人の心と行動,複雑な問題群

「病気」かなあ

ここ2週間ほど、熱の出ない風邪?にかかって体調がよくなく、休みは(平日も少し休みを取って)家にいて横になっていることが多かったが(やっと朝ジョグができるようになり、ほぼ完治したと思う)、妻には「子供は熱が出ない風邪は学校に行かされる」と叱咤され、さりとて病院に行く「理由」もなく、例によってKindle本を読みながら時を過ごすことが多かった。そういう中で、何冊かの「健康本」にも目を通した。

これまでの私の病気は、基本的に痛風と無呼吸症候群ぐらいで、「肥満大敵」→ダイエット→「運動+α」でお茶を濁していたが、今回の「病気」はあまり経験がなかったし、最近、間違いなく中年期から高年期入りしつつあるので、そろそろ「老化」も視野に入れ考えた「健康法」を実行していかなくてはという気になってきた。

これまでも「健康」、「ダイエット」、「運動」関係の本には多く目を通してきたが、今回読んだものは「老化」を踏まえた本が多くなった。

「「慢性炎症」を抑えなさい 」を読む

「ガン、動脈硬化、糖尿病、老化の根本原因 「慢性炎症」を抑えなさい 」(著者:熊沢 義雄)

まずこれを入口にしてみよう。「ガン、動脈硬化、糖尿病、老化」、いずれも私だけでなく、すべての老いゆく人にとって切実な問題だ。この本には、新しく正しい情報も多く含まれていると思うが、どうもお医者さんの書くこの手の本は、各情報の新旧や確実性、情報相互の関連性、発症の機序、生命現象における位置づけ等を自身で詰めることなく、人目を惹く情報を上から目線でずらずらと書き連ねる傾向があり、しかも細部の記述も「論理的」といえないので、どうもね、という気になってくる。
この本の「内容紹介」によれば、ポイントは、「最近の研究で、体内で慢性化した弱い炎症(体内で起きた異常な状態を、元に戻すための防御反応」のひとつ)が、血管や臓器の細胞を傷つけ、ガンやさまざまな生活習慣病の引き金になることが明らかになってきた。この体内の「慢性炎症」は、ストレス、肥満、加齢などで生まれる「炎症性サイトカイン」が原因で起こる。サイトカインは、炎症を引き起こす物質で、周りの細胞も影響を受け炎症を引き起こす。また、死んだ細胞からは、細胞の残骸が蓄積される。これがさらなる炎症の引き金となる」とされる。
<ストレス、肥満、加齢(老化・死亡細胞)→「炎症性サイトカイン」→「慢性炎症」→血管・臓器細胞の損傷→生活習慣病>という流れを基本とするわけだが、本書の最初のあたりで強調していた活性酸素やAGE(終末糖化産物)はどこにいったのかなあ?ストレスかなあ?しかもこの流れは、全容のごく一部だろう。
そして「慢性炎症」と「生活習慣病」(ガン、脂質異常症、動脈硬化、糖尿病、認知症、脂肪肝炎、COPD、間質性肺炎、リーキーガット症候群等々)を2つのキーワードとして、その発症にある種の「関係」があるとするが、しかし「慢性炎症」を引き起こす原因、機序、「生活習慣病」を引き起こす原因、機序はそれぞれ多様であり、事態は複雑で錯綜していて到底これでは収まらないだろう。
その上で、今、酸化、糖化を押えるために一時もてはやされた、抗酸化薬、抗糖化薬の効能は疑問視されているので、「慢性炎症」を押える抗炎症薬が勧められることになる。普通は、アスピリン(アセチルサリチル酸)、イブプロフェン、本来はコレステロール降下剤といわれるスタチンが挙げられる。
更に作者は、ビタミンDの摂取(日光に当たる)、歯周病の予防、治療、適切な運動、ダイエット、メラトニンの分泌促進、プチ断食(サーチュイン遺伝子の活性化)、糖質制限食、腸内細菌を整える等、健康のための方策を盛りだくさんに挙げている。だが、整理されているとはいえない。
「詳細目次」を後掲する。

