本の森

(著者:ポール・メイソン)( Postcapitalism: A Guide to Our Future)

これからの仕事と生活を考える材料に満ちているが…

これからの私たちの仕事と生活を考えるために「ポストキャピタリズム」を紹介したい。著者は,イギリスのBBCの元キャスターで,ジャーナリストという人だそうだが,本書を読む限り非常に教養があり,かつ経済学やわが国では今はほとんど死に絶えた「マルクス主義」にも造詣が深く,鋭角的な議論をする人だ。その鎧の内側に,これからの仕事と生活を考える材料が満ちていると感じた。ITとAIへの道筋として紹介したい。ただ,本書の,構成や流れには難があり,どうしてここにこんなことを書いているんだろうと思う個所も多い。それと翻訳がおかしいせいだと思うが,何が書いてあるか推測するしかない個所も多い(ような気がする。原書を買って確認しようと思ったが,なぜか今,このKindle本が購入できない。)。

 

内容の要約

この本の内容について,著者自身が投稿した「日本人が知らない「プロジェクト・ゼロ」社会 英国人ジャーナリストが描く「資本主義」以後」という記事がある。

その冒頭に,

Ⅰ「機械や製品の製造コストはゼロ,労働時間も限りなくゼロへ」「生活必需品や公共サービスも無料」

Ⅱ「民営化から国有化へ」「公共インフラを低コストで提供し,単なる賃金上昇よりも公平な財の再分配へ」「ベーシックインカムで,劣悪な仕事は姿を消す」「並行通貨や時間銀行,協同組合,自己管理型のオンライン空間が出現」「経済活動に信用貸しや貨幣そのものが占める役割がずっと小さくなる」

Ⅲ(村本が追加すると)2050年の大問題は「エネルギーの枯渇,気候変動,高齢化,人口増加,移民である」。

と掲載されている(これは著者が作成に関与したかどうかは分からない。)。

しかしこういうまとめ方をしたのでは,本書の魅力は伝わらないだろう。

本書の出発点

本書の出発点は「情報」「知識」であり,「第5章 ポスト資本主義の予言者」で論じられていることは,現在の「情報」「知識」に係る事実,ないし当然に予測される「近未来像」である。少し内容を引用しよう。

筆者は,ドラッガーを持ち出す。「1993年,マネジメント研究の第一人者であるピーター・ドラッカーはこう書いた。「知識は数あるうちの1つに過ぎない資源でなく,何よりも不可欠な資源となった。このことが,『ポスト資本主義社会』をもたらし,社会構造を根底から変える。新たな社会的ダイナミクスを生み出し,新たな経済的ダイナミクスを引き起こす。そして新たな政治を作り出す」」。「当時80歳を過ぎ,経済学者ヨーゼフ・シュンペーターの弟子として最後の生き残りとなったドラッカーは,時代にやや先んじたが,その洞察は正しかった。」「ドラッカーの洞察は,それまで生産要素とされてきた「土地」,「労働」,「資本」よりも,「情報」が重要になった,という主張に基づいている。」。

「どうすれば知識の生産性を向上できるか。」について,「異なる知識分野をつなぎ合わせることで,既存知識の生産性を高める方法を大いに習得できる」ための「教育の改善」だ。「ところが,人類はより優れた解決策を考え出した。それは「ネットワーク」である。「ネットワーク」は集権的な計画やマネジメントグループの関与によって生まれたのではなく,系統化された情報経路や情報形式を利用する人たちの交流によって自然に生じた」。

「1990年に米国の経済学者ポール・ローマーは,近代経済学の重要な仮説の1つを崩して,情報資本主義の問いを主流の中に押し込んだ…ローマーは,技術革新は市場原理によって駆り立てられるため,それを経済成長にとって偶然な要因とか外的な要因として扱うのではなく,経済成長に内在する(「内生的」の)ものであると考えなくてはならない…技術革新そのものを,成長理論の中に据える必要がある…情報資本主義に特化した提案を考えついた。そして,技術変化を「原材料を混ぜ合わせるための説明書を改善したもの」とわざと簡単な言い方で定義した。モノとアイデアを切り離して考えた。」。

