山ある日々

昨日(2014年1月10日)、奥さんと一緒に秦野「弘法山ハイキング」に出かけた。小田急線の鶴巻温泉駅と秦野駅の間に、100メートルかせいぜい200メートルくらいの裏山が連なっていて、弘法山はその一山で、鐘楼や釈迦堂がある。といっても全体が公園という方が良くそのイメージを伝える。初心者用の気持ちの良いハイキングコースだ。

めんようの里という施設には、羊が放牧されていて、レストランでは、ジンギスカンやバーベキューが楽しめるそうだ。孫娘用に要チェック。

私はこのコースは奥さんと2、3回、秦野駅から歩いたことがあり、鶴巻温泉の、「陣や」という旅館や、弘法の里湯では、日帰り温泉と食事が楽しめるが、秦野の万葉の湯には行ったことがなかったので、今回は逆コースを行ってみた。駅から駅までで2時間半ほどだ。秦野からだと最初150メートルほど上るので、初心者は、それなりの覚悟をしよう。

ここらあたりだと、横浜の我が家と比べてずいぶん、富士山が大きく見える。この日は日だまりハイクという言葉ぴったりの楽しいウォーキイングが楽しめた。

秦野の万葉の湯は初めてだが、横浜や小田原にもあって、湯河原温泉の湯を運んでいるそうで、気持ちの良い、素直なお湯が楽しめる。横浜や小田原は混んでいるがここはすいている。丹沢の登山客がたくさんいるとしても、鶴巻温泉にも東海大学前にも日帰り温泉があるので、競争が厳しいのかもしれない。それにここはタオルも、室内着(浴衣や作務衣)も用意されていて快適だし、食事もおいしいが、食事も含めて少し高い。そもそも登山客はあまりお金を落とさないから。

食事も室内着でできるので、いっぱいやりながら食事をし、そのあともう一度温泉を楽しんで帰路についた。

 

 

山ある日々

私の登山歴

私が山に登り始めたのは、45、6歳の頃からで、典型的な中高年登山者である。もう20年以上前になってしまった。休みの日にいつも自宅にごろごろしていて太るばっかりではつまらないねというノリだったろうか。だれから教わったのでもないが、街中のウオーキングから始め、やがて箱根、丹沢に登り、そのうちもっと高い山にも挑み始めた。最初は、箱根で雨具を着たときにも緊張したし、軽アイゼンもおっかなびっくりだった。それに、はじめの頃は癖になっていた右足の捻挫が痛くて、歩くのも辛いほどだった。それでも、だんだん登山にのめり込み、(文字どおり)毎週のように出かけるようになった。出かけないのは、よんどころない用事があるか、痛風か風邪か二日酔いで動けなかったときぐらいだったろう。

それで最近まで私は「日本で一番山に行っている弁護士」を自称していた。多分それはある時期真実だったろう。ただ所詮、最近目覚めた中高年登山者なので、レベルは初中級ないし中級の下どまりだった。だから「弁護士になって滅多に山に行かなくなった。」といっている登山部出身の弁護士とは残念ながらレベルが段違いであることは、十分に自覚していた。それでも大学のワンゲル部にいた娘と、都岳連の冬山講習会に参加し、風雪降り荒ぶ冬の硫黄岳に登ったり、富士山で滑落停止訓練をしたことはいい思い出だ。百名山の完登は息子と一緒に行った黒岳(水晶岳)だ。登山関係の本やDVDも山のように買い込んだ。その程度の心がけはあったのだ。都岳連の岩山講習会にも誘われたが、生来鈍くさい上に、何せ体重が・・。それまでにも何度かクライミングもしてみたが何せ体重が・・。都岳連の岩山講習会に行くと、当然、西穂高-ジャンダルム-奥穂高レベルの山にも行くようになるから、その頃でも二の足を踏むしかなかった。実際、岩山講習会出身者の遭難の話も漏れ聞いていた。

百名山完登の栄光と挫折

話を元に戻すと、そのうち、最初は私など到底無理だと思っていた百名山にも登るようになった。最初に登った百名山はあまりはっきりしないが、弁護士会の委員会の関係で鹿児島に行った帰りに寄った霧島(韓国岳)かも知れない。あるいは小淵沢の仕事で出かけていた蓼科山かも知れない。最初は百名山全部に登るなどとは夢にも思わなかったので、記録もとっておらず、カメラはもともと苦手なので、持っていかないことも多い。眼と体に刻めばそれで良し・・もっともたいていの場合下山して大酒を飲むので、多くの体験、風景は記憶されることなくそのまま流れ去ってしまうことも多い。