問題はヒトの生命がシステムだということだ

自然科学は、数学、物理学、化学と発展してきて、生物学、医学は、まだ混乱のさなかにあるというような指摘をどこかで見た記憶があるが、まさに、生物学、医学は現在進行形である。またヒトの体、心様々な複雑な要素から成り立つ複雑なシステムである。「因果関係」の把握は極めて困難であり、ましてやこれを抽象化した自然言語による記述は不正確であると同時に、自然言語が独り歩きして「因果関係」の把握を誤導さえする。しかも実証的な実験は細菌やマウスで行われるだけであり、ヒトを対象とする研究の範囲は限られ、統計処理も難しい。更に新しい研究結果は一時的にもてはやされるものの、誤りであったとして消えていくものも多い。
ということで、「これだけが正しい」という発想はやめて、あれもこれも、正しいかもしれないが誤っているかもしれないと見極め、ヒトという複雑なシステムの全体がどういう姿をし、どういう機能を果たしているのかをおぼろげながら把握していくのが正しいだろう。
そういう中で今後「老化」と「病気」の問題を少しずつ解きほぐしていくことにする。

生老病死の世界-「老化」は存在するのか

仏教では、ヒトの苦しみを、生老病死の四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦を併せて八苦ととらえている。生は「生まれる」なのだろうが、私は「生きる」というステージと考え、その中で老病死という物理現象としての苦、愛別離苦以降の精神的な苦が展開されると考えることにしている。ここでは、当然に「老苦」が普遍的な存在であることを前提としている。
しかし、ものの本を読むと比較的最近まで(千九百数十年代まで)、個体の老化というのは存在していないという説が存在していたそうだし、細胞も老化しないと考えられていた。事程左様に問題はむつかしく、新しい動きとは客観的な距離を取る必要があるが、古い説を信奉していてもしかたない。

Key Wordは何か

そこで私は、錯綜した「老病」に関わる事象について、「DNA(遺伝子・テロメア)」、「たんぱく質」、「ミトコンドリア」、「酸化・糖化」、「細胞・器官・臓器」、「腸内細菌叢」、「肥満」、「慢性炎症」、「生活習慣病」、及び「内分泌系・神経系・免疫系」等をキーワードにし、その相互作用に注目して分析することにする。これで多くは視野に入るだろう。
今後順次、記事を作成していこう。

「生命の内と外」を読む-総論として

ただ上記の内容の記事は、あちらに行ったり、こちらに行ったり、ランダムウオークになるので、「生命の内と外」(著者:永田和宏)で生命活動を俯瞰し、ヒトの生老病死の全体像を理解することにする。この作業は今後することにし、ここでは、「詳細目次」を掲記しておく。

この本の「記述はいささか抽象的なので、生命を支える分子をカラー図解した「分子レベルで見た体のはたらき いのちを支えるタンパク質を視る」(著者:平山令明)を合わせて読むと、ぐっとわかりやすくなる。なお分子グラフィックス・ソフトウェアを利用すると分子の立体構造も見ることができる。これも「詳細目次」を掲記しておく。

各詳細目次は次ページへ

人の心と行動

「Think clearly 最新の学術研究から導いた,よりよい人生を送るための思考法」(著者:ロルフ・ドベリ)(Amazonにリンク
「The Art of the Good Life: Clear Thinking for Business and a Better Life by Rolf Dobelli」(Amazonにリンク

自分の生活と仕事を見直すために

丸善も薦める本

東京駅近くの丸の内オアゾに丸善の本店がある。そこの1階から2階,2階から3階へのエレベーターの脇に,同じ本の大きなポスターが何枚も張ってある。気が付くと最近は,「センスメイキング」,「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」と,いずれも私が先にKindleで購入し評価していた本だったが,今は(2019年6月中旬),本書「Think clearly」のポスターが張ってある。私は本書もポスターの張り出しに先行してKindleで購入し,前2書以上に評価していた。取り急ぎ紹介したい。なお本書は「連休を振り返る」「仕事について考えよう」で書名だけだが挙げておいた。

本書は52の論考からなっており,著者はその内容を,よりよい人生を生きるための「思考の道具箱」(Thinking for Business and a Better Life)とまとめている。

著者はスイス人生まれでドイツ語でこの本を書いているが,もちろん英訳されている。ドイツ語からの邦訳,英訳時にどちらかに(どちらも?)若干の編集が行われているようで,論考の並べ方が異なっている。

よりよい人生を生きる?

