日々雑感

 

羽田空港から淡路町への移転の中での「かくも長き不在」

羽田空港の法律事務所を後にしたのが2月末。3月いっぱいは、移転したカクイ法律事務所での片付けと仕事の態勢づくりに追われ、さて4月になったので、これから新しいことに取り組もうと思っていたその第1日目である4月1日、中高時代の友人とイタリアンでこれからの人生について気炎をあげたその帰りの電車で、久しぶりに痛風の発作、しかも今までにない大発作に襲われてしまった。大きな痛みは3週間くらいで収まったものの、足や膝の小さな痛み、違和感は、2ヶ月くらい続いた。そこへ、膨大な時間を要する、某訴訟及び某市の議員サイドから依頼された条例作りの仕事が重なり、動きたくても動けない中での、実に悲惨な4月、5月となってしまった。

それでも少しずつ回復し、スポーツクラブのジャグジー(元は子供用プール)を歩くことから始め、土・日に散発的にしていた超超スロージョギングが再開できたのがつい10日前、でもまだ初心者コースであっても山歩きをする「勇気」はない(途中で、万が一歩けなくなると思うと…)。しかも痛みが取れてからも、思いどおりに動けない日が続いたので、体力そのものが落ちてしまい、筋トレもウォーキングもやる気がしない結果、直近の健康診断で、史上最高の、体重、腹囲を記録してしまった。早くもとの普通のメタボに戻りたい!

しかし徐々に事態は好転しつつある(に違いない。)。仕事は、もう大丈夫だ。山歩きも、もう少ししたらできるだろう。しかも、4歳になったばかりの最愛の孫娘から、最近「じいじは、すごい山に、どんどん登るんだって。」と言われたのだから、「山男大復活」しかない(こういう気負いが、よく「遭難」の原因となる。)。

これが今回のかくも長き不在の理由だ。でもよく考えると、WEB投稿の不在の理由にはならないような気がする

弁護士の仕事をしよう

3年前、羽田空港に法律事務所を設けたときは、以後は、ビジネスジェット機を利用した国際医療搬送事業の立ち上げに注力し、基本的にその範囲内で弁護士業務をしようと思っていたのだが、諸事情により「出発は遂に訪れず」。淡路町への事務所移転を契機に、新しい気持ちで弁護士業務に取り組む意気込みがわいてきたが、痛風で2ヶ月丸々頓挫したのは、上記のとおりである。

さて私が基本として取り組む仕事の分野は、会社法と行政法であり、応用分野として、知財法、IT・AI法、医事法、労働法、税法、環境法(含都市計画、廃棄物処理、FIT等)、航空法等を視野に入れている(もちろん、普通の市民が遭遇する民事事件も、やります。)。

ここで正直に言うと、私はこれまで余り「法律」が好きでなかったので、国際医療搬送事業の立ち上げに関与しようと思ったのだが、この点は、淡路町に来て、大きく「転向」した。

その原因は、ひとつは、「法律」を「命令」というより承認による「ルール」だと考えると、法律自体の改革も視野に入れて、これを有効に利用、活用できるし、すべきだと今さらながら気がついたこと、もう一つは、某市の議員サイドから依頼された条例を一から書いて見て、法令の作成(立法)作業はなかなか面白いし、その適用を考えることは「ゲーム」だなと思ったことである。何と私は、深夜、スマホやタブレットの法令集で、今まで見たことも触ったこともない法令を読んで、その位置づけや意味を解析するのが誠に面白いと思うようになったのである。

要するに「法律」は、「ルール」に基づく「ゲーム」なのだ。

そうすると、今までできが悪くて見るのも嫌だと思っていた「会社法」や、どこに何が書いてあるのだか、膨大な法令の関係に途方に暮れていた「行政法」も、楽しくなってきた。その他の個別法も、解読するのが苦痛でなくなった。

ただ急いで言うと、今現在我が国で起案されつつある法令は、複雑で、非常に分かりにくいという傾向がどんどん加速されている。その原因であるが、ひとつは、「()書きの多用」によって、解読するのが極めて難解になっていること(起案する側からすると、勝手な指示ができる()書きは極めて便利である。)、ふつめは、いくら長文(あるいは長文と短文の羅列)になろうと、「並びに、及び」、「又は、若しくは」を、法令執務に従って正確に表現しようとして日本語として見苦しくなっていること(これは慣れると、係り受け関係が分かりやすくなるが、文章を短くすればいいのである。)、みっつめはもともとスッキリしていた法令に増改築を繰り返した結果、もとも構造が分からなくなってきていること等を指摘できる。

現在の複雑怪奇な法令の作成作業は、パソコンがあるからこそできるのであって、紙に鉛筆で書くのでは、到底できない。しかし、ヒトの「ルール」としては、紙に鉛筆で書いて作成できるぐらいの内容が、ちょうどよい。それ以上複雑になると、「評価」の基準にはなっても、日常生活で「履行」することは難しい。