しかし山の魅力とは別に、何かを虱潰しに消していくことには、ゲームのようなおもしろさがある。私はそれにのめり込み、いつしか百名山完登を目指すようになった。ただ、百名山に登るには、体力以上に、時間も金もかかる。私はたまたまその時やっていた仕事が比較的時間をとりやすく、他の人の協力もあって事務所も何とか回っていたので、目指すことが出来た。土日で登れるのなら誰でも目指せるが、関東地区を離れると基本的には土日では無理で、金曜日に出発することが出来ると、登れる山の範囲はずっと広がる。私は当時恵比寿ガーデンプレイスに事務所があったが、金曜日の朝、ビルに登山靴、ザックで入り、昼前には出かけるということを繰り返していたが、人の眼にはさぞ異様に映ったろう。

私はよほど山に魅せられたのだろう、百名山に限らず、並行して多くの山に登っている。関東周辺の箱根、丹沢、奥多摩、奥武蔵、秩父、奥秩父、富士五湖周辺、八ヶ岳の山はほとんど登っている。深田久弥の選定ではないが、二百名山、三百名山というのもあるが。二百名山は三分の二、三百名山も半分は登っているだろう。残っている山のほとんどは、アクセスが不便な場所にあり、私は車を運転しないから、公共交通機関+登山口への往復タクシーを利用するだけではいけない山である。もちろんタクシーを何日もチャーターすれば可能だが、それではお金がいくらあっても足りない。私は可能な限り、二百名山、三百名山にも登ろうとは思っていたが、これを完登する気は最初からなかった。

ところで登山口へのアクセスは、鉄道駅からバスがほとんんどだが、その頃はまだバスも多く走っており(多くが廃止されるようになったのは最近だ。コミュニティバスというのもほとんどなかった。大菩薩くらいかな。)、山溪(山と渓谷社)から毎年登山用のバス時刻表が出ていて、それは私の何よりの愛読書だった。バス時刻表とネット検索を駆使して最良と思われる登山計画を立てるのは、本当に楽しかった。実際、宿泊場所や切符の手配ができれば、登山のほとんどは出来上がっていて、あとは歩くだけだ。

百名山の百番目は、2009年8月に息子と一緒に黒岳(水晶岳)だった。このときはもう一つ残っていた笠ヶ岳に登り、三俣蓮華、鷲羽山、黒岳、烏帽子岳から高瀬ダムに下りるコースだった。これはなかなか充実した素晴らしい縦走だった。息子と、100名山の最後を登り、娘と冬山に登る。酒好きのグータラな父親としては、登山をしなけば、考えてももいなかった「幸せ」だ。孫娘のえみちゃん、じいじと、山に行きましょう。

単独登山は避けるという常識がある。確かに難しい登山や人が余り行かない山はそうだろう。でも職場で行くのでない限りなかなか他人と予定を調整して計画を立てるのは困難だ。だから私はほとんど単独行だ。それに何より、歩くペースは人によって違うし、同じ人でも状況によって違う。私は、基本的には最初はゆっくり歩き、中盤はそこそこピッチをあげ、終盤疲れてきたら自然に任せるというところだろうか。自分でペースを主導出来るとか、調整出来るときはいいが、ツアー登山のように、とにかく合わせなければならないときは、自分の力量が相当上でないと辛い。だから登山は、単独行の方が楽しい。

私はどちらかというと上りは速く、下りは遅い。いや、一時は登りは、プロ、セミプロを除けば、「トップクラス」を自称していた。私が今、唯一人に自慢するのは、鹿島槍で、朝、赤岩尾根から登り、鹿島槍に登って、結局、冷池山荘にも、種池山荘にも泊まらず扇沢におり、その日のうちに、バス、新幹線で、横浜に帰ったことだ。まあ素人登山家の栄光の日々だ。

また話を戻して、私が百名山で単独行でなかったのは、息子といった最後の登山は除くと、ツアー登山に参加した、一人では計画がたてにくい北海道の①利尻岳、②幌尻岳、③四国の2山を一度に登った剣山、石鎚山、④一人だと怖そうな剱岳、⑤アクセスが難しい皇海山だ。それと宮之浦岳には家族で屋久島に行き、娘と一緒に登った。そうだ、トムラウシには友人のH君と登った。それぐらいだろうか。

このようにして、最初から7、8年の2009年に百名山を完登したが、その後は、長期の挫折の日々ということになる。2010年には、やはり息子を連れて苗場山に行っているし、いつだったか、小淵沢の観音平から、編笠山、権現山を通って、観音平に戻る周回コースを短時間で歩いた記憶もある。しかし、その外にどうもあまり高い山に登った記憶がない。それどころか最近は、体重は減らないまま、大山でも、明神ガ岳でもヒイヒイいっていると、どんどん抜き去られる。時々奥さんと話すのだが、「百名山完登者」と染め抜いたTシャツでも作ろうか?逆効果だろうな。