「よりよい人生を生きる」といわれるとこそばゆいが,著者は次のようにいう。
「よりよい人生を手にするのは,けっしてたやすいことではない。賢いといわれている人たちでさえ,人生でつまずくことがは多いのは,人間は,自分たちがつくりあげた世界を,もはやわかっていないからだ。いまや人間の直観は,信頼できるコンパスではない。そして,私たちはこの不透明な世界を,別の世界のためにつくられた脳を駆使して生き抜こうとしている。別の世界とは石器時代である。私たちに搭載されているソフトウェアもハードウェア(つまり私たちの脳)も,マンモスが草を 食んでいた時代のままだ。文明の発展が速すぎたために,脳の進化はそのスピードに適応できていない。だからいつでも使える「思考の道具箱」を用意しておけば,世界をより客観的にとらえ、長期的によい結果をもたらす行動ができるようになる」。

この状況認識-(私の言葉でいえば)言語とテクノロジーの蓄積,交錯によって世界は劇的に複雑化しているが,(目的手段推論付き)オシツオサレツ動物である人間はこれに適応できていない-から,「思考の道具箱」を用意したというのである。

思考の道具箱

著者が用意する「思考の道具箱」の出典は,「ひとつ目は,過去四〇年にわたる心理学研究の成果だ。精神心理学,社会心理学,ポジティブ心理学,ヒューリスティックスおよびバイアス研究,行動経済学,臨床心理学,それに,認知行動療法の中でも特に効果の高いものも取り入れてある」と説明される(まとめて「行動経済学と呼ぼう)。ふたつ目は,ストア派の思想,三つ目は,「投資関連書籍だ。ウォーレン・バフェットのビジネスパートナーであるチャーリー・マンガーは,世界でもっとも成功しているバリュー投資家のひとりだが,現代に生きる偉大な思想家のひとりでもある」とされる。

このポジションの取り方がなかなか素晴らしい。人の誤りやすさに焦点を当てた科学である心理学(行動経済学)は,広くいきわたりつつあるが,どうしても人はこんなにも誤った思い込みをしているという「アンチテーゼ」に力点が置かれ,「そのあとどうするの」という点で説得力に欠けがちだ。しかし本書は心理学(行動経済学)に加え,権勢の中で質素に生きることの誇りを説くストア派,長期間にわたって成功し続けている投資家と,いずれも迫力あるただならぬ気配を漂わせる言説を加えることで,「今からどうするの」に応えている。

私はこれまでチャーリー・マンガー(+ウォーレン・バフェット)は全く視野に入っていなかったが,著者の本書での紹介に加えて「完全なる投資家の頭の中-マンガーとバフェットの議事録」(著者:トレン・グリフィン)(Amazonにリンク)を読むと,人の行動がどういうものであり ,成功する企業がどういうものであるかについての「メンタル・モデル」は確かに卓越している。

いずれにせよ,上記の状況認識の中で,誤りやすいことを充分に理解して前に進もうとすることで,よりよい人生を切り開こうとする著者の「思考の道具箱」には,リアリティがある。

3点支持

そこで,直ちにわかるのは,この「思考の道具箱」は思考するためにあるのであって,「信仰」の対象ではない。マンガーに関する本書か,上掲本のどこかに,マンガーが,「メンタル・モデル」の総数はせいぜい80か90だといったら,それを教えてくれという問い合わせが殺到したということが書いてあった記憶があるが,そういうことがだめなんだろうなと思う。

