法とルール

「専門知識」を提供する仕事の明日はどうなるか、そのような仕事に携わるすべての人に一読をお勧めする

この本「プロフェッショナルの未来  AI、IoT時代に専門家が生き残る方法」(The future of the profession)の著者のサスカインド親(リチャード・サスカインド)は、イギリスの法律家で、かねて「The End of Lawyers?: Rethinking the nature of legal services 」や「Tomorrow’s Lawyers: An Introduction to Your Future」を書いて、ITが法律業務をどう変えるのかということに論陣を張っていたが、この本は、子のダニエル・サスカインドとの共著で、視野を専門職一般に広げ、ITとAIがこれらの専門職のありかたをどう変えるかを、詳細、緻密に論じている。

しかし問題は専門職に止まらず、必要としている者にまともな「知識」を提供することを生業とする仕事は、明日はどうなるかと捉え返すことができる。

専門職として取り上げられ(第2章)当該業務へのIT・AIの浸透状況が検討されているのは、医療、教育 、宗教、法律、ジャーナリズム、経営コンサルティング、税務と監査、建築である。この章だけでも、IT・AIについて、まっとうな観点からの新しい情報として一読に値する。特に医療は、今後完全にIT・AIに制覇されるし、それが必要不可欠なことがよくわかる。その他の業務については、内容も方法も、凸凹がある。

専門職を軸にしていること

もともとサスカインド親は、80年代に法律のエキスパートシステムの開発を志し、上記の2著作もまさに法律業務をターゲットにしている。したがってこの本が順を追って専門職の業務内容を分析し、いかにその業務の多くがIT・AIによって置き換えられるかを懇切丁寧に論じているのは、主として頑として動かない法律家をを対象にしていることは明らかである。

ところで、専門職で使う分析手法を、定性的、定量的と分ければ、定量的な部分が大きいものは、文句なしに、IT・AIになじむし、そちらの方が効率的だから、その仕事の一部がIT・AIに置き換えらていくのは当然だろう。実際上記であげられた専門職の中でこれまでの仕事のありかたを変えることに抵抗があるのは、法律と教育ぐらいではなかろうか。しかも教育は予算が付けば 柔軟に変わるだろうし(宗教、、ジャーナリズムは、その業務内容もIT・AIの利用方法も意味合いが違うだろう。)。

したがって、著者の論述の限りで、専門職や、それに止まらず「専門知識」を提供するすべての仕事にとって、この本の分析が核心を突き、大いに参考になるのは間違いない。過日、私は、「人工知能の哲学」の著者のAIの今後の分析(第5章)は冷静であると指摘したが、この著者は、多少うちわであおいでいるところがある。しかし前者はバブリーな環境で「冷静」にふるまったものであり、この本は、頑なに動かない法律家を、あおいだものであり、言葉遣いに関わらず、ほぼ同じ分析に思える。

この本の、「専門知識」を提供する仕事とテクノロジーの関係についての分析は、ゆっくりと紹介したいのだが、今は先を急ぐので後日を期したい。

著者の法律家(専門職)についての分析には賛成したうえで、私は、少なくても我が国における法律業務のあり方については、IT・AI以前に、前提的に検討すべきことがあると思う(イギリスの法律家もこういうブレーキをかけそうだ。)。

法律業務の基本的な問題

私は、現時点で、(少なくても我が国の)法律家がする業務には大きな二つの問題があると考えている。ひとつは、法律が自然言語によるルール設定であることから、①文脈依存性が強く適用範囲(解釈)が不明確なことや、②適用範囲(解釈)についての法的推論について、これまでほとんど科学的な検討がなされてこなかったこと。ふたつめは、証拠から合理的に事実を推論する事実認定においても、ベイズ確率や統計の科学的手法がとられていなかったことである。

法律の「本来的性質」が命令であろうと合意であろうと、また「国家」(立法、行政、司法)がどのような振舞いをしようと、上記の観点からクリアな分析をして適切に対応できれば、依頼者の役に立つ「専門知識」の提供ができると思う。

私はこのような方向性を支えるのがIT・AIだとは思うが、まだ具体的なテクノロジーというより、IT・AIで用いられる論理、言語、数学(統計)を検討する段階にとどまっているようだ。前に行こう。

感想

ふたつほど感想を述べたい。

やはり、法律業務については、自然言語と権威が絡むから、少しIT・AI化が遅れるかな。誰が旗を振るインセンティブを持つかという問題もある。

それと、IT・AIを支える物質的な基盤は明日にでも世界に大惨事が起こって崩壊するかもしれない。そういうとき、どうやって生き延びるか、「この文明が消えたあとの科学文明のつくりかた」でも読んだ方がいいかな。それにしても、最近のイギリスの本は、なかなか素敵だ。もう少しして「ポストキャピタリズム」も紹介したい。

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組織の問題解決

お薦めはするが

この本は、「ニューズウィーク」でIT記事の担当だった50歳過ぎの記者である著者がリストラされ、販売拡大のためのブログツールの開発・販売をするIT企業「ハブスポット」(つい最近、Googleとの提携が報じられていた。)に転職して退職するまでの毎日の経験を辛辣に描いたものだ。スタートアップ企業の「IPO狂騒曲」の現場の活写として嗤えるし、面白い。

