日々雑感

仙台での仕事、牛タン、地震

12月7日(金)、中小企業基盤整備機構(中小機構)の仕事で仙台に行った。震災以降東北に行くのは初めてのつもりだったが、よく考えると青森との往復をしたことがあったので2回目だ。しかし津波被害のあった地域は初めてである。

仙台では人に会ってあることの事情を聞いたが、その中で、「自分がしていた生コンの仕事は、組合から生コンを仕入れ業者に販売するが、書類のやりとりだけで商社のような仕事だが、利に薄い。仙台の商社の亀井は、それで手を引いた。」ということを聞いた。その時初めて、亀井という名前を耳にしたのだが、翌日「亀井邸」に行き、えっと思ったのである。

3時前には仕事も終わり、少し早いが同行した二人と楽しみにしていた牛タンのお店に行った。牛タンだけでなく、刺身も、鍋も、カニの甲羅揚げも美味しくて、大正解ということでそろそろお店を出て新幹線に乗ろうとしたときに、震度5の地震が来た。かなり長く揺れたようだ。幸いあまり大きな被害はなかったようだが、311を経験した人達は、大変な緊張を強いられただろう。ただ私はこの時点でワインをたっぷりといただいており、それ以降、何となく記憶が曖昧である。

仙台の夜

地震の後、早々に仙台駅に行ったが、電車は全部ストップ。

どういう影響があるか分からなかったので、とにかく仙台で宿を確保することにした。すぐに動いたつもりだが、3軒目でやっと空きのあるホテルを見つけることができた。

思わぬ時間ができたので、中小機構仙台支部の人から、ちょうどこの日から始まる「仙台光のページェント」を見に行くことを勧められていたので、見に行くことにした。もうしっかり食べていたので、沿線のバーにでも入って「光のページェント」を眺めながら「ハイボール」でも少しいただければと思ったが、みんな考えることは似たり寄ったりのようで、予約でいっぱいとのことで、とにかく入れればいいということで、また居酒屋のような所に入った。それで外とは途絶されてしまい、再びお酒とつまみに向き合うモードに入った。

牛タンのお店で結構頂いていたのでここでは軽くするつもりだったが、そこにかねて知り合いの中小機構の人が駆けつけてきてくれて、旧交を温め、乾杯。結局10時ぐらいまで、ということは最初から勘定すると6時間近く、ぐたぐたとお酒を飲んでしまった。その間に翌日石巻に行く話がまとまったらしい?!

私は震災前、3、4回、三陸海岸を旅したことがあり、三陸沿岸で行っていないのは、気仙沼と松島の間ぐらいだったので、とにかく石巻には一度行ってみたかった。それで松島と石巻に行こうという話になったのだろう。

また、中小機構は被災地に「入居仮設施設」を建てており、中小機構仙台支部の人はその担当もしているということだったので、その勢いに追い風だ。

石巻へ

いつ9時過ぎに車で迎えに来てもらい、4人で石巻へ。最近まで石巻に行く道は渋滞がひどく、時間が読めないので、3時間ぐらいは余裕を見て出たという話を聞く。
石巻に着き、町の中心地の仮設店舗2件→川の中瀬にある石ノ森萬画館→石巻港の仮設倉庫→日和山神社とまわった。

「仮設」は、大震災の被災地に中小機構が建てたプレハブだが、石巻だけでも7戸、被災地では数百戸建てられているとのことである。店舗や倉庫が倒壊や流失して商売ができなくなった人のための施設であるが、店舗についてはなかなか人を集めることが難しいとのことである。いろいろな要因があるし、どうすればいいかというのは本当に難しい問題だと思うが、塩釜でみた「仮設」も含め、買物をする場としての快適さに欠けるということも大きいと思った。別にプレハブでも、狭くてもいいのだが、日本に古くからある「・・市場」(例えば近江市場)「・・商店街」(例えばアメ横商店街)はそれでも十分に買物をしようという気が起きるが、ここは、どうも。このプレハブの構造、配置は、ものを売るという仕組みには不適当な気がする。

石ノ森萬画館は最近再開したようだが、周辺はやはり流されている。奥の方の公園にある小さな自由の女神像の下半身が壊れていて、凄惨な感じだ。

石巻港や市街地が一望できるということで、日和山神社に連れて行ってもらった。

石巻港や市街地が一望できるということは、地震、津波の被害がそのまま目に入るということだ。瓦礫はほとんど片付けられていたが、流されたままになっている「空き地」がなんと多いこと。その中に点在する建物の多くは使用できないが撤去できずに残されているだけのようだ。