「新しい説明書を作成するコストが発生すれば,それ以上コストがかからないように,何度も繰り返して使える。新たに改善された説明書を作成すれば,固定費がかかるということだ」,「この簡単な作業,いわゆる「コピー・アンド・ペースト」こそが,彼の言う革命的な可能性なのだ」。

「200年もの間,経済分析の根本的なカテゴリーは,土地,労働,資本であったが,そうではなくなった。これは,人,アイデア,モノにより取って代わられたのだ。……よく知られた希少性の原則は,潤沢という重要な原則によって改良されていたのだった」。

「先見の明がある人とはジャーナリストのケヴィン・ケリー(<インターネット>の次に来るもの」や「テクニウム」の著者である。)のことだろう。彼は1997年にこう書いた。私たちの時代の大きな皮肉を挙げるとすれば,コンピュータの時代が終焉を迎えたことだろう。すでに独立したコンピュータによる成果はすべて得られている。確かにコンピュータは私たちの暮らしのスピードを少しだけ速くしたが,それもここまでだ。その一方で,今,最も将来性のあるテクノロジーが展開しようとしている。コンピュータ同士のコミュニケーションである。つまり,演算ではなくコンピュータとコンピュータ コンピュータをつなぐテクノロジーだ」。

ドラッガー,ポール・ローマー,ケヴィン・ケリー(「<インターネット.>の次にくるもの 未来を決める12の法則」,「テクニウム」の著者),さらには引用はしなかったが,「限界費用ゼロ社会」(著者:ジェレミー・リフキン)を持ち出しての議論は,適確だし,魅力的だ。

このあたりから目次は,「カオスの瀬戸際にまで近づく──ネットワーク経済と「限界費用ゼロ」/新たな生産様式?──オープンソースによる分散と協働/無料の経済学/一般的知性──誰が「知識の力」をコントロールするか/認知資本主義は第3の資本主義なのか──社会の工場化/ポスト資本主義の仮説/ネットワークと階層制との闘い」と続く。

ここらあたりまでを読むと冒頭の「機械や製品の製造コストはゼロ,労働時間も限りなくゼロへ」「生活必需品や公共サービスも無料」の意味合いがわかるだろう。

労働価値説の再興?

さらに著者は,このような「限界費用ゼロ」を説明するには「効用」より「労働価値説」の方が適切だとして,「【第6章】無料の機械に向けて」を展開する(「労働価値説」を再考する/労働が価値の源/数字による労働価値説/もっともな反論……/労働価値説の生産性/「未来の事物」を避けること/なぜそれが問題なのか……/カール・マルクスと情報機器/機械が考えるとき/混合経済での無料の機械/存在することが困難な情報資本主義)。

確かにマルクスが「「経済学批判要綱」の中に残した「機械についての断章」は,1858年に書かれたままお蔵入りしていたことを知ると,へーとも思うが,いまさら持ち出さなくてもいいのではと思ってしまう。労働価値説で説明するほうがわかりやすいといえばそうだが,これに飛びつく必要もないだろう。

2050年の大問題とその解決

上記したように,Ⅲ2050年の大問題が,「エネルギーの枯渇,気候変動,高齢化,人口増加,移民である」というのは,ごく常識的な見解であり,これを現在の資本主義政府の指導者がトップダウンで解決することは至難の業であり,ボトムアップ,試行錯誤で解決していくしかないだろう。

その上で上記Ⅰを踏まえ,Ⅱの「民営化から国有化へ」「公共インフラを低コストで提供し,単なる賃金上昇よりも公平な財の再分配へ」「ベーシックインカムで,劣悪な仕事は姿を消す」「並行通貨や時間銀行,協同組合,自己管理型のオンライン空間が出現」「経済活動に信用貸しや貨幣そのものが占める役割がずっと小さくなる」等があれこれなされていくだろうが,どれがうまくいくかはわからないがという流れでとらえるべきであろう。そしてⅡを考えるに当たっては,封建主義からの商業資本主義への移行,産業資本主義の展開,共産主義国家の実験,資本主義の隆盛と破綻,新自由主義の実験等を踏まえる必要があるとして,著者のその他の章の記述があると考えればいいであろう。