派手な宣伝とイメージ戦略で大量採用した低コストの若者社員たちが働くのは、キャンディの壁、ビール、ワインが出る蛇口のある遊び場オフィス、自己啓発研修は、ほとんどカルト宗教。画期的な技術もなく赤字の垂れ流しだが、とにかく売上を増やしていってIPOに持ち込めば、創業者と一部の投資家だけに株で莫大な資産が手に入る」という環境の中で 「ハブスポットのお飾りシニア社員ってどんな感じ?」と取り扱われた著者が「ハブスポット」を含むシリコンバレー企業に対する「生活と意見」を綿々と綴る。更には、日本ではあまり見かけないような、これらの企業での採用、解雇、差別、投資等々の実態も批判される。

そして、著者は、同僚との行き違い、対立、嫌がらせ!攻撃等々の過程を経て、最後は直属の「上司」との泥仕合、IPOを経て、解雇となる。

更にはその後「中年のジャーナリストが、イカれた社風になじもうと奮闘する、面白おかしい回顧録」(この本)を書いたことを「ハブスポット」に伝え編集者にその草稿を送った16日後に、直属の「上司」、その他の上司が解雇や懲戒処分を受けたが、その過程で何らかの違法行為があったようであり、FBIも関与したが立件はされず、結局何があったのかは、はっきりしない。普通に考えればこの本の情報を事前に入手しようとしていハッキング等の違法手段をとったということだろう。

違うこと

この本の中身は、ことの真実の3分の1しか伝えていないような気がする。①著者が感じた居づらさは、「幼稚園」に辛気臭い「良識」を持ち込もうとして相手にされなかったということ、②著者の経験を離れても今のシリコンバレー企業にはとても危うい面があるということ(何回も繰り返されたことだ。)、③さらにはそうであっても、シリコンバレーにはこれまでとは違う「知性」があり、人を熱狂させたりお金を呼び込んだりする魅力があるということだ。この本には①が多く、しかも①から②が書かれているので、多少いやになる。③は故意に避けているのだろう。

もっともこの本の中で触れられているシリコンバレーの話は、③から見ていては気が付かないものも多く、物事を立体的に見るる上でとても参考になる。

だからお薦めはするが、複雑な感想を生む本だ。

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社会と世界

おじいさんのため息

私がまだ大学生だった頃、この本の著者の、当時は最先端だった計量経済学に関する本を購入し、その「数学を利用し科学となった経済学」にため息をついた記憶がある。

時は移り、著者は、「数学の僕」と化した経済学を批判し、内外を問わず経済学者の知のあり方を批判し、経済政策や大学制度に関する、政治家、日銀、役人、経済人、更には審議会入りしているコンサルタントや経済学者、その他諸々の言動を批判する。

この本に書かれていることは、世代的にも実によく分かるし、批判の内容はほとんど賛成できる。でも私は、批判の対象とする事象にほとんど興味がわかない。「モラル・サイエンスとしての経済学のリバイバル」もどうだろう。なんだか、おじいさんの「ため息」を聞いているようだ。

「大学人の経済学者」が見る世界

大学の先生は、給与をもらって、「研究」と教育にいそしむ立場にある。その置かれた「下部構造」が「上部構造」である「意見」を規定する(ことが多い。)。

著者が、数学に堪能で、豊富な在米研究の経験を有し、経済学のみならず科学哲学、歴史等を研究し、「人文知と批判精神」を評価していても、どうも著者の批判は、「給与をもらって「研究」と教育にいそしむ」という固有の安全な立場、器から出ていないので、余り面白くないし、核心をそれているような気がする。「研究」の有り様は自ら打ち壊していけばいいし、有効な経済政策があると思うのなら、そのような立場に飛び込めばいいと思うのである。

今、大部分の人が住む世界は、もう少し、ビビッドで危ういと思う。

またこの本は、大学制度や入試制度の話題が多くを占めているが、私は大学にはほとんど行っていないので(卒業証書は、1年遅れてもらいに行きましたが…)、大学制度や入試制度は勝手にすればといいたくなる。もちろん大学で「制度化された専門的な分野」について「集中」的な訓練を受け、ある種の技能を身につけることはとても大切である。自学自習で何かを身につけるのはとても難しい。自分の息子や娘が大学で何かを学び身につけた形跡があるのはとてもうらやましい。私も大学に行きたかった!

だから結局、そのような場が確保できればいいだけだ。「学ぶ」ことはそんなに変わりようがないので、生半可な理解で現状や外国の制度に飛びつき、制度をいじればいじるほど事態は悪くなるだろう。歴史的な経験(寺小屋は、大学ではないなあ。藩校?)に学んだ方がいいだろうな。

結論

著者は思考力・判断力・表現力を身につけるには、「言語リテラシー」、「数学リテラシー」、「データリテラシー」が不可欠だという。「データリテラシー」は、IT+統計学であろう。実に正しい。でもそのためには「経済学」がいいというのは本当かな。

とにかく、高校卒業程度の(できれば大学の専門課程で使用するに足りる)数学(含統計学)と英語は何が何でも身に付けよう(何十年もいい続けているような気がするが。)。それができれば、「大学コンプレックス」は払拭されるし、「数学バカ」、「英語バカ」に盲従し、騙されることもなくなる。

さらには、著者の勧める「人文知と批判精神」に、進化論と自然科学、更にはIT・AIを身につけ、自由奔放にアイデアを組み立ってて行ければどんなに楽しいだろう。「そういうものにわたしはなりたい」。間に合うかなあ。

著者が紹介する「米国の大学の授業でよく使われている文献トップ100」にリンクさせておく。