百名山はどこがよかったですか

長い前置きが終わった。

さて、山はどこでも、天気がよくて眺望がよければ快適だ。そういう意味では、たまたまその時(何回も行った山もあるが)眺望がよかった山が思い浮かぶ。十勝岳、トムラウシ、聖岳、瑞牆山等々。

高層湿原の山も最高だ。平ヶ岳、巻機山、苗場山等々。

朝日、飯豊はとにかく縦走が楽しい。

北アルプスの山は、そのすべてが素晴らしい。

というわけで、百名山はすべて素晴らしい、というのが結論だ。

つまらない山はなかったですか

ないけれど、一点だけ。私は奥白根山については、間違えて山頂を踏んでいないのではないかと思う。あとで山頂の写真を見て気がついた。奥白根山は素晴らしい山だからもう一度登って見たいが、山頂を踏むだけのために行く気にはならない。だれか一緒に行きますか。

最後に- 老婆心

登山靴は踝を覆うトレランシューズにしてから随分楽になった。でもこれで、塩見岳から間ノ岳、農鳥岳を通って奈良田に下りているから、土砂降りでない限り不便はない。ザック(荷物)も軽いほどいい。

あと、雨具、ヘッドランプ、ツェルトは必須だが、最近は、低山なのでどれも持っていないことが多い。でも少なくても、雨具、ヘッドランプは持っていかないと、低山でも困ったことが起きる可能性がある。自戒・・

私は山頂に長く止まることをしない。食事をするとしてもせいぜい10分か15分だ。途中もできるだけ速く通過する。結局の所、安全のためにはこれが一番だと思っている。ましてや山頂でビールなど絶対に飲まない。その分、下界のビールが美味しい。もっとも山頂の山小屋に泊まるときは浴びるほど飲む。高山ではアルコールが速く回るというが訓練次第だ。でも山頂のビールは「高い」から飲み過ぎには注意しよう。

ずっと前に書いていたブログ「山ある日々」が残っていましたので、備忘のため記載しておきます。

山ある日々

大森 久雄
山と渓谷社
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一口コメント

帯にあるとおり「豊かな山の世界を綴った紀行、記録、エッセー、詩歌のアンソロジー」である。53編も収録されているそうだから1編当たりは抄録も含めて短いものだが、それだけに相応の経験のある山好きには次々とめくるめくような世界が展開されていてたまらないが、この世界に乗れない人にはつまらないかも知れない。

また見慣れない作品も多いが、編者の「固まった既成概念で選ぶのではなく、もっと自由に羽ばたいてみたい」結果なのだろう。

ついでに書くと、実際の本の副題は「読んで味わう山の楽しみ」なのに、Amazonでは「山の文章世界の道しるべ」となっているのは不思議だ。

私的メモ

この本は、手にとって味わってもらえばいいので、あまり私が書くべきこともないが、一つだけ取り上げてみよう。

「山に忘れたパイプ」(藤島敏男)

藤島敏男は名前しか知らなかったが、紹介されている白砂山は、私は2回ぐらい計画したが、未だに登っていない山だ。最寄り駅の長野原草津口から夏の短い期間バスが出ていて、車を運転しない私はその期間しか登れないが、残念ながら過去の計画は流れてしまった。それと、八間山を回ると帰りのバスの間に合うかという問題もあったように思う。花敷温泉に泊まればいいのだが、だいぶ距離がある。

藤島は花敷温泉から白砂山に登っている。野反池が素晴らしく、何度か訪れている、。のちに白砂山から佐武流山へ尾根伝い、苗場山へ抜けたが、「野反湖と池から湖に昇格(?)した野反は、北端に堰堤が築かれて、見る影もないただの貯水池に変わり果てていた」と書いている。その思いは手に取るように分かる。でも、白砂山、佐武流、苗場山というのは、素敵なコースだ。今は荒廃して行きにくいようだが、藤島の頃だってそんなに立派な登山道があったわけではないだろう。

ところで「山に忘れたパイプ」というのは雪道で休憩したときにパイプを置き忘れ旅館の若者が探しに行って見つけ届けてくれたという話だが、藤島は日銀に勤めていて「仕事も遊びも誤魔化しを嫌い、手厳しかった」ことから「あの藤島が忘れものをするわけがない、拾ったパイプ、の間違いだろう」と揶揄した人がいるそうである。笑える。

次に収録された作品名と作者の一覧を載せておく。

収録された作品と作者