IT・AI・DX,日々雑感

再開

2014年もいよいよ季節は冬だ。

ほぼ2年前に小沢事件が終わって、それからはこのHPも、弁護士業務として行うはずの、かねてから懸案の「国際医療搬送」(エアアンビュランス)の事業内容の検討や法的なシステム作り(もっともこれは、さわりしか公開できないが)、そして事業が稼働し始めればその実際の運営状況の中で見聞きし考えることを同時進行的に書き繋ぎ、それにプラスアルファしていけば、十分なものになると安心していたら、なかなか事業が開始できず、結局、全く更新しないまま、あっという間に2年が経ってしまった。

今年の8月末にはこの事業のために私も「羽田空港1-11-1」に移転したが、なお若干の足踏み状態にあるので、HPを再開する機会を逸したまま(というより面倒だからか)、今日になってしまった。実際、HP作りの技術的なことも忘れてしまったが、追々思い出していくだろう。

ついでに構成も変えてしまおう。

本を読む

私が好きなことは、山歩きと、お酒と、本を読むことだが(あれ、仕事が入っていない?いや、あくまで趣味を並べただけだ。)、お酒を飲むと(飲み過ぎると)最近は体調が最悪になってしまうので少し遠ざかっているし、山歩きも楽しいのだけれど、ここ2、3年は近場や低い山を時々歩くだけで、「山男」とは言いづらくなってしまった。

残るは「本を読むこと」だが、面倒くさがりなので記録をとらないでいると、読んでいる時は楽しいのだが、読み終わってみるとほとんど頭に残っていないし(血肉化しているとも、いえないなあ。)もっと問題なのは、少したつとその本を読んだことさえ忘れてしまうことだ。それで何度もノートに記録をとろうとしたし、このHPだってやがて壮大な本の伽藍におなるはずだったが、あれれ。

ということで、「国際医療搬送」の進展はさておき、私も暦をひっくり返す年齢となったので、できることだけやろうと考えて再出発。読んだ(目を通した、あるいは枕元に積んだ、買った、KINDLE本だとクリックした)本の名前ぐらい記録しよう。

何を読みたいのか

世の中には、長い年月を経て生き残った古典を読むべきだという考えがあって、それももっともだと思うが、私はだいぶ前に死んだ親父譲りの「新しもの好き」なので、古いものはちょっということに加え、今「科学」はとんでもない発見の時代を迎えつつあるようなので、これを逃す手はないということで、新しい「科学もの」を読んで、私の何かに生かしたい(もし可能なら外の人の参考になれば)というが率直なところである。

私が読みたい本は、4分野ぐらいに分けることができる。

まず生物としての人類史を踏まえた上で「価値」創造とは何かにつながる分野である。700万年前、250万年前、20万年前、7万年前、1万2000年前が「有史」以前の画期であり、あとは文明史である。社会経済史でもあるし、開発経済、開発法学も含めたい。

ふたつめは、やはり生物としての人類史を踏まえた上での「道徳」、「ルール」、「法」、「国家」とは何で、これからどうあるべきかという分野である。特に、「法」についてはまともな科学的、原理的な考察なく、乱造されているというのが私の認識である。

みっつめは、進化論や最新の化学的な解明に基づく「心身論」である。生命論も含むだろう。私はこの分野で、スマホ、タブレットのアプリの内容を開発する(というとオーバーだが、問題を整理する)仕事をしたいと考えている。

最後に、これらの方法論、簡単にいえば意識、言語、論理等を含む科学哲学である。

あと、宇宙とは、物質とは等の分野も面白いと思うが、さすがに届かないかな。

どうやって読むか

これらの本には、もちろん日本語で書かれた分かりやすい本もあるが(特に「科学哲学」は、「哲学入門」(戸井田和久、ちくま新書)、「理系人に役立つ科学哲学」(森田邦久、化学同人)、「心の哲学入門」(金杉武司、勁草書房)等から読み始めるのが良さそうだ。)、その他の分野は、英文で書かれた本の翻訳、場合によっては原文で読むのがよさそうに思う。翻訳されると、3000円~5000円くらいする本が、KINDLE本では、1000円くらいのものが多い(円安で少し高くなっているが)。そしてAUDIBLE(朗読)があるものは、KINDLE本を先に買うと、300円から500円になるものも多く、「収集」の観点からは、何かとても豊になった気がする。

ということで、私が2年前に買ったKINDLEには、半分以上は日本語の本だが、英語の本も数百冊、合計1300冊の本が入っており、AUDIBLEも200冊以上ある。

さあ、あとは飛ぶだけだ、いや読むだけだ。

英語、英語、英語・・・さあ、アメリカ帝国、イギリス帝国の中に突入しよう。

社会と世界

最近、①「遊牧民から見た世界史 増補版」(杉山正明・日経ビジネス人文庫)、②「中夏文明の誕生-持続する中国の源を探る」(NHK「中国文明の謎」取材班・講談社)、③「中国化する日本-日中「文明の衝突」一千年史」(與那覇潤・文藝春秋)を読み、「イスラーム 文明と国家の形成」(京都大学学術出版会・小杉泰)が控えている(別途、「イスラム飲酒紀行」(髙野秀行・Kindle本)も読んだが、これでイスラムを語るのは、いささか・・・)。

