IT・AI・DX

入手

12月18日、日本で始めてKindle Fire HDが出荷され、私のところにも送られてきた。これを夜な夜な(そして昼間も)いじっているが、最近、少し忙しくて使い込みは不十分だが、現時点での報告をしておこう。

Kindle Fireとは一体何者か

Kindle Fire HDは、基本的にはKindle本(Kindle Book)を読むためのリーダーであるが、本機のためののゲーム、アプリの利用、Amazonで購入した音楽の再生、ネットやメール、FACE BOOK等の利用等ができる7インチタブレットである。独自OSというが、基本はAndroidであろう。旧型Kindle Fireはアメリカで既に2年くらい(多分)の実績があるので、ゲーム、アプリもそこそこ使えるだろう。画面や音質の綺麗さは申し分がない。基本はリーダーだが、タブレットPCとしても十分価値がある。

アカウントの結合

アメリカのAmazonでKindleを買い、Kindle Book(電子ブック)を買っていた人は、アメリカのアカウントを日本のアカウントに統合することができる。要するに日本で買ったKindle Fire HDで、アメリカで買ったKindle Bookを読むことができるということだ。ただ両方のアカウントで既に購入した実績のある人の場合、アカウントの結合はAmazonに依頼して行うことになる(メールで依頼できる。)。

混乱

現時点でアカウントの結合、その他について、相当の混乱、システムのバグがある。考えただけでもこれは相当複雑な話なので、今の時点ではやむを得ないのかも知れない。

まずよく分からないのが、アカウントを結合しても「居住国の変更」という手続を日本のアカウントですると、アメリカのAmazonの商品をドル建て買えるということなのだが、そんなことをしなくても今までどおりアメリカのAmazonのアカウントでKindle Bookを購入しても、Kindle Fire HD本体のシステムで読めるようである(これは既にアメリカのAmazonでKindleを購入していたからかも知れない。日本のAmazonでは、Kindleを購入しなくても、アップルやAndoroidの機器でKindle本が読めるが、アメリカのAmazonでは、少なくても以前はそれはできなかった。)。ただ、アメリカで購入しているKindle版の雑誌、新聞は、Kindle Fire HD本体のシステムに送信されるのだが、メニューにはその表示が出てこない。

特に訳が分からないのが、Amazonが買収したAmazonの一部となっているAudibleという朗読音(オーディオブック)の扱いである。これについてもKindle Fire HD本体のシステムに送信されていてそれを聞くことができるが、メニューには出てこない。一方、Andoroid用と思われるAudibleアプリでも聞くことができる。それぞれから日本の購入サイト?やアメリカの購入サイトにも接続できるのだが、そこで購入できない場合もあり混乱がある。アカウントの結合後、アメリカで購入したオーディオブックはKindle Fire HD本体のシステムでは聞くことができないようである。またオーディオブックとKindle Bookが連動するはずのImmersion Readingという機能も、まだ利用できないようである。

その他Kindle本の購入にも小さなバグは沢山あって、今暫く混乱は続くだろう。ただ、利用上どうしようもないという自体は今のところ経験していない。別のルートを辿れば何とかなる。ただAudibleで3ドル程度の購入をするのに、現金の選択肢が出てこず、クレジット(十数ドル相当)が使われてしまったことには憮然としてしまった。

KIndle本の世界

Kindle本はまだ数万冊だが、今後爆発的に増大するだろう。実際にもあっという間に増えている印象であり「ファスト&スロー」、「新しい市場のつくりかた」、「読書の技法」、多くの文庫本、新書がKindle本になっている。

Kindle本は、デジタルブックだからKindle Fire HDを利用して通読するのが容易であること、語句について国語辞典、英和辞典で検索できること、ページや語句にデジタルで印をつけたりメモを記入したりすることができる等の特徴がある。ただせっかくデジタル情報なのだから、目次を利用して全体の要旨を作ったり、自由に感想を記入することができるような仕様にできないものかと思う(できるのかも知れないが今のところ分からない。)。そういう意味で今日購入した講談社現代新書が画像データであったのは、いかがかと思う、写真や図表の多い書籍をそうすることはやむを得ないと思うが、画像データでは、データの利用ができないし、量も大きくなりすぎる。他のリーダー用に提供されている商品を転用し、販売する書籍を増大させる戦略かも知れないが、これでは今後の活用を削ぐ。

いずれにせよ、Kindle Fire HDとKindle本の動向からは、目が離せない。

社会と世界

最近、①「遊牧民から見た世界史 増補版」(杉山正明・日経ビジネス人文庫)、②「中夏文明の誕生-持続する中国の源を探る」(NHK「中国文明の謎」取材班・講談社)、③「中国化する日本-日中「文明の衝突」一千年史」(與那覇潤・文藝春秋)を読み、「イスラーム 文明と国家の形成」(京都大学学術出版会・小杉泰)が控えている(別途、「イスラム飲酒紀行」(髙野秀行・Kindle本)も読んだが、これでイスラムを語るのは、いささか・・・)。

