IT・AI・DX

事務所パソコンパニック

先週の木曜日(2012年10月25日)、突然、事務所のネット・LAN接続のほとんどすべてが通じなくなくなってしまった。そうなると文書の印刷ができない、秘書さんとのファイルのやりとりができない、外部にメールができない、ネットからの情報収集が出来ないということで、結局、ほとんど何も仕事ができなくなってしまった。あれこれやってみてもどうもうまくいかない。パソコン+ネット・LANが仕事の中心に入り込んでいて、ここに何かあるとほとんど仕事がお手上げになってしまうことがよく分かった。物理的な毀損、ウイルス、意図しない設定変更、単なるうっかり、原因不明のトラブル等々、原因は無限に考えられるから、本当に手の施しようがない。

それで翌日、プロの人に来てもらって、ネットから各パソコンを一台ずつ切り離し原因のパソコンを特定して(私のだった!)、私のパソコンのウイルスチェックをして、もう一度繋ぎ直して、なんとか復旧した。ただ原因は、特定出来ない。

今事務所は少人数で数台のパソコンを接続しているだけだから、こんなことくらいでパニックになるのもおかしいのだが、ここ10年くらい、面倒くさいので、ネット・LANを秘書さんや詳しい人にまかせ切りにし、私は結局、そもそもLANはどのように接続するのか、どのパソコン、プリンター、コピー機が、どのようにつながっているのか等をまったく把握しておらず、事務所移転のときのそれについて書き留めた資料もなかったので、いざ問題を解決しようとしてもどうしようもない状態にあるということがよく分かった。もう一度プロの人に繋ぎ直してもらって、私自身が、その仕組みをよく把握するしかない。そうすれば、少なくてもパニックに陥ることなく、冷静に対処法を考えられるだろう。もっともその対処法は、冷静にプロの人を呼ぶだけかも知れないが。

追記 私のパソコンの日記ソフトは、ドロップボックスに情報を保管しており、家でもどこでも書き込めるようになっていたが、木曜日から、起動させると真っ白な画面になって動かなくなってしまった!!何回アンインストールしてインストールし直してもうまくいかない。しかし、月曜日(10月29日)に回復。この間、長い間ウインドウズの更新がされておらず、ずいぶんたまっていたので、まとめてそれをした。日記ソフトは、ウインドウズの何かのソフトのインストールを前提とするということは聞いていたので、ひょっとしたらそれが壊れたのではないかと思っていたが、今日、回復したということはそれが原因だったかもしれない。推測に過ぎないが。

いずれにせよ、ウインドウズXPは、そろそろおしまいにした方がいいかもしれない。

ノートパソコンパニック

私は自宅では、何代か、レッツノートを使っていたが、1年くらい前、丈夫が売物のレッツノートの画面に本が崩れ落ち、いきなり液晶画面が壊れてしまった(別のモニターを繋いで操作しようとしてみたがうまくいかなかった。しかし、今回、プロの人がするとうまくいった。さすが!)。

そこでレッツノートに別れを告げ、格安の(3万いくらの)ネットパソコンを買って使っていた。時々反応が遅くて止まってしまうのが玉に瑕だったが、まあ愛嬌だろう。しかし、今回、あるソフトをインストールしようとすると、画面解像度が足りないから出来ないと出てしまった。しかしそのソフトは自宅での作業に必要だったので、とにかくそれがインストール可能で、自宅で使える安いパソコンが必要だと思い、横浜のヨドバシカメラで富士通夏モデルのLIFE BOOKの展示品が、7万6000円くらいだったので、それを買った。20日のことである。ウインドウズ8には、1200円でアップグレードできるとのことだった。

これは、wimax内蔵で、wifiと切り換えて使える。私は、ipod touch用にwimaxに加入しているので、プラス100円で両方使えるといわれ(その真偽はまだ分からないが?)、その設定も、山あり谷ありだったが、とにかく、10月25日(木)には、何とか両方に接続できるようになった。そう、事務所パニックの日には、偶然私は、このパソコンを事務所に持っていっており、実は、最低限のメールだけはできたのであった(しかしその時は、まだ二つある内の一つのメールアドレスしか使えなかったが。)。

