IT・AI・DX

これまで

昔からあまりブラインドタッチが得意でなかった(ミスタッチが多くどうしてもキーボードを見てしまう)ので、時々、思い立ったようにパソコン用の音声入力専用ソフトを買ってきて音声入力を試みていた。
しかし最初に何十分も自分の声を録音して変換精度を上げる作業をしてもも、さほど精度は良くなかったような気がするし、何よりも音声入力にたどり着くまでの過程や事後処理がとても面倒なこと、声を出して作業することが平気な環境を確保するのも大変なこと等から、すぐにやめてしまう。

ただ2、3年前にスマホで音声メモを試してみたところ、事前の録音なしでもとても正確に変換されたことがあったので、 google等の音声入力は十分なレベルに達していると考えていた。

最近、野口悠紀雄氏の「究極の文章法」に目を通し、氏が長文の作成にも音声入力を利用し、十分に実用化になっていると思われたので、だんだん年を取ってキーボードと画面を見比べながら文章を作成することはとても目の負担になり肩もこるので、是非とも音声入力を実現したいと思っている。なお野口氏の本は、抽象的な記述とあまり参考にならない具体的な記述とが混在していてマニュアルとも言えるようなものではない(http://office.noguchi.co.jp/archives/1857に本人による紹介がある。ただそこに記載されている「仕事のスタイルというものは、固定化しがちなものです。その時の最先端の技術に適合した仕事の仕組みをいったん構築すると、それで固定化してしまいます。その後に技術進歩が生じても、それを受け入れなくなるのです。少し便利になったくらいでは、スタイルを変えるのが面倒なので、そのまま続ける。その結果、最初から新しい技術を使う新しい世代に追い抜かれることになります。これを「リープフロッグ(蛙飛び)現象」といいます。」という部分は、何事にも妥当する(しかも技術だけではないだろう。)指摘として貴重である。

具体的な方法

さて音声入力と言っても、長文を作成する場合、メモを作成する場合、さらには音声検索をする場合がある。このうち、音声検索は、多くの人がすでにスマホで実行しているしと思われるし、試してみればわかるが入力は極めて正確だ。大事なのはそのノウハウを正確に身につけできるだけスマートにこれを実行することだろう。これは別に検討することにし、ここでは長文作成、メモ作成について検討する。

メモ作成

まず備忘事項や、アイディアを、いつでも、どこでも入力保存するためのメモの作成には、スマホを利用する。スマホには、Androidtoと iphoneがあるが、前者はgoogleが 、後者はapple が、それぞれ無償の、しかも極めて高性能の音声入力を提供している。ただ現時点では、googleは、句読点、改行等が音声入力ではできないようなので、そこはapple のほうが快適である。ただ、メモ程度であれば一気に入力し、あとで適宜修正すればいいので、気にすることはない(なおこれは音声入力だけの問題であって、以下の記述については全て両方のスマホで利用できる。)。
大事なのは、あるスマホで入力したメモを他のデバイスで自由に加工・利用できるようにすることである。そのためにはクラウドに保存されること、しかも安価であることを条件とすると、無償のgoogle keep がいいのではないか。 google keep で全てのメモを作成し、適宜、アーカイブ、ラベル、メモの色を使いこなせば、十分すぎるメモが作成できる(手書き、録音、写真にも対応している。)。更に種々のアプリへの送信、Google ドキュメントへのコピーもできる(Google ドキュメントで加工できる。)。毎日の備忘的なメモ(日記)も、これが良さそうだ。タイトルに日にちを数字(170101等)で入力し、ラベルを日記にすればよい。

