問題解決と創造の知識,複雑な問題群

プラトンとフッサール

さて前回の記事が1月25日なので2ヶ月近く間が空いてしまった。

ただこの間、(本人としては)無駄に過ごしていたわけではなく、竹田青嗣さん(「哲学とは何か」(Amazonにリンク))や西研さん(「哲学は対話する」(Amazonにリンク))が注目し新しい目線で切り拓いたプラトン(アリストテレス)、フッサールを見て、いったん別れを告げ、認知科学に入り込んだ。そうこうしている間に少し忙しくなってしまった。

フッサールは、人は自分の認識世界から出られないという当たり前のことを確認したわけだが、それがどうしたの、人の実際の認識世界がどうなっており、どのように活用するかが問題である。

こころの材料

認識世界のたどり方はあれこれあるが、まず神経心理学の山鳥重さんを読んでみた(精神現象学から認知科学へ)。この人は医師として、脳に障害があることから生じる失語症等と向き合い、人のこころの世界を「情・知・意」でとらえ(「知・情・意の神経心理学」(Amazonにリンク)、「心は何でできているのか」(Amazonにリンク))、豊富にこころの材料を提供する。

認知科学とマインドフルネス

ただ、材料としてのこころだけでは、現実を動かすツールとしては不十分なので、認知科学(「脳神経科学がわかる、好きになる:櫻井武」(Amazonにリンク)、「基礎から学ぶ認知心理学 人間の認識の不思議 (有斐閣ストゥディア):服部 雅史/ 小島 治幸/ 北神 慎司」(Amazonにリンク)を一瞥したあと、後者で紹介されていた「シャーロック・ホームズの思考術 (ハヤカワ文庫NF) :マリア コニコヴァ」(Amazonにリンク)にたどり着いた。

これは問題解決学としては面白いのだが、この人の叙述は若干混乱している(本人もどこかに自分は文章が余りうまくないと書いてあった気がする。)。そこで問題をより広く捉えていると思われる「フォーカス:ダニエル・ゴールマン」(Amazonにリンク)を読み返したが、これは各章のつながりを故意に分かりにくくして読者が注意深く整理しろと挑戦しているように思われ、読み解くのが大変だ。

これらが方法としてマインドフルネスを挙げていたのでそれを一瞥し(「スタンフォード大学 マインドフルネス教室 :スティーヴン・マーフィ重松」(Amazonにリンク)、「心と体をゆたかにするマインドエクササイズの証明 :ダニエル・ゴールマン 、リチャード・J・デビッドソン」(Amazonにリンク))、ついでにマインドフルネスがもっとも効果をもたらすと思われる依存症の脱却をテーマとする、「あなたの脳は変えられる:ジャドソン・ブルワー」(Amazonにリンク)も復習だ。

問題解決の思考

依存症と並ぶ個のもう一つの問題である課題の設定・達成としては、チップ・ハース, ダン・ハースの「決定力! 正解を導く4つのプロセス」(これは意思決定論)(Amazonにリンク)、「 スイッチ! ― 「変われない」を変える方法」(これは変革・行動論)(Amazonにリンク)、「アイデアのちから」(これは表現・説得論)(Amazonにリンク)も面白い。

ロルフ・ドベリの「Think right 誤った先入観を捨て、よりよい選択をするための思考法」(Amazonにリンク)、「Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法」(Amazonにリンク)、「Think Smart 間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法」(Amazonにリンク)は、行動経済学+ストア派というところだろうか。

これらのあとは、問題解決を支える高度な思考論として「認知言語学:大堀壽夫」(Amazonにリンク)と「数学の認知科学:レイコフ, G., ヌーニェス, R.E」(Amazonにリンク)まで行き着きたいが、その前に読むことについてのメアリアン・ウルフの「プルーストとイカ」(Amazonにリンク)と「デジタルで読む脳×紙の本で読む脳 「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる」(Amazonにリンク)は外せないだろう。

そしてこの流れは「情報論」に集約される。西垣通さんの一連の「基礎情報学」には、システム論、オートポイエーシス、アフォーダンス等々盛りだくさんで面白い。ただ現実を動かすツールとしては不十分な気がする、私の興味は今後この辺りに収斂されそうだ。

体の問題

しかい頭だけでは人の問題は解決しない。「GO WILD 野生の体を取り戻せ! 科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネス:ジョンJ.レイティ, リチャード・マニング」(Amazonにリンク)、「脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方 :ジョンJ.レイティ」(Amazonにリンク)は面白いのだが、特に前者は「言い過ぎ」だ。年寄りにはきつい。

