IT・AI・DX,日々雑感

最近なぜホームページ関係の「備忘録」だらけなのか

多分5年くらい前だと思うが、全くの自力でホームページを作ってサーバーに乗せたがそれで力尽きて以後手つかず、これを反省して2年ぐらい前に簡単なはずのWoudPress.comで「再生」したが、それも以後ほとんど手つかずだった。前者は下手の手を入れると画面が大崩れしてしまうという素人としての酌むべき事情もあったが、後者は単に少し離れると面倒になってしまうという誰にでもある(かもしれない)それだけのことだった。しかし、この年になったからこそ考えることができることや、発言すべきだと思うこともたくさんあるので、できるだけ簡単で継続できるように今一度ホームページを再生したいと考えている。

そこで、そのための備忘のために、この10日くらいで、「WordPress備忘録」、「記事作成(テキストと写真)の備忘録」、「WordPressの記事のマークアップとCSSの備忘録」を作成した。ただこれらの内容は現時点では整理されていないので、追ってもうひとつ「Dreamweverの超初心者がHTMLとCSSを作る」という内容も加えて整理していくことにしたい。ただ現時点で、問題は、ほぼ記事の見出しと本文、表、リストを、どう整然と作成、表記するかということに絞られてきたと思う。

「この年になったからこそ考えることができること」とは何か

ところで「この年になったからこそ考えることができること」というと、何か「人生の教訓」とか「生死」のことを思い浮かべる向きもあるだろうが、そのようなことは当面私には無縁だ。

私の問題は、仕事やボランティアをターゲットにして、何を読んで何を考え、どう実践するかだ。「ブログ山ある日々」のレベルでいえば、「本の紹介」、「法とルールを問う」、「日々雑感」が重要であろう。特に、本を読んで考える「本の紹介」ということでいえば、まず「自然と科学」では、具体的には「自然」(宇宙、物質、生命、健康)を視野に入れた「科学的な進化生物学」が、「ヒトの世界」では、これに基づく科学哲学と、言語、意識、心理等が、更に「社会(信頼)の構造」では、これらの基盤の中でヒトが信頼に基づく分業によって価値生産をしてきたことが、検討されるべきであり、そのためには「法とルールを問う」必要があるというのが私の「見取図」だ。そして私のターゲットとなる実践は「価値生産」を産む様々な国際的な活動と「健康管理システム」の確立だ。

そして笑う

でもこんなことばかりしてはおられない。笑わなければつまらない。私の笑いは、ほとんど、深夜、Ipod Touchが呼び寄せる。ひとつは、HULUでやっている「Big Bang Theory」というアメリカでやっているドラマ。もうひとつは、様々なソースからかき集める「落語」(笑いに水をかけるのが、英語の朗読、Audible)。でも最近の一番の笑いは、孫のえみちゃんが呼び寄せる様々な笑いだ。これらについてはまた。

山ある日々

丹沢と箱根

明神ガ岳からの富士山

今年(2014年)の11月22日(土)から24日(月)までは連休だったが、24日に宴席があり「過食」が予想されたので、22日、23日と、近場の山に行くことにした。最近は「さあ明日は山に行こう」というかけ声止まりが多くて、どうしても山行の間が空くので、いつも「リハビリの山」の繰り返しになる。

1日目は、丹沢で、日向薬師から大山に登り、蓑毛越えを経て蓑毛に、2日目は、箱根で、最乗寺から明神が岳、明星が岳を経て、箱根湯本に下るコースだ(縦走ではありません。念のため)。

どちらも初心者ないし初中級のコースではあるが、5時間から6時間は歩くので、そこそこきつい山ともいえる。特に日向薬師から大山は、3時間弱の上りのうち、最初の40分弱は舗装路の上りだが、あとは見晴台を除きほとんどが階段状の登山道を上り詰めなので、山頂付近になるとかなり苦しい。実はこれまでも体調によって見晴台で嫌になって大山に登らずに、阿夫利神社下社を経て、蓑毛や鶴巻温泉まで行くことも多かった。でも今回はちゃんと登った。

両日とも快晴で、大山からも明神が岳からも、まだ少し薄めの雪を被っている富士山が大きくくっきりと見えたこと、一方、山頂から見下ろす下界の街が冬の霧(あるいは靄?)に覆われていて幻想的だったこと、更には、登山道の至る所で紅葉にこころ奪われることが重なり、どちらも本当に気持ちのよい山行であった。

どうして登りが

ただ・・・。どうも登りが思うように進まない。思えば、10年くらい前に始めた登山の、初心者の頃は、下りは本当にきつかったけど、上りは好きだった。毎週のように山に行っていたときは、上りで抜かれるのは、若いセミプロの男性ぐらいだった。でも、今回は、太めのおじさん、父親と小学生、女性を含む3人連れ等々、どんどん抜かれてしまうし、なにより足が上がらない。要するに加齢プラス怠慢による体力の劣化が甚だしいということだ。