そのとき、私の頭の中には、古いウインドウズは、おしまいにした方がいい、ウインドウズ8には1200円でアップグレードできることがしっかりと刻印されていた。

土曜日は、なぜか朝から喉風邪を引いてしまい、土日ともアウトドアに出かけられる状態ではなかった。そこで両日、自宅であれこれ、ぶらぶらした挙げ句、日曜日の夕方から、「刻印」に誘われて、あまり考えることな、ウインドウズ8へのアップグレードを試みた。3時間くらいかかったかな。

その結果、①スタートメニューがなくて今まで使っていたプログラムが確認できない、②ガシェットが使えなくてとても役立つ辞書アプリが消えたしまった、③どうやってソフトを終了させるの?、④切り換えが分からない等々と、何のためのアップグレードかと後悔させるに十分であった。

しかし、今日少し調べて、スタートメニューを作るフリーソフトがあったので、それをインストールした。これまでのウインドウズ操作に慣れた人、特にウィンドウズ7をアップグレードした人は、これがないと往生するのではないかと思う。

そしてこれをインストールしたことで辞書アプリの所在が分かりそこから起動できたし、今までの操作ができれば、新しいウインドウズ8の操作も楽しく受け止めることができる。ウインドウズアプリもなるほどだ。でも、これは画面にタッチして操作するのが基本なのか。秋モデルはそれが可能なのかな、そうするとそちらの方が?後悔などしない。

でも、今のところ、メールソフト(shuriken)がつながらないという「現象」が生じているが、shurikenの再インストールでもしてみるかな。それともウインドウズ8のメール設定があるのかな。

このように事務所パソコン、ノートパソコンに併行してパニックがあり、なおかつここ1カ月のホームページ作成ストレスがあるのだが、それでも懲りずにパソコンライフを楽しむ。因果な性分だ。

ウインドウズ8の今後

昔、MACは、明らかにウインドウズより優れていた。しかし、かっちりして自由でないところが「評価」されて、DOS→ウインドウズがこの世界を制した。しかし、今、アップルが逆襲し、ウインドウズもついにアップル派に転向した。ウインドウズ8は、しばらくは、守旧派から文句を言い続けられ、いつまでもウインドウズXPを使いたがる人もなくならないだろう。しかし、ハードの性能も、情報へのアクセス方法も大きく変わっている。今ウインドウズ8を使わなくていつ使うのか。これはちょっと前に行き、慣れるだけである。その方向は、昔、パソコンに触った緊張感とは大違いで楽しい歓びの世界である。それだけは保証できる。ただし、ウインドウズで動いていたソフトは基本的に問題ないが、ハードは対応するのにしばらく時間がかかるようだ。マウスもだめなのがある。

そして、どこかで、そのようなことさえあざ笑う大きな地殻変動が起きているだろう。現象を追いかけるのでなく、方法を、知恵を、みがくことを考えよう。

本の森

原沢 伊都夫
講談社
売り上げランキング: 22,746

一口コメント

三上章とか大野晋とかに触発され、実際問題として何の役にも立たず困ったものだと思っていた橋本文法(学校文法)とは全く違う、外国人への日本語教授から生まれた明晰、明快な日本語文法の体系が、短い新書に凝縮している。これは今後の日本語文法論、ライティングの基礎として十分に使える。

簡単なまとめ

網羅的な「教科書」だから、一応、全体をじっくり読むのがよい。ただ、私たちは既に日本語を使用できるわけだから、その使用実態、方法を自覚的にとらえ直すこと、就中、論理的な文書を書くという観点から読み込むのがよい。以下、本書の要点を挙げてみよう。

日本語文の中心となるのは述語であり、述語になるのは、動詞、形容詞(イ形容詞、ナ形容詞)、名詞である。

文の成分と述語の関係を示すのが格助詞である。格助詞は、全部で9つあり、ガ格(主格(主語))、ヲ格(目的語)、ニ格(場所、時、到達点)、デ格(場所、手段・方法、原因・理由)、ト格(相手)、ヘ格(方向)、カラ格(起点)、ヨリ格(起点、比較)、マデ格(到達点)であり、鬼までが夜からデート(ヲニマデガヨリカラデヘト)と覚える。