私は、「ルール」に基づく「ゲーム」を、少しでも市民サイドに押し返すため、法律の平易化の方法を考え、提言していきたい。

これから

ヒトは、「生命」の進化の過程で生まれ、その「認知システム」を作り出したのも進化であり、さらにこれに乗っかっているヒトの特質ともいえる「言語」も同様である。「ルール」に基づく「ゲーム」を、演じているのはそういう(AIと対比される知能=認知システム、言語を有する)ヒトである。

私が4月1日からやろうとしていたのは、まさにそういう位置づけを持つヒトの「社会」の解析作業であったが、最近、「決断科学のすすめ」という本を入手した。これはまさに私がやろうとしていた作業の基礎的な部分のまとめを実に要領よくやってくれていて、びっくりだ。その内容の紹介は、別途するが、とにかく書名を上げておく。

もうひとつ、このようにかくも長き不在の後に言うのも何であるが、このWEBの「抜本的改革」をすることにした。要するに、Wordpress,comをWordpress,orgに移転しようと思うのだ。今後は多分、サーバーから始まって、愚痴の集積をお目にかけることになろう。できるかなあ。

 

法とルール

一口コメント

「法とルールの基礎理論」に関する本をまとめてみた。本棚にあって目についた本をまとめただけなので、決してこれが最良というわけではないし、網羅的でもないが、悪くない本が集まった。

1、2は、人類史の進化論的論点を踏まえた上で利他行為やルールの存在について解明しているので、視野を広げ、適切な出発点を設定するのに適している。2は、読むのに疲れるが。

3は、最近出たものだが、国家に関する幅広い論点を取り上げた上、わかりやすく説明しているので、とても参考になる。国家が適切に果たすべき役割がたくさんにあるということを冷静に理解させてくれる。国家と聞くと頭に血が上って感情的な議論をするだけではだめだと反省。

ただ、3の出発点はヨーロッパの近代国家なので、それ以前、それ以外の地域について、「法人類学」も研究しているという4が、多少古めかしい分析だが参考になる。

法のあり方を考察するためには、5ないし10が、それぞれ特色ある良書だと思う。特に6は、どうして、法哲学、法思想というマイナーな分野に、こんなにわかりやすく説明しようとした、受験のためのトピック集のような本があるのかびっくりだ。10は、ちょっと手に入らないかもしれない。

11は、ここで紹介するのが適切かどうかわからないが、5ないし10で法学者がご大層に語る日本の法律実務のレベルがどうなの(行政分野だが)という、日本文化論としても読めるお笑い「実務書」だ。12は、広い観点から日本の司法の現状を分析している。13、14は、元裁判官が日本の裁判所を痛烈に批判している。

15、16は、外国にも目を向けましょうということだが、どちらもとても面白い。

17から19は、日本で研究、教育をしている外国人の研究者、実務家の、裁判所、日本の法文化、弁護士論。いずれもとても面白い。

紹介

1

クリストファー ボーム 長谷川 眞理子
白揚社
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Basic Books (2012-05-01)

2

ルールに従う―社会科学の規範理論序説 (叢書《制度を考える》)
ジョセフ・ヒース
エヌティティ出版
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Following the Rules: Practical Reasoning and Deontic Constraint
Oxford University Press (2008-10-16)

3

国家の社会学

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佐藤 成基
青弓社
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4

世界の法思想入門 講談社学術文庫

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講談社 (2014-11-28)
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5

法学入門

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星野 英一
有斐閣
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6

よくわかる法哲学・法思想 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)
深田 三徳 濱 真一郎
ミネルヴァ書房
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7

現代法哲学講義

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高橋 文彦 桜井 徹 横濱 竜也 郭 舜 山田 八千子 浅野 有紀 鳥澤 円 藤岡 大助 石山 文彦
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法理学講義

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田中 成明
有斐閣
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法社会学 (NJ叢書)

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法律文化社
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法政策学―法制度設計の理論と技法

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平井 宜雄
有斐閣
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11

行政法解釈学〈1〉実質的法治国家を創造する変革の法理論
阿部 泰隆
有斐閣
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行政法解釈学〈2〉実効的な行政救済の法システム創造の法理論
阿部 泰隆
有斐閣
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12

テキストブック 現代司法

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木佐 茂男 佐藤 鉄男 川嶋 四郎 水谷 規男 宮澤 節生
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絶望の裁判所 (講談社現代新書)

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14

ニッポンの裁判 (講談社現代新書)

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講談社
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15

はじめてのアメリカ法 補訂版

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樋口 範雄
有斐閣
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16

