組織の問題解決

弁護士と経営

経営法曹という古い言葉がある。一見、経営問題が分かる法曹という意味のようだが、昔は経営問題が分かる法曹ほとんどいなかったから、単に「経営寄り」の法曹を揶揄していう言葉だったと理解することが正しい。

もちろん、企業は、様々な法律問題を抱えているから、経営に関わる、例えば「商事法務」や「コンプライアンス」という分野もこなす弁護士は多くいたが、彼らが経営問題を理解しようとしていたかは、多分に疑問である。

こういう状況は、司法改革の一環としてロースクール制度が導入され、様々な専門的知識を有する人材が法曹に流入する中で、当然経営学を専攻する人材も確保され、一変することが予想されたが、残念ながら、弁護士増員数を市場原理ではなく、「理念」に委ねたため、供給過剰となってしまい、司法改革自体が相当部分で頓挫してしまったというのが現実である。

だから普通の弁護士が、経営問題を理解しようとして経営書を読もうというのは、今でも十分に意味がある。もちろん、経営書を読んで経営問題を理解することと、企業を経営することが、別物であることは十分に理解しなければならない。

今、経営学の本は百花繚乱だ

経営書といっても、「根性もの」や「技術もの」は横に置くとして、経営学の本を取り上げるだけでも百花繚乱だ。ということは、学問として十分に成熟していないということだが、そもそも経営学が、経験の体系化を超えて学問たり得るかどうかには根本的な疑問がある。それは今後考察していくとして、とりあえずどこからはじめるか。

これについては、最近、若い学者らが、経営学の全体を俯瞰するような何点かの経営書を刊行していて、鋭い分析をしているアメリカの経営学書のように心は揺さぶられないものの、ここらあたりが「入口」として適当だろうと思うので、そこから読みはじめよう。当面、6点の経営学書に目を通そう。

経済的価値と社会的価値を同時実現する-共通価値の戦略

ところが今日(2014年12月28日)、Kindle本を見ていて、「経済的価値と社会的価値を同時実現する 共通価値の戦略」という「DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー」の論文の短いKindle本を見つけた。著者の一人は、なんと、マイケル.E.ポーターである。

題名に惹かれて早速買って読んでみたが、ここには今私たちが「資本主義」に対して抱いている疑問の一つの回答があると思った。

これについてはまた検討したいが、Amazonに添って簡単に要約すれば、「共通価値」(shared values)という概念は、経済的価値を創出しながら、社会的ニーズに対応することで社会的価値も創出するというアプローチである。これまでの資本主義の考え方は、「企業の利益と公共の利益はトレード・オフである」、「低コストを追求することが利益の最大化につながる」といったものであり、もはや正しいとはいえない。共通価値の創造に取り組むことで、新しい資本主義が生まれてくる。成長の次なる推進力となるだろう。

共通価値がもたらすチャンスを見極める方法は、「製品と市場を見直す」、「バリューチェーンの生産性を再定義する」、「事業を営む地域に産業クラスターを開発する」の3つであるとして、検討している。

誰でも経営学は、企業のための言説でうさんくさいと思っているし、いつから経済が、多くの人の人生の大問題になったのだと疑問に思っている。一方、経済的な価値生産がうまくいかなければ人生が悲惨なことも理解している。経済的価値を創出しながら、社会的ニーズに対応することで社会的価値も創出するのが、新しい企業であり、仕事であるとすれば、楽しく仕事ができるであろう。これが「解決策」だとは思わないが、一つの回答案として評価したい。

今後のスケジュール

だいたい次のような順番で行こう。ゆっくり読んで行けば良い。

これだけ読めば経営問題についての「穏当妥当な理解」はできるだろう。でもあくまで「穏当妥当な理解」にとどまるだろう。独創的な経営は、どこにあるのか、多分足元だ。

 

組織の問題解決

「世界一わかりやすいプロジェクト・マネジメント第3版」を紹介する

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はじめに

ある仕事をする中で、プロジェクト・マネジメントについて報告したことがあるので転載しておく。作成は2014年4月頃である。「続きを読む」以降の後半は、目次に若干のコメントを付けただけだが、レジュメとして利用していただきたい。

 

原題は「The Complete Idiot’s Guide To Project Management」で?と思うかも知れないが、非常に評価の高い本である。なお「ゴール」の著者ゴールドラットが「制約条件」の理論をプロジェクト・マネジメントに適用したのが「クリティカル・チェーン」という本であり、本書の中でもプロジェクトの継続的な改善手法として評価介されている(P187、188。それを日本人著者が紹介した「最短で達成する全体最適のプロジェクトマネジメント」がある。)。

また最近入手したものだで、新たなビジネスを立ち上げるという観点からその方法を検討したものに、「リーンスタートアップ ムダのない起業プロセスでイノベーションを生みだす」(「The Lean Startup」by Eric Rise)、「 スタートアップマニュアル ベンチャー創業から大企業の新事業立ち上げまで」(「The Startuo ownaer’s Manyal」 by Steve Blank and Bob Dorf)があり、これらも我々にとって非常に参考になると思われるので、今後引き続き紹介したい。