成分には、必須成分と随意成分があり、必要最小限の組み合わせを文型という。

日本語文は、客観的な事柄を表す部分と(コト)、その事柄に対する話者の気持ちや態度(ムード)を表す部分に分かれる。「~ハ」は、ムードを表し、「主題」を提示し、述語はこれを説明する(主題-解説)。したがって、ムードには、付加部分と、「~ハ」がある。

主語は、述語との関係で、特別な存在ではない。格成分は、どの成分でも、「~ハ」によって、主題として提示される。

「自動詞」「他動詞」、「ボイス」、「アスベクト」、「テンス」、「ムード」

「は/が」の使い分け(150~157頁)

詳細目次

人の心と行動

吉本 隆明
青春出版社
売り上げランキング: 413,360

一口コメント

歳をとって、世界をワンダーランドに変える方法、あるいは向こうから押し寄せてくる情況とは何か。吉本さんの最後の主戦場は、200メートル四方の「上野」だった。

私的感想

私は、10代、20代の頃は、吉本主義者だった。「共同幻想論」、「言語にとって美とは何か」、「心的現象論序説」には軽く目を通しただけで、それがどのくらいの価値があるかはわからないまま、「原理的な問題はすべて解決済みだ」と嘯き、吉本さんの「情況への発言」とか、政治評論、社会評論の口まねをして「自立」を口にしながら、でも実際は、文学や宗教に関する評論、論説だけ一生懸命読んでいた記憶がある。

率直にいって、吉本さんは、文学、宗教の分野以外は、素人だったと思う。しかし、とにかく問題に食らいつき、少ないが良質の材料の中でよく整理して考えた上で、「気力」「気合い」を充実させ、きわめて飛躍の多い、抽象的かつ情緒的な文体で、問題の「本質」を、切り捨て、かつ歌うので、好きな人にはたまらない魅力があった。それが客観的には、問題の「本質」切開とまではいえず、論述のスタイルも多分に非論理的であっても、あまり的を外したことがなかったので、私は個々の主張はともかく、いつまでも嫌いにはならなかった。

ただ、その分、私も若い頃その一員であったように、追随して物まねをする人が多く、とにかく「知の巨人」などといって持ち上げるのにはいい加減うんざりしていた。この本の帯もそうだ。

二つのことを書こう。

吉本さんは、60年安保の時、警官隊とぶつかる中で警視庁に入り込み、逮捕された。それをずいぶん冷やかされていたが、それはともかく、今から50年前、40年前には、「安保闘争」という「政治闘争」が、人々の行動の中で大きな意味を持っていたことに今更ながら驚かされる。とりあえず若い人にはわからないだろうといってみるが、たとえば、私がいっぱしに物事を考え始めたのを15歳としてその50年前は、1919年になるが、その年の主立った出来事を調べてみると、国際連盟創立、「三・一独立運動」、「五・四運動」、ベルサイユ条約締結だそうで、15歳の私にとって、これらははるか大昔に起きたリアリティのない想像もできない出来事であった。同じことだねというより、今は昔の何倍も変化の速度が速いから、まあ60年安保というのは、私が明治維新について持つぐらいのイメージを思い浮かべればいいか。

吉本さんは、伊豆の海でおぼれかけたことがあり、それから体調を崩したと聞いていた(調べると1996年である。)。この本に収められたエッセイの多くは、上野近辺を素材にした事故後のものである。「足腰と眼を殆ど同時期に悪くして(なって)から」とあるのは、この事故のことを指すのだろうか。本書では、吉本さんの事故前のエッセイにあった、「気力」、「気合い」のクッションがなくなり(オーラといってもいい。)、「もの」がそのまま吉本さんにぶつかり、それを身障者だと自称する吉本さんが、あちらこちらを迷走しながらやり過ごすほんの少しのユーモアがとても魅力的である。本書の書き下ろし「自転車哀歓」がその「極北」である(というような表現もよく使った。)。

吉本さんは、今年(2012年)3月に亡くなられた。本書も魅力的だが、「気力」、「気合い」の充実したままの吉本さんをもう少し見てみたかった。ご冥福をお祈りする。

詳細目次の次に、簡単な「要約・抜粋と考察」があります。

詳細目次