開発法学の基礎理論―良い統治のための法律学
松尾 弘
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名もない顔もない司法―日本の裁判は変わるのか (NTT出版ライブラリーレゾナント)
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裁判と社会―司法の「常識」再考 (日本の“現代”)
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NTT出版
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19

手ごわい頭脳―アメリカン弁護士の思考法 (新潮新書)
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法とルール

<日本の法律>のありようを変えよう

会社法、金融商品取引法、個人情報保護法、公職選挙法、政治資金規正法等々、私は、これらを含む多くの法律、政令、規則、ガイドライン、マニュアル等に基づいて行われている現在の日本の<法治主義>は窒息寸前であり、日本の多方面での衰退の少なからぬ理由が、これらの法令の内容とその適用のあり方にあると考えている。

個々の法律の内容の政策としての妥当性は、ここでは暫く置くこととする。それ以前にこれらの法律の構成や表現に大きな問題がある。

誰がこれらの<日本の法律>を読んでこれに従って行動するのか

一番の問題は、これらの法律を誰が読んでこれに従って行動するのかということである。

国民、しかもすべての国民。冗談ではないだろう。一度読んでみればいい。

規定されている問題領域に利害関係、関心がある、ある程度の熱意と学力のある関係者。しかしこれらの法律は、長大、複雑、難解であり、例えば高校卒業程度の学力があり熱意があっても、これらの概要を頭に入れて、これに従って行動する行為規範として機能することを期待するのは無理である。これが私の認識である。したがてまず立法について決議する国会議員は、自分らが読んで分からない法律案は、すべて立法担当者に突き返すべきである。それが審議の第一歩であろう。

問題は、これらの長大、複雑、難解な立法を支えるのは、立法担当者の頭の能力、記憶ではなく、外部記憶、要するにパソコンを利用した、コピー&ペースト立法であるという率直な現実である。自分がコピペによることで初めて条文化が可能な法律を、国民は頭に入れて従えというのは、後出しじゃんけんのようなもので、役人が良くやる方法である。

それと、これらの<日本の法律>には、口語化に伴い、日本語としての構文、文法、論理性としておかしいのではないか、立法担当者の含意が社会的に共有化されていないのではないかという問題もある。特に題目語「は」の用法がとても不安定である。

ただ、これだけを、立法改革の道具とするのは、なかなか苦しい。自分の頭に入らない条文は作らない、日本語として分かりやすいものにする、「は」の用法を精査する、これだけでもかなり違うと思うが、いかんせん「理念」、「方法論」がない。

どういう突破口があるのか

これについては、もともと「」立法の平易化―わかりやすい法律のために」という問題意識を持った学者が集まって、上記の本を作ったが、ご説、ごもっともという状況の中で、立法担当の役人に「正確に表現するためにはやむを得ない面がある」というそれ自体は当然の言訳をさせたまま、問題を深めることができずく、それ以上進展しなかった。

「立法の平易化」のために、自分の頭に入らない条文は作らない、日本語として分かりやすいものにする、「は」の用法を精査する、という方針は正しいが、それを支える考え方、方法論はないか。

「法の支配」という視点

この点、長谷部恭男教授が「法とは何か—法思想史入門 (河出ブックス)」で述べる「法の支配」に関する次の指摘は、とても示唆的である。

「法は道徳と無関係ではありません。ある意味では、道徳の1部であるとさえ言うことができます。しかし、法に存在意義があるとすれば、それは、一人一人が自分に当てはまる道徳は何かを考えるよりも、法に従った方が、自分が取るべき行動をよりよくとることができる、という事情があるからです。そのためには、一般的な理由付けとしての道徳とは独立に、法は何かを見分けることができなければなりません。

さて、この問題は、「法の支配」という概念でくくられる一群の要請と深く関係しています。法の支配という概念もいろいろな意味で使われます。ときには、人権の保障や民主主義の実現など、あるべき政治体制が備えるべき徳目の全てを意味する理念として用いられることもありますが、こうした濃厚な意味合いで使ってしまうと、「法の支配」を独立の議論の対象とする意味が失われます。およそ政治体制について良いことはすべて「法の支配」に含まれることになってしまいます。これから議論する「法の支配」は、現在の法哲学者や政治哲学者の多くが標準的に使う意味合い、つまり、人が法に従うことが可能であるために、法が満たしているべき条件、という希薄な意味のそれです。

法の支配は人の支配と対比されます。ある特定の人々の恣意的な支配ではなく、法に則った支配が存在するためには、そこで言う法が人々の従うことの可能な法でなければなりません。そのために法が満たすべき条件として、次のようないくつかの条件が挙げられてきました。