これらを読むと、人びとのエネルギーとその時間・空間の雄大さに圧倒されてしまうが、大事なことはこれらの本を整合的に理解することではない。

①「遊牧民から見た世界史」によると、遊牧騎馬軍団が、ユーラシア大陸の東端から、アジア西端まで、少なくても16世紀までは、ほぼ「支配」していたこと、中国も例外的な時期、地域を除き、遊牧騎馬民が「支配」していたことになる。遊牧騎馬軍団が非常に強力な戦闘力を持ち、あるときわずか十数騎で2000人の地上軍を蹴散らしたという記述があって、「ほう」と思うのだが、「征服した後」を支えるのは、交易であり、安定した治世であろう。②「中夏文明の誕生」を読むと、最近の発掘で分かってきたこととして、夏に端を発した、中華=中夏の思想が中国を支えてきたという話になる。③の「「中国化する日本」では、宋以降の中国が「世界標準」だということらしい(内藤湖南で確認したが、確かに宋以降が近代だということらしい。)。

それらの関係はともかく、ユーラシアに焦点を当て、古代オリエントは横に置くとすると、中夏、遊牧騎馬軍団、イスラム、それとヨーロッパ(含むアメリカ)が4大勢力であるが、遊牧騎馬軍団はその軍備が重火器に圧倒されたことから勢いを失い、ほぼイスラムに飲み込まれている。そうすると、中夏、イスラム、ヨーロッパの争いだが、近代になってやっと力を持ち重火器の大量生産で他を押さえつけていたヨーロッパが、中夏、イスラムの逆襲に遭っているというのが現状であろうか。

もちろん、軍備でも経済力でもなく、文明・文化によってである。

こういう話しは、どうしても床屋政談、居酒屋放談になってしまうが、それにしても、どこにも日本の「物作りの技術力」自慢など入り込む余地がないように見える。

それに本当に日本は「物作りの技術力」が優れていたことがあるのだろうか。私のイメージでは、江戸時代までの工芸品、美術品の伝統はさておき、50年前からの高度成長期には粗製濫造で市場を広げ、その後は、物真似、更には物真似はそのままで小型化、高度化によって市場を確保してきたが、結局、根本のところで創造性のある商品、サービスを提供できないまま、敗退しているというのが事実ではないか。

まずユーラシアやアメリカを駆け巡るしかないじゃないか、そこで人と出会ってはじめてまともな商品、サービスのアイディアが生まれ、「物作りの技術力」をいかした、普遍的な価値を生むことができるのではないか。

このままうじうじと国内で発想しているのではね、というのが壮大な歴史に向き合った私のとりあえずの感想です。さて私はどうしよう。

 

IT・AI・DX,日々雑感

私の法律事務所のWEBサイトを新しくして、2ヶ月半近くが経過した。WORDPRESSブログをベースにしたから、形式はとてもきちんとしているし、更新も楽だ。これを続けていけば、最低限、マトリックス法律事務所の紹介として機能するし、私のための「備忘録」にもなる。

しかし、このサイトは第3者が読んで面白いだろうか、「ブログ山ある日々」に多少与太話がまじっていて仮にそれが面白いとしても、だから何なんだろうという思いが、沸々と湧いてきた。しかも私が日々考え始めていることは、そこに書いていることとは少しずれている。だったら、日々考え、よたよたとぶち当たっているそのものを、恥も省みずどんどん書いていったらどうか。しかももう指定弁護士ではない一民間人だから、もう誰も気にしないだろう。もちろん、弁護士は、「常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め・・なければならない」(弁護士法2条)という枠組みは承知している。

ということで、2012年12月12日から、「ブログ創る」を、WEBサイトと、F2Cで始めることにした。

ところで私が最近日々考え始めていることは、「創る」ということだ。昨日とは違う何かを、今日、そして明日「創る」ということだ。その対象は、私自身の仕事や生活であるし、私が参加している仕事や関わっている他人の生活でもある。仕事や生活、それは言い換えれば、私の世界であり文化だ。だがそれは当面、「社会」や「政治」や「経済」ではない。「社会」や「政治」や「経済」を語り批判しても、何も創造しないというのが、ここでの方法論だ。

サブタイトルの「学ぶ・動く・持続する」は、「創る」ために弁えなければならないことを自戒を込めて掲げた。

「学ぶ・動く・持続する」も含めすべての事柄は、「創る」という観点から、プラクティカルに、かつリアルに見直すべきだ。本も紹介するより、部分読み、斜め読みでも使い倒した方がいい。

さて私は何をはじめようとしているのだろう。

(追記 2014/11/14)

これからは簡素を心がけて、メニューのカテゴリーはできるだけ簡単にすることにしたので、このブログメニューは廃止します。でも、「学ぶ・動く・持続する」は忘れないように、「山ある日々」にしっかりと書かなくては。