山登り(岩登り)の基本技法に3点支持がある。四肢(手足)のうち三肢で体を支える,一肢を自由にして次の手がかり・足場へ移動する技法だ。3点支持,3点支持と唱えるだけで岩場ではずいぶん落ち着く。

私には,この3点支持という言葉が,著者やマンガーの流儀にふさわしい気がする。3点というのは,上記の本書の3点の出典という意味も含んでもよいが,それに限らず「思考の道具箱」,「メンタル・モデル」を利用しつつ,出来るだけ自分の頭で確実な支点を確保して(せいぜい3点だろう),そこから次の地平を自由に目指すが,確保した3点も確実ではなく,たえず行動は試行錯誤に晒されるという意味も含むだろう。

本書の使用法

本書の使用法というのも変ないい方かもしれないが,本書の52の論考を,最初からずらずらと読んで理解し,ここはいいなあ,これはなんだというような反応をしていただけではあまり役には立たないだろう(上述したように,邦訳,英訳で順番が違う。後掲する)。

本書はの読み方として一番いいと思うのは,まず52の論考を,自分なりのカテゴリーを作って(例えば,「行動することと考えること」,「人生哲学」,「複雑な世界」,「日常のあり方」,「ビジネス」とぢてみたが,うまくいっていない),並び替え,相互の関係を検討してみるということである。本書が素晴らしいのは。その8割方はきわめてまっとうなことが書いてあることで,全体の構成についてあまり不安に陥らず,これは良さそうだが,これらは矛盾している,共通する点があるとすればそれは何だろう等々と,思考実験を含め,自分にとって確実な支点を確保することで,自分がこれから何をやるかに,役立てることができそうなことだ。ついでに邦訳と英訳をランダムに読んでみるといろいろと発見もある。ただ金科玉条にするものではなく,突っ込みどころ満載だ。

私が気に入った点

私が本書で気に入った点は,何点かあるが,まず「複雑な世界」のことは分からないから「複雑すぎる質問」の収納箱を作って入れて置こうということであろうか。私はどちらかといえば「複雑な世界(システム)」の全体像を解明しようと思ってきたが,できないことはできないので,自分が手に負えることだけすればよいという「道具箱」は救われる。私は,制度(システム)全体をにらみつつ,そのなかで,ルロール(法)の機能と制御を考えて行けばいいのかなと改めて思った。そんなに時間もないし。

でてくる人,本も,「幸せな選択,不幸な選択」(ポール・ドーラン ),「失敗の科学 失敗から学習する組織,学習できない組織」(マシュー・サイド),ダニエル・カーネマン,ファインマン,バートランド・ラッセルと等々と,常識的で好感が持てる。

フォーカスイリュージョンの指摘も重要だし,出来るだけ試した方がいいということで,秘書(の面接)問題の指摘もある。ひとりの秘書の採用に100人のの応募があったとき,面接と決定はどうすればよいか。「「最初の37人」は、面接はしても全員不採用にして、ひとまずその37人の中でもっとも優秀な女性のレベルを把握する。そしてその後も面接を続け、それまでの37人のうちもっとも優秀だった人のレベルを上回った最初の応募者を採用する」というのが「唯一の正解だそうだ。数学的な説明は例えば「高校数学の美しい物語」「秘書問題(お見合い問題)とその解法」(外部サイトにリンク)にある。

その他「生き方」というレベルでの対応や,「ビジネス」についての言説も鬼気迫るものがあるが追って紹介しよう。

一方,デジタル関係は苦手なようだ。著者は。静かな生活を送るには退けるというが,好きで飛込みたい人もいるだろう。読む本も1年20冊という。これで済めばいいが,私もあれこれ追いかけはやめよう。

次に,邦訳の順番に,英訳を付加して,52の論考を並べる。

 

人の心と行動

未読・半読・一読の本 6 (19/06/10)

「様々なる意匠」を思い出す

ここ最近,某市がした公文書非開示処分についてその取消し,及び文書の開示を求めて提訴した行政訴訟の準備書面を書いていて時間がとられ,併行してあれやこれやの本に目を通しているものの,記事の投稿はできなかった。