また創造的な発想を取り上げた書籍はたくさんあるだろうが、スタフォード大学集中講座1「20歳のときに知っておきたかったこと」、同2「未来を発明するためにいまできること」(ティナ・シーリグ)が斬新である。

プロジェクトマネジメントについては、アメリカのプロジェクトマネジメント協会が「プロジェクト・マネジメント知識体系ガイド」(PMBOK)を刊行している。なお本書とPMBOK(日本語版)以外は、すべてKindle本で入手できる。

読解の前提となる必須語句の説明

・スコープ

プロジェクト完成に要する作業量の規模。

・マイルストーン
「里程標」。プロジェクト実施上の重要な節目、通過点。重要な作業の完了時点に置くことが多い。

・クリティカル・パス
プロジェクトの作業をつなぐ複数の経路の中で、最長の所要時間の経路。クリティカル・パス上にある作業のどれかひとつが遅れると、プロジェクト全体の遅れに直結する。
・SOW(作業範囲記述書) Statement Of Work
プロジェクトのマスタープラン策定の中から明らかになった、プロジェクト目標や作業記述書、リスク、前提条件などをひとまとめに統合した書類。

・WBS(作業分解図) Work Breakdown Structure
プロジェクトをまず大きな単位(マイルストーンということもある。)に分解し、それを更に小さく分解して、最下位の単位であるワーク・パッケージを洗い出す。プロジェクト完成に必要な作業を組織化し、要約した文書。ただし依存関係は、表示できない。

・ネットワーク図  Network Diagram
プロジェクト作業を実施順序に従って論理的に並べた図。左から右に時間の流れをとり、各作業の依存関係を線で結ぶ。大規模プロジェクトでは、ネットワークを階層化し、第1階層にマイルストーンをすべて盛り込み、第2階層で各マイルストーンの完了に至るサブプロジェクトを示す・・などとすることもある。

・プロジェクト計画書 Project Plan

全体の流れ

・作業の過程(フェーズ)は、定義、計画、実行、コントロール、終結に分けることができるが、当面、定義、計画フェーズが重要であり、何が何でも計画フェーズの最終目標であるしっかりした「プロジェクト計画書」を作成しなければならない。それができれば、実行、コントロールフェーズも乗り切ることができ、終結(完成)を迎えることができる。

定義フェーズ

・定義フェーズにおいては、利害関係者(ステークホルダー)を明確にし(プロジェクトメンバー、取締役会、法務監査部、プロジェクトに参加する消防、医師、ジェット機関係者、役所、業者等等)、プロジェクトの目標、成果物の外、事業の範囲(スコープ)、コストとスケジュールの見込み、指揮命令系統、各人の役割とリスクと制約条件等を検討して、SOW(作業範囲記述書)を作成する。

・目標には、SMART(Specific=具体的,Measurable=測定可能,Agreed-upon=合意されている,Realistic=現実的,Time-limited=期限が明確)+C(clear responsibility=責任が明確)の基準がある。

計画フェーズ

・計画フェーズにおいては、作業を分解して本当ににやるべきことをWBS(作業分解図)にし、これを実施順序に従って論理的に並べたネットワーク図を作成する。更に所要期間を見積もり、予算を作り、強力なチームを作り、資源を確保し、そのすべてをまとめて、プロジェクト計画書を作り、取締役会(運営委員会)の承認を得る。
・ネットワーク図(P153)が参考になる。

その後のフェーズ

・ 実行フェーズにおいて重要なのは、プロジェクトを正しく起動させ、プロジェクト・マネジャーがリーダーシップを発揮してチームを活性化し、コミュニケーションをとること等である。

・ コントロールフェーズにおいて重要なのは、スケジュールとコストを監視・コントロールし、計画の変更管理プロセスを確立し、プロジェクト成果物を通常業務に移管すること等である。

・ 終結フェーズにおいては、プロジェクトを振り返り、最終報告書を作成する。

日々雑感

北杜市の魅力を聞きに

2014年11月29日(土)、北杜市の須玉で開かれた「北杜の魅力再発見」という催しを聞きに行った。

内容は、「南アルプスのエコパーク登録と北杜の自然」(輿水達司山梨県立大学特任教授)、「美しい風景を考える~ヨーロッパと日本~」(箕浦一哉山梨県立大学准教授)の各講演、及びパネルディスカッション「考えよう!!パネルが買える北杜の景観」の3本立てと盛りだくさんである。