こういうとき、昔の栄光のイメージできつい山に行くと、遭難するんだろうなと妙に納得してしまう。

さてどうするか

私の登山は、快楽登山だ。山に登る、そして下山して温泉に入る、そのあと、お酒をいただき、酒肴に酔う。こんな楽しいことはない。快楽の極みである。それで山に行ってもほとんど痩せない。というよりも、結果的に太ってしまうことも多かった。でもそれは私だけではないと思う。女性は知らないが、山好きのおじさん達には、ぽっちゃり系が多い。

でも考えてみると、それはそれができる年齢と体調だったからだろう。お酒を飲みすぎると辛くなり、山に行くと登りも辛いとなると、考え直すしかない。

要するに山に行きこと自体が快楽にプラスして「健康」に役立たないだろうか。

なぜ「山に登る前に読む本」を手に取ったのか

24日、宴席に出かける前に、ふと最近買って本棚に積んでおいた山に登る前に読む本 運動生理学からみた科学的登山術 (ブルーバックス)“>「山に登る前に読む本」(能勢浩著)というブルーバックスをポケットに入れ、行き帰り目を通した。少し山に行く前の「体力作り」を考える必要があるかなと思ったからだ。

そして次の記述に巡り合った。

「(承前)加齢による体力の低下を防止することが、より安全で、充実した登山になることがわかっていただけたと思う。
一方、この体カの低下が中高年の生活習慣病の根本原因であることをご存知であろうか。私たちの体カは10歳代後半をピークとし、30歳以降10歳加齢するごとに5~10%ずつ体力が低下するのだが、これと医療費が見事に相関するのだ。
私たちは松本市を中心に、5400名の中高年者を対象に、「ィンターバル速歩トレーニング」を実施し、5ヶ月間で体カが10%向上すれば、高血圧、高血糖、肥満などの生活習慣病の諸症状が20%の人で改善し、うつ症状、膝痛閲節症の症状がそれぞれ50%の人で改善することを明らかにした。これらの結果は、中高年者の加齢による体力低下こそが、生活習慣病の根本原因であるということを示している。
生活習慣病のメカニズムについては諸説あるが、加齢、運動不足によって体力が低下すると、体全体に慢性炎症が起こり、これが脂肪細胞に起これば糖尿病、免疫細胞に起これば高血圧、脳細胞に起これば認知症、うつ病、がん抑制遺伝子に波及すればがんになる、という説が有力である。慢性炎症とは、風邪を引いたときにのどが痛くなって発熱したり、傷口にばい菌が入ったりすると局所が痛くなって発熱する、といった具合に、外部から体内に微生物などが侵入すると、それを撃退しようとする生体反応である。むろん、体力低下による炎症はこれほど顕著なものではなく、非常に低レベルだが、全身性に起こることに特徴がある。
では、この慢性症はなぜ起こるのか。一言でいえば、筋肉細胞内で筋収縮のための「ガソリン」に相当するATPを産生する「工場」であるミトコンドリアの劣化である。ミトコンドリアが劣化すると、炎症を引き起こすサイトカインというホルモン様物質が筋肉やその他の臓器で産生され、それが血液中に放出され、生活習慣病の諸症状を引き起こすというのだ。非常に単純明快な学説である。
では、どうすればよいか。答えは簡単。運動トレーニングをして、加齢による体力の低下を防げばよい。実際、私たちと共同研究をおこなつているグループは、中高年者を対象に、5ヶ月間、「インターバル速歩トレーニング」を実施し、その前後に、炎症反応関連遺伝子の活性を測定した。その結果、炎症を促進する遺伝子はことごとく不活性化を引き起こし、逆に炎症を抑制する遺伝子はことごとく活性化していること発見した。すなわち、体力アップのための運動は生活習慣病の症状を改善するが、それが遺伝子レべルでも立証されたのだ。」

どうだろうか。これは私にとってとても新鮮であった。

私は山に早く登れるのは、何となくもともと体力がある人が、上ることに慣れるからだという風に思っていた。快楽登山の影響で、山に行った翌日は、アルコールの影響プラス疲れで、余り体調の良さを感じることもなかったから、登山=体力作りとは余り考えなかった。しかもときどき痛風まで起きていたから。

でも冷静に考えればこれはかなりゆがんだ考えで、頻繁に山に行くことによって「体力作り」ができるのは明らかだ。スポーツクラブに行けば体力作りで、それの何倍も時間を費やす登山が疲れるだけで体力作りにならないはずがない。

私は毎週のように山に行くことでそのときは十分な体力を身につけることができたが、100名山を全部登ったことであまり熱心に山に行かなくなり、行く間隔ももだんだん間遠くなることで、すっかり体力が落ちて上りがダメになったというのが事実であろう。普段から著者推奨の「インターバル速歩トレーニング」を取り入れるかどうかはさておいても、頻繁に山に行けば、体力がつき、生活習慣病を追い払うことができるだろう。登山を体力作りに利用しよう。そのためには、下山後の「快楽」を少しひかえればいいだろう。もうそういう年齢だな。