そういうあれやこれやの中で「人類が永遠に続くのではないとしたら」(著者:加藤典洋)(Amazonにリンク)を読んでいで,ふと「様々なる意匠」という言葉が頭をよぎった。

小林秀雄の本はとっくに処分していたので,Kindle本で探すと,「Xへの手紙・私小説論」(著者:小林秀雄)(Amazonにリンク)に収録されていることがわかったので早速購入して読んでみた。このようなことができるので,Kindle本(電子書籍)はたまらない(青空文庫には,収録されていないようだった)。

「様々なる意匠」は,率直にいって今読み直すと無内容というしかない「文芸批評」だが,その「表現」レベル‐レトリック‐は今も新鮮で卓越している(末尾で紹介しよう)。内容と関係なく表現だけで人を圧倒できる領域が確かに存在する(ただ,「様々なる意匠」が世にもてはやされたのは,当時の「マルクス主義文学」に異を唱えたという,文脈的な意義も大きい)。

ところで「様々なる意匠」を読んでいて改めて思ったのだが,小林秀雄がこれを書いた当時,「知識人」が知的作業の対象とするのは,「文芸」がほとんどだったということである。自然科学もあったろうがその存在はわずかであり,社会,人文,哲学等々に係る言語表現は,「文芸」が扱っていたといえるのではないか。

マルクス主義は,今考えても,経済思想,政治思想として,当時,もっとも「科学」に近かったといえるであろう(ミクロ,マクロの経済学が確立されるのはずっと後である)。「文芸」しか知らなかった知識人にとって,「社会科学」と称するマルクス主義が登場したのだから,圧倒されたのも無理からぬものがある。それは,1960年代まで続いたような気がする。それももう5,60年も前の話だ。

思想とそれがもたらすことのある害悪

上述したように,私が,「様々なる意匠」という言葉を思い出したのは,「人類が永遠に続くのではないとしたら」(著者:加藤典洋)(Amazonにリンク)を読んでいた時のことである。加藤さんの「思想」は,「様々なる意匠」だなあと思ったのである。

思想というのは多義的だが,ある問題について多面的に十分に調査された資料に基づく論理的な言説(≒科学)が成立していない(あるいは成立しづらい)問題について,ある恣意的な観点と様々な抽象度から,ある資料をつなげ,ある「未熟な言説」を提示することだとしよう。

これは決して「思想」の悪口ではなく,科学が成立していない(しづらい)(古くて)新しい問題について,新しい方法,新しいとらえ方,要は,仮説を提示し,新しい行動を促すという意味で,価値あることであるが,害悪がもたらされることもある。

「思想」の内容によっては(場合によっては「思想」ともいえないような「価値観」であることもあるだろう),その「思想」こそ真実だとし,それを奉じる(実質は単なる錦の御旗にすることも多い)小集団が集団全体を「制圧」しようとする行動の中で,暴力,脅迫,威迫等々がなされることがある。小集団側は「制圧」を目的とすることについて自覚的であるのに対し,残余の多数派は往々にして「善意」である。

マルクス主義は,「思想」を奉じる小集団による集団全体の制圧が悲惨なものになることに洞察を欠き,当然のように悲惨な歴史を生んだ(マルクスの政治的言辞がその素地である気もする)。

この「思想」を奉じる小集団による集団全体の制圧という現象は,実は,史上広くみられるところであり,現代日本でも,政治運動,労働運動,宗教,任意の集団等を問わず,依然として広くみられる。次のような本がある。

  1. 「暴君:新左翼・松崎明に支配されたJR秘史」(著者:牧 久)(Amazonにリンク
  2. 「オウム真理教事件とは何だったのか? 麻原彰晃の正体と封印された闇社会」(著者:一橋 文哉)(Amazonにリンク

