山ある日々

大森 久雄
山と渓谷社
売り上げランキング: 221,220

一口コメント

帯にあるとおり「豊かな山の世界を綴った紀行、記録、エッセー、詩歌のアンソロジー」である。53編も収録されているそうだから1編当たりは抄録も含めて短いものだが、それだけに相応の経験のある山好きには次々とめくるめくような世界が展開されていてたまらないが、この世界に乗れない人にはつまらないかも知れない。

また見慣れない作品も多いが、編者の「固まった既成概念で選ぶのではなく、もっと自由に羽ばたいてみたい」結果なのだろう。

ついでに書くと、実際の本の副題は「読んで味わう山の楽しみ」なのに、Amazonでは「山の文章世界の道しるべ」となっているのは不思議だ。

私的メモ

この本は、手にとって味わってもらえばいいので、あまり私が書くべきこともないが、一つだけ取り上げてみよう。

「山に忘れたパイプ」(藤島敏男)

藤島敏男は名前しか知らなかったが、紹介されている白砂山は、私は2回ぐらい計画したが、未だに登っていない山だ。最寄り駅の長野原草津口から夏の短い期間バスが出ていて、車を運転しない私はその期間しか登れないが、残念ながら過去の計画は流れてしまった。それと、八間山を回ると帰りのバスの間に合うかという問題もあったように思う。花敷温泉に泊まればいいのだが、だいぶ距離がある。

藤島は花敷温泉から白砂山に登っている。野反池が素晴らしく、何度か訪れている、。のちに白砂山から佐武流山へ尾根伝い、苗場山へ抜けたが、「野反湖と池から湖に昇格(?)した野反は、北端に堰堤が築かれて、見る影もないただの貯水池に変わり果てていた」と書いている。その思いは手に取るように分かる。でも、白砂山、佐武流、苗場山というのは、素敵なコースだ。今は荒廃して行きにくいようだが、藤島の頃だってそんなに立派な登山道があったわけではないだろう。

ところで「山に忘れたパイプ」というのは雪道で休憩したときにパイプを置き忘れ旅館の若者が探しに行って見つけ届けてくれたという話だが、藤島は日銀に勤めていて「仕事も遊びも誤魔化しを嫌い、手厳しかった」ことから「あの藤島が忘れものをするわけがない、拾ったパイプ、の間違いだろう」と揶揄した人がいるそうである。笑える。

次に収録された作品名と作者の一覧を載せておく。

収録された作品と作者

本の森

未来予測を嗤え! (oneテーマ21)

posted with amazlet at 15.01.05
神永 正博 小飼 弾
KADOKAWA/角川書店
売り上げランキング: 11,320

一口コメント

冒頭部は切れ味鋭く世界の現在を垣間見せてくれる。ただ、その後は、雑多な親父トークも多く、多少迷路のようだ。ともあれ、使えるアイディアに満ちているので一読をお勧めする。

私的書評

この本の構成

この本は、数学者である神永氏とプログラマー・投資家で書評家の小飼氏の対談に、「はじめに」を書いている構成担当の山路氏が加わった鼎談ともいえるが、帯に「いま最強の理系講義」とあるように、神永氏と小飼氏がよってたかって質問者に「講義」していると見るほうがわかりにくい。数学については神永氏の、経営については小飼氏の発言の方が安心できるが、両氏とも入り混じって発言しているし、多少なりとも異論を述べている部分はごくわずかなので、両氏を区別することにはあまり意味がない。最近この手の発言者が区別しにくい「対談」が多いが、どう考えたらいいのだろうか。

すばらしい冒頭部

さて、両氏は冒頭部で、「未来は確定しているけれど人間が予測できないケースが多い」、例えば「カオスが、ランダムではなく現象は完全に決定論的だが、振る舞いが複雑すぎて長期的な予測は不可能だ」、「私たちが考えているほとんどは外界の刺激に対応しているだけだが、全体としてみると複雑すぎてわからないだけかも知れない。自由意思も単なるカオスなのかもしれない」、「統計学の回帰分析も、本当の説明変数は複雑な関係になっているかもしれないが、それを単純な式(多くは一次式)で表してみたというだけで、これで本質的に何が分かるかはかなり難しい問題で実際にはおまじないが進化したようなものかも知れない」、「経済や株価のデータを精密に研究したところ、分散(ランダムネス(無作為の度合い)がおとなしいこと)が存在しないことが分かってきたので、統計は意味がない、唯一そこに挑戦しているのはフラクタル理論を築いたマンデルプロたちくらいだ」、「物理的な制約の中にあるものは観測の精度を上げることで大体予測出来るが、人間の社会は幻想を共有することで成り立っているため、物理的な制約に縛られない変な制約が出てくる」等々と畳みかける。