1つは法が公開されていることです。政府の関係者だけが何が法かを理解していて(たとえばラテン語に書かれているとか) 、一般市民には知られていないようでは、一般市民は法に従って生きることはできません。また、法の内容は明確であることが必要です。「正しく生きよ」というだけの法では、どのようにしたらよいかはわかりません。「人をむやみに傷付けるな」とか「道路は右側を歩け」といった分かりやすさが必要です。ただ、明確ではあっても、法の内容が個人ごとに、また、個別の場面に限定されて細かく決まっていて、相互の関連がわからないようでは、やはり困ります。同じ道を運転するにも、Aさんは右側を通り、Bさんは左側を通るべきだということでは、誰もが安心して車を運転できなくなります。これでは、向こうから安心して運転してくるのが右側通行の車なのか左側通行の車なのかがわかりません。

また、たとえ明確で一般的な内容を持っていたとしても、朝令暮改の有様で、昨日通用していたはずの法が今日は別のものに変わっているというなことでも、やはり法に従って生きることは不可能です。状況の変化に応じて法も改正されていかなければなりませんが、それでも、ある程度の安定性が必要となります。そして、複数の法が互いに矛盾・衝突しないことも重要です。ある法によればタクシーの営業の許可はいらないことになっており、別の法によるとやはり許可がいることになっているとなると、許可がいるのかいらないのか判断がつきません。法が前もって定まっていることも肝心です。すでにやってしまった行為を、後から作った法に基づいて罰したりすることも法の支配に反します。行ってしまった後から出来た法に従うことはできるはずがありません。法律学の世界ではこの事を「事後法の禁止」とか「遡及処罰の禁止」という概念で表します。

さらに法が実行不可能なことを要求しないことも、法の支配の要請の1つです。いくら明確に前もって知らされている法であっても、「政府の要求があれば10分以内に役所に出頭せよ」などという法に従うことはできないでしょう。

そして仮に法がが以上のような要請を満たせしているとしても、その法を適用する公務員が法の定める通りに適用することも必要です。そのためには法が適正に運用されるようコントロールする裁判所の役割も重要となります。

こうした、法の公開性、明確性、一般性、安定性、無矛盾性、不遡及性、実行可能性などの要請が、法の支配の要請と言われるものです。法の支配が成り立つために、こうした条件が要請されること自体は、一般的な実践理性の要請です。法の定めがあって初めて要請される事柄ではありません。

法の支配の要請が守られ、政府がどのように行動するかが一般市民に前もってわかっていて予測可能性が保障されていれば、市民の側としても、自分がどのように行動すべきか、合理的に計画することが可能となりますし、人は自分の幸福を実現しようとして行動を計画するものでしょうから、結果的には、社会全体とし見ても、より多くの人が幸福な暮らしを送ることができる、少なくともその条件を備えることできるといえるでしょう。カントは法の役割とは、多様で相衝突する道徳的判断をする人々の自由な行動を互いに両立させることであると考えましたが、そうした法の役割も、法の支配の妖精を守ることで初めて十分に果たすことができるでしょう。」

長谷部教授は、憲法学者であるから、身をもって行政法規の長大、複雑、難解な場面に立ち会っていないのかも知れないが、そのような場面でこそ法の明快性が要求される。「法の支配」というのは、法の平易化を考える場合に、極めて重要な視点である。

「開発法学」の視点

それと全く偶然だが、昨日、「開発法学の基礎理論: 良い統治のための法律学」(松尾弘著:勁草書房)という本を入手した。「 開発法学は社会の開発を促し、人間の幸福を実現する手段として法を捉えている」、「本書は開発法学の対象領域を発展途上国の法整備への協力に限定せず、あらゆる国家における開発のための法制度改革を視野に入れる」、「社会を、個人、組織、制度および規範体系という4つのレベルからなるものと捉え、その統治システムを構築し、維持するための法制度及び法改革のあり方を探求する」という方法論は、私が日本における立法改革のあり方ととして考えることと共通する。まだ、内容は検討していないが、発展途上国の法整備支援の中で守られるべき法のあり方を我が国にも適用するということはとても興味深い。何よりもプラクティカルであることがいい。

「法と経済学」、「正義論」及び「日本語論」の視点

その他、個別の法律の内容の妥当性の検討も重要であり、そのためには「法と経済学」(ただし、私の見るところ、「法と経済学」をいう人は、多くのの仮定に基づいて推論される「結論」に飛びつきすぎる。)及びロールズの「正義論」(私は、殆ど知らないが)の観点から検討するのが良いのであろう。

既に指摘した「日本語論」の観点も重要である。立法担当者は「正確な表現をしている」というのが、一番のよりどころだろうが、従いようのない規制は、規制自体が無意味なものだ。

いずれにせよ、<日本の法律>のありようの改革について、具体的な方法に基づいて具体的な提言をしていかないと、単なる床屋政談、居酒屋放談で終わってしまう。少しずつでも、考えていきたい。