ブログ本の森と山ある日々,山ある日々

「ブログ山ある日々」の始まり

「ブログ山ある日々」は、私の毎日のoff-the-job time(主として土日でしょうが)に起こった事柄を綴ります。

本家本元の山行や旅行関係の「山ある日々」、多少業務に絡むし今後ますます重要となるであろう「法とビジネスの諸相」、私が毎日出会う少しだけ面白いことや備忘録を集めた「日々雑感」、読んだり積んだりしている本を紹介する「本の森」です。

現状

上記のように始まりましたが、2020年10月時点では、カテゴリーは、弁護士業務に関係する「法とルール」、現代の「世界の複雑な問題群」を解決するための「問題解決と創造」、「IT・AI・DX」、日々の問題を綴る「日々雑感」、横断的な「本の森」に、編成し直されています。「山ある日々」は「日々雑感」に吸収されてしまいました。

なお、HOMEの下位メニューの「ブログ山ある日々」をクリックするとサイトマップにこれまでの全ての投稿記事がカテゴリー別に出てきます。なおWebに移行する前のブログ「山ある日々」(https://murachan.typepad.jp/blog/)が残っていて、そちらに当時の山行記事が少しでています。2010年1月の記事に「どうも気恥ずかしい報告ですが(と年賀状にも書いたのですが)、約8年かかって、百名山を完登することができました」とあります。そして、2009年4月4日に、次の記事がありました。

なぜ「山ある日々」なのか

 私は山好きである。山に登り始めたのは、多分、2002年。最初は、町中、それから郊外でウオーキングをし、やがておずおずと近場の低山に登り始めた。すべて見よう見まね。雨具を買って最初に箱根で着たときの決まり悪さを、今でも覚えている。それからとにかく熱中し、毎週山に行った。金曜日に職場にザックを担いで出勤し、そのまま山に向かったことも数え切れない。一時期、間違いなく、日本で一番頻繁に山に登っている弁護士であった。

 ほとんど一人で登り、冬山は、都岳連の雪山講習会に行って雪山の怖さがわかったので森林限界を越える雪山には行かず、メタボで運痴で岩山も出来ないことから、初中級のままの登山家である。つまり登山というより山歩きのレベルである。それでご多分に漏れず100名山ハンターとなり、一昨年までで95山登ったから、本当は去年で全部登るはずであった。しかし・・・。

  あなたの山での楽しみは?

   誰よりもたくさんビールを飲むこと。

 あなたの山での自慢は?

   山小屋の食事を誰よりも早く食べ終わること。

 かかる人の運命は?

   痛風。

 去年の痛風はひどかった。せっかくの夏山の時期を痛風に起因する体調不良でつぶしてしまった。

 古酒新酒遠くにありて病みにけり   石川桂郎

 結局、登った100名山は、奥穂高だけ。それ以来、酒も断ったが、体調がどうも・・・。

 残りは、笠、水晶、鹿島槍、塩見、今年は何とかなるだろう。

 いつからか、「山ある日々」というHPを作り、山に関する情報発信をしたいと思い続けてきたが、山好きのビール好きは、山に登ってビールを飲むことに専念し、ついにHPを作ることが出来なかった。しかし今回、仕事も含めてのHPを作りたいと一念発起し準備中なので、まずブログを「山ある日々」と名付けてはじめさせてもらったという次第である。

 来週あたりは、生藤山に桜でも見に行こうと思っているので(まだ早いかも)、山の報告も出来るだろう。

 そう私の心の中にはいつも山があるのである。それなのに私の職場の机の前に張っていた標語「毎日がエベレスト」はいつの間にかはがされてしまった。

山ある日々

山ある日々という言葉に、私はうっとりする。この言葉を思いついた頃は、「山ある日々」は、実際に登山している日々を指していた。でも今は、もっぱら街中にあって、思い出す登山の日々、思い出す山々の風景、あるいはもっと抽象的に、私が山の緑、紅葉に包まれているイメージを呼び起こす。

一方、その頃の日常を指す言葉は、「毎日がエベレスト」。でもこれはいささか羊頭狗肉で、あまり流行らなかった。

しかし毎日がエベレストだろうと、山ある日々だろうと、街中はうるさく汚い。ずっと頻度は減るがこれからも山に出かけるだろう。そして山から清らかな風と、汗だらけの身体を運んでくるのだ。

IT・AI・DX,日々雑感

ホームページを自作して、2年半がたったが、それから更新はゼロ。ただし、その更新用の記事の素材にしようと思ってTypePadのブログ「山ある日々」も作っていたが、それも1年半ぐらい手が付いていない。