これらを読むと、人びとのエネルギーとその時間・空間の雄大さに圧倒されてしまうが、大事なことはこれらの本を整合的に理解することではない。

①「遊牧民から見た世界史」によると、遊牧騎馬軍団が、ユーラシア大陸の東端から、アジア西端まで、少なくても16世紀までは、ほぼ「支配」していたこと、中国も例外的な時期、地域を除き、遊牧騎馬民が「支配」していたことになる。遊牧騎馬軍団が非常に強力な戦闘力を持ち、あるときわずか十数騎で2000人の地上軍を蹴散らしたという記述があって、「ほう」と思うのだが、「征服した後」を支えるのは、交易であり、安定した治世であろう。②「中夏文明の誕生」を読むと、最近の発掘で分かってきたこととして、夏に端を発した、中華=中夏の思想が中国を支えてきたという話になる。③の「「中国化する日本」では、宋以降の中国が「世界標準」だということらしい(内藤湖南で確認したが、確かに宋以降が近代だということらしい。)。

それらの関係はともかく、ユーラシアに焦点を当て、古代オリエントは横に置くとすると、中夏、遊牧騎馬軍団、イスラム、それとヨーロッパ(含むアメリカ)が4大勢力であるが、遊牧騎馬軍団はその軍備が重火器に圧倒されたことから勢いを失い、ほぼイスラムに飲み込まれている。そうすると、中夏、イスラム、ヨーロッパの争いだが、近代になってやっと力を持ち重火器の大量生産で他を押さえつけていたヨーロッパが、中夏、イスラムの逆襲に遭っているというのが現状であろうか。

もちろん、軍備でも経済力でもなく、文明・文化によってである。

こういう話しは、どうしても床屋政談、居酒屋放談になってしまうが、それにしても、どこにも日本の「物作りの技術力」自慢など入り込む余地がないように見える。

それに本当に日本は「物作りの技術力」が優れていたことがあるのだろうか。私のイメージでは、江戸時代までの工芸品、美術品の伝統はさておき、50年前からの高度成長期には粗製濫造で市場を広げ、その後は、物真似、更には物真似はそのままで小型化、高度化によって市場を確保してきたが、結局、根本のところで創造性のある商品、サービスを提供できないまま、敗退しているというのが事実ではないか。

まずユーラシアやアメリカを駆け巡るしかないじゃないか、そこで人と出会ってはじめてまともな商品、サービスのアイディアが生まれ、「物作りの技術力」をいかした、普遍的な価値を生むことができるのではないか。

このままうじうじと国内で発想しているのではね、というのが壮大な歴史に向き合った私のとりあえずの感想です。さて私はどうしよう。

 

IT・AI・DX,日々雑感

私の法律事務所のWEBサイトを新しくして、2ヶ月半近くが経過した。WORDPRESSブログをベースにしたから、形式はとてもきちんとしているし、更新も楽だ。これを続けていけば、最低限、マトリックス法律事務所の紹介として機能するし、私のための「備忘録」にもなる。

しかし、このサイトは第3者が読んで面白いだろうか、「ブログ山ある日々」に多少与太話がまじっていて仮にそれが面白いとしても、だから何なんだろうという思いが、沸々と湧いてきた。しかも私が日々考え始めていることは、そこに書いていることとは少しずれている。だったら、日々考え、よたよたとぶち当たっているそのものを、恥も省みずどんどん書いていったらどうか。しかももう指定弁護士ではない一民間人だから、もう誰も気にしないだろう。もちろん、弁護士は、「常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め・・なければならない」(弁護士法2条)という枠組みは承知している。

ということで、2012年12月12日から、「ブログ創る」を、WEBサイトと、F2Cで始めることにした。

ところで私が最近日々考え始めていることは、「創る」ということだ。昨日とは違う何かを、今日、そして明日「創る」ということだ。その対象は、私自身の仕事や生活であるし、私が参加している仕事や関わっている他人の生活でもある。仕事や生活、それは言い換えれば、私の世界であり文化だ。だがそれは当面、「社会」や「政治」や「経済」ではない。「社会」や「政治」や「経済」を語り批判しても、何も創造しないというのが、ここでの方法論だ。

サブタイトルの「学ぶ・動く・持続する」は、「創る」ために弁えなければならないことを自戒を込めて掲げた。

「学ぶ・動く・持続する」も含めすべての事柄は、「創る」という観点から、プラクティカルに、かつリアルに見直すべきだ。本も紹介するより、部分読み、斜め読みでも使い倒した方がいい。

さて私は何をはじめようとしているのだろう。

(追記 2014/11/14)

これからは簡素を心がけて、メニューのカテゴリーはできるだけ簡単にすることにしたので、このブログメニューは廃止します。でも、「学ぶ・動く・持続する」は忘れないように、「山ある日々」にしっかりと書かなくては。