システムの問題

個の問題の他に、他(組織)との関係、全体的なシステムの問題があるとすれば、やはりこれからの「経済」が気になるので、ドイツから見たウルリケ・ヘルマンの「資本の世界史 資本主義はなぜ危機に陥ってばかりいるのか」(Amazonにリンク)、「スミス・マルクス・ケインズ―よみがえる危機の処方箋」(Amazonにリンク)に目を通し、「中学の教科書から学ぶ 経済学サク分かり (朝日新書) :菅原 晃」(Amazonにリンク)も見たが、最後のは優等生過ぎて問題を捉え切れていないと思われた。三面等価は整理方法に過ぎない。

その間に最近近所で鳥の鳴き声を聞くことが多いと気づき、鳥にも興味をもって何冊か読んでみた。「ヤマケイ新書 鳥ってすごい!:樋口 広芳」(Amazonにリンク)、「身近な鳥の生活図鑑 (ちくま新書) :三上修」(Amazonにリンク)、「くらべてわかる野鳥:叶内 拓哉」(Amazonにリンク)、「庭や街で愛でる野鳥の本:大橋 弘一」(Amazonにリンク)、「身近な鳥の生きざま事典-散歩道や通勤・通学路で見られる野鳥の不思議な生態:一日一種」(Amazonにリンク)等々。

これらのお陰で最近カラスと見つめあうことも多くなった。

今回の最後は、「WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か:ポール・ナース」(Amazonにリンク)だ。

でも一体私はどこに行くのだろう。STEP BY STEPだ。

ブログ本の森と山ある日々,法とルール,複雑な問題群

序論

内部統制制度は子会社には重荷のことが多い

上場企業と連結計算書類を作成している子会社(の一部)は、親会社が、金融商品取引法(金商法)の内部統制報告書を作成し、監査法人の監査を受けて届け出て、公開するのに対応し、その内部統制制度の整備・運用について、親会社(の主として内部監査室)から評価され、監査法人の監査を受ける。

親会社にとっても負担の重いといわれる金商法の「内部統制制度」について、子会社としてその整備・運用をすることは、親会社と一体となってそのような体制を整備してきた場合は格別、例えば、M&Aによってグループ入りした場合を考えれば分かるように、なかなか大変である。「内部統制報告書」は親会社が作成・報告するものであるから、子会社にとっては、迷惑だというような声さえ、聞こえてくることがあるのである。

弁護士から見た金商法の内部統制制度

会社法では、子会社の統治について、親会社が子会社の株主権を行使すること以上のことはあまり考えられてこなかったが(戦後の会社法は、戦前の財閥の弊害を踏まえた独禁法による持株会社の禁止下に進展してきたこともあるだろう。)、大和銀行第一審判決の衝撃から、会社法上設けられた内部統制システムは、弁護士としての備範囲だとしても、金商法によって企業情報の開示として上場企業に課される内部統制制度については、会計畑のマターとしてあまり深入りすることはなかった。ただ「財務報告に係る内部統制の評価及び監査の基準並びに財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する実施基準の改訂について(意見書)」をはじめ、会計畑の人の議論は、企業集団(グループ)において、子会社サイドに「内部統制制度」についてどのような法的根拠に基づいてどのような義務があるのかについて必ずしも十分な検討がなされていないようにないように伺われる。金商法上の内部統制報告制度の解説書を見ても、直接この点に言及したものはないようである。
会社不祥事の多くは子会社に生じた(利用した)ものといわれ子会社抜きの内部統制報告制度は実効性がないこと(特に持株会社においては、子会社が事業の主体であること)等の状況に於いて子会社の内部統制の必要性が優先され、小規模の子会社にとって重い負担となる金商法上の内部統制報告制度の整備・運用をすることについて、十分説得的な議論がなされてこなかったという経緯もあるように思われる。

子会社から見た内部統制制度

上場して投資家から資金を集め、金融機関からの借入れ等をする親会社に対して、「内部統制」に関して様々な法的規制や義務が課せられることは容易に理解できるが、小規模な子会社からすると、なぜ親会社と同等の面倒な「内部統制制度」を、整備・運用し、評価手続を受忍しなければならないのか、法的根拠は何か等について、疑問が生じる余地があると思われる。そこで、「内部統制制度」について、会社法、金商法等の位置づけを整理し、企業集団の子会社サイドにおいて「内部統制制度」を整備・運用する必要性、及びその根拠について、企業集団各社の共通の理解に資するために、「企業集団における内部統制制度」をまとめることにした。
た。今後の「内部統制制度」の円滑な整備・運用についての参考とされたい。