ホームページは、HP作成支援ソフトのDreamWeaverを使い、XHTMLとCSSに苦闘して、自作したものだが、少し離れるとDreamWeaverの操作が面倒すぎて手を付けるのがおっくうになってしまった。そうなるとブログを更新する意味も薄れるし、百名山も完登して登山回数が激減したことから「山ある日々」もまた激減したことに加え、ちょうど私が小澤事件の指定弁護士に選任されたことから、それを言訳にして完全に更新を怠った結果、ついにHPとホームページは死んでしまった。

しかしわずか2年であっても、ことITとWEBの世界の動きは激しく面白そうだ。私が情報発信することはともかく、世の中にあふれかえった知識、情報をしっかり整理し、確実な根拠に基づいて思考することは今後益々重要だろう。私の頭脳はもはやその任に堪えないから、外部脳として、ホームページとブログは重要なので、またぞろ、ホームページの作成、再生に取りかかったのである。

まず、DreamWeaverの操作をもう一度一から覚え直す必要があるだろう。ちょうど、バージョンアップしてCS6になっていたが、Adobeは一年間、月額3000円(1年後からは、月額5000円)で、ホームページの作成に必要な製品をすべて使えるというサービスを始めたので、とにかく一年間は、これを利用してみようと思い、FireworkやPhotoShop、Illustratorもインストールして準備万全。あとは、DreamWeaverと、XHTMLとCSS(HTML5とCSS3も使われ出した。)、Javascriptと、Jqueryと、ついでにPHPにも目を通しておけば完璧だろう・・・。しかし私は、WEBクリエーターではない。そんなことをしていたらいつになってもホームページ再生の日は来ない。

そこで考えたのは、もう一度一からホームページの作成をするのではなく、何かのテンプレートを利用することだ。ブログソフトであるWordPressは、普通のホームページのような固定ページも作成できるということなので、よさそうだ。これにしよう。WordPressは、サーバーにインストールして利用するそうだが、何とかなるだろう。

そこで何冊かWordPressの本を購入して目を通した。WordPressをサーバーにインストールする前に自分のパソコンで動作を確認するために、Xamppというソフトを利用する必要がある。それもOK。

その結果、WordPressを利用して一からホームページの作成をするのでは、DreamWeaver+XHTMLとCSSの比にならないくらい複雑になるので、本末転倒。WordPressが用意しているテンプレートTwelveElevenなら、何とかなりそうだ。本当ならこれに手を加えるのだが、もうとにかく使えればよしとしよう。それには、サーバーにインストールして利用するより、WordPressのブログが無料で利用できるサイトWordpress.comを利用した方が当面良さそうだ。いろいろとカスタマイズできるようになれば、もちろん、サーバーで利用しなければならないが、当面最低減でいいだろう。

ということで、いまは、Wordpress.comのブログサービスで、マトリックス法律事務所のホームページ再生の準備中である。もっとも、Wordpressと、今利用しているブログTypepadの母体であるMovableTypeは,かなりよく似ているようなので、最初からTypepadの有料コースを利用すればほぼ同じことだったかも知れないが、この波瀾万丈の過程に栄光あれ。

ところで、2年半前、私を苦しめたのは、私がいくら厳密に計算してホームページをレイアウトしても、どうしても、形が崩れてしまうことだった。もちろんそのひとつの大きな理由は、私がタグについて不十分な理解しかしていないか、計算を間違えているかであるが、一方、それ以上に、ブラウザーにバグがあって私がXHTMLとCSSを完璧に作成しても崩れてしまうことであった。厳密であると思った世界で、堂々とそのようなことがまかり通っていることを知り、大きく怒り、小さくなるほどねと思ったのであった。そして今回、WordpressないしTwelveElevenのスクリプトレベルでのカスタマイズをあきらめて、当面、Wordpress.comにしたのは、実はTwelveElevenが、HTML5とCSS3を利用していて、ホームページの幅が可変であるということであった。これでは、どこをどういじればよいのか、HTML5とCSS3を理解しないと分からない。そんなことはもう後回しだ。

最後に追加グチ。Wordpress.comで、私は最初、最新のTwelveTwelveを利用しようと思ったのだ。しかし、TwelveTwelveではどうも、ショーケースページが利用できないようだ。それでTwelveElevenに逆戻り。

以上、このようなことをトレースしている人には、初心者である私の愚かな苦悩がよくわかるであろう。興味のない人には、およそ関係のない話だろう。世界はとてつもなく複雑になりつつあると、しみじみと感じる。