なお,「日本人が知らない「プロジェクト・ゼロ」社会 英国人ジャーナリストが描く「資本主義」以後」は,政治過程が重視され過ぎていて,私にはつまらない,著者が構え過ぎたのであろう。

 

社会と世界

歴史と経済

経済史」(著者:小野塚知二)は,必ずしも経済活動だけに焦点が当てられているわけではないが,文明,文化,思想,宗教等についての扱いが二次的になるのはやむを得ない。

ところで,つい最近まで,私たちの関心や知的エネルギーの多くは,文化とか思想や政治とかに割かれていたと思うのだが,今はそのほとんどが経済に割かれている。何か,情けない思いもするが,ただ経済といっても,誰もがお金儲けのことだけを考えているということではなく,文明,文化,政治,思想等を,人間の存続基盤である経済活動を通して整理して考えているというのが,実情に近いのかもしれない。

経済史はもちろん世界史の一部であるのだが,多様に変化する世界史の枠組みから経済史を見ると,問題が立体的にみえてくる。

経済と世界史

教養としての「世界史」の読み方」(著者:本村 凌二)は,ローマ史を専門とする本村さんが,世界史を,横断的に眺めた「歴史総論」とでもいうべきもので,とても面白い。特に「文明はなぜ大河の畔から発祥したのか」,「ローマはなぜ興隆し,そして滅びたのか」,「なぜ人は大移動するのか」,「宗教を抜きに歴史は語れない」を,特にお勧めしたい。

さわりを紹介すると,「文明はなぜ大河の畔から発祥したのか」の大きな要素は,大規模な乾燥化だそうだ。「アフリカや中東の乾燥化が進んでいったことで,そこに住んでいた人々が水を求め,大きな川や水の 畔 に集まっていきました。それがアフリカの場合はナイル川の畔であり,中東の場合はティグリス・ユーフラテス川の畔であり,インドの場合はインダス川の畔であり,中国では黄河や揚子江といった大きな川の畔だったのです。」「少ない水資源をどのようにして活用するかと,ということに知恵を絞る」(文字の使用等)ことが文明につながる。「日本は水に恵まれていたがゆえに,なかなか「文明」に至りませんでした」ということになる。

さらに著者は,「文明発展」の大きな要素の一つに馬の使用があるという。武力,馬力,情報の迅速な移動のいずれにおいても,馬は大きな意味を有している。馬がいなければ,人間はいまだ「古代世界」にとどまっていたかもしれないという。著者の競馬好きを差し引いても,なるほどと思わせる。

あと面白いのは,ローマ人と日本人の類似性の指摘だ(もちろんこういう指摘は,任意の2民族でいかようにも可能ともいえるが,しばし著者の言を聞こう。)。

「文明は,一度発達し始めると,なかなか一定段階にとどまっていられない性質があります。今あるものを工夫して,どんどん新しいものが生み出されていくわけですが,そのときより創意工夫をして,いいものを作り出した者が最終的に勝利することになります。このソフィスティケートしていくことが得意なのが,実はローマ人と日本人です」,「ここでとても大切なことは,ソフィスティケートする能力の真髄は,「ごまかさない」能力,つまり,正直さとか誠実さに根ざした能力だということです…日本がこの「ごまかさない」という一番大切なことを忘れた」結果,今の日本があるというロジックだ。このあたりになると「文明批評」だが,数ある「文明批評」のなかでは,本質をついているような気がする。これがイノベーションを支える基本的な資質だとすれば,我が国もまだ間に合う。

その他,この本は「アイデアをカタチに」する「創意工夫」が満載なので,そういう意味でも,お薦めしたい。

経済と日本史

日本史における市場を中心とする「経済史」を丹念にたどっているのが,「マーケット進化論 経済が解き明かす日本の歴史」(著者:横山 和輝)である。そのような日本史を世界史の中で捉えようとするのが,「世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史」(著者:茂木 誠)である。いささかスケールが小さくなるが,今の私たちを理解するためには,いずれも必要な視点である。ただまだ十分に消化できていないので,とにかく書名と詳細目次をあげておきたい。