そして第1講の最後で神永氏は「予測出来ない現象について価値を最大化したいなら、方法は一つ。手堅い商売をしつつ、確率は低いけど大当たりするかも知れないポジティブな結果をもたらすブラックスワンにも掛金を積むということしかない」と述べる。

わずか数ページの中に述べられた指摘は、きわめて重要だと思う。

その他印象に残った議論

第2講以降は、この冒頭部を踏まえた議論もあるし、そうでないものもあって、雑然としている印象を受ける。神永氏が情熱をもって語る教育論や、小飼氏が展開する経済政策論としての「ベイシック・インカム」、「オーナーシップを分配するベーシック・アセット」論は、やはり異論もあるだろう。面白いのは神永氏が 日本の国家が基礎科学の研究支援をおろそかにしているとの指摘の中で「分野によって優れているところはないか」、「国文学研究などであれば勝てるでしょう」は嗤える。

その中で印象に残った議論を何点か指摘したい。

  • ビッグデータの時代では理論モデルが不要となることはないが、部分から全体を推定するという意味での推測統計学の価値が下がる。
  • 株の超高速取引(裁定取引)にとって重要なのは証券取引所のホストコンピューターとの距離であるが、証券取引所が行っているコロケーションサービスは「買付け者間の公平性確保」を謳う金融商品取引法に違反しているのではないか。
  • 優秀な人材と強力なコンピュータ技術の両方を握った企業が圧倒的な商勝者社になる。Google,Apple,Amazon,Facebookといった企業に、オセロの4隅を押さえられた状態になっている。
  • 少し前まで弁護士は無敵の資格であったが、それは国家が差を作って需給のバランスをとっていたからである。弁護士を増やしたことで需給バランスが崩れてしまい、魅力的な資格でなくなった。
  • 経済活動は「差」を見つけて儲けることである。今の資本主義社会ではcomparableな(比較可能な)差をめぐって争うが、どうでもよい差に悩まされていてはダメで、incomparableで(比較不可能な)nontrivialな(自明ではない、重要な)差に目を向けるべきだ。視点をばらけさせないとダメだ。
  • 自分がやっていることが人の役に立つためには、2つの条件がある。一つは、人の話を聞き、自分のやっていることを説明出来るコミュニケーション能力、もう一つは他人が「へえーっ」といいたくなるもの(incomparableな差)
    を持っていることだ。
  • 仕事の究極の形は、要するに人を動かすことだから、本質的に詐欺師がやっていることと同じだ。
  • みんな世の中のことを大して分かっていない。調べて初めて分かることがいっぱいある。科学技術が発達したことで人間は何でも分かっているような、できるような気になっているが、実際はまだ探求されていない「穴」はたくさんある。分かっていることの方がわずかだ。

 

戯れ言日録

今年の私の年賀状は記事として投稿済みであるが、改めて皆様方に新年のお喜びを申し上げる。

私の事務所は、大方の事業所と同様に、昨日(2015年1月5日)から始動している。

ところで私の正月休みはとても楽しかった。というのも、ずっと一歳半の孫娘の惠美ちゃんと遊ぶ(格闘する)ことができたので、思うように勉強ははかどらず、本も読めなかったが、それでもいつも顔中が溶けていた。問題は、「私に残された全時間」マイナス「何はさておいても優先されるべき惠美ちゃんとの時間」の結果として「残された時間」を、いかに有効活用するかであろう。

さて「本の森」で、私が読んだ本の紹介をどのようにするのがよいのか、HTMLとCSSの壁もあってなかなか思うようにいかなかったが、「amazlet」というその本の画像や著者等の簡易な情報の表示とAmazonへのリンクが簡単にできる、ブラウザーで使えるソフトを見つけたので、その情報を記事の冒頭に持ってくることで、おおよその情報はそれに譲ることにして、私は「私的」なコメントや書評、感想、まとめ等をその本の内容に応じて書きつづればいいかなと思っている。いままでもAmazonの情報へはリンクしていたが、WordPress.comでの使用にはいろいろ制限もあるし、面倒だったが、これだととても簡単だ。どうなるかわからないが、試行錯誤としてしばらくやってみよう。

とにかく「本の森」に掲載することで私の思考に組み込み今後の活動の基盤にしようと思っている本が最近購入したものだけでもすでに何十冊もたまっているので、できるだけ実質本位、内容本位で簡単に処理できる態勢を、早期に確立したいと考えている。