスジェット機(BJ機)用の大型整備格納庫を所有し、私が今後法務・監査面から支援しようと準備していた会社の前代表者が、1月21日に事情があって辞任し、それからは私が事実上の代表者としてすべての関係者と面談して状況を把握し、事態の収拾と、そしてもっとも大変なのはこの会社はもっとも重要な収入源である格納庫利用料を徴収しておらず(したがって収入はほぼゼロである。)、その中で一から事業計画を立てて計画書に落とし込み、資金繰りをして、事業を開始するという作業に没頭しなければならないことで、とにかくめまぐるしい40日だった。普通弁護士が「会社経営」に関与するのは、既に存在する事業体の不採算部門を整理し負債をカットして「会社再建」をするということだが、今回私に降りかかってきたのは、初期投資(10数億円)はあるものの、実質的にはいまだ事業が開始していない中での羽田空港で唯一のBJ機用の大型整備格納庫事業の「起動」「起業」だ。そのテイクオフの過程はまだ始まったばかりだが、とにかく2月末は乗り切ることができた。

よく考えて方針を決め的確に処理すべきことが本当に多くて、毎日、朝2時、3時に目を覚まして(というより、嫌でも目が覚めて)頭の中で「物事」をぐるぐる回して整理し、5時過ぎには家を出て会社(事務所)に向かうという日々が続いている。その代わり、夜は早い時間に一杯やって寝るという生活だが、ムウウー、1歳8ヶ月の孫娘が、飽きることなく1、2階の昇り降りの繰り返しに同行を求め、更に暗くなった1階の部屋の冒険に私を誘う。もちろん、断れない。かてて加えて、海外交渉に備えて寝ながら英会話の音声も聞いている。だから、……何とか元気です。

今後のこと1

BJ機は、エアラインと新幹線を利用すれば大抵の所に短時間で到着することのできる狭い日本の中では「隙間装置」といってよいだろうし、乗ったことのある人も少ないだろう。

しかし、日本と世界の緊急時の往来に、BJ機は必要不可欠である。

といっても、狭い日本からイメージするBJ機は、どうしても富裕層がさほど必要もないのに世界を飛び回るための贅沢品として利用するのではないかということになってしまう。そういう場合もあるし、それはそれで一つの活用方法だと思うが、BJ機で日本と世界を往来しなければならないのは、富裕層だけではない。

まず、世界を駆け回って次々と商談を進め決断をしなければならない企業のトップにとって必要不可欠だ。でもこれも何となくセレブ色が漂い、本当かなという思いもあって、反感を持つ人もいるだろう。

でも、海外で緊急に解決しなければならない問題が生じたり(例えば海外進出企業の現地従業員と日本のトップが緊急に話し合う必要がある場合や、海外で重大な技術的なトラブルが発生して緊急に技術者を派遣しなければならない場合等々)、海外でトラブルに巻き込まれた人を緊急に救出しなければならない事態が生じることは(テロに巻き込まれたり政治情勢が激変したり、重大な病気でBJ機以外では移動できない場合等々)も稀ではない。

このような場合、例え費用がかさんでも直ちに移動ができるBJ機の利用が必要不可欠だ。またそこまで緊急ではなくてもバッファーとして、世界と即時につながことのできるBJ機の存在は重要だ。でも現時点では日本ではそのような態勢は整っていない。私が今まさに「起動」「起業」させようとしている会社は、内外のBJ機に羽田空港で唯一の充分な機能を有する整備格納庫を提供すると共に、そのような役割を持つ会社…世界の命の翼として飛び立たせよう。

今後のこと2

実は私は昨年12月くらいからとても暇で、毎日のようにWEBページをいじってきた。

その中で、例えば1月18日には、「私のチャレンジ」として、「羽田空港におけるビジネスジェットの整備、格納ビジネス、中型ビジネスジェット機を利用する国際医療搬送(エアアンビュランス)、ダイエットに様々な要素(小食、多動、睡眠、旅行、文化活動等)を盛り込んだ双方向性の健康アプリの開発、教育支援」と書いたが、そのときは法務・監査の支援+若干のお手伝いという趣旨で書いたのであって、まさか私が「「羽田空港におけるビジネスジェットの整備、格納ビジネス」を「起動」「起業」させる立場になるとは思いもしなかった。1月19日の「「航空の本」まとめ読み」も本の整理の一環だった。私がWOLの緊急事態に対応することになったのは、1月22日であって、その前にはそのようなことは予想もしなかった。でも今上記の投稿記事を読むと、それが分かっていて作成したように見えるので不思議だ。

これからも当分はなかなか投稿はできないかも知れないが、今後は是非とも、WOLが、世界とつながり価値創造に寄与するW命の翼として飛び立つことが伝わるような記事を作成したいと思っている。