ⅰはマルクス主義労働運動についてだが,保守的な立場から対立勢力に暴力をふるい,相手方を蹴落とす労働運動が展開された塩路一郎の日産の労働組合も同様である。

またわが国では,宗教勢力が政治過程,地域社会に進出し,大きな力をもつことが多い。戦前の我が国も,全体としてそうだったととらえることもできよう。もっとも世界の政治は,キリスト教とイスラム教が支配していると考えれば,特異ではないのかもしれない。

オウム真理教もそうだが,かつて宗教団体の「勧誘」の問題が大きな批判を浴びたことから,行動は自重され,問題は沈静化していたと思う。しかし,私の印象だが,最近,某宗派が,政権党になったということから,公私の組織,集団に浸透し,宗教問題というより,実利的な問題について力をふるおうとすることが,私の経験する領域でも起こっている。

「人類が永遠に続くのではないとしたら」を読む

話が横にそれてしまったが,「人類が永遠に続くのではないとしたら」(著者:加藤典洋)(Amazonにリンク)は,豊かさを目指す経済派と,環境,資源の限界を唱える経済派が,相互に無関心であることを「現代社会の理論-情報化・消費化社会の現在と未来」(著者:見田宗介)(Amazonにリンク)を媒介にして,相互浸透させようとする試みのようだ。

「ようだ」というのは,この本は典型的な「思想書」だなあと思いを致したそこから「思想」に関心が移動し,先に進んでいないからである。上述した,論理的な言説(≒科学)が成立していない(あるいは成立しづらい)問題について,ある恣意的な観点と様々な抽象度から,ある資料をつなげてある「未熟な言説」を提示することこそ,まさにこの本の評価にふさわしい。加藤さんは,保険とは何か,原子力の危険性は何か,福島の回復にどれだけの費用がかかるか等について素人として手探りを進め,それを「現代社会の理論-情報化・消費化社会の現在と未来」に落とし込むことは,思想家にしかできない。ここから先には,柄谷行人,吉本隆明が待ち受けているらしい。小林秀雄の舞台は,「文芸」だったが,現代の思想の舞台は,人間の滅亡にまで及ぶ。

次のような本も関係する。

  • 「現代社会はどこに向かうか‐高原の見晴らしを切り開くこと」(著者:見田宗介)(Amazonにリンク
  • 「ポスト資本主義-科学・人間・社会の未来」(著者:広井良典)(Amazonにリンク
  • 「ポストキャピタリズム-資本主義以後の世界」(著者:ポール・メイソン)(Amazonにリンク
  • 「デジタルエコノミーはいかにして道を誤るか-労働力余剰と人類の富 」(著者:ライアン エイヴェント)(Amazonにリンク

ビジネス・フレームワークを学ぶ

次は,ビジネスだ。

先日,Project  DSの会合の「ビジネスモデルキャンパス」を使ったワークショップに参加した。何が行われるか知らずに参加したのだが,若い人と酒も飲まずに話したのは久しぶりだ。

いずれにせよビジネスで自立するには,体力も知力も感性も必要だ。「ビジネス・フレームワーク」については,次の2冊の本が参考になる

  • 「ビジネス・フレームワーク図鑑すぐ使える問題解決・アイデア発想ツール70」(著者:株式会社アンド)(Amazonにリンク
  • 「ビジネス・フレームワークの落とし穴」(著者:山田 英夫)(Amazonにリンク

デジタルについては,まだ次の本を検討していない。

  • 「デジタル ビジネスモデル 次世代企業になるための6つの問い」(著者:ピーター・ウェイル, ステファニー・L・ウォーナー他)(Amazonにリンク

このビジネスの前に目の前にあるPC・IT環境を整えたいと思ったのだが,ここでは更にその前の話となる「ネットカルマ 邪悪なバーチャル世界からの脱出」(著者:佐々木 閑)(Amazonにリンク)の出来栄えを吟味したい。

ネットという苦界から,仏教は救いとなるか。

地方自治を適正化する

ビジネスは,他人からいかに自分の活動(商品提供)の対価としてお金をもらうかという問題だが,そのような意識なく,天からお金が降ってくることを前提に活動するのが,中央政府,地方政府である。