3冊の詳細目次を掲載しておく。

 

IT・AI・DX,日々雑感

なぜWebの構成を変更するのか-技術的な理由

最近,ほぼコンスタントにこのWebの記事を作成することができるようになり,記事数も増えてきた。そこで,まず最低限の変更として,私も閲覧してくれる人も,混乱せず,かつ目的とする記事に到達しやすいように,構成を簡素化し,かつ,工夫してみることにした。本当はテーマも古くなったので変えたほうがいいのかもしれないが,私が撮影したクリックする度に変わる10枚ぐらいの山の写真は手放しがたい。

このWebは,Wordpress.comで作成しているが,記事は固定ページと投稿に分けて作成する仕組みだ。固定ページは,内容で項目分けされた上部メニューに配置し固定するために作成する記事群,投稿は,作成した時間順に表示される硬軟様々のブログ記事だ。両者の内容は交錯するが,投稿をうまく前者に入れ込むことが重要だ。今まではここが混乱していた。それとメニューの項目をあまり深くせず,文中からリンクさせる方がよさそうだ。

なぜWebの構成を変更するのか-実質的な理由

以上は技術的な理由だが,構成を変更しようとするより実質的な理由は,私が今,最もやりたい「法を問題解決と創造に活かす」弁護士としての活動について,このWebを情報発信の」主要なツールにしたいからである。今までの構成はいささか雑然とし過ぎていた。

そのために,今回,主要メニューを,「法と弁護士業務の頁」,「問題解決と創造の頁」,「ブログ山ある日々」に整理した。「ブログ山ある日々」は投稿(ブログ)であり,固定ページのメニューを,「法と弁護士業務の頁」と,それ以外の「問題解決と創造の頁」に分けたものである。

「法と弁護士業務の頁」の中心は「法を問題解決と創造に活かす」であり,「問題解決と創造の頁」は,そのための,事実と論理(学問)を踏まえた科学的な準備足らんことを志している。このWebも,やっとそういう情報発信ができるような準備が整いつつある気がする。ただITやAI,科学についてその新しい知見・動向を知るには,英語文献の読解が必須なので,その意味での準備に今しばらく時間がかかりそうだ。

現在,立法とその運用・適用を担当している中央政府(行政・司法)の人々は,法をトップダウン,かつ権威主義・事大主義に寄りかかり非科学的な運用をする姿勢が顕著だが,それではこれからの世界の変動に適応できない(でもこれは当事者だけの非ではなく,その状況にいたら多くの人はそういう対応をするのではないかということだろう。)。

だからこそ公共政策をめぐる事実と論理(学問)を把握し,これを踏まえた科学的な対応をすべく,立法も,その運用・適用も,ボトムアップかつ柔軟なものに変え,これからの世界に適応してみんなの問題を解決していきましょうというのが,私の今後のこのWebでのささやかな提案である。

これからのWebの構成

「法と弁護士業務の頁」は,今後,「法を問題解決と創造に活かす」を中心に記事を作成するが,「分野別法律問題の手引」も充実させたい。その他は,若干の手直しをする。

難しいのは,「問題解決と創造の頁」のメニューの項目と「ブログ山ある日々」の「投稿」との関係である。暫定的に次のようにしてみることにした。追ってこれに沿って各記事の配置を改めていくことにする。しばらくは,投稿のカテゴリー等は,無茶苦茶であろうが,ご容赦いただきたい。

問題解決と創造の頁

社会と経済の基礎

政府と公共政策

アイデアをカタチに

食動考休-健康になる

ITとAI

方法論の基礎

ブログ山ある日々

ブログ山ある日々総覧

法・社会・ビジネスの諸相

(法を問題解決と創造に活かす)

(社会と経済の基礎)

(政府と公共政策)

(アイデアをカタチに)

人間の思考と文化

(ITとAI)

(方法論の基礎)

山ある日々と自然

(食動考休-健康になる)

(孫娘の今日のひとこと)

本の森