思い出したこと

そういえば、大雄山線の電車、最乗寺までのバスに、80歳で山に行くという「老人」がいた。誰彼なしに話しかけ、とりとめのない話をするので、立派だなとは思いつつ、少し敬遠していた。「明星が岳まで行って今日は早く下りる。」といっていたが大丈夫だったろうか。私が80歳になったときに山に行けるかどうかはわからないが、行けるのであれば余り人にもたれかからないで行きたいと思う。それでふと思い出したのだが、5、6年前になるだろうか、西丹沢の犬越路から大室山、加入道山をぐるっと回ったときのバスの中に同じように話好きの「老人」がいた。詳細は忘れたが、どこかで「やはり無理だから引き返す。」というようなことを聞いたような記憶がある。ひょっとしたら同じ人かも知れない。

とにかく高齢になっても山に行くことは素晴らしいことだが、体力の維持に努めること、ぼけないこと、そして余り人もたれかからないことが大切だろう。自分にしかと言い聞かせよう。

日々雑感

勝沼ぶどう郷 2012/10/7

今年の夏の日差しは強く、高山はともかく、近場の山を「健康管理」のために歩くには、余りにも暑くて出かけるのに二の足を踏んでいた。今年の夏の高山登山は、編笠岳、権現岳の日帰りぐらいであるが、それでも丹沢、箱根にボツボツ出かけていたが、8月に一度、箱根外輪山の半分(金時山→塔の峰→ヒメシャラの湯)を歩こうとして途中でくたびれてしまい、宮城野に降りてきて以来、自重して山は歩いていなかった。

少し涼しくなったので、勝沼の甲州高尾山に行った。といっても、当初は、奥さんを連れてブドウ狩りに行こう、市営の「天空の湯」が良さそうだ、でも時間が余りそうだ、勝沼に甲州高尾山という山があるようなので寄ってみようか、登山地図を見ると、大滝不動尊から上り65分、下り100分で大善寺というコースが、久しぶりの足慣らしにちょうどいいだろう、若いSさん夫婦が山に行きたいというので、私の奥さんと一緒に行ってまあちょうどいいかというような、すべてを詰め込んだ計画であった。ただ下りの方が長いこと、登山地図の途中2箇所に「急坂」という表示があること、解説に何故か「中級」とあることが若干気にはなったが。

振り返ってみると、甲州高尾山、途中の柏尾山自体は、何の変哲もない裏山だが、下りは本当に滑りやすい急坂が延々と続くので、いささか、くたびれた。私は、山歩きは、ここ何年もトレランシューズなので、歩きやすく滑りにくく、そうでもなかったが、重い登山靴だと大変だ。ほとんど山に行ったことのないSさんの奥さんは大変そうだった。私の奥さんも、今日は筋肉痛だといっている。慣れた人にはなんということはないが、初心者は、一度立ち往生すると大変だ。下に降りてブドウ園の人から、最近、登山者をヘリコプターで救助したという話を聞かされたが、確かに担架で下まで運ぶのは無理かも知れない。でもあくまで初級から中級の山だから、気を付ければ大丈夫だ。念のため。

さて、登山口の大滝不動尊は(勝沼ぶどう郷駅からタクシーで約2000円)、山奥にありながらなかなか立派な神社だ。大滝も風情がある。大善寺に降りる少し手前で老婦人2人が上るのとすれ違った。「上り優先はつらい」といっていたので登山者かも知れないが、信仰目的かも知れない。あるいは、大善寺直前のブドウ畑にブドウ2個の食べかすがあったので、食べ物好きで、栗でも探しに行ったのかも知れない。

大善寺は今回初めて名前を聞いたお寺だが、真言宗智山派に属し、創始は行基とされ、薬師堂、その中の厨子が国宝である。仏像も、ブドウを持った薬師如来(ただし、公開は5年に1度)を始め、公開されている12神将像も立派なものだ。ブドウも振る舞われ、自家製のワインを頂くこともできる。何とも楽しい寺である。

寺の近くにも、ぶどう園がたくさんあり、ブドウは試食をした上で、気に入れば買って帰ればよい。ブドウは時期によってできる品種が限られるようだ。もう巨峰は終わり、でもそれに代わる美味しい品種が目白押しだ。私たちは大善寺の近くの「早川ぶどう園」でたっぷりと試食をさせてもらった上、沢山買い込み、しかもタクシーを待つ間、甲州ワインの白を頂いた。

駅から歩いて20分ほどの「ブドウの丘」には、ショッピングコーナー、レストラン、ホテルもあり、「天空の湯」という温泉もある。いい湯だし、展望もいいのだが、ちょうどみんなが出かける時期なのだろう、少し混みすぎていて残念だった。もっとも、丹沢の「弘法の湯」はいつもこのぐらい混んでいるが。

「早川ぶどう園」で白1本、「天空の湯」の食堂で赤1本を、主として私とSさんと二人で飲んだので、私の計算ではまだワイン一本を飲んだぐらいだからたいして酔っていないといったら、そんなことはない、私一人でいっぱい飲んだというのが、皆さんの意見であった。