この辺を車で走っているとたくさんの墓地が目に付いたが、多くはきれいになっている。これは人びとが必死に修復したのだろう。

日和山神社から海方向を見ると眼下にお寺が見える(称名寺)。ここは地震、津波でも残ったようだ。同行したS君は、目に見えない力が働いたのかなといったので、私は力は目に見えないといった。それはともかく、神社やお寺は場所を選んで建てられると聞いたことがあるが、このお寺が残ったのもそういう理由なのだろうか。

松島、塩竃

石巻から仙台方向に戻る。松島で船に乗って塩釜まで行ってみようかという話もあったのだが、風も強いし、寒いし、それは止めて展望台に行って松島を眺めた。海には白波が立ち、遊覧船も風に煽られているようで、その動きがおかしい。乗らないで正解だ。

塩釜では、仮設店舗(海産物)→鹽竈神社→亀井邸を訪ねた。

鹽竈神社はすばらしい神社だ。まだ紅葉も残っていてとても美しい。東北地方でもっとも多くの初詣客が集まるそうだが、それも頷ける。ただカメラの電池がなくなって写真は今一だ。

神社の山にの下の方にある亀井邸は、そう昨日聞いた商社の亀井さんの住居だ。横浜に原三渓の旧家跡である三渓園があるが、そのミニチュア版だ。住居の中に大正時代の塩釜港を形づくった模型があったが、これが郷愁を誘う。

ここを最後に、帰途につき、土曜日でがらがらの新幹線にのって無事帰宅できた。思わぬ旅ができた。

IT・AI・DX

Kindle本の出現

私が1ヶ月ほど沈黙している間(といえば格好がいいが更新をサボっている間)に、Kindle Paperwhiteの出荷が始まった。それに先立ち日本のAmazon(co.jp)でもKindle本の販売が始まった。私が注文したKindle Fire HDは、まだ出荷が始まっていない。Kindle本の世界は、まだその入口が少し姿を見せたに過ぎない状況である。

現状では日本のAmazonの日本語の本は圧倒的に少ない。青空文庫の無料本や漫画を含んで数万冊であろう。一方、洋書はアメリカのAmazon(com)に匹敵する百数十万冊が用意されている。この現状を見て決まり切った論評、即ち、日本語の本が少ないので云々ということはできる。しかし最初は、本の分野でもよちよち歩きで始まったAmazon商法は、今やとんどの商品分野で圧倒的な力を発揮しつつある。洋書の分野と同様、4、5年立てば、少なくても数十万冊を擁し、日本で先行した電子ブックを蹴落とすのではないかと思う。いや、共存、共栄というべきか。

Kindle本体がなくても、日本のAmazonで買ったKindle本は、IpadやAnoroidでも読めることが分かったので、私はKindle Fireを入手するまでの繋ぎとして、少し古いAnoroidでKindle本読んでいる。これはそれまでアメリカのAmazonで買った本を読むのに使っていたが、設定を変えると日本のAmazonの本を読むことができるようになった(恐らく、同時に両方は読めないのではないか。)。

ただ、Anoroidでは、解像度も、本を読む上でのいろいろな処理も今一である(といっても、無料で英和辞典も、国語辞典も使える。)。

Kindle本が開く地平

しかしそれにしても、Amazon(co.jp)で検索したKindle本が、日本語の本であれ、洋書であれ、すぐに読めるという体験は圧倒的な快感である。青空文庫もパソコンでは読む気がしないが、Anoroidでは十分に読める。当然、Kindle Fireでは、普通の読書体験になるだろう。河口慧海の「チベット旅行記」の何と面白いことか。多くはない日本語の本も、今まで読まなかった類の本に目を向けてみようと思えば、新鮮な本もある。

今の時点で何を読んでどんな歓びがあるか、Kindle本での読書は、読書の有り様をどう変えるのかは、稿を改めることにしよう。

なお、Amazon(com)で買った本も、Amazon(co.jp)で買った本も、アカウントを統一すれば、日本で買ったKindle Fireで読めるようだ。そして設定を変えれば、どちらのAmazonでも洋書を買えるようである(当然安い方で)。

一言でいえば、お酒を飲むのよりずっと楽しい世界が広がりつつある。

法とルール

 

私が担当した「ふたつの事件」として、陸山会事件と並び、私にとって大きな事件だったのが、「旧小淵沢町官製談合住民訴訟事件」がある。社会的知名度はさほどないが、その内容は多少自慢したくなるものである。これについても「業務案内」、「ふたつの事件」、「旧小淵沢町官製談合住民訴訟事件」に掲載したのでそちらを読んで頂きたい。