   

本の森,複雑な問題群

デジタル・テクノロジーの氾濫と持続不可能性は乗り越えられるか

2020年末にあたって、現在から未来を俯瞰、展望してみよう。今のところ問題の焦点は、「デジタル・テクノロジーの氾濫と持続不可能性」であると考えている。取り急ぎ、V.1として公開し、年内には、最終版を公開したい。

出発点の2書

この問題へは、様々なアクセスがありうるが、暫定的に出発点を「MORE from LESS(モア・フロム・レス)   資本主義は脱物質化する:アンドリュー・マカフィー 」と「操られる民主主義:デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか:ジェイミー ・バートレット」の2書に定めよう。そしてそこから枝分かれする問題を、上下前後左右に追っていき、私の「2020年末の眺望」を見定めよう。年末までに間に合うだろうか。

なお前者は、「資本主義は持続可能な世界を実現出来るか-多角的に読む6冊の最初の2冊」の出発点にもしたが、最初にこちらの記事から完成させよう。

ところで、最近よく思うが、英書の翻訳書にはpoorな英語の読み手はとても助けられるが、題名だけはよく確かめないと、本の内容を変に誤解して選別してしまう。

前者の原題は「More from Less: The Surprising Story of How We Learned to Prosper Using Fewer Resources—and What Happens Next」である。標題はそのままだと分かりにくい点は措いても、副題の「資本主義は脱物質化する」は、カルトみたいだ(「CHAPTER 5  The Dematerialization Surprise 」とはあるが。)。

後者の「操られる民主主義 デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか」であるが、原題は「The People Vs Tech How the internet is killing democracy(and how we save it)」である。これは、原題の方がはるかにわかりやすいし適切だ(当たり前だが)。

出版社は売りたいという気持ちとわかりやすくしたいという気持ちから翻訳名を決めるのだろうが、直訳を補うくらいの方が読者としては助かる。

「MORE from LESS」と「操られる民主主義」について

「MORE from LESS 資本主義は脱物質化する:アンドリュー・マカフィー 」

「MORE from LESS」は「資本主義は持続可能な世界を実現出来るか-多角的に読む6冊の最初の2冊」でも簡単に触れたが、アメリカを含む先進国で資源消費が減少しつつあるが(脱物質化)、付加価値は増加している。それは、①資本主義と②テクノロジーの力によるのであり、更にこの趨勢を支えるのは、③反応する政府と④市民の自覚、併せて<希望の4騎士>であるとする。あくまで希望があるということであるが。

「操られる民主主義 デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか::ジェイミー ・バートレット」」

一方、「操られる民主主義」は「6本の柱」(①行動的な市民、②文化の共有、③自由選挙、④利害関係者の平等性 、⑤競争経済と市民の自由、⑥政府に対する信頼)を立てて、それを1~6章で展開しているという。しかし、翻訳を見る限り、対応関係はピンとこない。

著者の ジェイミー ・バートレット氏は、イギリスのシンクタンクにいて、デジタル・テクノロジーに大きな期待を持ちこれが実現してきたネット社会に触れ「闇(ダーク)ネットの住人たち デジタル裏社会の内幕」などを書くうちに、デジタル・テクノロジーがもたらした現状には大きな問題があるという観点を得て、この「The People Vs Tech」を書いている。その中心的な問題意識は、日々デジタル情報に晒されている「人間」がどうなってしまったのか(Chapter 1: What the Power of Data is Doing to Our Free Will、Chapter 2: Why the Closer We Get, the Further We are Apart;要は、人はデジタル情報に操られ、分断されている )ということにある。

そして、その「応用」として「2016年のアメリカ大統領選挙」(第3章  ビッグデータと大統領選 デジタル分析が政治のあり方を揺るがす)の批判があり、デジタル・テクノロジーの進展は、AI等で代替可能な中層階級を一掃し、代替不能な自らの頭と体で経営を実践するしかない上層と現場労働者に分解し、格差がますます拡大し(第4章  加速する断絶社会 AIによって社会はどうなるのか)、デジタル企業の独占もますます進む(独占される世界 ハイテク巨大企業が世界をわがものとする)と分析する。