講演

輿水教授は地質学者という立場から、南アルプスがユネスコエコパークに登録されたこととその紹介をし(因みに、日本のユネスコエコパークは、1980年(昭和55年)に登録された、志賀高原(長野県、群馬県)、白山(石川県、岐阜県、富山県、福井県)、大台ケ原・大峯山(奈良県、三重県)、屋久島(鹿児島県) 及び2012(平成24)年に登録された綾(宮崎県)、2014年6月11日に正式登録承認された福島県只見地域、南アルプスユネスコエコパークを加えた7カ所だそうである(その紹介)、北杜市で、南アルプスを乗せた「ユーラシアプレート」の下に、東方から「北米プレート」が衝突して沈み込み、さらに南方より伊豆半島を乗せた「フィリピン海プレート」が衝突している、地表で「プレートの3重衝突現象」が観察できる世界的にも貴重な景観であること(この説明は、「ほくと市の歩き方」によった。)、糸魚川静岡構造線が見られること(ミニグランドキャニオン)、市全体が八ヶ岳、奥秩父、南アルプスに囲まれた世界に誇れる自然の宝庫(いわば市全体が自然公園であること)等を語った。

ところで私は上記のエコパークのうち綾以外はすべて(山なので)歩いているが、は初耳だった。照葉樹林の美しい森のようだ。

箕浦教授は、環境社会学を専攻している立場から、オランダのフローニンゲン大学で研究をしていたときに撮影されたオランダを始め、ヨーロッパ各地の美しい町並みや郊外、農村の写真を多数紹介して、景観を守るべき社会的な合意のあり方、規制のあり方等の大枠について語られた。

パネルディスカッション

これらを頭に入れた上でのパネルディスカッションであるが、これは北杜市が日照時間日本一ということもあって、太陽光発電施設の建設が殺到し、上述したような美しい北杜市の町並みや景観に大きな影響があるのに(現在既に400が建設されていて4000が認可されているといういささかショッキングな事実も紹介された。)、その建築について住民が関与する余地が全くないという現状に、市民が危機感を抱いているという現状から企画されたものだ。

太陽光発電施設の建築は、国が電気ユーザーの料金を上乗せして高額な買取料金を維持したり税制上優遇したりして積極的に推進している自然エネルギー政策であること、施設が建築される「遊休地」を保有している「地主」にとっては、棚ぼたの話であることから、これを推進しようとする人や企業も多い。しかし経済的な合理性を欠く不自然で人為的な「政策」なので、やがて破綻するのが必至のいつか来た道ではないかとか、誰かが考えた棚ぼたの話にのってうまくいくのだろうかと突っ込みを入れたくなるが、それは政策論、経営論として横に置こう。

ただ太陽光発電施設を建築するにしても、それはこれまで国や自治体が行ってきた「まちづくり」や「景観」から見た審査を受けるのは当然である。

この日のパネルディスカッションのパネラーは何となく大人しくて、太陽光発電施設建築の是非についてはいろいろと意見があるから地域で話し合って合意を形成しようという、それ自体はまともだが、その場はどこかという方向性に欠けていたと思う。しかし最後に会場から、こんなことをしていたら都会の観光客は来なくなるよとか、遊休地を抱えている農民は食べるのさえ困難でこんなことをいうのは都会から来て木を伐採して住んでいる金持ちの戯言だとか、土地を提供する人は何がどうなるかも、地域の人がどう考えるのかも分からず、場合によっては都会の業者の騙されてさえいる、地域の会話が必要だとかの意見が出て、ずっと深みのある「ディスカッション」になった。

問題は「北杜市の行政」である

私は今回北杜市にある何カ所かの太陽光発電施設をみたが(以前、守屋山の登山口に建築されている異様な施設を見たこともあった。)、北杜市内では、建物(別荘)とかの建築について厳しく制限して自然に溢れる「まちづくり」をし、「景観」についても配慮してきたはずなのに、市民の居住地域にさえ、画然と太陽光発電施設が現れるのは、率直にいって不快であった。ただ多くの禁忌施設がある中で、太陽陽光発電施設の危険性や不快性、醜悪性のレベルは高いとまではいえないだろう。実際に建築される地域の状況に応じて、その是非、及び内容が審査されるべきだろう。

ところで、北杜市には「まちづくり条例」もあれば、「景観条例」もある。その方向性を詳細に検討した、「まちづくり計画」も「景観計画」もある。その内容は実に立派なものである。その延長上で市民の意見を聞くという手続を経て必要な審査をすれば、自ずからまちづくりや景観、自然への影響の大きい太陽光発電施設は建築されず、そうでないものは建築されるということになったであろう。

ところが「北杜市の行政」は、法の改正手によって太陽光発電施設は「工作物」ではなくなったので、「まちづくり条例」も「景観条例」も規制が及ばないという実に愚かな議論を振り回して(この点については別に詳述する。)、太陽光発電施設の建築を野放しにして上述したような現実を招いてしまった。

北杜市は、いずれも私が代理人として関与した旧小淵沢町の談合事件や情報公開事件において愚かな主張をしていずれも敗訴したのに、今回はより質の悪い「政策的考慮」に基づいてかかることをしている。仏の顔も三度という言葉もある。このような現状を改め、反省させるために、今度は、市長や市幹部に直接法的手段を執れないか、北杜市民と共に考え、実行していきたい。繰り返すが私が実現したいことは、単に、太陽光発電施設も「工作物」として北杜市の「まちづくり条例」や「景観条例」の対象となるという当たり前のことである。