長文作成

長文作成については、スマホで作成したメモを元に加工することもあるが、基本は最初からパソコンで作成することであろう。

まず音声入力で長文作成を実行するには、大きく分けて2つの方法がありうる。一つは昔からある専用ソフトを使うことである。ただこれについては、やはり面倒で、これからその必要性があるかどうかわからない。実は今回、検討の過程で、昔購入したことのあるGoogle の音声認識を利用する voice rep pro というアプリがバージョンアップされていたのでこれを試してみた。一方 google から提供されている google ドキュメントに音声入力をする方法はすでに十分実用化に耐えるレベルである。おそらく録音したものを反訳したい場合にはvoice rep pro がいいのかもしれないが、音声入力しながら文章を作成するについてはかえって面倒で、多分その必要性はない(句読点が入力できないとか改行ができない、誤変換等については、キーボードで修正することで十分である。 )。

従って長文作成についてはパソコンで google ドライブにある google ドキュメントを利用するのがよい。マイクは据え置き型の方が楽なようだ。
以上が、現時点での音声入力を利用した文章作成の方法である。今後この文章については適宜増補改訂していきたいと思う。

日々雑感

言い訳から

前回の投稿が、5月26日の「さわやかな初夏のお出かけ」だから、あっという間に2ヶ月が経ち、盛夏になってしまった。投稿する度に間が空いたことの言い訳をするのもみっともないが、それにしても私に降りかかるWOL(私が関与している会社)の重みは、一難去って又三難と表現するのがピッタリの状態で、なかなか投稿する気分にはならなかった。

でも今日こそは重い腰を上げよう。WOLについてはまだ激動の最中なので現状を語ることはできないが、まったく次から次にいろいろなことが起こる。想像だにしなかったこともある。その原因は抽象的にいえば、善意、悪意とりまぜて、多くのプレーヤーが、自分の立ち位置(利害)からWOLを自分にとって最善なようにオペレートないしコントロールしたいと思うからであろうか。でもそうすると、どうしてもWOLの格納庫が、羽田空港に飛来するBJ機が再び安全・快適に飛来していける整備格納の拠点として歩んでいかなければならないという前提がおざなりになってしまう傾向がある。だれも二兎は追えないが。

でも次回、WOLについて語るときは、明るい未来について語りたい。

私の救い1

今の私の救いは、劇的な展開を遂げつつある「科学」だ(いまでは、本当は「宗教」である「科学的社会主義」の「科学」ではないよ、というような冗談も、通じる人はわずかになってしまった。)。

例えば私の枕元にはだいぶ前から「nature科学 系譜の知 バイオ(生命科学)、医学、進化(古生物) 」が置いてある。同じシリーズには、「nature科学 未踏の知 地球(地球文明)・環境・宇宙」、「nature科学 深層の知 物理数学・物理化学・工学・ロボット」がある。これを時折めくるだけで私には至福の時間が訪れる。その新しい知見に圧倒される。でも理科系でない文化系「科学オタク」としては、次の2点についてコメントしたい。

ひとつは、だいぶ以前だが、「超能力」を擁護するスタンスとして、「科学ではまだ分からないことがある」といういうようなことがいわれたが、実はそんなのは当たり前で、現在の科学で分かっていることがほんのわずかで、分からないことだらけ。しかもこれまで分かっているとされたことも、七転八倒状態で、日々見直されているという方がが正しい。あまり動かないのは、何個かの思考規則(数式)とこれに基づいて記述されるある範囲の自然の現象ぐらいではないだろうか。だから今の「科学」は本当に楽しい。

そうはいいながら学者と称する「科学」の担い手は、自分が関わる「最新の科学」を絶対視する抜きがたい習性を持っている。自分が関わっている「科学」もまた激動やむなきその「科学」の一員であるという第3者には当たり前の感性が、どこかに飛んで行ってしまう。だから「科学」の知への応用、現実への適応は、異分野の素人が参加して行うのがいい。可能ならばだが。

久しぶりに確認したくなったが、このような問題を考える出発点となる最近の本は、「哲学入門」(戸田山和久:ちくま新書。KINDLE版も出ている。)、次に、玉石混交だが、ある種の核心をついてしまった「データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則」(矢野和男:草思社。これもKINDLE版も出ている。)だ。ついでに初めて取り上げる本だが「科学の眼で人の社会を観る 進化論的世界観」(市川惇信:東京図書出版。これもKINDLE版あり)は、発想は古色蒼然という感じではあるが、その前提でそれなりにピントが合っていると思う。