政府のことを考えるとそのあまりの醜態に冷静ではいられなくなるが,ここでは最近入手した地方政府について考えるツールを書き留めておこう。

  • 「情報公開事務ハンドブック」(著者:松村 享)(Amazonにリンク
  • 「地方自治法講義」(著者:今井照)(Amazonにリンク
  • 「指定管理者制度のすべて  度詳解と実務の手引」(著者:成田頼明)(Amazonにリンク
  • 「自治体議員が知っておくべき新地方公会計の基礎知識 ~財政マネジメントで人口減少時代を生き抜くために~」(著者:宮澤 正泰)(Amazonにリンク
  • 「実践必携地方議会・議員の手引」(著者:本橋謙治,鵜沼信二)(Amazonにリンク
  • 「地方議会を再生する」(著者:相川俊英)(Amazonにリンク
  • 「地方創生大全」(著者:木下 斉)(Amazonにリンク
  • 「地方創生の正体―なぜ地域政策は失敗するのか」(著者:山下祐介,金井利之)(Amazonにリンク
  • 「地方自治論」(著者:北村亘,青木栄一,平野淳一)(Amazonにリンク
  • 「自治体訴訟事件事例ハンドブック」(著者:特別区人事・厚生事務組合法務部)(Amazonにリンク
  • 「はじめての自治体法務テキスト」(著者:森 幸二)(Amazonにリンク
  • 「事例から学ぶ 実践!自治体法務・入門講座」(著者:吉田勉)(Amazonにリンク
  • 「第3次改訂 法政執務の基礎知識-法令理解、条例の制定・改正の基礎能力の向上-」
    (著者:大島 稔彦)(Amazonにリンク
  • 「改訂版 政策法務の基礎知識 立法能力・訟務能力の向上にむけて」(著者:幸田 雅治)(Amazonにリンク
  • 「自治体政策法務講義」(著者:礒崎 初仁)(Amazonにリンク
  • 「自治体環境行政法」(著者:北村 喜宣)(Amazonにリンク
  • 「まちづくり条例の実態と理論-都市計画法制の補完から自治の手だてへ」(著者:内海 麻利)(Amazonにリンク
  • 「行政法講座1・2」(著者:櫻井敬子)(Amazonにリンク
  • 「行政紛争処理マニュアル」(著者:岩本 安昭)(Amazonにリンク
  • 「法律家のための行政手続ハンドブック 類型別行政事件の解決指針」(著者:山下清兵衛)

高齢者の法律問題

依然として「高齢者の法律問題」という記事は作成できていないが,その中には,健康管理も含まれる。

「スロージョギングで人生が変わる」を読む」という記事を作成したが,日々の調子が悪いとか,時間がとりにくい場合は,もう少し別の簡易なアクセスが必要だ。その場合,「姿勢」はどうだろう。実はいま私はあまり体調がよくないが,それはほとんど事務所で座って作業しているからのような気がする。姿勢を考えたい。姿勢もどうもというひとは,指ヨガとスクワットはどうだろう。

それと,高齢者になるとあれこれ医療情報に左右されてしまうが,目の前の医療情報に飛びつくのは,往々にして賢明ではない。危険な医療が行われたのは,決して昔のこととではないことについて,次の本の記述を読んでみるのがよい。

  • 「世にも危険な医療の世界史」(著者:リディア・ケイン, ネイト・ピーダーセン)(Amazonにリンク

法とルール論

弁護士である私の最大の関心事は,今,原則なくその場しのぎでつぎはぎを重ねて複雑化し(批判を恐れ,原則を定立せずに最初から必要以上に場合分けして無意味に複雑にしたものもある),崩壊一歩手前にあるものも含む法というルールがどうあるべきか,立法はどうあるべきかということであり,それはルールの科学的な探求,研究に基づくとは思うものの,その作業をどう進めればいいかは暗中模索であった(「法とルールの基礎理論」,「「ルールを守る心」を読む」,「「SIMPLE RULES」を読む」)。