最後に「Crypto-Anarchy」を持ち出して、これが拡大すれば国家の存続が危ういので政府の信頼を取り戻さなければというが、これは??で、第1章から第5章の現状のままでは、それだけで政府の存続(私から見れば、法とルールであるが)は危ういと思われる。

2書をぶつけ合おう

このように「MORE from LESS」と「操られる民主主義」は、「何とかなるんじゃない」、と、「このままじゃまずいんじゃない」という違いはあるが、資本主義、テクノロジー、市民、政府という分析手法をもって現実世界を解析しようとしているという点で共通項が多い。強いて言うなら前者には個人が巻き込まれているデジタル・テクノロジーの「闇」について関心が薄く、後者は世界の「持続不可能性」が余り視野に入っていないように思われる。

私はこの2書をぶつけ合って、更なる問題点、及びその相互の関係を浮かび上がらせ、総体的な問題解決に途を開きたい。

今後の分析手順

「持続不可能性」をめぐる問題は、すぐにどうこうなることでもないし、解決する方法は難しい。多分、「MORE from LESS」が期待するように、デジタル・テクノロジーが大きな意味を持つだろう。そしてこれを市民、政府が支えなければならないのであるから、まず市民、政府の、デジタル・テクノロジーの膿を開析する先にしか解決の糸口はないと思う。

市民はデジタル空間で分断されて虚偽情報をぶつけ合い、政府がそれを利用する愚かな政治家、役人によって形成されるようでは、先はない。

デジタル・テクノロジーをめぐる問題に精通する

とりあえず「操られる民主主義」を下敷きにして上下前後左右に手を伸ばそう。

1.現状を知る

サイバー空間では、現実社会のがはずれ「欲望」がかなり容易に実現可能となるので、市民は攻撃する側にもされる側にも入り込んでしまう。

現状については、次の2冊を押さえよう。

「フェイクニュースを科学する: 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ :笹原 和俊」

「闇(ダーク)ネットの住人たち デジタル裏社会の内幕:ジェイミー・バートレット」

とはいえ、サイバー空間に入り、SNSを使わなければならないことは多いから、セキュリティや情報倫理の初歩は押さえておいた方がいい。放送大学の教材を紹介しておこう。

「セキュリティと情報倫理」

2.分断を乗り越える

次に「操られる民主主義」が3番目に取り上げた「社会の分断論」は、人類と社会の関係という人類史を踏まえた人類の本質に関わる問題である。次の2書が最近出ており、いずれも本格的だ。あたりまえだが、対応策はある。

「ブループリント:「よい未来」を築くための進化論と人類史(上)(下):ニコラス・クリスタキス」

「人はなぜ憎しみあうのか 「群れ」の生物学(上)(下):マーク W モフェット」

3.私たちの仕事の行方と独占企業

「テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス:カール・B・フレイ」は、「操られる民主主義」の議論と重なっている。

これからAIが大きな影響をもたらすのはいうまでもないが、著者は、これからなくなる職業を言い出した経済学者である。ただ本書を読むとテクノロジーを「労働補完型」と「労働置換型」にわけ、産業革命時も一時的(数十年)は仕事がなくなったことを丁寧に論じており、人ごとではない。

いずれにせよ、待っていれば誰かがなんとかしてくれるわけではなく、闇のサイバー空間に巻き込まれず、自分のできる範囲でデジタル・テクノロジーを工夫として取り入れ、これを活用することは不可欠であろう。デジタル・テクノロジーは面白いから。

そのため、ここで私は何冊かの実務書を読むきである。これは読んでから紹介しよう。

社会の分断化や独占による市民の不利益を乗り越えるためには、市民がそれが出来る主体となり、そういう市民が政府を形づくれば何とかなるとは思うが、道は遠い。当面、政治家・役人には期待しない。自分で切り拓こう。

4.小括

デジタル・テクノロジーが、今後、何をもたらし、人の有り様がどうなるのか、実は誰にも分からないというのが正解だが、次の2冊で今後が占えるであろうか(占いになってしまった。)。

  1. 「TOOLs and WEAPONs――テクノロジーの暴走を止めるのは誰か:ブラッド・スミス, キャロル・アン・ブラウン」
  2. 「ソーシャルメディアの生態系:オリバー・ラケット, マイケル ケーシー」

ⅰは、Microsoftの弁護士として同社の問題解決に当たってきたブラッド・スミスが書いたもので、どうかなあ。ⅱは、ソーシャルメディアには問題もあるが、いい点もあるといいう誰もが言うが、どこがいいのか輪からに問題について、本当に信じているよう、この段階でじっくり読みたい。