これからは、経済も、政治も、法律も、「科学」の洗礼を受けなければならない。率直に言って、床屋政談以上の本に巡り合うのはまれだ。でも「科学」が救いとは、あまり楽しくないよね。

私の救い2、3

私の救い2は、夏山だ。ほとんど毎朝、羽田空港でバスからモノレールに乗り換えるが、ザックを背負った登山者を多く見かける。本当にうらやましい。登山と言えば夏山で、登山口からある高度までは、汗だらけになって苦しいが、頂上に近づけば風も吹きわたり、その心地よさは経験者しかわからない。そう朝日岳がおもいだされる。と書いたものの、初心者のころは、ずっと苦しかったな。今も運動不足の極地できっと苦しいだろう。それでも夏山に行きたいが、残念ながら予定はない。

そして私の救い3は、言わずと知れた孫娘えみちゃん。えみちゃんを置いて夏山に行けるだろうか。少なくても2歳になった一番かわいい盛りに。

だから本当の救いは結局えみちゃんと見る山の本と科学本。

私の道はどこに通じているのだろう。

日々雑感

近況

「とにかくめまぐるしい40日でした」という投稿記事が3月2日付け、今日が4月3日なので、それからまるまる1ヶ月が経過したわけだ。

幸いなことに、会社は3月末に必要とされた多額な資金調達も何とか乗り切ることができて、羽田空港で唯一のBJ機用の大型整備格納庫事業の「起動」「起業」も少しずつだが始まっている。時折吹き付ける突風に翻弄されながらも、多くの人に励まし協力していただいたお陰だと、ただただ感謝するしかない。弁護士稼業では味わったことのない感覚である。私を日々追い詰めている格納庫事業、会社(株式会社Wings of Life、WOL)が何者かは、ぜひとも出来上がったばかりの会社のWEBサイトをご覧頂きたい。

創造的なビジネス

アメリカにはBJ機が2万機あって専用空港もあり、BJ機の必要性、有用性に疑問を呈する人も多くなく(もっともさすがにリーマンショックの時は、高額な役員報酬と共に矢面に立ったようだ。)、BJ機用の格納庫ビジネスなどありふれた商売のようだが、日本ではJA機、N機合わせてもせいぜい数十機しかなく、しかも羽田空港という混雑空港で、国外から飛来しようとするたBJ機も利用枠が確保できず羽田空港、ひいては日本への飛来を避けるということも珍しくないという、BJ機にとって世界でも劣悪な「環境」にあるというのが実態である(ただし羽田空港において「官」の用意する環境は、急速に改善されつつあり、問題はBJ機ビジネスを掘り起こせない「民」にあるという状況になりつつある。)。

一方、BJ機が今後のグローバルなビジネス展開にとって必須のツールであること、またBJ機でなければ不可能な緊急時の移動の需要も多いことも次第に認識されてきており、劣悪な「環境」を良好な「環境」に変化させる鍵を担っているのがどうもこの会社のこの格納庫らしいということがだんだん分かってきた。この格納庫をどうすれば、BJ機利用、普及の起爆剤になるかなど、今まで誰も考えたことがないことだ。

口角泡を飛ばして創造性を唱えることは酒席の常だが、さて我が身に降りかかってみると、どうも簡単ではない。問題状況をしっかりと把握し整理すること、新しい組み合わせを考えること、そういうところから始めるしかないかな。

東京、横浜では今日あたり、桜が満開からそろそろ散り始めようとしている。この時期、私は桜見物のハシゴをし、桜の本を買い込んで蘊蓄を傾けるのが常だが、今年はそれもできない。横浜の大岡川、帷子川、東京の神田川、目黒川の桜はどれも見応えがあるし、掃部山公園も大好きだが、どれだけ行けるだろう。

土日、孫娘と行けるといいなあ。