これについて,前々から,ゲームをデザインする上でルールは極めて重要であるから,「ゲーム」の研究者がゲームという世界における,ルールの機能を科学的に探求しているのではないかという思いがあった。

今回,「Rules of Play: Game Design Fundamentals (The MIT Press)」 by Katie Salen Tekinbas,Eric Zimmerman(Amazonにリンク)を翻訳した「ルールズ・オブ・プレイ‐ゲームデザインの基礎」(著者:ケイティ・サレン, エリック・ジマーマン)(4分冊になっている。Amazonにリンク)があるのを見つけた。

内容は,「核となる概念」,「ルール」,「遊び」,「文化」の4ユニットに分かれ,「ルール」」を,「構成のルール」,「操作のルール」,「暗黙のルール」の3つの水準に分け, . 創発システムとしてのゲーム,不確かさのシステムとしてのゲーム,情報理論システムとしてのゲーム,情報システムとしてのゲーム,サイバネティックシステムとしてのゲーム,ゲーム理論システムとしてのゲーム,対立のシステムとしてのゲーム,ルールを破るということという順序で考察は進む。

今のデジタルゲームは,ルールを自然言語で記述しないという問題はあるものの,とてもも参考になりそうである。今後取り組みたい。

本書が参考として挙げる本も魅力的に思える。ここでは2書あげよう。その後は備忘のための関連図書だ。

  • 「文法的人間―Information,entropy,language,and life (1984)」(著者:J.キャンベル)(Amazonにリンク
  • 「複雑性とパラドックス-なぜ世界は予測できないのか?」(著者:ジョン・L. キャスティ)(Amazonにリンク
  • 「Legal analysis by David S. Romantz,Kathleen Elliott Vinson」(Amazonにリンク
  • 「The legal analyst by Ward Farnsworth」(Amazonにリンク
  • 「Artificial intelligence and legal analytics by Kevin D. Ashley」(Amazonにリンク
  • 「遠藤雅伸のゲームデザイン講義実況講義」(著者:株式会社モバイル&ゲームスタジオ)(Amazonにリンク
  • 「ゲームデザイン」(著者:渡辺訓章)(Amazonにリンク

「様々なる意匠」のさわり

「様々な意匠」からさわりの部分を抜き出してみよう。

「吾々にとって幸福な事か不幸な事か知らないが,世に一つとして簡単に片付く問題はない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく,崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も,若し言葉がその人心眩惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。私は,ここで問題を提出したり解決したり仕様とは思わぬ。「自分の嗜好に従って人を評するのは容易な事だ」と,人は言う。然し,尺度に従って人を評する事も等しく苦もない業である。常に生き生きとした嗜好を有し,常に溌剌たる尺度を持つという事だけが容易ではないのである」。

「批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事でない。批評とは 竟 に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」。

「私は「プロレタリヤの為に芸術せよ」という言葉を好かないし,「芸術の為に芸術せよ」という言葉も好かない。こういう言葉は修辞として様々な陰翳を含むであろうが,竟に何物も語らないからである」。

「人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない,この世を捨てようと希う事は出来ない。世捨て人とは世を捨てた人ではない,世が捨てた人である」。

「人は芸術というものを対象化して眺める時,或る表象の喚起するある感動として考えるか,或る感動を喚起する或る表象として考えるか二途しかない」。

「人間は生涯を通じて半分は子供である。では子供を大人とするあとの半分は何か?人はこれを論理と称するのである。つまり言葉の実践的公共性に,論理の公共性を附加する事によって子供は大人となる」。

いかにも魅力的な言説である。冒頭で記した「今読み直すと無内容というしかない「文芸批評」だが,その「表現」レベルーレトリックーは今も新鮮で卓越している。内容と関係なく表現だけで人を圧倒できる領域が確かに存在する」ということが了解いただけるだろうか。

「このような魔境から距離を取ることを自立という。いや自立とは,精神が魔境を球状に構成することというべきだろう」というように,表現が自然に小林節に飲み込まれてしまうが,飲み込まれないように距離を取れることが自立であることは間違いない。